第59話 恋ではない何か(2)


 この大陸でもっとも多くの信徒を抱える、新ステライト教のユグリア王国王都大聖堂。


 ジュエはそこで、定期的に聖魔法の訓練を受けている。



 聖属性への性質変化の才能は非常に希少だ。


 レベランス家は遺伝的に、なぜか聖属性の発現率が高いのだが、一般にはその発現確率は5千人に1人と言われている。



 この才能をもって生まれるだけで、新ステライト教会から手厚く持てなされ、教会で聖魔法の行使に関する訓練が無償で受けられる、貴重な才能だ。



 ジュエは9歳になり魔力器官が発現してすぐ、聖魔法への性質変化の才があることが判明した。


 領地で基本的な対外魔法の技能を学んだ後、10歳の誕生日を機に王都の侯爵別邸へ移動して、聖魔法の訓練を受けてきた。



 その時から主な講師はドゥリトルだが、ジュエは当初からその聖職者とは思えない、好色そうな男が苦手だった。


 特に、近頃発育がよくなってきたジュエの体を、舐めるように見てくる視線にはおぞ気が走る。



 ドゥリトルは、ステライト正教国出身の男で、40歳の若さにして大司教の要職に就き、このユグリア王国王都大聖堂に派遣されている俊才だ。



 末はステライト正教国教皇の座に着く可能性すらあると言われており、ジュエの婚約者として名前が挙がっていると聞いた時、ジュエは密かに絶望したものだ。



 もっとも、その話は、現在は立ち消えになっている。


 ジュエの魔力量の伸びが、予想以上にすさまじかったからだ。


 現在ジュエの基礎魔力量は、一万近くにまで達している。


 120年前、レベランス家から王立学園Aクラスに入学し、ジュエと同じく聖属性の魔法を使い、神の奇跡とまで言われた回復魔法の使い手、サリー・レベランスの学園入学時と同等といえる数字だ。



 5千人に1人といわれる聖魔法の使い手が、10万人に1人と言われる基礎魔力量を持ち、さらに王立学園の学科試験をA評価で突破した、というと、ジュエのその才能の凄まじさは推して知るべしだろう。



 教会に属さぬまま、数々の慈愛に満ちた事績を残し、教会から押し付ける様に特別な称号を授与され、レベランス家に類を見ない繁栄をもたらした、『聖女』サリー・レベランス。


 その生まれ変わりとすら言われるジュエと、数多いる教皇候補の1人では、はっきりつり合いが取れない。



 当初はドゥリトルも、レベランス家の名前看板に魅力を感じ、末は教皇を目指す自分の後ろ盾という意味で適しているから、このガキで手を打つか、などと考えていた。


 邪険にするようなことはなかったが、結婚後も女遊びを控える気などさらさらなかったドゥリトルは、あくまでも政略結婚、という事を強調するように、事務的にジュエに接した。



 だがジュエは伸びた。



 魔力量もそうだが、特に学園入学を契機に、良家のお嬢様にありがちだった甘さが消えて、精神的な苛烈さの様なものが出てきており、聖魔法の習熟速度も尋常ではなくなってきている。


 すでにその器の底がどこにあるのか、ドゥリトルには見通せなくなっている。



 もし噂通り『聖女』に迫るほどの器量を持ち、あの聖女を想起するほどの功績を積み上げていくとしたら…


 その夫となるはずだった人間自分は、教皇の座に片手をかけていたとすらいえる。


 しかも魔力量の増大に呼応するように、見る見るうちに身体的な発育もよくなり、ただの目鼻立ちの綺麗なガキだったはずのその婚約者候補は、近頃では実にドゥリトル好みの体形へと成長していた。



 そうした経緯もあり、あまりにも大きな魚を逃した、という意識のあるドゥリトルの、近頃のジュエへの執着は目に余るものがある。


 流石に人目のある所では、おぞましい視線のほかは、具体的な行動は自重しているが、何かと理由をつけて二人きりになろうとしてくる点も、ジュエの嫌悪感を増幅させている。



 ジュエは一度、思い切って両親に「講師を替えて欲しい」と願い出たことがある。



 理由を聞いたレベランス侯爵父親は、少し考えてから首を横に振った。



「それはならん。

 まず第1に、ジュエに教えられる能力のある人材は多くない。

 奴は聖属性魔法の使い手として、トップクラスの能力があることは疑いようのない事実だ。

 第2に、我がレベランス家の家訓は『剛毅果断』。

 嫌なことから逃げてかわす、という思考はこれにそぐわない。

 そして第3の理由。

 その手の男は逃げれば逃げるほど追いかけてくる。

 講師としての接点を強引に断ち切った場合、逆にリスクをコントロールする術(すべ)を失うだろう」



 隣で話を聞いていたレベランス侯爵夫人は、第2の理由を聞いたところまでは、恐い顔で侯爵を睨みつけていたが、第3の理由を聞いたところで唇を噛んだ。


 そこまでいって、レベランス侯爵はニヤリと笑った。



「いっそ学園に入学したら、自分がこれはと見込んだ男と浮名でも流したらどうだ?

 最低限、王立学園に入学するほどの男なら誰でもいいが…

 あのザイツィンガーんとこの倅なんていいんじゃないか?

 ツラもいいしな。

 曾祖母さんサリーも、男に入れ込めない様な女は、幾ら才能があっても強くはなれんと言っていたらしいしな。


 ユグリア王国の貴族は、男女のゴシップにはある程度寛容だが、ステライト正教国の聖職者は、妻となる人間の醜聞を極端に嫌う。

 それこそ、男女の関係にあった、などという過去の噂話すらな」


「へぇ?

 あなたはゴシップのネタに事欠かないと思ったら、ユグリア王国の貴族にそんな寛容さがあったのですか。

 それでは私も、遠慮なくジュエと一緒に浮名を流させていただきます」


「ちちち、違うんだドリー、パルフェと会ってたのは、ただ相談に乗っていただけでだな、」


「パルフェ?!

 私が聞きたかったのはジーナさんとの楽しそうなお食事のお話ですが?」


「げぇ?!」



 ……



 ◆




「セバスは、私が交際が噂される浮き名を流すお相手として、アレンさんはどう思いますか…?」


 ジュエはあの、好色そうな男ドゥリトルとは正反対の、女関係にいかにも奥手そうな純朴な少年を思い浮かべながら、セバスに質問した。



 この、これまで何度もされてきた質問を聞いて、セバスは苦笑した。


 バックミラー越しに見るその表情は、いつもは剛毅果断を地でいくお嬢様には珍しく、どこか不安げだ。



「…私は、お嬢様が機転をきかせて魔鳥を飛ばして、お買い物の運転手をさせていただきましたので、彼を実際に間近で見させていただきました。


 率直に申し上げまして、田舎から出てきた、どこか庶民臭すら漂う世間知らずの無礼な少年、という印象を拭えませんでした。


 身体強化魔法の才能に疑う余地は無いとしても、果たしてレベランス家が誇る天才、ジュエリー・レベランスに相応しい器を備えているのかと言われると、懐疑的、と言わざると得ない…そう考えておりました。


 それでこれまで、『私には判断致しかねます』と明言を避けてきましたが…


 今回の『仏のゴドルフェンの課題』事件を受けて、自身の人物眼の甘さを痛感しております。


 お嬢様が見込んだ男は、私などにその器量が測れるものでは無かった。

 今はそのように、考えを改めております」



 そのセバスの評価を聞いて、ジュエの表情は目に見えて華やいだ。


「ふふっ。

 次は一体、どんな形で私を驚かしてくれるのでしょう。


 …偶然、アレンさんの『りんごの家』への加入スカウトを目撃している事が、レベランスの僅かな強みです。


 ただの、非効率なアルバイトと、他陣営が軽視していると思われる探索者レンの情報を、徹底的に集めてください。


 孤児院に対する慈善活動かと思いきや、ヤンチャな若者たちの纏め役をやってみたりと、一見支離滅裂でいつもの気まぐれな行動に見えますが…

 おそらくは、私たち凡人には考えもつかない狙いがあります。


 すぐに活動を開始する事が難しい事は理解していますが、私も探索者登録いたします。


 この私が、重要な局面で、資格がないばかりに手をこまねいている訳には参りませんので」



 ジュエがいつもの豪気さを取り戻したのを見て、セバスは安堵すると共に、ため息を飲み込んだ。


 朝の坂道部の活動に加え、一般寮への移動もあり、お嬢様のスケジュールの過密さはすでに限界ギリギリだ。



 ここに、探索者活動などを詰め込んだりしたら、そのスケジュールは常軌を逸した過酷さになるだろう。


 もちろん、それを管理する自分にも同じことが言える。



 だが、たった今お嬢様の人物眼を信じると明言したばかりだ。


 セバスは腹を括った。



「かしこまりました。

 私の全身全霊をかけて、お嬢様の初恋を応援させていただきます」



「は、初恋?!

 私のアレンさんへの気持ちは、そのような浮わついたものではありません!

 確かに彼には、うまく言語化できない、友人とは違う何かを感じていますが…

 あくまでも、私にとって、そしてレベランス家にとっての最善を考えた上での指示です!」



 そう必死に否定して、顔を赤く染め、嬉しそうに怒っているお嬢様は、どう見ても初めての恋に振り回されている、12歳の少女だった。


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