第101話 漁を終えて(2)


 今日は、ミモザの計らいで、1番の大物である700kg級のデュアライゼが振るまわれるらしい。


 デュアライゼは、基本的にはクロマグロと同じで、大きいものほど味が良い事が多いそうだ。


 イチョウの目利きでも、この個体が1番だろう、との事だ。


 ちなみに、熟成という概念もあるにはあるが、魔魚は一概に寝かせた方が美味いとは言えない様だ。


『ダンがここにいる以上、出し惜しみする意味が無いからね』

 そう言って、ミモザは笑った。



 イチョウの仕事は流石の一言だった。


 まず出されたのは、デュアライゼのアラであっさりと引かれた、品のある出汁だった。


 それに、湯引きしたデュアライゼの薄皮が浸されており、三つ葉の様な葉物でアクセントが付けられている。


 寝起きの体に何とも優しい。


 次に刺身。


 これは僅かに鉄分を感じる芳醇な香りの頬肉から、歯応えの強い尾に近い部分までの、8つの場所に分けられて出された。


 勿論俺は、その艶のある赤い身を、ワサビ醤油で心ゆくまで堪能した。


 その後もホシ、つまりコリコリとした心臓の塩焼きや、弾力のある腸を酢で締めたもの、脂の乗ったカマの塩煮、スパイスの効いた中落ちの骨付きフライ、背肉のローストなど、銀銀杏のフルコースを堪能して、〆のマグロ丼へと移った。


 ベアレンツ群島国で食される米は、その交易都市であるこの街では普通に手に入るらしい。


 それを聞きつけた俺が昨日、米と刺身を合わせて食べたいと大将にリクエストしたから、応えてくれた形だ。



「とりあえず昨日聞いた通り、炊き立ての米に、酢と砂糖と塩を合わせた、合わせ調味料を混ぜ込んでみた。

 だが、時間がなくて検討が不十分だ。

 本来はこの銀銀杏で出せる出来じゃねぇが、レンの希望だから出す。これについては仕事料は取らねえ。

 意見をくれ」



 大将は怒った様にそう告げた。


 納得のいっていない品を、客に出す事に抵抗があるのだろう。俺が昨日かなり強く希望したからな。


 俺は乗せられた刺身に醤油をかけ、ワサビを添えて食べてみた。


「……美味い!

 だが、もう少しシャリの砂糖を押さえたほうが俺は好みだな。

 後は薬味類や海苔などで味と香りに変化を付けてもいいと思うが、その辺りの工夫については、大将のセンスに俺が言う事は無いだろう」



 甘みを感じるシャリにはやや抵抗があったが、ちゃんとシャリになっている。

 何より俺のリクエストに最大限応えようという、その心の篭ったサービスに、俺は十分満足した。



「大満足だ。

 俺が、心から求めていたものが。

 もう決して手は届かないと思っていた物が、この店にはあった。

 大将、いい仕事をしてくれて、本当にありがとう」



 俺はカウンターに座ったまま、きっかり頭を45度下げた。



 イチョウは俺の本気のお辞儀に面食らった様だが、照れたように笑った。



 ◆



「ところでレン。

 こいつを受け取って貰えないか?

 私たちは、本当にあんたに感謝しているんだ。

 このまま手ぶらであんたを帰したら、流石に恥ずかしくって、胸を張って表を歩けない」


 そう言ってミモザは拵えの豪華な黒刀を取り出した。


「第14代・ザンステート・ジ・ニングローズの品さ。

 うちの傘下の貿易商会で取り扱っている刀で、最高級の物を用意した」



 ミモザとゴンドが、不安そうな顔で俺を見ている。


 俺は今回の漁の報酬を一度断っているが、心から、受け取ってほしいと思っているのだろう。


 それだけ評価してくれるのは嬉しい限りだが…

 俺は首を横に振った。


「……これじゃあんたの眼鏡には叶わないのかい」


 ミモザとゴンドは、悲しそうに俯いた。



「そうじゃない。

 この品は、素人の俺がひと目見ただけでも、分不相応なほど優れた品だと言う事は分かる」



「だったら遠慮なんて─」



「そう言う問題じゃないんだ。

 俺が最初にこの店に来た時、女将さんは言っていた。

『この人の仕事の誇りに賭けて、お代はきっちり決まった金額を頂く』とな。

 大将も先ほど言っていただろう。

 海鮮丼これは銀銀杏の仕事のレベルではないから、料金は取らないとな。それと同じだ。

 俺は今回バカンスで来た。

 そして、徹頭徹尾バカンスとして動いた。

 やりたい事を好きなようにやって、結果誰かを満足させたとしても、そんな高額な返礼品などを受け取るわけにはいかない」


 こんな高額な品をほいほい受け取っていたら、金銭感覚が、引いては人生観がおかしな事になる事間違いなしだ。


 差し迫った命の危機などがあるならば、なりふり構っていられないが、今は焦る理由など無い。


 親父にもよく、謙虚・堅実に生きろと言われていたし、きちんと経験を積んで、自分の実力に見合う道具を揃えていきたい。



「ほんと、意味わからない所で頑固だな。

 ミモねえ、こいつは変わった奴だから、気にしなくていいと思うよ」


 ダンはお茶をのんびり啜りながら言った。



「でだ。

 ここから先はビジネスの話なんだが…

 …凪風商会は、王立学園帆船部のスポンサーに興味ない?」



 ◆



 あったかいお茶を美味そうに啜っていたダンは、途端に顔を引き攣らせて、俺に聞いてきた。


「ちょっと待てアレン。

 帆船部なんて存在しているのか?

 聞いたこともないぞ?」


 そりゃそうだ。

 俺だって聞いたこともない。

 しかも今さっき思いついたからな。


「もちろんこれから作る。

 ちょうど王都の南には、ルーン川という大河があるからな。

 部長はもちろん、サルドス伯爵領が誇る天才、ダニエル・サルドスダンだ」



 ダンは頭を抱えた。


「そんな事だろうと思ったよ!

 軍船に採用されているガレー船ならともかく、民間の漁船や輸送船にしか使われていない帆船に、あの王立学園で人なんて集まると思うのか?!

 その輸送船だって、これから魔導機関に置き換わっていくって言われているのに」



 俺はため息をついた。


「はぁ。

 なんでそう、どいつもこいつもあの学園に来るやつは頭が固いんだ。

 人なんて、集まらなくたっていいだろう。

 人気取りのためにやるわけじゃない。

 ガレー船だと?

 お前必死こいて、オール漕ぐ部活動に入りたいのか?

 大切なのは、俺がやりたいかどうかであり、ダンが楽しそうだと思うかどうかだ。

 で、どうなんだ?」


「いや、そりゃ俺は帆船動かすのは好きだけど、そんな遊んでいる時間なんて……

 坂道部の副部長もあるし。

 そもそもそんな部活動の設立申請が通るのか?

 そりゃアレンが発見した圧力の話は、研究の余地がかなりあると思うけど、それなら力学研究部とかにした方がー」


 くっくっく。


 これは、内心はやりたがっているな?


 本当に迷惑そうなら自分1人でやるが、言い訳建前が欲しいだけなら、強引に押させて貰おう。


 ダンには是非とも操船のイロハを教えてもらいたい。



「通るのか?じゃなくて、通すんだよ。

 坂道部は後期から全学年を統合する予定なんだから、ライオとステラに部長と副部長をやらせればいいだろう。

 もちろん、ダンも副部長として真剣に活動に取り組んでいる事は知っている。

 だが、今日お前が船を動かしているのを見て、俺は確信した。

 お前が青春を傾けるべき物は、船だ!

 研究がうまくいくかどうかは分からない。

 だが、力学研究部なんてフォーカスの甘い名前にしたら、上手くいくものもいかないだろう。

 帆船を動かす。

 それが目的なんだから、名称は帆船部だ。

 遊びの何が悪い。

 学園生活は、たった3年間しかないんだぞ?

 人生は楽しんだ者勝ちだ。

 だからやろう、ダン!」



 堂々と、楽しそうだからやろうと主張して、ダンが口をパクパクとしているうちに、俺は宣言した。



「話はついた。

 で、スポンサーの件はどうなんだ?」



 俺はミモザに水を向けた。



「……ついたようには見えないけどね…

 ビジネス仕事の話となると、条件を聞かない限り、返答のしようがないね」


 ミモザは途端に商売人の顔になって聞いてきた。


 この辺りをなぁなぁにしない辺りは流石だな。



「それは尤もだな。

 俺とダンは今日、帆船に新たな可能性を見た。

 その思想に合わせた設計の船を供与して欲しい。

 おそらくだが、設計を除けば、建造費は通常の帆船と変わらないだろう。

 見返りは、この凪風商会の宣伝だ。

 王都近くの大河で、帆にデカデカと『凪風商会』の看板やら社章が掲げられた新思想の帆船が走る。

 俺とダンの研究遊びが上手くいけば、その宣伝効果は途轍もないものになるだろう。

 が、上手くいかず、逆効果になるリスクもある。

 要は俺とダンに投資する価値があるかどうか、それを判断すればいい」



 ミモザは、腰に手を当てて俺を睨みつけた。


「あんたとダンに、その価値があるかどうか、かい。

 ……それは、答えを言う必要があるのかい?」



 ◆



 俺とダンは、それから2日間、凪風商会と協力して風魔法を利用した、新たな推進力に関する船の実験をソルコースト沖で繰り返し、その設計思想を皆で話し合った。


 主なポイントは、その推進力に耐えるため、従来水の抵抗を少なくするために細く作られる縦帆船の船形を変えたり、重心を可変式にすること、傾き難く且つ船を立てようとする復元力を強くするための工夫だ。


 そして王立学園生という、一定以上の身体強化魔法の練度・出力が担保されている者が操船する事を前提に、設計思想を固めていく。


 まずは検証及び練習のために、今日漁に利用した縦帆船を可能な範囲で改良後、夏休み明けまでに納品してもらい、その後の事は帆船部の部長と凪風商会で、定期的に話し合う・・・・・・・・事になった。



 そして、ダンは、体外魔法研究部にも加入する事になった。


『ただでさえ彼女が出来る気配もないのに…』、そう懊悩していたが、帆船部を運営する上で、風魔法の習得が重要なポイントである事は、ダンもよく分かっていた。


 魔法士は兎も角、騎士コースで体外魔法研究部に加入する男子生徒への、女子からの風当たりはキツい。



 なお、ダンの誕生日パーティーのコンペは、イチョウが存分に腕を振るったが、残念ながらすぐさま敗退したらしい。


 というか、失格になったそうだ。


 意外とわさび醤油を気に入ったダン主役が監修した、イチョウ特製のわさびソースを使った意欲作は、毒味係が即刻NGを出して、ダンの面前に持ち込まれる前に敗退したそうだ。


『『鼻が痺れる』、そう主張する毒味係に、『そういうもんだ』とイチョウが返答したら、拘束されかけた』と、後日王都でミモザから聞かされた。


『ま、ダンとはこれから、ビジネスパートナーとして、王都で定期的に会えるから、別に良かったんだけどね…』



 こんな感じで、俺は異世界初のバカンスを満喫して、王都への帰路に着いた。



 ◆



 このようにして、王立学園帆船部は設立された。


 この後、ダニエル・サルドスは、一時的にその世間的評価を落とす事になる。



 曰く、坂道部の副部長を外され、不貞腐れて遊んでいるー


 曰く、時代遅れの帆船などに注目し、先を見る目がないー


 曰く、その親であり、人生の先達でもあるサルドス伯爵の忠言に耳を貸さない頑固者ー



 苦笑するより他ないこれらの評価を、彼が十把一絡げじっぱひとからげに丸呑みにして覆すまでに、それほどの時間は掛からない。


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