第85話 閑話 50年ぶりの一般寮


 前庭での素振り後、俺とゴドルフェンは食堂へと入った。


 食堂では、何人かの人間が、慌ただしく配膳を手伝っていた。



 いきなり爆発的に人数が増えた頃、仕方なく俺が大変そうなソーラの朝食の準備の手伝いをしていたのを見た寮生達が、自発的に手伝い始めた。


 これだけの生徒を抱えている寮だ。


 他に人を雇えるだけの、ある程度の補正予算を付けられ、実際何人かはスタッフも入ったのだが、貧乏性の抜けない俺が、そんな事に金を使うのなら、可能な限り食材と研究に金を使って欲しいと主張した。


 その事をなぜか皆が知っていて、スタッフの拡充は最低限に留め、足りない部分は自分達の手や工夫で賄う今の形に落ち着いた。



「いやはや、大したものじゃ。

 王国騎士団でも、野営にシェフを同行させろ、などという腑抜けた事をいう輩は後を絶たんが、ここの寮生達は心配なさそうじゃのう。

 戦地で野営地を強襲された時、戦力外の人間がいる事が、どれほど全体の足を引っ張るか……

 いくら口で説明しても、痛い目に遭った事の無いものには、真の意味では伝わらん。

 じゃが、ここにおる生徒たちは、嫌な顔ひとつせずに自分達で食事の準備をしておる。

 それなりに身分の高い者も多いじゃろうにのぅ」



 ゴドルフェンが目を細めていると、ソーラがキッチンから顔を出した。



「誰かと思ったらゴドルフェンかい?

 50年も昔にこの寮を卒業したっきり、一度も顔を出さなかったあんたが、どういう風の吹き回しだい?」



 ソーラさん、50年も前からこの寮に居るのか…

 というか、今いったい何歳なんだ?



「これはソーラ女史。

 わしにとってここは、屈辱に塗れた記憶しかない、嫌な意味で、思い出の地でしたからのう…

 正直2度と足を運びたくなかった、というのが本音でしてのう。

 …じゃが、こやつらの輝いた顔を見て、ようやく過去の未熟な自分と向き合う気になりまして、こうして中まで入ってきて、女史の顔を見よう、という気になりました。

 すっかりご無沙汰して、申し訳ありませんでしたの」


 そう言って、ゴドルフェンは訓練の形跡の見えるお辞儀をした。


 それを見たソーラは一瞬だけ感極まったように目を細め、しかしすぐ意地の悪い顔へと変わった。


「ひゃっひゃっひゃっ!

 何が女史だい、いっぱしな口をきくね。

 上級生に虐められて、夜中に風呂で灯りもつけずに、膝を抱えて泣いていたのは、ついこの間の様に思えるのに…

 時が経つのは早いねぇ」


 ゴドルフェンは、ニコニコと笑顔を浮かべたまま、額に青筋を立てた。


「はて、そんな記憶はありませんのぅ?

 もうよいお歳じゃし、流石の女史も耄碌されましたかな、ふぉっふぉっふぉっ。

 まぁ、進級時にクラスが上がって、二度とこの場所に足を踏み入れないと誓ったのは確かですがの。

 そういう意味で、この寮での苦い経験を含めて、全てが今のわしにつながっておりますがのう」


「ひゃっひゃっひゃっ。

 あの『泣き虫ゴドル』が、言う様になったじゃ無いか。

 まぁいいよ。

 あの日、あんたが寮を出て行く時、その燃える様な瞳で『俺は二度とここには戻らない。だからソーラさんとは今生の別れだ。世話になった』と言って立ち去った日のことは、はっきりと覚えているよ。

 この子は強くなった、これからも強くなると思ったもんさね。

 ……あんたは長らく、この寮の希望だった。

 この寮で自信を無くしている奴が居れば、あの『百折不撓』も、ここで悔しくてえんえん泣いて、それをバネに今はあの通り身を立てた、と言って、この何十年、何人の子を励ましたかねぇ。

 ま、今この寮にいる子らは、優秀なのが多いから、あんたの泣きべそ話を聞かしてやる機会はないけどね。

 久しぶりに、朝飯でも食べていくかい?」



 過去の恥ずかしい話を皆の前で暴露されたゴドルフェンは、顔を顰めつつ、『では久しぶりに頂いていきますわい』と言った。



 本日の朝食は、口がひん曲がるほど苦い、グリテススネークの肝ソース焼きと、こぼしたミルクを一度雑巾で拭いて、再びコップに絞った様な、危ない匂いのするミルクとパンだ。



「諸君らが毎朝、寮の朝食を喜んで食べておると聞いて、わしの記憶に年を経るごとにバイアスがかかり、実際以上に不味かったと記憶しておるだけかと思うたが……

 記憶の中の朝食より明らかに不味いの。

 このようなものを苦もなく食べるとは、諸君らは大したものじゃ。

 わしはとても食べきれんわい」


 ゴドルフェンはほんの一口ずつオカズとミルクに口をつけて、ナイフとフォークを置いた。



 そこで、無敵の男アルが、満面の笑みでこんな事を言った。


「ゴドルフェン先生!

 あそこに貼ってあるのはアレンに教えて貰った、ゾルドさんの言葉です!

 要は覚悟の問題ですよ!」



 アルが指差した壁を見ると、でかでかと『心頭滅却すれば火もまた涼し』という言葉が額縁に入れられて飾られていた。


「ひゃっひゃっひゃっ!

 お前には『常在戦場』の覚悟は無理かね。

 50年経っても、中身は泣き虫ゴドルのままとは、情けないねぇ?」


 ソーラは、たちまちマッドサイエンティストの顔に変貌して、ゴドルフェンを煽った。


 生徒の面前で、はっきりと『お前に常在戦場の覚悟がないから食えないんだ』と言われたゴドルフェンは、再び額に青筋を立てて、ナイフとフォークを手に取った。



「わしが戦地で強襲を受けて、仲間と散り散りになって帰還した時など、1週間木の皮だけを食べながら命を繋いだものじゃ。

 それに比べれば、これしきの料理など、何程でもないわい」



「ひゃっひゃっひゃっ。

 食う気があるなら、先にあそこの魔道具の上に立って、ハンドルを握りな。

 前後のデータを簡単に比較できる」



「…なんじゃあれは?

 見た事のない魔道具じゃが…」


 ソーラが指差した食堂の隅には、俺が前世のヘルスメーターを参考にフェイに作らせた魔道具が置いてある。


 寮生は、毎日食事の前後にあの魔道具で記録を取っている。


「あれは、僕がアレンに言われて開発した、自身の魔力量や、魔力循環、性質変化の流れのスムーズさなどを計測・記録できる魔道具だよ。

 効果の視覚化は、鍛錬のモチベーション維持に、引いては成果に直結すると、アレンが煩くってね…

 ソーラに監修してもらって、開発に300万リアルもかけた力作さ」


 ……そんな高いの?



 ◆



 その後、戦場もかくやと思われる殺気を振り撒きながら、朝食を食い終えたゴドルフェンと、大浴場へと向かった。



「変わらんのぅ。

 うっぷ。

 この寮は、まるで時が止まったかのように、50年前わしがいた時のままじゃ。

 唯一違うのは、ここにおる生徒達の、おえっ、目の輝きが違うという所くらいか」



 ス〜。


 そう言ったゴドルフェンの足元を何かが通過した。


「……何じゃあれは?」



「え?

 あぁ、あれは自動お掃除ロボのルンボ君v3です。

 水と魔力さえ補給すると、掃き掃除と拭き掃除を勝手に24時間してくれる優れものです。

 あれもフェイが作りました」



「…ロボ?

 ……大勢の人間の仕事をうばいかねんから、世に出す時は慎重にの」



「その辺りの匙加減は、開発者のフェイに一任しているので心配していません。

 …先生は、ここは変わらないと言いましたが、環境の改善にはそれなりの工夫をしていますよ?

 無駄に華美な装飾などは不要ですが、能率を上げる、という意味では現状に満足していませんからね。

 例えばこれからいく大浴場には、疲れを取るためにサウナを設置しましたし。

 いやぁ、あれの維持費が高くて、寮に新規で回された予算は殆ど無くなりました」


 なぜ俺に寮の予算の使途に口を出す権限が有るのかというと、副寮長だからだ。


 元々、リアド先輩が名ばかり寮長をやっていたのだが、『忙しくて不在にする事が多いから、アレンに全部任せるよ』と言って補佐に指名され丸投げされた。


 もっとも、寮の金で設備導入したのはサウナくらいで、後の細かなものは、全て魔道具研究部が開発したサンプルを使用している。



 ゴドルフェンは目を見開いた。


「何と!

 サウナを学園の寮にの。

 それは素晴らしいアイデアじゃ。

 わしは無類のサウナ好きでのぅ。

 近場に無いから滅多に入らんが、ここにあるなら、たまにはこの寮に顔を出してもいいやもしれんのぅ」


 そんな事を言いながら、俺たちは朝風呂へと入った。


 湯の温度は、日本酒で言えば『飛び切り燗』と同じ55度と、草津人もびっくりの高温だ。



 ちなみに俺は、朝はサウナは使わない。

 筋肉疲労のピークに、体を回復させる目的で使うからだ。



 そう説明して、『今日は休みですし、時間が許す限りゆっくりとサウナを使ってください』。

 そう言って俺は、先に風呂を上がった。


 ついさっき、ライオが入っていったし、案内は不要だろう。



 ◆



 アレンが先に風呂から上がった後、ゴドルフェンは、年甲斐もなく、ワクワクとサウナへと向かった。



 この所忙しく、学校に設置されている簡易シャワーを使うだけで、満足に湯に浸かる事もなかった。


 この所の会議続きで、こりにこった全身の筋肉をほぐすいい機会じゃわい。


 そんな事を考えながら、流行る気持ちを抑えて悠然とサウナへと歩み行ったゴドルフェンは、その温度に驚愕した。


 寒い…


 そのサウナは、ユーハラド山脈の氷竜討伐を想起させるほどの、途轍もない寒さだった。



「翁?

 なぜここに?」


 先にサウナに入っていたライオが、ゴドルフェンに問いかけた。



「いやなに、皆がどの様に日々生活しておるのか見ておきたくてのう。

 アレン・ロヴェーヌの朝のランニングにひっついて、ついでに寮の様子を見て回っておったのじゃよ。

 しかし…寒いサウナとは、また変わった趣向じゃのう」



 そういってゴドルフェンは、とりあえずライオの斜め後ろの、上の段へと腰掛けた。


 その瞬間、幾人かが『あっ!』と悲鳴を上げた。


 ?

 何じゃ?



「翁…

 このアイスサウナは、マイナス30度に設定されています。

 アレンがいうには、疲労回復と筋肉の成長には、アイシングが重要という事でして。

 その様に濡れた体で、タオルも敷かずに腰掛けると、床に尻が引っ付いて、立ち上がれなくなります」


 ゴドルフェンは足に力を込めた。


 確かに尻が床にピタリと引っ付いて、まるで立ち上がれない。


 力任せに強引に立ち上がる事は出来そうだが、尻の皮が剥け、大流血する未来を予感させるほどの吸い付きだ。



 先にサウナに入っていた1人の生徒が、慌てて外へ飛び出し、浴槽から湯を汲んできてゴドルフェンの尻にかけた。


 シューという音と共に、ゴドルフェンの尻は床から離れた。


「初めての人は皆同じ事をしますから。

 しっかり体を拭いて、タオルを敷いてから座れば大丈夫ですよ。

 緊急時には、そこかしこにある赤いボタンを押せば、停止します」


「すまんの、ちと迂闊すぎたようじゃ」


 ゴドルフェンは素直に謝って、だが温泉やサウナが豊富なヴァンキッシュ領で鍛え上げられた、一流サウナーを自負する、そのプライドに火をつけた。



 ◆



 サウナに入る男には、2種類の人間がある。


 自分と戦う男か、他人と戦う男かだ。



 ゴドルフェンは後者であった。



 だが、この手の人間が意地っ張りであった場合、そしてたまたま同質の人間が同じタイミングでサウナに入った場合、悲劇を生むことがあるのは、異世界も地球も同じだ。



 ライオはゴドルフェンより少しだけ先に、このアイスサウナへと入っていた。


 すでにゴドルフェンより先にサウナへと入っていた生徒は、ライオを除き全て別の人間に入れ替わっていた。


 ゴドルフェンは、今の時点で歯の根が噛み合わないほどに体が冷え切っていたが、自分より先に入っていたライオがまだそこに座っている以上、自分が先に出るという選択肢は無い。


 そして何より、ライオは黙然と目を瞑って耐えているが、明らかにゴドルフェンを意識していた。


『今日の目標』を、ゴドルフェンが出るタイミングに設定していることは、火を見るよりも明らかだ。


 その足はガタガタと震えており、唇はおろか、その耳などの末端部も青紫色に変色している。



 いかんのぅ…

 ライオはもう凍傷寸前じゃ。


 どれだけ意地っ張りなんじゃ…


 ここは先に入った自分が先に出て、先輩サウナーである、わしを立てるところじゃろうが!


 しかも足先に感じている感覚からして、どうやら下の段の方が冷える。

 上の段に腰掛けている、一流サウナーのわしが、先に出られる訳がないじゃろう!



 そんな事を考えていたら、ゴドルフェンは眠気を感じ始めた。


 いかん……寝たら死ぬ。


 ここは大人の駆け引きを使ってでも、前途ある若者が取り返しのつかない傷を負う前に決着をつけねば。



 そう考えたゴドルフェンは、おもむろに立ち上がって、出口のドアへ向かって一直線に歩いた。



 とうに限界だったライオは、やっと出るのか、といった体で、ゴドルフェンに続いて立ち上がった。



 と、そこでゴドルフェンは、はたと足を止めて、ドア前のスペースでアキレス腱を伸ばし始めた。


 そして、もと座っていた場所へと再び腰掛けた。


 ゴドルフェンについて出る体で立ち上がっていたライオは、驚愕の顔で1人その場で立ち尽くした。



 ふぉっふぉっ。

 この程度の基本的なフェイントに引っかかるとは、まだまだサウナーとして修行が足らんの、ライオ。


 ゴドルフェンは心の中でほくそ笑んだ。


 だが、ライオはその青紫色の唇をニヤリと歪めた。


 そして、その場で屈伸を始めた。


 そして、もと座っていた場所へと再び腰掛けた。


 馬鹿な!

 どれだけ負けず嫌いなんじゃ!



「…2人とも、馬鹿な意地張ってないで早く出たら?」


 たまたまその場に居合わせたココが、声をかけたが、2人は黙然と目を瞑ったまま、その言葉には返事をしなかった。



 そして30分後、タオル1枚を腰に巻いた2体の冷凍マグロが、ジュエの前に転がされたのであった。


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