第96話 枯れない涙
「よぅ待たせたな、アレン。
いやぁ、夏休みの間中、下らない挨拶回りをさせられそうで、げんなりしてたから助かったよ。
で、本当のところは、何の用で来たんだ?」
ちなみに、ダンと共に伯爵邸から出てきた家令が、『魔導車でお送りします』とか言ってきたが、俺は鍛錬を理由にキッパリと拒絶した。
風任せの旅に送り迎えなど不要だ。
ましてや領主様の家紋入りの車などで移動しては、目立ってしょうがない。
「あぁ。
この近くのソルコーストという街では、美味い魚料理を食わす、という噂を聞いてな。
王都の魚料理が余りにいまいちだから、気ままな一人旅をしながら足を伸ばしたんだが……
そこでデュアライゼという魚が美味いと聞きつけたのはいいが、航路に魔物がいて漁に出られないんだ。
それで、急で悪いとは思ったんだが、ダンの実家の魔道具を当てにさせてもらった」
「えぇ?!
デュアライゼは俺も好物だが…アレンがグルメ旅か?
あの食生活のアレンが…
相変わらず、何を考えているのか全く分かんねぇな。
人を驚かすのが趣味なのか?」
…なんて失礼なやつだ。
ジャガイモみたいな顔しやがって。
ここは1つ、ソルコーストで俺の魚に対する深い造詣を開陳して、俺が馬鹿舌だと思っているダンの鼻をあかしてやる必要があるな。
「そんな趣味はない。
ところで、俺は王立学園生としてチヤホヤとされたり、間違っても偉いさんへの挨拶回りなどをさせられたくないから、任意の探索者レンとして旅をしている。
手間だがダンも探索者登録をしてくれるか?
任意の一般人として街を回ろう。
地元だし、詳しいだろ?」
「あぁ、あの前期最後の日に、アレンがライセンスを持ってきちんと活動しているプロじゃ無いと、探索への同行を認めない、なんてクラスで宣言しただろ?
それを聞いて、あの後全員で探索者登録しに行ったから、Aクラスの生徒は全員ライセンスを持ってるぞ。
……しかし、任意の一般人か。
ソルコーストにはちょっと馴染みがあってな。
アレンの用事が終わった後でいいから、俺の用事にも付き合ってもらっていいか?」
…どんなに鈍感な奴でも流石に気づく。
間違いなくミモザや凪風商会関連だろう。
ミモザはサプライズを考えていたかも知れないが、まぁ逆サプライズになっても問題ないだろう。
全ては俺が、デュアライゼを食べるためだ。
俺たちはラカンタールから、港町ソルコーストへと走った。
ちなみに、伯爵邸からこっそり跡を付けてきている護衛っぽいのを索敵魔法で捉えていたから、最初別方向の森へと走って、まいておいた。
俺と、坂道部でもトップクラスの身体強化の練度を誇るダンが全力で走ったから、あっという間に見失ったようだ。
◆
ちょうどお昼時にソルコーストへと帰った俺たちは、ミモザ達との待ち合わせ場所である銀銀杏へと入った。
「待たせたな」
「思ったよりも早かったねぇ。
それで、大して期待してはいないが、その心当たりとやらはー」
カウンターで大将と話していたミモザは振り返って答えようとし、そして固まった。
俺が横目でちらりと横のダンを見ると、こちらも驚愕に目を見開いて、固まっている。
俺は別に、人を驚かすのが趣味では無いんだが…
「
偶然にも船の魔物除けの魔道具を持っていたから、持ってきてもらって、ついでに手を貸してもらう事になった」
俺は淡々と紹介した。
ミモザは、ハッと気を取り直して何とか涙を堪え、歯を食いしばった。
だが、隣のカッツォが『ダン!でかくなりやがって!』と叫んで泣きながらダンへと抱きついたから、すぐにミモザも涙を溢れさせた。
「馬鹿!何であんたが先に泣くんだよ」
ミモザは泣きながらカッツォの頭をはたいた。
俺はカウンターに座り、ちらりと大将の手元を見て言った。
「お、鰻か!
大将、俺は今日のメインは鰻の白焼きだ。
…鰻の格は、いかに時間をかけてじっくり焼き上げるかが全てだぞ?
焦らずじっくり焼いてくれ。
ダン。
俺はここで鰻が焼けるのを待つから、先にデュアライゼ漁の船を出してくれる、この凪風商会の人たちと造船所に行って、貴重な魔道具を船に装備してもらって来てくれ。
ここは索敵防止魔道具も無いから、そんな貴重品があると落ち着いて飯も食えない」
俺が振り返らずにそう言うと、大将はにかっと笑った。
「あぁ、うちの白焼きは2時間じっくり蒸した後、炭火できっちり1時間だ。
…これは穴子だけどな」
「…あぁ。
あぁ、分かったよレン。
ちょっと行ってくる!」
ダンはそう言って、ミモザとカッツォと共に出ていった。
……そんな太い穴子あり?
◆
穴子が焼けるまでの間、大将とおかみさんと雑談しながら、大将が本気で仕入れて包丁を振るった魚料理を堪能する事3時間。
夕方になって、ダンとミモザとカッツォ、それに凪風商会の先代であるゴンドが銀銀杏へとやって来た。
商会から索敵防止魔道具を持参したようだ。
「待たせたな、レン。
それと…ありがとうな」
一様に目の周りを腫らして帰ってきた4人を代表して、ダンが俺に礼を言った。
「別に礼を言われる覚えはないさ。
俺は、俺がやりたい事のために動いただけだ」
「ちぇっ。
またそれかよ。
ほんと、お前には敵わないな。
だがじっちゃん…じゃなくて、この凪風商会先代のゴンドさんが、どうしても直接お礼したいっていうから、一緒に来たんだ。
どうか受けてやってくれ」
ダンは唇を尖らせて、だがどこか嬉しそうに先代を紹介した。
「おたくがレンさんかい?
わしはゴンドだ。
今回の件は、個人的にも、商会一同としても本当に感謝しとる…
ほんとうに、ほんとうに、ありがとう」
そう言って、真っ直ぐに頭を下げたゴンドさんのお辞儀の練度は今ひとつだが、本当に心が篭っていて、俺は居心地悪そうに頭を掻くよりほか無かった。
本当に、自分が食いたいがために、必要な
「まぁもう分かったから、とりあえず頭を上げてくれ。
湿っぽいのは苦手でな。
とりあえず、大将が焼いているうな…穴子がもうすぐ焼き上がるところだ。
明日の大漁を祈願して、こいつで一杯やろう」
そう言って俺は、わざわざ王都から持参していたわさびとマイ鮫肌を見せた。
「…なんだいそれ?」
ミモザが不思議そうな顔で聞いてくる。
ふっふっふ。
昨日は大将の仕事が秀逸すぎて、出すのをすっかり忘れていたが、俺はわざわざこの旅に醤油とわさびを王都から持参している。
「これは、俺の大好きな香辛料で、『わさび』という植物の根っこだ。
通の間では、白焼きといえばこいつをつけて食べるのが乙なんだ」
日本の本わさびよりも刺激が強いから、つける量には注意が必要だが、鮫肌で擦りおろしたら広がる風味は、日本のワサビに勝るとも劣らない。
「ほーう。
そいつは初めて見るな。
ちょうど今焼けたところだ。
後でいいから、俺にも少し味見をさせてくれ」
流石大将、美味いものを求める飽くなき向上心は流石だ。
「勿論だ。
ぜひ味わってくれ。
ちなみにこれは生魚にもよく合う。
ベアレンツ群島国で作られる、醤油という調味料と合わせて生魚につけて食べると最高だ」
そう言って俺は塩が振られた穴子の白焼きに、ほんの少しだけわさびをつけて口に放り込んだ。
瞬間、鼻をツンとした辛味が抜けて、次の瞬間穴子のジューシーだがさっぱりとした油の旨味が駆け抜ける。
じっくりと蒸されたあと炭火で焼き上げられた淡白な白身は、信じられないほど中はふっくら外はカリッとだ。
くぅ〜!
堪らん!
俺が感極まって頭を振っていると、全員がごくりと生唾を飲み込んだ。
するとおかみさんが、興味深そうに聞いてきた。
「へぇ。醤油を知ってるのかい?
私はベアレンツ群島国の出身なんだが、その『わさび』というのは聞いた事がないね。
私もいいかい?」
だがそれを聞いたミモザが横から割り込んだ。
「ちょっとちょっとクロエ、ここは客が先だろう。
レンが驚かすから、すっかり飯を食うのも忘れていたんだ。
お腹がペコペコだよ」
ミモザがやけに距離感近く近づいてきて、『あーん』みたいな感じで、口を開けて目を瞑ったので、俺はお約束通り鮫肌からワサビを少し取って、ミモザの口に放り込んだ。
「くぅ〜!穴子はどこいった?!
しかしなんつう辛さだい。
さっき出し尽くして、枯れたはずの涙がまた出てきたよ!」
ミモザは涙目で俺に抗議して、そしてそれをみたカッツォは苦笑した。
「嬢。
辛さと涙は関係ないでしょう。
流石の嬢も、少し涙腺が緩んでますね」
まぁそう思うのも無理はないだろう。
いわゆる唐辛子系の辛味では、辛くて涙が出る、なんて事はないからな。
一口に辛味と言うが、このわさび特有の鼻にくる辛さは、食べたものでないと分からない。
「カッツォあんた…信じてないね?
まぁあんたは昔から、舌がいかれてるのかと思うほど、辛味に強いからね…
あんたなら割りかし平気かもね。
とりあえずあんたは男らしく、どかっと盛って食ってみな」
ミモザは明らかに悪い顔でカッツォに進めたが、カッツォは不敵に笑い、白焼きにわさびをてんこ盛りに盛って、一息に食べた。
「うぉぉぉおお!??鼻がモゲるぅぅう??!」
そしてお約束通り、1メートル90はありそうな大男のカッツォは、鼻を押さえて涙を流しながら、床を転げ回った。
その様子を見て、皆は再び目に、枯れたはずの涙を浮かべて大笑いしたのであった。
が、ダンだけは、『さすがはアレンお気に入りの香辛料だな…』、なんて苦笑していた。
違うんだ…俺は旅の探索者『レン』だし、断じて馬鹿舌なんかじゃないんだ…
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