第113話 建国祭(3)
「本っ当に、ありがとうございました!!!
ご迷惑をお掛けしてすみません!」
ユーカスの姉、オリビアさんは改めて真っ直ぐに頭を下げた。
この世界は目鼻立ちのはっきりした、前世の基準に照らして美人が多いが、オリビアさんはそれほど美人と言う訳ではないだろう。
ユーカスとそっくりなライトグリーンの髪は艶々だが、何というか、健康的な白い肌にはそばかすが浮かんでいる。
やはりあのクロワッサンがユーカスの好物なので、注意深くお店周辺を見ていたら、気がついた店主から俺たちの事を聞いた様だ。
「気にしなくて良いですよ。
それが俺の仕事なので」
「いえ、ユグリア王国騎士団員が迷子の保護をして、その上時間を使って保護者を一緒に探す、なんて事がないくらいは流石に分かります。
パン屋のおじさんも驚いていましたし。
普通は警察に預けて終わりだって」
「まぁ俺は気楽な見習いですし、今はたまたま時間がありましたから。
それに、俺もこうして異国の友達が出来て、一緒に買い食いできて楽しかったし。
な、ユーカス」
俺がそう言ってユーカスの頭をポンポンと叩くと、オリビアさんは頬を膨らませてユーカスを睨んだ。
「全く。
てっきり異国で迷子になって泣いてるかも……もし良からぬ輩に連れ去られてでもいたらーー
何て心配しながら走り回っていたのに、アイスクリームを食べながら笑顔でお出迎えだなんて。
私の心配を返しなさい!」
そう言ってオリビアは、ユーカスのアイスクリームをパクリと食べた。
「何これ〜おいっしい〜!!」
感情表現のストレートな子だな。
と言っても、多分少し歳上だけれど。
「まぁこうして無事に会えたし、引き続きお祭を楽しんでください。
俺は仕事中だからもう行きます。
じゃあな、ユーカス」
俺がそう言って席を立つと、ユーカスは『あ!あのっ!』と言って、俺を呼び止めた。
そして姉を見ておずおずと聞いた。
「あの、お姉さま。
出来れば名前を明かしたいんです。
その、せっかく知り合えたから……
それで、良ければ騎士さんも名前を教えてくれませんか?」
オリビアは呆れた。
「ユー、あなた助けてもらった恩人にまだちゃんと名乗ってもいなかったの?
やましい事は何も無いんだから、堂々と名乗りなさい。
騎士様も、名前も言わずに立ち去ろうとするだなんて……
お礼のしようがないじゃないですか」
オリビアはそう言って、ユーカスの背中を押した。
「あの、今日はありがとうございました。
僕の名前はユーカス・ルディオン。
ジュステリアから来ました。
これからも仲良くして貰えたら嬉しいです!」
ユーカスのその名乗りを聞いて、俺は少しだけ驚いた。
ジュステリアのルディオン家と言えば、あの『
400年ほど前に、そのオリジナル・ファイブであるロールディオン家が治めていたジュステリアの前身にあたる国、ロールディオン王国。
だがその一部の貴族のみを極端に優遇する圧政に、内圧が臨界点を超えて民主化され、議会政治を取り入れた先進的な国になった。
なので貴族という身分はジュステリアには存在しないが、王国で言うところの公爵家に当たるほどの名門といえる。
尤も、ロールディオン本家は民主化の過程で解体され、すでに家としての体を成していないという話だが。
「あぁ勿論だ、ユーカス。
友達だからな。
俺の名前はアレンだ。
生憎他国に名前の通るほどの家柄では無い、田舎貧乏子爵の3男坊でな。
オリビアさんはお願いですから騎士様は止めて下さい。
まだ見習いですし、とてもガラじゃないので。
……ところでルディオン家ほどの名家の人間が、今の国際情勢でまさか観光という訳ではないでしょう?
しかも子供が2人で呑気に出歩いて迷子だなんて、一体何がどうなったらそんな事になるんです?」
俺が当然の疑問を口にしたら、オリビアさんは苦い顔をして、口を開いた。
「じゃあアレンさん、でいいかしら?
アレン?
どこかで耳にしたような……
まぁいいわ。
アレンさんの言う通り、現在ジュステリアとユグリア王国の関係は過去最悪と言えます。
こちらの内政問題なので申し訳ないのですが、今ジュステリアの国は割れています。
建国の精神を忘れまいとする民主主義擁護派と、貴族の復権派で……」
◆
オリビアさんの話を要約すると、次のようなものだった。
ユグリア王国の西に位置する大国ジュステリアは、建国の際に民主化を果たしたが、いきなり庶民が国政を全て担えと言われて国を回せるわけもなく、紆余曲折を経て広く平等に人材を募る新民院と、比較的良識のあった元貴族を中心に構成され、国政に助言を送る元老院とで議会が構成された。
建国の精神に則り、当初は明確に新民院は元老院の上に位置付けられていたが、長い歴史のうちに徐々に元老院が力をつけ始めていた。
そこにつけ込んだ『何者か』(オリビアさんは明言しなかったが、血統主義バリバリのロザムール帝国だろう)に支援を受けた、貴族復権派は、国内でさらに力を持ってしまった。
そして、『オリジナル・ファイブ』などから比べてしまうと、その家としての歴史も浅いユグリア家が治め、平民も本人の資質次第では重用する大国、ユグリア王国を目の敵にしている『何者か』に扇動されて、いつの間にか貴族の復権のためには戦争も辞さない
オリビアさんやユーカスの父親は、名家の出身とはいえ、その実力で新民院の重鎮を務めているが、そうではない、貴族復権派で大した実力のない元貴族たちは面白くない。
そんな理由で、今ジュステリアは、ルディオン家の様な、その建国の精神すなわち民主主義を守りたいと言う戦争反対派と、貴族の復権を目指し、貴族の合議で国を回そうとする貴族主義とでもいうべき戦争推進派で割れている。
今回この国に来た理由は、オリビアさんが招待されており、明日開催される各国を代表する若者が武を競うイベント、『新星杯』への参加であるが、当然の事ながら父親は戦争回避の為に水面下でこの国の要人たちと会談している。
◆
なるほどねぇ。
まぁそもそも民主主義の国に元老院などという制度を作り、一部の人間に既得権を認めてしまった事が間違いの始まりだろうが、当時はやむを得ない事情でもあったのだろう。
既得権などは、作らなくて済むならなるべく作らないほうがいいに決まっている。
人の思考を澱ませて、国を停滞させるもとだからだ。
そういう意味では、家柄血筋一切忖度無しの絶対評価で人を集める王立学園は、この王国の新陳代謝を促す重要な調整弁と言える。
なぜユグリア王国と戦争をすることが、ジュステリアで貴族の復権に繋がるのかは全く分からないが、扇動されてるアホどもの考える事に合理性を求めても無駄だ。
「なるほど大体わかった様な気がします。
ですが良かったのですか?
他国の、しかも見習いとは言え、騎士団に所属する俺にそんな話を聞かせたりして。
自分で言うのも何ですが、俺には何の権限も有りませんよ?」
オリビアさんは、力強く頷いた。
「勿論です。
この程度の我が国の内情など、この国の情報部が把握していない訳がありませんし。
それにルディオン家は反戦、親ユグリアを明確に表明していますので。
お父様は、他国の制度は尊重しつつ、ジュステリアの民主主義を守る事が正しい道だと確信しています。
この国では、まるでジュステリアが一枚岩でユグリア王国に戦争を仕掛けようとしているかのような噂が巷に流布されているようですが、そうではない、という事をなるべく多くの人に伝えたいと考えています」
うーん、確かに通信や放送技術のないこの世界では、噂というものは侮りがたいだろう。
「私たちが建国祭を見て回る事になったのも、お父様の方針です。
今回、交渉の為にこの国に来ているお父様は、貴族と庶民が上手く融合しているこの国に敬意を持っています。
だから、せっかくこの国を自分の目で見る機会が有るのだから、お忍びでこの建国祭を見て回りなさい、自分も若い頃にお爺さまの目を盗んでこのお祭を見て回ったのがいい経験になったと。
何事も自分の目で見て、肌で感じて確かめるのが大切だと言って。
それでその、
オリビアさんは恥ずかしそうにそう言った。
なるほど、そのお父様というのは、いくら民主化された国の人間とは言え、この封建的な思想が多分に残る世界で名家に生まれたにも関わらず、かなり前衛的な思考の持ち主のようだな。
日本で生まれ歴史を学んだ経験のある俺だからこそ、その先進性がよく分かる。
俺は素直な気持ちを口にした。
「ユーカスとオリビアさんの父君は、時代の1つ2つ先を歩んでいる人なのですね。
本当に凄いと思います。
さ、仕事中だから今度こそ俺は行きます。
お祭り楽しんで下さい。
あ、この先にある『リザード・ファング』ってお店のステーキ串は、一度食べてみる価値はあると思いますよ!
スパイシーな秘伝のタレが最高です!
では」
俺はそう言って『ふくよか』のお面を付けて席を後にした。
◆
アレンが雑踏へと消えた後。
「あのお面は一体何なのかしら……
変わった人ね。
てっきりルディオン家との繋がりが欲しくて親切にしてくれたのかと思いきや、ユーったら名乗ってすらいないし、名を明かしてもまるで頓着する様子がないし。
王国騎士団員ほどの優秀な方との繋がりは、こちらとしても望むところなのに、あれほどあっさり去られたら『次』を切り出す隙がないわ」
ユーカスは頷いた。
「うん。
すごく不思議な空気を感じる人。
あの、お姉様。
アレンさんが言っていた、『父君は時代の先を歩いている』とは、どう言う意味なのでしょうか」
オリビアは少し考えて首を捻った。
「う〜ん分からないわ。
お忍びで祭を見て回る事を勧める事が、時代の先を行くと言うのはいくら何でも大袈裟だし。
まさか王国の貴族出身で、民が主権を持つのが当然の時代が来る……なんて考えるはずもないものね」
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