第95話 奥の手


 翌日の朝9時。


 俺はソルコーストから80kmほど離れた場所にある、サルドス伯爵領都、ラカンタールへとやって来ていた。



 明朝の未明にデュアライゼ漁へと同行する為、わくわくと港へと行ったが、問題が起きたからだ。



 航路上にオジロシャチという魔物の集団が出て、出船の許可がおりないという。


「参ったね……

 まさかこんなタイミングでシャチとは、運がないね。

 コンペは1週間後だ。

 それまでにいなくなってくれる事を祈るしかないが……

 別の代用品で挑むより他しょうがないかもしれないね」


 そんなバカな。


 あれから散々、いかにデュアライゼが美味いかを聞かされたんだぞ?


 話から察するに、デュアライゼという魚は、寿司ネタの王様マグロの一種だ。


 体重が500kgを超えるものも珍しくなく、部位ごとに多彩な味わいのある、その上品な香り、酸味、油。


 そんな説明から、ルビー色に輝く赤い刺身を想像して、俺は昨日の夜よく眠れなかった程だ。


 散々、あれに変えられる物はない、何て説明を受けておいて、代用品などで諦められる訳がない。



「う、嘘だろう…?!

 何か方法は無いのか?」



「……難しいね。

 伯爵家が所有する、船用の魔物除けの魔道具があるなら通れるんだろうけど、あれはとんでもなく貴重な物で、金を積めば手に入る類の物じゃ無いしね…」



 ……はぁ。


 仕方がない、か。


 この手だけは使いたくなかったが…



 俺はサルドス伯爵領都、ラカンタールへ身体強化魔法を全開にして駆け抜けて、伯爵邸正門前へと乗り込んだ。



 そして、門の前から迂闊にも大声で叫んだ。



「だーんーくーん!

 あーそーぼー!」



 当然ながら、あっという間に警備の騎士に取り囲まれた…



 ◆



 その頃、サルドス伯爵邸では、家族を集めた朝食の後の優雅なティータイムがダイニングで行われていた。



「事前の合否判定からしても、必ずややってくれるとは思っておったが、まさか、あのライオ・ザイツィンガーに次ぐ総合順位2位でAクラス合格とは!

 本当に、ダニエルはサルドス伯爵家の誇りだ!

 流石はわしが、サルドス伯爵家全ての経験を注ぎ込んで、手塩にかけて育てただけの事はある!」


 ダンこと、ダニエル・サルドスが、優秀な成績で王立学園へ入学してからこちら、サルドス伯爵の機嫌の良さはとどまるところを知らない。



 正妻である伯爵夫人も顔を紅潮させて相槌を打った。


「全くですわね、貴方。

 これほどの成績となると、一体どこまで出世する事になるのか…私には想像もつきません。

 このグラウクス侯爵地方は勿論、他の地方の貴族家からもお茶会のお誘いがひっきりなしで、目が回りそうですわ。

 ビーナさんは、庶民出身で、貴族のお茶会など無理でしょうから、わたくしが!全て対応して、貴方の後押しをしますからねっ」


 ダンの実母である、つまりミモザの姉であるビーナは、その顔に能面の様な笑顔を貼り付けて答えた。


「えぇ。

 私に貴族社会のお茶会対応は無理です。

 全てブリランテ様にお任せいたします」


 この返答にブリランテ伯爵夫人は気を良くして続けた。


「ダニエルが国の要職につけば、サルドス家はかつてない繁栄を受ける事となるでしょう。

 私たちが妾ばらの、あぁいえ、今は正式に側へと上がりましたが、その貴方の為にここまで心を砕くのですから、くれぐれもその恩を忘れる事なく、このサルドス家の後を継ぐコーディちゃんをはじめ、皆の引き立てをするのですよ?」


 ダンもまた、その内心をおくびにも出さず、能面の様な笑顔で答えた。


「もちろんです、ブリランテ様。

 俺はこれまで育ててくださった皆様・・への恩を、決して忘れたりはしません」


 調子に乗りに乗っているコーディちゃんも、ニヤニヤとこんな事を言った。


「おいダニエル!

 俺は騎士コースのお前と違って頭脳派なんだ!

 軍閥に推薦されて、戦地送りなんかになったら堪らないから、今のうちに官吏コースの友達を沢山作って、そちらにもコネが効くようにしておけよ!」


 下の兄弟姉妹たちも、次々に追従した。


「あ、ずるいですわ、コーディ兄様!

 コーディ兄様は、そのだらしなく弛んだお腹を、軍で少しは引き締めてもらってはいかが?

 わたくしは、素敵なご学友のご紹介をお願いしますわ!

 できれば兄様と同じAクラスで、伯爵家以上の家格でお願いしますわよ!」


「俺はグラウクス地方の高官でいいや。

 出来るだけ仕事がないところ。

 趣味の乗馬を自由に続けられる、軍以外のところね。

 あー、でも、可愛くて優秀な奥さんの紹介というのは、確かにいいかもな〜。

 身分も子爵家出身あたりなら、俺でも十分家でいばれそうだし」


「お前目標低すぎ〜!

 ぎゃっはっは!

 俺はそうだなー」



 …彼らはダンがこの家に引き取られた時、御多分に洩れず、散々卑しい庶民め、妾ばらめと、陰に陽に下らない嫌がらせをしてきた異母兄弟たちだ。


 事前の合否判定で『合格ほぼ間違いなし』のA判定を受けて、事前に王都の成績優秀者だけが招聘される会合に出た辺りから、あまりあからさまな嫌がらせは無くなったが、冷たい態度は相変わらずだった。



 幼い頃から沢山の職人に囲まれて、真っ直ぐ育てられてきたダンは、その余りの程度の低さに内心全く相手にしていなかったのだが、流石にこの帰省後の掌返しには辟易としている。



 と、そこへ家令が部屋へと入室してきて言った。



「失礼致します。

 その、ダニエルおぼっちゃまのご友人という方がお見えなのですが…

 何でも『ダン君と遊びたくて来た』との事で…」



 上機嫌だったサルドス伯爵は、途端に鬼のような形相になり家令を怒鳴りつけた。



「ばかもん!

 ダニエルにはこの夏季休暇中、諸侯への挨拶回りを始め分単位のスケジュールが待っておる!

 遊んでおる時間などある訳がなかろう!

 ましてや庶民どもとは、最早住む世界が違う!

 そんな事も分からんのか!」


 そういって、ゆっくりとダンへと目を移し、睨みつけた。



「ダニエル貴様、あれだけ言い聞かせておるのに、まさか、まだ庶民どもと下らん交流を持っておるのではあるまいな?」



 ダンは能面の様な顔を僅かに歪め、きっぱりと首を横に振った。


「いいえ、父上。

 いいつけ通り、面会はもちろん、手紙のやり取り等も一切差し控えています」



 そのダンの返答を聞いて、伯爵は『ならばよい』と言い捨てて、家令に『さっさと追い返せ!』と怒鳴り、紅茶に口をつけた。



 だが家令は、しどろもどろになりながら、さらに口を開いた。


「それがその。

 本人曰く、ダニエルぼっちゃまの、王立学園のご学友だとおっしゃっておりまして…

 お名前を『アレン・ロヴェーヌ』様と名乗っております」



 伯爵は紅茶を吹き出した。



 ◆



「確認して来ましたが、紛れもなく本人でした。

 俺も聞いていませんでしたので、驚きましたが。

 アレンは先日報告した通り、いささか破天荒な奴でして…

 それで、本人曰く、本当にただ遊びに来たらしく、秋の林間学校に向けた訓練も兼ねて、2、3日狩でもしようとの事でしたが…

 流石にスケジュール的に無理ですよね?」



 伯爵の上機嫌メーターは振り切れた。



「何をいうか!

 先程遊ぶ時間などないとは言ったが、優秀な学友と親交を温めると言うのであれば、もちろん話は別だ。

 スケジュールはわしが何としても捌くから、是非とも遊んで来なさい。

 なに、予定をキャンセルしても、『あの』アレン・ロヴェーヌ君が、ふらりと遊びにきましてなぁ、参りましたなぁ……

 などと一言言ってみろ!

 ハンカチ噛んで羨ましがられるだけで、文句など出るはずもない!

 それどころか、あっという間に王国中の貴族の羨望の目が、このサルドス領に向くに決まっておる!

 あぁ〜想像するだけで頭がどうにかなりそうだ!」


「……では、2、3日家をあけさせていただきます。

 あ、そうだ。

 海で釣りもしたいみたいで、安全のために魔物除けの魔道具も借りたいみたいなのですが、1つお借りしても?」


「勿論勿論!

 流石、安全配慮にも余念がないとは、これで安心して遊びに出せる。

 親友のアレン君との時間を大事にしなさいよ。

 できれば、帰りにうちに遊びに寄って行きなさいと伝えておくれ」


「……アポイントも無しに突然訪ねて、伯爵邸に上がるわけにはいかないと言っておりましたので、立ち寄る気は無いかもしれません。

 では、行って参ります」


 ダンは猫撫で声で勝手に『親友』などと言い始めた伯爵を見て、なんとなく笑いを堪えながら、伯爵邸のダイニングを後にした。



 ◆



 ダンが出ていくのを見届けた後。


 余りの伯爵の豹変ぶりを見て、それまで口をつぐんでいたコーディちゃんが伯爵に尋ねた。


「いいのですか、父上?

 いくら王立学園Aクラスの学友とはいえ、アポイントもなしに訪ねてくるような無礼者を、それほど立てて。

 ダニエルのやつは今年の試験全体順位2位ですよ?

 序列で言うとダニエルよりは下なのでしょう」


 貴族学校を下から数えた方がずっと早い成績で卒業したコーディちゃんは、自分の事を棚の上にぶん投げて、偉そうに踏ん反り返った。


 身内や知り合いに偉い人がいると、自分も偉くなった気になれる便利な脳みそを持っている。



「こんな田舎で、碌に社交にも出ておらん貴様らは知らんだろうがな…

 今年の王立学園入試の騎士コース実技試験で、あのライオ・ザイツィンガーを抑えて、しかも試験官全会一致でトップ評価を獲得した彗星、『アレン・ロヴェーヌ』。

 かの国の英雄『仏のゴドルフェン』とすでに対等に話をするとまで言われ、やれ誰と採取に行っただの、誰を家に招いてバーベキューをしただのと、王国中がその挙動に注目して噂が飛びまくる、途轍もない少年だ。

 国王陛下の勅令で1年前期にしてすでに王国騎士団に籍を置き、ダンの誕生日祝いにグラウクス侯爵が来られるのも、アレン・ロヴェーヌの話を直接ダニエルの口から聞きたい、と仰ってのことだ」



 ダイニングは静まり返った。



「その夏季休暇の挙動にも注目が集まっておるそうだが、その行方すらようとして知れず、騎士団の極秘任務でも受けているのではと噂になっているそうだが…

 そのアレン・ロヴェーヌが、ダニエルと遊ぶために、わざわざうちの領まで…

 足を運んで…

 あぁっ」


 キャパシティをオーバーした伯爵は、その場でヘニャヘニャと崩れ落ちた。


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