第100話 漁を終えて(1)


 その後、オジロシャチ達は、一か八かの体当たりを2度仕掛けて来たが、ダンが卒なく捌いて振り切った。



 回頭に合わせて、凪風商会の社員と協力して、クソ重たいデュアライゼを運んで重心を移動させるのが1番厳しかった程だ。



 俺たちが昼過ぎに帰港したソルコーストの港では、桟橋にミモザとゴンドを始め、凪風商会の社員達が期待に目を輝かせて待っていた。



「お帰り。

 随分と早いねぇ。

 て事は……大漁なのかい?」


 ミモザは俺とダンに向かってにっこりと笑った。



「あぁ、何とか3匹は確保できた。

 最後の1匹は、オジロシャチに横取りされちまったけどな」



 俺がそう答えると、出迎えに来ていた凪風商会の面々は騒めき、ゴンドが代表して俺たちに問いかけてきた。



「オジロシャチだと?!

 一体何があったんだ!?

 ダン!

 お前の手、ボロボロじゃねぇか!」


 ダンの手は、皮がずるりと剥け、ポタポタと血が滴っている。


 振り切ったとは思ったが、念のため港のすぐ近くまで俺の風魔法とダンの操船で帰ってきたから、手当てする暇も無かったのだろう。



「ははは。

 久々だったから、ちょっとなまったかな。

 帰りは、ウインチ巻いてる余裕がないタイミングがいくつかあって、直接ライン引っ張ったりしたしな。

 ……ごめんじっちゃん、流石にちょっと疲れた。

 説明するのも億劫だから、みんなに聞いてもらえる?

 俺はちょっと宿で休むよ。

 レンも来いよ。

 帆船は、特に慣れるまでは、乗っているだけで随分消耗する。

 流石のお前も疲れたろ?」



 …確かに俺は、運動量からはちょっと考えられないくらい疲労していた。


 半日帆船で風に当たりながら、波に揺られる船上で常に無意識下にバランスを取っていたのに加え、一つ間違えば死ぬ、という死線をくぐり抜けてきたので、当然と言えば当然だろう。


 今すぐベッドで横になりたいと思うほどに、体が重い。



「そうだな。

 流石に…疲れたな。

 ミモザ。夜に銀銀杏へ顔を出す。

 大将に、『期待している』と伝えておいてくれ」



 そう言って、俺とダンは宿に向かって歩き始めた。


 ダンは生まれ育ったこの凪風商会の母屋で寝ればいいと思うのだが、『宿屋に泊まってみたい』と言って、昨日から俺と同じ宿を取っている。


 単に年相応の自立心かもしれないし、伯爵家に憚っているのかもしれない。


 その辺りの事情に立ち入るつもりはない。



「待ちなダン。

 傷薬と、サンドイッチを持っていきな。

 一応用意しておいたんだ。

 2人とも腹が減っているだろう?」


 ミモザはそういって、バスケットを差し出してきた。



「あぁ、そう言えば腹は減ってるな。

 助かるよミモねぇ

 じゃあ、また後で」


 俺とダンは、受け取ったサンドイッチを齧りながら、宿へ向かって歩き出した。



「……本当に、まだ12歳だってのに、かっこいい背中を見せる様になりやがって…」



 ミモザはその迫力ある2人の背中を見て、嬉しいような悲しいような、言葉にし難い複雑な感情を胸に感じ、そっと唇を噛んだ。



 ◆



 宿で仮眠を取った俺たちは、夜18時に起き出して、銀銀杏へと足を向けた。


 寝る前にサンドイッチを軽く食ったとはいえ、腹はめちゃくちゃ空いている。



「厳しかったな…」


 少し休んで落ち着いた事で、実感が湧いたのだろう。


 ダンがポツリと、噛み締める様に呟いた。



 俺は素直に頷いた。


「あぁ。

 正直言って、ダンの操船の腕と、そして何より運に助けられた。

 2度とごめんだな」



 ダンは苦笑した。



「よく言うぜ。

 …最後のあれは一体なんだ?

 あれが無ければかなり厳しかったろう」



 …うーん、どう説明するかなぁ。



 気圧という概念すら朧げなこの世界で、現象を体系立てて説明すると、その理論をダンは間違いなく自分でも学びたいと主張するだろう。


 だが情報の出どころは教えられない。


 今更だが、俺は転生者だと誰にも言うつもりがないからだ。



 この世界にはない、数々の科学理論を保持している…そんな事が万一ばれたら、安穏な生活など送れるわけがない。


 この王国に情報提供を強要される、ぐらいであれば、まだマシだ。


 冗談抜きで、過激な団体に拉致されて、一生鞭で打たれながら搾取される…と言った危険が十分考えられる。



 俺は知識ではなく、発見として説明する事にした。



「対外魔力循環を応用した風魔法で、空気の流れを分析したんだ。

 ポイントは、帆の外側と内側で、風が吹き抜ける速さが違う、と言う事だ。

 ……ここからは、より感覚的な話になるが…

 流れの早い外側の方が、空気が薄く感じるんだ。

 風に押される力を推進力に変えている事も間違いないが…

 それよりも、寧ろその空気の薄い方へ、つまり帆の外側へ船が引っ張られる事により、速度が出ているように感じたからな。

 内側の流れを少しだけ遅く、つまり空気の濃度を濃くしてみたら、勝手に外側がさらに少し薄く速くなって、結果は見ての通りだ。

 まぁ偶然の産物だし、検証すべき事は多いが、再現性がある事は間違いない」



 俺がそう告げると、ダンは黙りこくった。


 こいつは物理学が得意だし、頭の中で色々な事を検証しているのだろう。


 その証拠に、時折鼻梁を1、2回しごくように摘む。


 深く集中してものを考えている時の、ダンの癖だ。

 俺は考えの邪魔をしない様に、そっとしておく事にした。


 ダンは結局、銀銀杏に着くまでの間、一言も口を開かなかった。



「…ついたぞ、ダン」


「ん?あぁ。

 ……いやぁ、アレンのそれ、実はとんでもない発見じゃないのか…?

 今までも経験則として、縦帆船は何故か追い風よりも、真横からの風アビームの時が1番速度が出やすいとは言われていたんだ。

 もしかしたら、その空気の濃度の違いによる力が働いている事が理由かもしれない。

 …もっと検証したいな」


 ダンは魚よりも、今すぐ紙と鉛筆が欲しそうな顔をして言った。



 ◆



「こんばんは〜」


 俺たちは、銀銀杏の戸を引いた。


 中には昨日のメンバーに加え、今日漁に同行したメンバーの姿も見える。


「よう、起きてきたな。

 あれだけ無茶な動きをしたから、ちょうど今、もしかしたら明日の朝まで起きてこんやもしれんと話しておったんだ」


 そう言ったのは、帰りにコックピットで、ダンの操船の補助をしていたコンじいだ。


 商帆船の船乗りを40年やって、引退後に凪風商会に入り、主に船の設計に関わっているらしい。


「動き?

 あぁ操船自体は、普段の鍛錬に比べたら大した事はないよ。

 部活動の鬼監督が考えた、地獄の基礎鍛錬で力を振り絞った後に、鬼担任に実技授業でシゴかれる毎日だからね。

 …今日はどちらかと言うと精神的な疲れだよ。

 下手したら死んでたから。

 コンじいは元気だね」


 そう言ってダンは俺をちらりと見て笑った。



 誰が鬼監督だ…


 効率よく全身を鍛える方法を教えてあげただけなのに…


 初めから一軍にいたダンを、追い込んだ事などないぞ。



 コンじいを始め、全員がそのダンの台詞に、ごくりと唾を飲んだ。


「…何というやつだ。

 この道40年のワシが呆れる他無い、今日の操船以上の運動を、毎日しておるのか…

 流石はあの『王立学園』、としかいいようがない。

 …ワシはダンの指示通り舵柄ティラーを切っておっただけだからな。

 この歳になると、命の見切りだけは早い。

 正直、もうダメだろうと何度も諦めた。

 ダンと、レン君だけは、決して諦める事が無かったがな」



 カッツォが興奮した様子で話を引き取った。


「全く大したもんだ!

 俺たちいい歳したおっさんが、ただ震えているしかなかったってのに…

 瞬時にやるべき事を判断して、次々に正確無比な手を実行していく胆力には、ほとほと痺れたぞ!

 でっかい男になりやがって!」


 船で漁を手伝ってくれていた凪風商会の社員たちも、一斉に口を開こうとしたが、ミモザが制してカッツォに雷を落とした。



「痺れたぞ!じゃ無いよ、全く。

 あんた何のためについていったんだい?

 その状況で、この子たち2人にだって、余裕があったわけがないだろう。

 出来ない事をやれというつもりはないけれど、せめて背中で引っ張って、この子たちの気持ちを軽くしようという心意気くらい見せないでどうする!

 どんなに優秀だって、この子たちがまだ12歳だって事を、私ら大人が忘れちゃいけないよ」



 …何だか母上を思い出すな。


 親父は、姉上や俺が、他の子より出来がいいばっかりに、大人としての、親としての責任の線の引き方を間違えて、母上によく説教されていた。



「ま、俺の場合は、こいつがいるから、きっと何とかするだろうと思っていただけだけどな」


 やや気まずくなった空気を和ませるように、ダンが俺を肘で突いた。


「王立学園で学年2位の成績を誇る天才、ダニエル・サルドスが、じゃがいもみたいな顔をして冗談言うな。

 ま、俺は自分がしくじっても、ダンが何とかするとは思っていたけどな」


 ダンは凪風商会の皆に言ってなかったらしく、ダンが王立学園でもトップクラスの成績と知って、皆は驚愕した。


 まぁいちいち自慢するようなやつじゃない。



「じゃがいも?!

 お前も人の顔のこと言えるほどカッコよくないだろ!

 地味な顔しやがって!」


「誰が地味顔だ!

 奥ゆかしい顔と言え!」



 そして、平凡顔の俺たちの泥試合を見て、皆は笑った。



「あっはっは!

 あんたら2人はどっちも顔以外で勝負できるんだから、凡顔でも良いじゃないか。

 ぷっ。

 王立学園で、学年2位とは、あいた口が塞がらないよ。

 それに、それほど信頼できる友達がいる事の方が、最終的にはずっといい女を引き寄せると思うよ?


 さ、飯にしよう。

 イチョウ、準備はいいかい?」



 ……『ぷっ』っていったの聞こえてるからね?



 ミモザに問われて、イチョウは不敵に笑った。



「誰に聞いてんだ?

 今日はこの7代目イチョウの仕事を、心ゆくまで味わっていきやがれ!」


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