第94話 ミモザの目的
ミモザは事の経緯を説明し始めた。
そもそもの始まりは、10数年前。
サルドス伯爵がこのソルコーストに視察に来た際に、案内役を務めていたミモザの姉が伯爵に見初められ、いわゆる婚外子がもうけられた事だった。
伯爵は養育費として一定の金銭は支払ったが、すでに貴族出身の正妻と内縁の第二夫人がおり、姉を伯爵邸に迎え入れる事はしなかった。
と言って、姉やその婚外子であるダニエル君が不幸だったわけではない。
実家の凪風商会はある程度裕福だし、子供が女の子しかいなかった先代は、男の孫の誕生を喜んだ。
母親である姉はもちろん、先代を始め、凪風商会の男衆に可愛がられ、造船所を遊び場に育ったダニエル君は、将来は船乗りになる事を夢見て、順調にワンパクに育った。
また、叔母であるミモザが、これからの時代は、勉強が出来なければスケールの大きな船乗りにはなれないと、小さな頃から言い聞かせて来た事もあり、ただの腕白ではない、真面目な努力もできる少年へと成長した。
だが運命の歯車は狂った。
ダニエル君は優秀すぎたのだ。
地域の幼年学校で飛び抜けて優秀な成績を収め、魔法的な素養も高い。
下手をすると、あの『王立学園』へ入学出来るレベルまで伸びる可能性すらある。
そう判明した時、ダニエル君が生まれて以後、一度も顔を見せた事のなかった伯爵は掌を返した。
何せ、そうでなくても養子に取るか検討するレベルの成績を、自分の血を継ぐ人間が修めているのだ。
伯爵邸で手塩にかけて育てている嫡出子たちは、残念ながら平凡で、ここ何代もサルドス伯爵家が成し遂げていない、王立学園入学を果たす事はできそうもない。
そこで、難色を示すダニエル君を、半ば領主命令の形で強引に伯爵邸へと移し、母であるミモザの姉は、改めて内縁の第3夫人へと召し上げ、ダニエル君も嫡出子として正式に認知した。
そして、サルドス伯爵家が集められる限りの優秀な家庭教師陣をつけて、10歳からの3年間徹底的に鍛え上げたところ、ダニエル君は王立学園入試を見事突破した。
その祝いも兼ねての誕生パーティーであるが、侯爵以下地方の実力のある貴族家が招かれている重要な会で、叔母とはいえ庶民が出席できるようなものではない。
伯爵は、ダニエル君を庶子として育てた事は揉み消したいらしく、面会する事すら禁止されている。
だがせめて、その想像を絶するであろう努力に、そして掴み取った栄光に、直接賛辞を送りたい。
そこで現在、伯爵が募集している、パーティーのメインディッシュのコンペで勝ち残り、会場に関係者として潜り込む事を考えた。
伯爵は沢山来客のあるこの機会に、サルドス伯爵領名物の海鮮料理をアピールしたいようだ。
だがコンペ参加条件の、身元のクリアランスが厳しいので、イチョウに包丁を使ってもらうには、同じ商会の社員となって貰うしかない。
元々銀銀杏はいつか自分の下に欲しいとは考えていた。
本当は自分の『器』を時間をかけて認めさせて、傘下に入れるつもりだったが、この機会を逃したら次があるとは限らない。
自分はともかく、可愛い孫を取り上げられ、すっかり意気消沈して家業を引退し、家督をミモザに譲った先代のゴンドに、何とか死ぬまでにもう一度孫に会わせてやりたい。
そこで多少強引な手を使ってでも、イチョウをすぐに手元に引き込もうとした。
ミモザが語った大体の経緯は、概ねこんな感じだった。
◆
「……あの
そんなくだらねぇ理由で塞ぎ込んでやがんのか」
大将は呆れた様に首を振った。
「まぁそう言わないでやっておくれ。
あんたら夫婦みたいに、突然子供を失ったわけじゃないから、贅沢な悩みに見えるかもしれないが…
すぐそこに居るのに会えない、というのも寂しいもんさ。
寧ろ伯爵には感謝しているくらいさ。
あの子を育てるには私らの腕では短すぎた。
まさかそこまでの、王立学園に行くほどの器だとは、思いもしなかったからね。
ただ…あと一度でいいから会いたい。
そしてよく頑張ったな。偉かったな。
そう言ってあげたいだけなんだ」
『どうか力を貸してくれないか?』ミモザはそう言って、大将に頭を下げた。
ちなみに、先程からちゃんと魔力分解をしているので、多少はアルコールは抜けたようだ。
「はぁ〜。
なんで最初から、そうやって素直に頼んでこないんだ」
大将は頭を掻いた。
「ダニエルが伯爵の落胤だって事、そして今となっては庶子としてこの町で育った事すらも秘密だからね。
できれば身内になる前に、事情を漏らす様な事は控えたかったのさ。
話せばアンタは力を貸してくれるとは思っていたけど、弱みを見せて頭を下げるのは趣味に合わないしね」
「ふん。
まぁいいだろう。
ゴンドには若い頃から何度も助けられたからな。
だが、おめぇがだらしねぇ所を見せたら、すぐに傘下を抜けさせてもらう。いいな」
話がついた様で何よりだ。
これで明日から大将は十全にこの店で腕を振るってくれるだろう。
だが…
「大将の仕入れに懸念が無くなってなりよりだ。
それで、そんな秘密を俺にまで聞かせて、俺に何をやらせたいんだ?
それと、俺のメリット。
言っておくが、俺はその貴族のパーティとやらには何の関心もないぞ」
俺が尋ねるとミモザは表情を曇らせた。
「あぁ。
あんたには探索者として仕事を依頼したい。
エグい弓を使うと聞いているよ。
ただ王都でも注目のスーパールーキーだからね…
相場が全然わからないけど、あんたに仕事を頼むのは安くはないだろう?
出来れば情を移して、割安で依頼を受けてもらいたかったところなんだがね。
ま、もちろん、レンになら抱かれてもいい、そう思えるくらいあんたの事が気に入った、ってのが大前提だけどね。
あんたのメリットは、イチョウが捌く『海のルビー』、デュアライゼを食べられる事。
ダニエルも、昔から年に一度伯爵の海軍から払い下げられるこの魔魚が大好きでねぇ…
これを食べたら、もう他の魚は食べられないよ?」
…『海のルビー』だと?
金なんてどうでもいい。
それは是非とも味わってみたい。
俺は即座に了承しようとしたが、大将が横から口を挟んだ。
「……おいおい。
お前民間の帆船で、シーファルコンがわんさか飛ぶコリーダ海峡のデュアライゼ漁をするつもりか?
危険すぎる!」
「危険なのは分かっているよ。
だから、どんなに金を積んででも、レンに依頼を受けて欲しいのさ。
王立学園へ進学した以上、もうこの先、私達はあの子に会う事はないだろう。
巣立っていく大事な甥っ子への、凪風商会からの最後の手向だ。
ケチケチする気はないよ。
さ、相場を言ってくれ。
50万リアルか?
それとも100万リアルか?」
そのとんでもない金額に、大将は絶句した。
100万リアルだと…?
俺はカナルディア魔物大全の記述を思い出しながら、首を振った。
そんな仕事を受けたら、金銭感覚のハイパーインフレ間違いなしだ。
「察するに、シーファルコンから船を護衛しろという依頼だろう。
はっきり言って、俺にとっては大した仕事じゃないが…
俺は今バカンス中だ。
いくら金を積まれても、仕事を受けるつもりはない」
シーファルコンは、海岸沿いの岸壁に巣を作る、船乗りの天敵だ。
特に帆船は、シーファルコンの突撃で帆が破られて、航行不能に追いやられることが多い。
ミモザとカッツォは何か言いたげな顔をして、だが歯を食いしばって言葉を飲んだ。
「だが、大将が捌く、その『デュアライゼ』を食べないという選択肢はないな。
俺は、何があってもその『海のルビー』とやらを食べる。
矢は船に十分な数積んでおいてくれ」
ミモザは一瞬呆気にとられ、ついで泣き笑いを始めた。
「あっはっは!
アンタ本当にあの『狂犬』かい?!
本当に…甘すぎだよ。
じゃあせめて、約束通り、私の体は好きにしていいよ」
そう言って再びアルコールの魔力分解を止めたミモザは、酒を煽ってシャツのボタンを上から2つ開けた。
「いいい、いるかそんなもん!」
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