第105話 温泉(3)
「随分長湯でしたね、親分。
ちょうど様子を見に行こうかと思っていた所です。
……王都から、シュリの姐さんが来ています」
身の回りの世話をする為に、ジンにくっ付いている若い衆、オーサが戸を開けると、中には1人の栗色の髪をした女が待っていた。
「久しぶりだね、シュリ。
お前がわざわざ来るって事は、なにかあったのかい?」
「はい。
また
ジンがニコニコと笑顔で問いかけると、シュリは怪訝そうな顔で答えた。
「ふふっ。そう見えるかい?
……まぁ抜けたいところは抜けさせればいいさ。
じわじわと世の中がたぎってきているからね。
利に敏感な奴らは、この機に自由で動きやすい所へ行って、一山当てたい、って思う気持ちも分からなくも無いよ。
ロッツについては何か分かったかい?」
シュリは首を振った。
「ロッツ商会自体は、昔から王都の西側を拠点に商売をしていた土建屋ですが、何故ここ10年ほどで他の団体の後ろ盾をする程までに力を付けられたのかは、やはりよく分かりません。
傘下の会社や探索者の互助会が、随分と無茶な稼ぎ方をしても引き締めるでもなく、やりたい放題のようです。
と言って、高額な
ジンは目を細めた。
「やっぱりきな臭いねぇ……
今思えば、元々あの辺りを仕切っていた、聖銀会の会長が事故で死んだのは、確か10年前だったね」
「はい。
ただ、その辺りも含めて調査をさせてはいますが、ガードが硬くて。
親分を始め、王都の裏側を仕切っている人間が次々に襲撃を受けているのも、やっぱりあいつらの差金なんじゃ……?」
シュリはその目に憎悪を込めて言った。
「想像でものを言っちゃいけないよ、シュリ。
特にお前くらい立場のある者が言った言葉は、一人歩きしやすい。
逆手に取られて攻め込まれた時に、負い目があると対応に困っちゃうよ」
シュリは悔しそうに口を引き結び、頭を下げた。
「騎士団は動かないのでしょうか…?」
横で聞いていた若い衆、オーサが口を挟んだ。
「はは。
おいらたちは日陰者だからね。
単純な、裏側の勢力争いの間は、大っぴらには動かないだろうね。
彼らには、他にやらなきゃいけない事が沢山あるしね。
でもね、おいらたちみたいに日陰で飯を食っている人間が、騎士団を当てにするようになったらおしまいさ。
それは覚えておかないといけないよ?」
ジンに釘を刺され、オーサも口をつぐんで頭を下げた。
「さて。
いつまでもここで雲隠れしている訳にもいかなそうだね。
傷も随分と癒えたし、そろそろ王都に帰ろうか」
そのジンの言葉を聞いて、シュリは目を輝かせた。
「本当ですか?
それは皆喜びます!
親分がいないと、皆どうも地に足がつかなくって」
ジンはそのシュリの言葉に苦笑しつつ、思い出したように聞いた。
「あ、そうだ。
前に、リンドの所にイキのいい若いのが入ったって言ってたよね。確か『狂犬』とか言う暴れ者だって話だけど。
名前は確か、『レン』、であってたかな?」
以前報告した時にはさして関心の無さそうだった話を、いきなり蒸し返されて、シュリは少々意外に思いながらも答えた。
「あぁ、そいつなら名前は『レン』です。
確かにりんごは今王都東支所の互助会では勢いがありますが……
あの
人が減って困っていた時にも散々勧誘しましたが、結局独立独歩の姿勢を崩しませんでしたし…」
「ふふ。
りんごの家を無理に勧誘するつもりは無いよ。
リンドには、彼なりの考えがあるのさ。
ふふふふっ」
そう言って、ジンは相好を崩した。
常にない上機嫌そうなジンの様子を見て、シュリとオーサは顔を見合わせて、首を傾げた。
◆
山菜を使った素朴な夕食後、そして朝食前にも『月や』の風呂を堪能した俺は、朝9時ちょうどに村の入り口へと着いた。
そこには買い出しのついでに村への案内をしていたトニーは当然おらず、別の馬車と、武装した男女2人が待っていた。
話を聞けば、あの髭2人組のアニキの私的な用心棒で、これからキリカの街へ一緒に行く予定との事だ。
程なくして、ちょび髭とやぎ髭、そしていかにも胡散臭そうな笑顔を顔に貼り付けた、目が糸のように細い男が現れた。
「待たせしましたかね。
私はこいつらの身内のレッドという者です。
ところで、こいつらがあんまりメントに来るのが遅かったもんで理由を問い詰めたら、路銀を落としたとかで、そちらさんにも迷惑を掛けたみたいだねぇ。
おかげさんで、何とか取り引きも無事終えられたよ。
ほんとこのドジ共が、悪かったねぇ」
そう言って、男はちょび髭のケツを蹴った。
アホ髭2人組は、路銀を花街で使い込んだのを伏せて、落としたと説明したようだ。
まぁどうでもいいが。
「何、別に迷惑などではないさ。
メントの温泉に立ち寄りたいと思って受けただけだからな」
そう言って俺は肩をすくめた。
どうせ偽名だろうが、レッドと名乗った髪の赤い細目の男は、顔に胡散臭い笑顔を貼り付けたまま、その細い目を少しだけ見開いて、俺を試すように言ってきた。
「ほぉう?
じゃあこいつらが言うように、本当に5千リアルの端金でアメント火山を突っ切ると分かってて、依頼を受けたって事かい?
聞けば随分と腕も立つようだが…」
そう言って、男は笑顔を消してずいと凄んできた。
「で、いってぇどこの回しもんで、何が目的だ、ガキぃ?」
俺はため息をついた。
こんな三下に凄まれてビビる俺ではないが……さてどうするか。
キリカへの道案内が居なくなるのは面倒だが、こうなってはもう仕方がない、かな。
依頼が不達成になったらランク査定に響くから、普通なら多少嫌な事があっても我慢するが、こう言う場面で獲得した地位に囚われて、生きるつもりはさらさら無い。
むしろ俺の歳でBランクだと、本物か?とか、何もんだ?とか、偉い人に挨拶を!とか、事あるごとに騒がれて面倒な事この上ない。
下げられるものなら下げてほしいくらいだ。
「俺は王都東支所を拠点に活動しているリンゴ・ファミリーのレンだ。
目的はさっきも言った通り、ソルコーストでのバカンスから王都へ帰るついでに温泉に立ち寄りたかったと言うだけの事で、別にそちらさんが何の目的でこの村に来ていようが、関知するつもりはない。
だがーー」
俺は淡々とそう告げてから一呼吸置いて、宣言した。
「喧嘩を売られて泣き寝入りするつもりも、ない。
まったくな」
用心棒の2人が剣に手をかける。
だがレッドは再びその狐の様に目の細い顔に胡散臭い笑顔を貼り付け、顎髭を蹴り飛ばした。
「あぁ、あんたりんごの『狂犬』かい?
これは失礼したね。
私も普段は王都にいるから、噂は聞いてるよ。
いや、悪いとは思ったんだけど、腕の立つ正体不明のガキが、ボランティアみたいな仕事を受けた、なんて聞いたから、昨日の晩から『月や』を見張らしていたんだが、全く動く様子も無いし……
念のためちょっと試させて貰ったんだよ。
狂犬だと分かっていたら、きちんと昨日のうちに面通しへ行ったんだけど…ほんと、まともに報告もできない部下で嫌になるねぇ。
ま、それなら腕が立っても当然だ。
これから私もこいつらとキリカに向かうから、道中よろしく頼むよ?」
……面通しなど面倒以外の何者でも無いので、馬鹿髭2人組がまともに報告もできなくて助かったな…
「納得してもらえたなら結構だ。
だが、先に言っておく。
俺が受けた依頼はそこの2人の護衛だ。
無いとは思うが、緊急時にはその2人の安全を優先させてもらう」
俺がそう言うと、レッドは僅かに憮然とした表情を見せたが、すぐに笑顔に戻って言った。
「あぁそれで良いよ。
どうせ多少金を積んだ所で曲げないんだろ?
それに、この2人が安全だと言うことは、私も安全だと言うことだからね」
「それからもう一つ。
俺は街の外では魔物の襲撃に備えて索敵魔法を使うから、耳がかなり良くなる。
不用意な会話は慎むか、持っているなら索敵防止魔道具を使うんだな。
先程も言った通り、俺はそちらさんの事情に介入するつもりはない。
かと言って、そちらの会話に斟酌して安全を疎かにするつもりもない」
俺がそう警告すると、これまで胡散臭い笑顔を貼り付けていたレッドは、初めて愉快そうに笑った。
「ひっひっひ。
いやぁプロだねぇ。
若くて喧嘩っ早いが、筋はキチンと通すと評判だから、どんなものかと思っていたけれど…
これは道中も安心だねぇ。
……気に入ったよ、狂犬」
レッドはそう言って、舌舐めずりをしそうな顔で、俺の肩に馴れ馴れしく手を置いた。
◆
それから俺たちは、キリカへと出立した。
道中はレッドが幌の中で話をしようと何度も誘って来たが、魔物の警戒を理由に全て断った。
俺にとって特筆するほどの魔物の襲撃はなく、俺たちは無事、翌日の午前中にはキリカへと入った。
別れ際にレッドが、『王都で時間ができたらここに来な。ロッツファミリーのレッドの紹介だと言えば分かるようにしておく』なんて言って、王都の西スラムにあるという、とあるバーの名が書かれた名刺を渡して来たが、勿論レッドが見えなくなったらすぐさま丸めて捨てた。
どう考えてもまともな用件とは思えない。
その後俺は、キリカの街を1日観光し、翌日の魔導列車で王都へと帰った。
キリカの街は、お面が有名らしく、街中にある路面店で沢山売っていたので、個性的なのから地味なのまでいくつか買っておいた。
変装に使えそうだし、目に穴の空いていないタイプは
さて、明日は久方ぶりに騎士団に顔を出さないと……
出席必須を通達されている任務日では無いとは言え、なにも言わずにこっそり王都を脱出したからな。
師匠はカンカンに怒っているに違いない……
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