第116話 新星杯(3)
「あれがアレン・ロヴェーヌ……」
「この歴史あるユグリア王国ですら『歩く前代未聞』と言われる寵児……」
「何なんだ、あの気持ち悪いお面は……」
「秘密兵器として秘匿するものとばかり思っていたが、まさか情報の少ない彼を直接確かめる機会を得られるとは……
詳細にメモを取れ。報告書に纏めるぞ」
「頑張れよ〜弟君!
ローザが負けたら殺すって〜!」
……一体何でこんな事に……
「ふん。
顔なんて隠してとぼとぼ出てきやがって、ぶるってんのが丸分かりだなぁ?
噂なんてのは当てにならねぇもんだ。
私がお前の化けの皮を剥いでやるよ、凡顔!」
何注目浴びてやる気になってんだ、このアホは?
だがアホは、俺の事など眼中にないのか、ライオを指差しながら高らかに宣言した。
「この凡顔をボコボコにした後はお前だ、ライオ・ザイツィンガー!」
だがライオはその顔に不敵な笑みを浮かべたまま、はっきりとした声で返答した。
「まぁ頑張ってくれ。
……俺に出番はないと思うがな」
会場が騒めいた。
「……言ってくれるじゃねえか。
降参したらすぐ攻撃が止むと思うなよ、芋野郎がぁ〜」
いやいやいやいや、煽ったのライオだし……
何でゴドルフェンといい、ライオといい、俺が勝つのが当然のように言うんだろう……
明らかにこいつの方が有利だろうが!
こいつは倒れている人間に蹴りを入れる様な奴だぞ?!
怒らせてどうする!
あ、そう言えば女性の機嫌を取るにはとにかく褒めるのが大事だと、前世でこっそり買い求めた『モテる男の裏定理!』とかいうタイトルの本に書いてあったな。
まるで方程式でも記載されているかの様なタイトルが、理系の胸に刺さり買ったのに、中身は抽象論や精神論ばかりで何一つ役に立たなかった。
正直言って、グラフィアさんは俺に負けず劣らず凡庸な顔の人だが、なぜか容姿には自信がある様だし、一つだけチャームポイントもある。
俺はすかさずその点を誉めた。
「とってもチャーミングな八重歯ですね!」
「てんめぇ〜!
私が唯一気にしている所に触れやがったな!
絶対に許さん!!」
……地雷だった。
◆
唯一の地雷を鮮やかに1発でツモった俺は、だんだん腹が立ってきた。
転生の際に、真っ白な空間で神と何らかの取引をしたとしか思えないほど、女性関係では地雷を踏む。
そんな取引をした記憶はないぞ!
そもそも、もとはと言えば、
「……アレンさん?
なぜここに?」
オリビアさんは、神官の聖魔法によって意識を取り戻した様だ。
「頑張りましたね、オリビアさん。
すごくカッコよかったです。
そのレイピア、借りてもいいですか?」
俺がオリビアさんに問いかけると、オリビアさんはキョトンとした顔で頷いた。
「え?あ、はい。
でもこのレイピアは私の手に合わせて作られているので、扱いづらいと思いますよ?」
俺は頷いた。
「何でもいいんですよ。
ちょっと使うだけなので。
ではお借りします。
代わりにこの弓とダガーを預かっておいて下さい」
すると目の前にいる元凶の女が眉毛をピクリと上げた。
「おいおい、まさかその借り物のレイピアでこの私と戦うつもりか?
ぷっ。
先に負けた時の言い訳を用意しなくちゃならないなんて、騎士団員様も大変だなぁ?
……いつでもいいぜ?掛かってこい。
私の伝説の一幕に加えてやるよ。
ユグリア王国騎士団員のモブ顔Aが、泣きを入れて靴を舐めたってな!!」
グラフィアは会場中に響き渡る声で宣言した。
オリビアさんが舞台から降りたのを確認して、
「……始め」
◆
グラフィアさんは、隙だらけと言えるほど無造作に槍を肩に担いだまま、俺を手招きした。
近接武器での戦闘で、自分が歳下に負けるわけがないと考えているのだろう。
まぁ確かに、こんな借り物のレイピアで真っ向から勝負に行っても勝てるわけがない。
普段使っている木刀があったとしても、実力は相手が1枚2枚上なのだ。
俺は手始めに両手を鷲の様に広げて、適当に詠唱を考えながら、だが自信満々に、朗々とした声で唱えた。
「風の精霊、レ・シルフィ。
自由なる乙女よ……
世の
願わくば彼女の巡礼が、静かなる船出となる事を祈らん」
グラフィアさんは一瞬目を点にし、ついで馬鹿にした様な顔を俺に向けた。
「風の精霊?
……はぁ?
何言ってんだ、お前……
ぷっ、絵本の読みすぎじゃねぇのか?」
くっくっく。
余裕ぶっていられるのも今のうちだ。
風が吹き始める。
初めは風速5メートル。
だが次第にその風は強まっていく。
もちろん全部俺がコントロールしている、ただの演出だ。
固唾を飲んで見守っていた会場に、ざわざわと騒めきが広がっていく。
「何だ?!
なぜ闘技場内でこれほど風が吹く?」
そう言ったグラフィアさんは、初めてその槍を、隙なく構えた。
◆
グラフィアが槍を構えた瞬間、彼女の膝上までスリットの入ったマーメイドラインのドレスの後側は、突如吹き荒れた風によって捲り上げられた。
会場を静寂が包む。
一体何が起こったのかーー
驚くべきところなのか、それとも笑えばいいのか……
どうすればいいのか分からない……
そんな心の声が会場を埋め尽くした。
探索者達が技量を競う大会等と異なり、この新星杯の観客は上流階級の品のいい人間が席を埋めている事も理由だろう。
だがこの会場には、天才的に空気の読めない男が1人いた。
パッチだ。
その遠慮のない笑い声が、静寂の会場に響き渡る。
「あっはっはっは!あっはっはっ!
ひぃ〜最高!!!」
慌てて隣で観戦していた煽りの天才、ジャスティンがパッチの口を押さえた。
「笑っちゃダメですよ、パッチさん!
いくらブスだの芋だの凡顔だのと、散々人の容姿を嘲笑っていた彼女のパンツが『うさちゃん』のプリントだったからって!」
この両者のセリフで、会場の空気は方向性を決定づけられた。
そこかしこから、『ぶ〜〜っ!!!』という、我慢しきれず吹き出した様な笑い声が上がった。
彼らは自国は勿論、他国のVIPを警護している立場上、絶対に試合内容を笑ってはならない。
グラフィアは必死にドレスを押さえながら、咄嗟に『いや、これは私の
「ほ、ほんとに紐みたいに際どいんだ!
い、色もお気に入りは黒なんだ!!!」
グラフィアは必死に普段は違う、本気出せば凄いと言い訳を繰り返す。
だが、彼女が叫べば叫ぶほど火に油を注ぐが如く、会場は笑いと指笛に包まれた。
先程のオリビアへの非道な行いから残忍なイメージを持つ彼女が、鬼の形相で大観衆に自分の下着の色などを力説しているのだから当然だ。
VIPを警護している近衛騎士団員ですら、目に涙を浮かべ、体全体をプルプルと震わせている。
これがもし、笑ってはいけないというルールのある日本の某テレビ番組なら、判定は間違いなく『アウト』だ。
グラフィアは、叫べば叫ぶほど会場が盛り上がるという事実にようやく気づき、呆然と立ち尽くし、口をつぐんだ。
そして恐ろしい顔で元凶であるアレンを睨む。
だが、後ろを押さえたら当然行き場を失った風によって、前が捲れそうになる。
前後を押さえ、何とか左右のスリットから風が逃げる様にしているが、一瞬たりとも手を離すと再び『うさちゃん』が万人の目に晒されることになることは、火を見るよりも明らかだ。
完全に両手を封じられたグラフィアは、その目に涙を浮かべ、殺人鬼の様な顔でアレンを睨みつけた。
◆
「汚いぞ、芋野郎!!
正々堂々と勝負しろ!」
正々堂々と……
そんな事今更言われても。
そもそもスカートタイプの服で試合に臨んで、それが敵の攻撃により捲れたとして、その責任を敵に追求するのはどうなのだろう。
嫌ならズボンで来るか、下にもう一枚穿いて来いという話だ。
俺はアホらしくなって、すっとぼけて首を捻った。
「俺に言われても困ります。
俺は『静かなる船出』を祈ったのですが、シルフは悪戯好きですからね。
彼女の巡礼に入ったからには、すでに俺の手を離れています。
俺に言わずに、彼女に頼んではいかがですか?」
グラフィアさんは目を血走らせて怒鳴った。
「ふざけんな!!
シルフなんて聞いたこともない!
そもそも精霊なんて実在するわけないだろう!
今すぐこの風を止めろ!
本当にぶっ殺すぞ!!」
俺はやれやれと首を振った。
まったく。日本なら小学生でもシルフの名を知っているぞ?
「
彼女をこれ以上怒らせない方がいいですよ?
せめて入り口に立ってから喧嘩を売ってくれますか?」
俺が虚無の顔、かつ自信に満ち溢れた口調でこの様に断言し、さらに風速を一段上げると、パニックに陥ったグラフィアさんは、涙目でこんな事を言った。
「分かった!
私が悪かった、シルフィ!
信じるから悪戯を止めてくれ!」
俺は風をゆっくりと収めた。
「…………ぶっ殺す!!」
途端に、グラフィアさんが血走った目で俺へと飛びかかってくる。
そこで俺は、『止めろシルフィ!!』とか叫びながら、風魔法を全開にして、彼女のドレスを全力でたくし上げた。
へそが見えるほどたくし上げられたドレスが彼女の頭部を包み、視界を完全に塞ぐ。
グラフィアさんはナゼか硬直したので、俺はオリビアさんから借りたレイピアで、そのスリットからはみ出した手に握られた槍をそっと叩き落とした。
「それまで。
勝者、アレン・ロヴェーヌ」
割れんばかりの大歓声が注がれた。
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