第90話 取るに足りない探索


 泉につけておいた獲物から、いい具合に血が抜けた後、先輩に教わりながら、ヒュージボアを毛皮と魔力器官である牙、そして肉や内臓などを部位毎に解体していった。



 食べる分の肉は、先輩が持っていたカンナみたいな道具で薄く削いで、これまた先輩が準備していたさまざまな乾燥ハーブと塩がミックスされた、特製調味料をかけて焼いた。


 今回は元々泊まりの予定なので、できる男の準備は万端だ。


 やや癖のある香りはハーブの爽やかさに抑えられ、濃厚な旨味のある焼肉は食欲をそそる。



 内臓のうち、小腸は、開いて泉でよく洗い、これまたリアド先輩が近くから摘んできた、ローリエのような葉っぱと一緒に朝まで煮込む事で、美味しく頂いた。


 食べきれず、持ち帰れないものは勿体無いが、サークルオブライフへと返す他ない。



 ちなみに、俺が不寝番をしている時に、ダンズタイガーと思しき2匹が音もなく野営地へと忍び寄ってきたが、俺が風魔法の威圧を送り込むとあっさり逃げていった。


 この威圧は中々便利だ。


 俺たちがここを後にした後、彼らがヒュージボアの残り物を食べるかな。



 明け方には目的の魔苔を採取し、俺たちはキャンプを引き払った。



「さて、ヒュージボアの素材でリュックは大方埋まっているし、行き道と同じように真っ直ぐ帰れば今日中にはロブレスに着くと思うけど、どうする?

 予定より1日早いから、何か希望があれば付き合うよ」



 先輩の問いかけに、ココが手を上げた。


「時間に余裕があるなら、できれば、魔道具の試験のために、一度稜線、できればこの山の頂上へと出ておきたい。

 僕たちなら1時間半も登れば行けると思う。

 勿論、ワイバーンと戦闘するつもりは無いけど」



 地理研究部で開発した魔道具は、所謂『点の記』を作るための魔道具だ。


 地球には、人工衛星を活用して位置情報をどこでも簡単に取得できる仕組みがあったが、当然この世界には無い。



 あらゆる種別の有効な地図を作るには、とにかくベースとなる正確な地図が必要だ。


 だが、この世界の小縮尺、つまり広い範囲を表す地図は、押し並べて、いい加減な事この上ない。


 例えば侯爵地方全域という規模になった途端、海賊が手で描いた宝の地図、とまでは言わないが、それに毛の生えたような代物しかないのだ。


 大縮尺の地図も、都市部や大きな街道などの地図は比較的正確に書かれているが、田舎に行くほどいい加減になっていって、今回のニャップの森などは地図すらない。


 探索者は勘と経験に頼って活動するので、当然ながらよく遭難事故が発生する。


 一般人が日常生活を送るには不便が無いかもしれないが、日本の地理情報システムの恩恵を、スマホを通じて受けていた俺からすると、容認できるレベルでは無い。



 そんなわけで、まずは正確な地図を作ろうと思い立った。


 人工衛星はハードルが流石に高いので、その前の時代、すなわち三角点を山の頂上など視通の取りやすい場所に置いて、その位置を正確に把握する手法を実現する為の魔道具を開発した。



 最も、俺はやりたい事と基本的な測量原理をフェイに伝えただけで、どのように実現するかは丸投げだ。



 どうやら魔石が特定条件下で引かれ合う性質を利用するらしいが、難しい仕組みの部分は、機微な情報を含みそうだったので、聞いていない。



 まぁ纏めると、その魔道具を山の頂上などに設置すると、視通が取れる場所から正確な方位が把握できるので、後は協会を通じて国中に魔道具設置の依頼を出していけば、『点の記』が拡充されていく。


 あとは点と点を結ぶ繋がりを増やせば増やすだけ、距離や方角を表す正確な地図ができるという訳だ。


 ここからなら、王都北東のグリテス山に設置した魔道具とギリギリ繋がるだろう。


 そうすれば、王都の近くに設置した点や、昨日の朝ロブレス近郊に距離を測って2点設置した点とも繋がる。


 こうやって点の記を広げていくことが、地理研究部の第一歩だ。


 この魔道具の開発費は、目が飛び出るほど高かったらしいけど……


 まぁフェイは、俺が見たところココ同様に、その有用性を認識しているみたいだから、ゆくゆくは上手く活用して元を取るだろう。



「あぁ正確な地図を作る為の魔道具を持参しているんだったね。

 それほどの労力をかけて、こんな山奥まで正確な地図を作る意義があるのかは僕にはよくわからないけど…

 勿論構わないよ。

 ただしワイバーンと戦闘するのはリスクが高いから、その点だけは安全第一で頼むね?」



 先輩が快く承諾してくれたので、俺たちは山頂へと登った。


 慎重に辺りを警戒しながら、魔道具を設置し、時間に余裕があったので、俺たちは稜線を西に進み、時間を見ながら2つ隣の頂上まで魔道具を設置してから山を降った。



 ジャングルとしか言いようのない、道なき道を帰る途中、先輩は流石の知識を発揮して、貴重な魔草やキノコをいくつか獲物に追加した。


 これでロブレス支部でおばちゃんから受けた依頼も完璧だ。


 加えて、途中で俺の索敵魔法で新たに滝を発見した。


 落差は約40mで、毎分何トンかは分からないが、中々の水量だ。


 俺のテンションは、この滝を見て急上昇した。



 魔苔の生えているリプウプウ・ニャップの滝は、階段状の岩肌を静々と水が流れている、何というか上品な滝だった。


 滝と言えば、やっぱりこれだろう。



「アル!

 水の魔法士が絶対に避けては通れない修行が出来るぞ!

 滝行だ!」


 俺は嫌がるアルを無理矢理滝壺に引き込んで、滝にひたすらうたれた。


 リアド先輩とココは気の毒な目でアルを見ていたが、俺はお構いなしだ。



「寒い!

 一体これに何の意味があるんだアレン!?」


「精神の鍛錬だ!

 理屈なんて考えるな!打たれることに意味がある!」



「精神鍛錬なら水属性関係ないだろ!」


 こんなものはただの乗りだ。

 意味なんてある訳がない。


 そう思っていたが、偶然滝の裏に洞穴がある事を発見して、そこに今回の依頼の目的である魔苔がびっしりと生えている事を発見したりした。


 瓢箪から駒というやつだ。


 俺たちはここでもう一泊し、翌朝ロブレスへ帰還する事にした。


 ちなみに、この場所からは、先程魔道具を設置した3つの山頂のうち2つが見えていて、その方角を測る事で、正確な自位置を把握できた。


 いわゆる三角測量というやつだ。


 当然、山頂と繋がっているロブレスとの位置関係も正確に計算できるので、帰りはさらに効率的に進めるだろう。


 先輩は唸った。


「う〜んなるほど。

 土地勘のない場所でこれは…思った以上に便利だね。

 何となく、地理研究部の狙いが見えたよ。

 僕は3年で、もうあと半期しかないけれど、微力ながら力になりたいから、地理研究部にも加入していいかな?

 ココ部長」



「もちろん。

 リアド先輩なら、大歓迎」


 ココは先輩とかなり馬が合うようで、嬉しそうに言った。


 得意分野が動物と植物に分かれているけど、類は友を呼ぶという奴だろう。


 2人がここで仲良くなれたのは良かったな。



 それから、俺たちはこの滝でもアルの魔法を使って、5匹ほど魔魚を獲物に追加した。



 真っ直ぐロブレスのある北東方向に進むものかと思ったが、先輩は進路をやや北寄りに取った。


 そちらに突っ切ったら午前中には街道に出られるはずなので、結果的には早くて楽との事だ。


 早速魔道具の恩恵を最大限引き出しているあたり、センスが抜群だ。



 そんな訳で先輩からの依頼は無事完了し、俺たちは昼過ぎにはロブレスへと帰還した。


 俺たちが街に入る時、出発時に跡をつけてこようとしていた3人組が、ボロボロになった体と装備で西の草原へと出掛けていくのを見た。


 彼らが無事で何よりだ。



 ちなみに、ヒュージボアを始めとした採取素材は8万リアルで買い取って貰えた。


 リアド様ファンのおばちゃんが、納入所の査定担当にわざわざ口を聞いてくれたのが大きい。


 俺への態度は相変わらず散々なものだったけれど…



 消費したマックアゲートの矢も含め、経費は全て先輩が賄ってくれ、しかも新しい魔苔の群生地を発見できたから、という理由で、固定報酬を3倍の18万リアルにしてくれた。


 それは当初の契約に反するという事で1度は断ったが、現場評価Aを付けて、報酬を最大3倍まで増やすのは依頼主の権利だと言われた。


 さらに今の情勢で、この魔苔を一定期間は安定供給できる目処がたった価値は計り知れない、さらにその倍でもおかしくはないというので、有り難く受け取ることにした。


 稼ぎを割っても1人8万リアルの純利益で、思った以上に大仕事になり、何だか申し訳ない気持ちだ。



 こんな感じで、俺の楽しい夏休みの遊びは幕を開けた。



 ◆



 後に、燦々と光り輝く彼らの経歴を思うと、このロブレス探索の記録は意外なほど平凡だ。


 だが、後世から振り返って見ると、この取るに足りない探索の歴史的意義は重い。



 まず第一に、王国地理院第二代院長、『百般の友』ココニアル・カナルディアが中心となり、数十年の後に完成させ、世界を一変したと言われる『王国地理総覧』の整備が、実質この探索活動からスタートを切っているという点。


 第二に、ココニアル・カナルディアと、この探索活動以後、その生涯の盟友となる『分類学の父』リアド・グフーシュが、さりげなく引き合わされている点。



 そして第三に、『大瀑布』アルドーレ・エングレーバーの、その数奇な運命へと与えた影響。



 その異常なまでの先見性により、後に『タイム・トラベラー未来から来た男』とまで言われるアレン・ロヴェーヌは、一体どこまで、この探索が後の世に与える影響を見通していたのか。


 それは同時代人であり、当事者でもある彼ら3人をしても、ついに分からなかったという。


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