第109話 闇狼(3)


 闇狼の殲滅作戦は17時きっかりに、包囲軍が一斉に松明を掲げる事によって始まった。


 彼らの縄張り、つまり狩りをする範囲は、時に直径50キロメートルにも及ぶので、とてもこの人数で縄張り全てを囲む包囲戦などは出来ない。


 だが、今回は第6軍団による事前調査で、現在どの辺りに群れが分布しているのかが特定されている。


 闇狼は、毎日異なる場所に、個体毎に一定の距離をとって巣穴を掘るので、その巣の位置を闇狼に察知されない様に全て把握することは通常困難だ。



 勿論、仮に会敵しても、戦闘で遅れを取るような斥候は王国騎士団にはいないが、半端に手を出して、散り散りに逃げ去られたら追尾は不可能で、これまでの下準備が水泡に帰す。



 だが、先に現場入りしている第6軍団、特に斥候としても優秀なロジータさんが中心となり、敵に察知されないよう慎重に、だがかなり正確な現在地を、ほんの2、3日の探索で割り出したらしい。



 そしてその分布域、地形、彼我の戦力等を分析して作戦を立案したのもロジータさんとのことだ。



 俺が素直に『凄いですね!』と称賛すると、苦い顔で『私がまだまだですので、鍛えて頂いているだけですよ』と答えが返ってきた。


 向上心の強い人だな。



 包囲軍が松明を掲げると同時に、そこかしこの山岳地帯から闇狼の『オォォーーン!』という遠吠えが聞こえた。



 ダンテさんが、騎士のお手本の様な両手持ちの大剣を背に担いで言った。


「始まったね。

 僕たちも動こう。

 闇狼は極端に火や光を嫌うから、敢えて松明で塞いでいない、クローバー渓谷へと自然と追い込まれていく筈だけど、頭のいい個体も多いからね。

 僕たちの仕事…包囲の中で息を潜めている個体を炙り出していくよ!」



 今回の作戦では、王国騎士団は3つの役割に分かれている。


 クローバー渓谷に追い込まれた闇狼を残さず狩るスズナミ軍団長率いる殲滅部隊。


 包囲陣近くに一定間隔で配置され、包囲の突破を試みる個体を逃さず狩る部隊。


 そして俺たち包囲の中で動く遊撃部隊だ。



 ロジータさんの読みでは、恐らく当初クローバー渓谷へと殺到する闇狼達は、群れのヒエラルキーの末端で、頭のいい個体ほど息を潜め、その内に渓谷の突破を諦め連携して外側の包囲の突破を試みるだろうとの事だ。


 こう着状態に陥り、相手が外側の包囲突破を考え始める前に、炙り出してクローバー渓谷へと追い込んでいくのが俺たちの役割という訳だ。



 俺達第3軍団の面々は、狩場であるクローバー渓谷から最も遠い包囲網の端から、闇狼を探索していった。



 ◆



 ロジータは焦っていた。


 狩場であるクローバー渓谷に追い込まれて来たのは作戦開始から初めの30分ほど、10頭に満たない闇狼で、当初想定していた数の3分の1にも満たない。


 と言って、包囲網を突破しようとする闇狼に対処する為、近隣の騎士団員を呼び寄せる貝笛の音が聞こえるわけでもない。



 最後にこの渓谷に闇狼が姿を見せてから、かれこれ30分以上も動きが見えない。


 包囲したと思っていた闇狼達が、実は包囲の外にいたのか。

 あるいは包囲の中で何かが起こっているのかーー



 必死に思考を巡らせているロジータに、スズナミが、組んでいた腕を上げて背を伸ばしながら声をかけた。


「さて。

 相手のある事だから想定外イレギュラーは当然ある。

 大切なのは、イレギュラーにどう対処するかだよ、ロジー。

 私らは、このまま全員ここに突っ立っていてもいいのかい?」


 明らかな判断の遅れ。


 いや、そもそも、最も敵の襲来が予想されるこの渓谷に、スズナミ軍団長を始め、強戦力を集中した配置は適切だったのか。



 ロジータは、歯を食いしばって首を振った。


「申し訳ありません、軍団長。

 判断を誤りました。

 この場の対処はロマンボさん達3名で十分です。

 私と共に包囲の内側へ進軍願います」


 ロジータの方針にスズナミは笑顔で答えた。



「謝る必要は無いよ、ロジー。

 王国と民を背負っている私ら王国騎士団が、明らかに不備がある作戦を認めることはない。

 少なくとも作戦開始当初は、今回の配置は適切と思えた。

 結果だけ見ると誤りかもしれないけれど、逆にこの配置が当たる可能性も十分あったからね。

 大切なのは、さっきも言った通り、イレギュラーにどう対処するかだよ。

 さぁ行こう。

 ここは任せたよ、ロマンボ」


「はっ!」


 ロマンボと呼ばれた老齢の騎士は、ロジータの配置の甘さ、敵の現れない現状から、すでにこの展開を読んでいたのだろう。


『左手を前方にした斜陣!フーガ、ワシ、セクメトの順で待ち受ける!』と即座に指示を出した。



 その指示を後ろに聞きながら、ロジータは再度唇を噛んだ。



 ◆



 索敵魔法を得意とするロジータが先行して、2人は包囲陣の内側へと進んだ。


 日はとうに西の山陰へと落ち、辺りはすでにかなり暗い。



 包囲の中程まで進んだ所で、ロジータの両耳が僅かに戦闘音を捉えた。


 音を頼りに進んでみると、周囲から窪んだ開けた地に、第3軍団からの助っ人、彼女が尊敬しているダンテを始めとした面々が、闇狼の集団に包囲されている場へとたどり着いた。



 闇狼の数は100頭近く、一帯の闇狼が全てこの場に集結していると思われ、さらに信じられない事に、1人の騎士団員が背に傷を負って中央に膝をついており、その1人を庇う様に3人が三角に立っている。


 あのダンテさんが付いていて、闇狼如きに王国騎士団員が遅れを取るだなんて……しかもこいつら、逃げる気配が無い?



 ロジータが余りに想定外の事態を何とか理解しようと、咄嗟に思考を走らせようとした瞬間、あのふざけたお面を被った少年が、思わず見惚れそうになる程流麗な動きで瞬時に弓へと矢を番え、ロジータに向かって矢を射かけて来た。


 矢は僅かにロジータから狙いを左にずらしていたが、ロジータは思わず射線の逆側へ体を捻って矢を避けた。



 だがその瞬間、ロジータは驚きに目を見開く。


 スズナミが途轍もない殺気を放ちながら、腰を捻ってロジータに最短距離で槍の刺突を繰り出した。



「グギャァァアア!」


 かに見えたが、スズナミの槍はロジータの右肩の僅かに上を通過して、背後からロジータに襲い掛かろうとしていた『黒雷』と呼ばれる群れのボスの体を刺し貫いた。


 耳をつん裂く断末魔の咆哮が放たれ、闇に木霊する。



「勝機!!」



 次の瞬間にダンテが叫びながら飛び出して、その大剣を振るって、まるで紙でも切るように周囲の闇狼を斬り伏せていく。


 思わず下がる闇狼達を、スズナミが背後に回り込みながら次々に串刺しにしていく。


 だが、仮面の少年は、ダラリと両腕を下げたまま動かない。



 し、思考が追いつかないーー

 私は一体何をすればーー


 固まりかけたロジータに、スズナミから指示が飛ぶ。


「ロジーは怪我人マノンのフォローを代わりつつ、アレンの索敵を支援!

 ラングラーは殲滅に回れ!

 アレン!消えるのはあと何頭か把握しているか?!」


「ボスの番いと思われるメスが1頭!恐らくはそれで終わりです!」



 スズナミの指示で何とか持ち直したロジータは、即座にアレンの横で膝をつくマノンの元へと走り、神経を耳へと集中した。


 アレンがあの『一瀉千里』、デュー・オーヴェル第3軍団長仕込みの索敵魔法で、異常なまでの隠密性を有する個体の索敵をしている事は分かったが、自分とて第6軍団では索敵の腕では5指に入るとの自負がある。


 先程は不覚にも背後を取られたが、索敵に全神経を集中したらーー


 そうロジータが考えた瞬間、アレンは腰ベルトからダガーを引き抜き背後へと振り抜いた。


 ガイン!!


 だがこのアレンのダガーは、牙で止められる。


 そんな馬鹿な……

 全く気配を感じなかった……


「ロジーさん!」


 ロジータは心中で愕然としていたが、体は勝手にアレンの声に反応して、その群れのボスの番いであるメスの前足を1の太刀で斬り飛ばし、さらに身体強化の出力を上げた返す刀の2の太刀、片手剣ショートソードの一振りで個体の首を刎ね飛ばした。


 それを確認したスズナミが、指示を追加する。



「奴ら、逃げるな。

 このまま追い討ちしながら狩場へと追い込むぞ!

 アレンは念のため、索敵に専念しながらついて来い!

 ロジーはこの場でマノンを警護しつつ、貝笛で人を呼んで、後からゆっくり来い!

 いくぞ!」


 スズナミの指示に皆が動き出したが、ロジータはアレンを呼び止めた。


「待って!

 君はどうやってあの個体を認識していたの?

 警護の参考にしたい!」


 アレンは一瞬立ち止まり、振り返って答えた。



「……風が教えてくれるんです」



 風が教えてくれるですって?!



 意味が全くわからない……


 微笑んだおじさんの顔で、一体この子は何を言っているの?



 確かに作戦は万全とは言えなかったけれど、まさか学生にここまでコケにされるだなんて……


 プライドをズタズタに引き裂かれたロジータは、唇を噛んで、走り去るアレンの背中を睨みつけた。



 ◆



「待って!

 君はどうやってあの個体を認識していたの?

 警護の参考にしたい!」



 来たー!


 こうした質問が来た時のための、ロマン溢れる決めゼリフは予め考えてある。


「……風が教えてくれるんです」



 右30度ーー


 これは俺の地味顔が最もえる角度だ。


 ある時ダンとドルと、寮の風呂場の脱衣所で一緒になり、スッポンポンで鏡の前に立ち、3人で真剣にキメ顔の研究をした。


 我に返るまで30分も要したのは、もちろん彼女が欲しいからだ。


 俺はお面を付けている事をすっかり忘れて、ロジータさんから見て右30度角度がつくように振り返る角度を調整しながら、ニヒルな感じのする表情を作って答えた。



 そして風のように颯爽と走り去る。



 決まった……

 恐ろしいほどにーー



 俺は背中にロジータさんの熱視線を感じながら、密かにほくそ笑んだ。



 身に纏う風が、うっすらとイチャラブテンプレルートへの道筋を捉えているような気がしていた。

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