第104話 温泉(2)
メントの村は、独立峰であるアメント火山の山道に北側から入り、山を真上から見て時計回りに120度ほど進んだ辺りの中腹にあった。
なだらかな斜面に、真っ白な壁と、赤茶けて丸みのある煉瓦が特徴的な建物がびっしりと並び、細い路地が縦横に走る村の作りは、どこか前世のテレビ番組で見たヨーロッパの著名な観光地である白い村を想起させる。
ぐるりと村を囲んだ真っ白な石垣の切れ目から、トニーが見張り番と思しき村人に片手を上げて、中へと入る。
村の規模からして、人口は多く見積もっても2千人と言った所か。
硫黄臭、つまり硫化水素系というよりは、鉄が錆びた様な臭いに近い、あまり嗅いだ記憶のない臭いに、俺は胸を高鳴らせた。
◆
「俺たちはこれから人と会う予定があるから、ここで一旦解散だ。
明日は朝の9時に
遅れんなよ」
そう言ってチョビ髭とやぎ髭は、悪い顔で村の入り組んだ路地へと消えて行った。
…よしよし、依頼内容は、道中の魔物からの警護だからな。
あいつらと同じ宿なんかに泊まって、妙な事件に巻き込まれるのはごめんだ。
念のため索敵魔法も村では控えよう。
流石に索敵防止魔道具を使用しているとは思うが、万が一、明確な違法行為に関する計画などを聞いてしまったりすると、仮とはいえ王国騎士団員の立場上、無視するのはあまり宜しくない。
「美しい村だなトニー。
これほど立地の悪い村を、必死に維持している理由がひと目見るだけでわかったよ」
共にその場に残されたトニーに、俺は素直な気持ちを言ってみた。
トニーは俺のストレートな賛辞に臆する事なく、気のいい笑顔で答えてくれた。
「あぁ、いい村だろう。
あの壁に塗ってある真っ白な塗料は、魔物除けの白妙石を砕いて水と混ぜたものだ。
アメント火山ではあの石が結構産出されるからな。
もっとも、売り物にするには魔物が手強くて割に合わないが……
ま、完璧では無いが、今ほど魔物が出なかった頃からこの村で続く、生活の知恵だな。
ところで宿はどうするんだ?」
トニーに水を向けられ、俺は『お勧めの温泉宿はあるか』と聞いてみた。
「おう、この村の宿なら全部頭に入っているから任せておけ。
村の宿は全て温泉宿だが、他に何か希望はあるか?
飯が美味いとか、眺望がいいとか」
「そうだな……
敢えて言うなら泉質かな。
湯の温度は熱めが好みだが、今日はゆっくり入れるから、それほどこだわる気はない。
あぁ、あの2人組とは別の宿、これは絶対だ」
はっきり言って、この閉ざされた村の食事には期待できないだろう。
眺望も、綺麗に越したことはないが、どうしても風呂や部屋から見る必要は無い。
「……若い癖に、ジジイみたいな趣味してやがんな…
まぁそれならちょうどいい宿がある。
この村が開かれた時からある老舗、『月や』がいいんじゃないか?
構えは小さくて古く、老夫婦が2人でやっているからサービスも良いとは言えないが、この村で唯一の自家源泉掛け流しだから、ピリピリと刺激的な湯を味わえる。
湯の温度は日によってばらつきがあるが、基本的には結構熱めだ。
ま、
源泉掛け流し……
俺は前世からこの、ロマン溢れる言葉が大好きだ。
俺はトニーお勧めの宿、『月や』で世話になる事に決めた。
◆
小ぢんまりとした脱衣所から浴場へと続くドアを開けたら、先客が1人いた。
湯につかるほどではないが、男性にしては長い髪で、前髪は耳に掛けている。
髪色は、白髪混じりのグレーで、年の頃は70に近いように見える男は、湯に浸かり、こちらに目をやるでもなく、その髪色と同じグレーの目で虚空を見つめている。
洗い場の無い手狭な石でできた浴室に、同じく石作りの浴槽が一つ。
浴槽の大きさは、おおよそで2メートル×4メートル程で、何につけても前世基準で見たらバカでかいこの世界にしては、かなり質素な作りと言えるだろう。
岩壁に開けられた穴から静々と、ミルクティーの様な白茶色の湯が注がれている。
足元を見ると、浴槽から溢れた湯の析出物が棚田状に層を成しており、浴槽に近い辺りは湯の色と同じ白茶色、そこから離れるにしたがい青みが増して、入り口付近はほとんど宝石の様な透明感のある青になっている。
ちらりともう一度男を見たが、男は湯の中で身じろぎもせず固まっている。
……この『月や』を選択している時点で、かなりこだわりの強い温泉好きの可能性が高いな。
俺は、日本で鍛えられた入浴マナーを思い出しながら、湯尻、つまりお湯が出ている側から1番遠い場所にかがみ、湯が跳ねないように、手桶で静かに、かつ念入りに掛け湯をし、そっと湯船へと入った。
◆
15分ほどピリピリと肌を刺激する、やけに浮力の高い温泉を堪能していると、男が声を掛けてきた。
「坊主、1人かい?
その歳で中々に湯屋でのマナーが堂に入っているね」
醸し出している雰囲気からして、話しかけられるとは思っていなかったので少々意外だったが、俺は頷いた。
言葉遣いも想像していたものより穏当だ。
「えぇ。
護衛任務でつい先程この村へ来ました。
依頼主は別の宿にいて、道案内のおじさんに『月や』を勧められたんです。風呂好きならここだって」
男は楽しそうに笑った。
「ははっ!
随分とませた子供だねぇ。
だが、その歳でメントへの護衛を務めるとは、大したもんだ。
おいらぁ、この村へ湯治に来ている、ジンってもんだよ。
よければ名前を教えてくれるかい?」
「はぁ。
俺は探索者のレンです。
王都からソルコーストへバカンスに来て、帰りのついでに護衛任務を受けてこちらへ立ち寄りました。
温泉が好きなもので」
俺の名乗りを聞いて、ジンさんはピクりと眉を動かした。
「へぇ〜おいらも王都からさ。
尤も、ここ半年ほどは、湯治でこの村に篭りっきりだから、外の事はたまに様子を見に来る子分供からチラホラ聞くくらいだけどね。
……坊主…じゃなかった、レンを同じ風呂好きと見込んで、一つ頼みたいことがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
そう言って、ジンさんは俺の方へと体を向け、頭を下げた。
「実は急に古傷が傷んで立てないんだ…
子分を呼ぶのも情けないし、ちょっと上がるのに手ぇ貸してくれないかい?」
…改まって言うから何事かと思ったら、そんな事か。
俺はすぐさま了承した。
「もちろん構いませんよ。
痛むのはどこです?
……もしかして、ずっと上がりたいの我慢してたんですか?」
ジンさんは苦笑して言った。
「そりゃそうさ。
普段から湯屋でのマナーを口うるさく子分どもに言ってるからねぇ。
足が痛くて立てません、なんて堅気の子供の前で叫んだんじゃ、沽券に関わるってんで我慢してたんだけど……
流石に限界でね。
マナーもしっかりしてる子だし、恥を忍んで声を掛けさせて貰ったよ」
……やはりかなりの風呂好きだな。
俺は嬉しくなった。
苦笑してそっと近づいて肩を貸し、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がったジンさんの両腿には、生々しい刀創が有った。
「立場があると、色々大変ですね」
「全く、難儀なもんだよ。
そ、そ、そろりと進んでくれよ。
足は痛いし頭はクラクラするしで、ぶっ倒れちまいそうなんだ」
俺はジンさんが足に力を込めなくて済むように、一言断ってから身体強化で湯船から引き抜いて、そのまま持ち上げた状態で脱衣所へと運び、椅子へと座らせた。
「人を呼んできましょうか?」
ジンさんは笑顔で首を振った。
「あぁいや、いつも少し休めば収まるから、それには及ばないよ。
風呂を楽しんでる途中に悪かったね。
ゆっくり入っておくれ」
俺は水袋から水を汲んで渡して、『それ水なんで、良ければ飲んでください』と告げて、浴室へと戻った。
それから貸切状態の風呂で、1つだけある出窓に月が出るまでの1時間、たっぷりと温泉を堪能した。
俺が風呂から上がると、ジンさんはもう脱衣所にはいなかった。
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