第91話 一人旅


 俺は懐かしい匂いのする空気を胸一杯に吸い込んだ。


 もっとも、今世では初めて嗅ぐ匂いなので、懐かしいと感じるのは前世の記憶がある為だ。



 王都ルーンレリアから北東へ、直通の魔道列車に乗って1日半の場所にあるグラウクス侯爵地方の領都、コスラエール。



 そこから乗合馬車を乗り継いでさらに東へ4日。



 サルドス伯爵領第二の都市、ソルコーストは、刀をはじめ、黒虎鉄を使った武器や防具などを輸出している、ベアレンツ群島国と王国の交易拠点だ。


 その港町へと到着した俺は、久しぶりに磯の匂いを堪能した。



 ◆



 探索者協会で探索者用の宿を紹介してもらった後、軽装に着替えた俺は、早速街へと繰り出した。



 今回の気ままな一人旅には、目的が2つある。



 1つは物価の高い王都では、ゼロの数を数えるのが億劫になるほど高価な刀を、この交易拠点で安価に手に入れられないか、と考えた事。



 もっとも、これはついでだ。


 剣の訓練は続けているが、今のところ、弓とダガーを組み合わせた戦闘スタイルで、特に不自由を感じていない。



 今回の1番の目的、それはズバリ魚だ。


 もっというと、生の魚、つまり美味い寿司や刺身を食べたい…



 王都には、魚を使った料理に碌なものがないからだ。


 何度か、王都でも著名という海鮮料理屋の店の話を聞きつけて足を運んだが、そのレベルは江戸前で慣らした俺からすると、残念以外の何物でもなかった。


 特に生魚は、一応酢でしめた刺身もどきの様なものは存在したが、コメントする気にもならないお粗末さだった。



 一つには、やはり鮮度の問題があるのだろう。


 この王国の中心にある王都から海は、どうしたってかなりの距離がある。


 最近は、魔導機関が大幅に進歩して輸送手段が改善されてきているとはいえ、生魚を食べる文化が浸透していない。


 そうなると当然市場が、引いてはコックの腕は育たない。



 そして、食べられないと分かると、どうしても食べたくなるのが人間だ。


 米食もあるにはあるが、パン食が中心のこの国で、寿司とまでは言わないが、せめて刺身を食べたい。



 そうして悶々としていたある時、ふと気がついた。


 俺が毎日のように通い詰めている蕎麦屋のかえしは、どう考えても醤油ベースで、そのツユには品のある魚介出汁がブレンドされており、箸を使って食べる。


 王都の食文化を何となく把握してきた頃、その異色さに気がついた。


 箸自体は、地球でもナイフとフォークに並ぶほどポピュラーなものなのでさほど違和感はないが、ここまで揃っているという事は、自然や文化の成り立ちが日本に近い地域があるはずだ。


 そこで、蕎麦屋の店主…謎に凄味のある、中肉中背の60程の男に、出自について聞いてみた。


 その店主はベアレンツ群島国出身で、蕎麦もツユも故郷の味だという。


 話してみると意外と気さくな、と言うよりは、狂ったように蕎麦を食いに通いつめるケチな王立学園生を、面白がっていたらしい店主は、色々と教えてくれた。


 予想通り、ベアレンツ群島国は文化的に日本に近く、刺身はもちろん、かえしに漬けこんだネタを米と握って、辛子を添えて食べる島鮨の様な物まであるという。



 だが、ベアレンツ群島国に行くには二つ問題があった。


 一つは旅程がかかりすぎること。

 もう一つは入国に審査があるという事だ。


 このユグリア王国を初め、大国に対して中立で、貿易により国を立てているベアレンツ群島国には、特に今の不穏な世情では中々外国人の観光客というのは受け入れられないだろう、と言うのが店主の見解だ。



 そこで妥協案として教えてもらったのが、ベアレンツ群島国との貿易拠点である、このソルコーストの町という訳だ。



 ソルコーストでは、シンプルに塩で刺身を食べるようだが、醤油は王都でも手に入るので、俺は今回マイ醤油を持参している。


 さらにリアド先輩に頼んで、蓬莱商会経由でわさびに近い辛味のある香辛料も入手し、持参していたりする。



 準備は全て整った。


 後は刺身を口に放り込むだけだ。



 はやる気持ちを抑えて、俺は港沿いの食堂が建ち並ぶ、賑やかなエリアへと足を踏み入れた。



 ◆



 夕まずめ。


 朝の早い漁師たちは、すでに出来上がっている時間なのか、目抜き通りに建ち並ぶオープンな店から酔客の喧騒が漏れ聞こえる。



 アクシデント上等の、気ままな一人旅とはいえ、待ちに待った久方ぶりの刺身であり、出来るならば当たりの店を引きたい。



 俺は漂ってくる匂いを正確に嗅ぎ分けるべく、鼻に魔力を集中し、そして気がついた。


 これだけ港町独特の生臭い匂いや、ニンニクやバターなどと合わされた焼き物の香りが漂う中、美味い刺身の匂いなど嗅ぎ分けられるはずも無い。



 前世ではどの様に美味い店を探していたかな…


 だが、前世で鉄板だった店の選択方法、それはユーザーの評価がついたグルメサイトをスマホで検索しまくる事だ。


 検索した情報の吟味にも、色々なポイントはあるのだが、もちろん今は何の役にもたたない。


 後は、タクシーの運ちゃんに聞くと言う方法も聞いた事があるが、まだ魔導車は高価で、王都でも乗合いが中心なのだ。


 こんな辺鄙な街、しかも身体強化魔法のある世界で街乗りタクシーなんているわけもない。



 仕方なく俺は、店の外の看板や雰囲気から、己の勘を頼りに店をチョイスする事にした。


 ここは貝の網焼き…後で来よう。


 ここはイカバター…後で来よう。


 ここは干物中心か…後で来よう。


 ここは生臭い匂い…論外だな。



 まずいな…


 グルメ検索はスマホに依存しすぎていて、何も勘が働かない。



 外の雰囲気を見て適当な店に飛び込むという事に、ある種の恐怖心すら感じる。



 一度迷いが生じると、いかにも美味そうな店も、人が集っている店も、どうにも決め手にかける。



 何となく焦りを覚えながら、散々大通りを行ったり来たりしている途中、とある細い路地にある、何となく前世の寿司店を想起させる、シンプルだが落ち着きがあり、だがそれなりに歴史のありそうな佇まいの店を発見した。


 何度大通りからその店を見ても、客が出入りしている様子は全くない。


 だが…何となく目につく。



 俺は自分の勘を信じて、路地へと入った。



 ◆



 店に入ると、カウンターにはやや長身で痩躯の、頭髪を短く切り揃えた厳つい大将が立っていた。


 店には他の客の姿はおろか、その他の店員の姿も無い。



 ふむ。

 これは『安くて美味い店』の線は消えたな。


 この店は索敵防止魔道具による魔素の撹乱がない。

 にも関わらず中から全く音が聞こえない時点で、何となく想像はついていた。



 だが久々の刺身だ。


 多少高くても、今日は奮発すると決めている。


 俺は後ろ手で引き戸を閉めた。



 ギロリ、と大将が俺を睨む。



「余所者の、しかもガキか……

 うちはそれなりの値段を取るぞ。

 悪い事は言わんから、他所へ行け」



 ほう?


 今の大将のセリフから、安くて不味い店と、法外な値段を請求するぼったくり店の線も消えたな。



 この商売が下手そうな大将が出す料理というのは、いかほどのものか。


 だがその前に……



「生の新鮮な魚を切り身にして出す料理が食いたい。

 ここにはあるか?」


 俺は大将の厳つい風貌とその言葉から、取り繕った敬語ではなく、平易な言葉で質問した。


 何となく、対等と認められなくては、ここの客にはなれない気がしたからだ。


「ちっ。

 生意気そうなガキだ。

『刺身』はある。

 だが、そこらのガキが払えるような額じゃねぇ。

 もっとも、お前が仮にどこぞのボンボンで、例え金を持ってたとしても、お前みてぇなガキに料理を出して、高い金を取るほど俺は落ちぶれちゃいねぇ。

 さぁ帰れ!」



 ……これは思った以上に頑固な大将だな。


 前世でこんな対応をする店があれば、ネット炎上間違いなしだが、ここはネット社会ではなく、俺ももやしっ子ではない。


 なにより刺身(もちろん日本語で『さしみ』と発音したわけでは無い)があり、腕がいい可能性が残されているのに、この程度で、はいそうですかと言って帰るわけにはいかない。



 俺は構わずカウンターに座った。


「金は多少ならあるから、予算を言ってくれ。

 おっと誤解するな、俺は貧乏貴族の三男坊で、とてもボンボンとは言えない。

 探索者として自分で稼いだ金でここにいる。

 ランクはBだ。

 必要ならライセンスを出すが?」


 俺のセリフに頑固親父はピクリと眉を動かし、だが頭を振った。



「勝手に座ってんじゃねぇ。

 おめぇみたいなガキが、探索者ランクBだと?

 どうせつくなら、もう少しマシな嘘をつきやがれ。

 もういい。

 刺身を食いてえなら、路地を出て大通りを左手に進んで、200mほど歩いた所にある、ゆうき亭にいけ。

 それなりに値は張るが、そこそこの物は食えるはずだ」


 頑固親父はしっしっと俺を手で追い払う。



 そこそこの物だと?

 わざわざ刺身食いたさに王都くんだりからやって来た俺に、妥協しろと。


 そこそこで。



 くっくっく。


 俺は、絶対にこの店で刺身を食うと心に決めた。


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