第58話 恋ではない何か(1)


 アレンがゴドルフェンの課題をクリアした翌々日の放課後。



 いつもの様に正門へと横付けされた、レベランス家の家紋が入った魔導車に、ジュエリー・レベランスは乗り込んだ。



 先日、クラスメイト達と共に王都の武具屋に行った際に利用したド派手なオープンカーよりは一回り小さい、シックなセダンタイプの車だ。



「セバス。

 今日の予定を」


「かしこまりました」



 ジュエは忙しい。


 半端じゃなく忙しい。


 その最も大きな理由は、当然王立学園のレベルの高い授業について行くための勉強だ。



 王国に9つしかない侯爵家、レベランス家。


 その名門直系から、120年ぶりに王立学園Aクラスへ進学を果たした少女の、その双肩にかかるプレッシャーは尋常なものではない。


 ちなみに、前回のAクラス合格者はジュエから数えて4代前、高祖母ひいひいおばあさんまで遡る。


 その間ジュエの兄弟を含め、4世代20余名が王立学園入試に挑んだが、合格者はジュエを含めたった3名しかいない。


 それでも、当日受験に来る人間だけで倍率百倍を超える試験でこの結果は、名門侯爵家の面目躍如たる破格の合格率と言えるだろう。


 それほど、学力に加え、実技のセンス、そして魔力量の3つを揃えるのは難しい。



 レベランスほどの家になると、当然ながら数多の陪臣家来を抱える。


 無数の領内都市の運営、私設騎士団、貴族学校、その他多くの維持すべき機構があり、その全てをレベランス家だけではとても賄いきれないからだ。



 もちろんその他に、寄り子として1000を超える貴族家を、勢力下に抱えてもいる。


 そして、さらにその下に、一定以上の水準の教育を受けた領民がごまんといる。



 それら全てがジュエのAクラス合格を寿いだ。


 それほど、勢力の旗頭たるレベランス本家から、王立学園Aクラス合格者を出す意味合いは、このユグリア王国では大きい。



 当然ながら、進級時のクラス落ちなど、絶対に許されない。


 ジュエの勉学及び実技の進度は、レベランス家の万全の家庭教師陣によって厳しく管理されている。


 現在のところ、問題なし現状維持と判定されているが、もし少しでも成績を落とそうものなら、今は一定の裁量を与えられている学園生活を、厳しく管理される事になるだろう。



 どれほど忙しくても、ジュエは成績を落とすわけにはいかなかった。



「本日はまず、レベランス王都青年会の会合で、ご挨拶をお願いします。


 挨拶のみで中座いただき、その後グラスター公爵家が主管する王都7番大橋の建設事業の竣工式へご出席。


 次に、多くの寄り子から、今年の学園、特にAクラスの状況をお嬢様本人から伺いたいと、面談の申し込みがありました件です。

 多忙を理由に断っておりましたが限界で、複数の寄子との会合を同時開催することで調整がつきました。

 本日は伯爵3家、有力子爵家1家と同時にお夕食をお願いいたします。

 遅れて旦那様もご参加なされるとの事で、『彼』の情報は旦那様が到着されてから話すように、との事です。

 お話になる内容は任せる、との事です。

 先方は全て当主本人で、お嬢様も面識がおありですが、一応リストは資料に纏めてございます」



 ジュエは分厚い資料をパラパラとめくった。


 資料によると、3ヶ月先まで、おおよそ週3回のペースで100を超える貴族家との会食が組まれている。


 流石のジュエもうんざりとしたが、この計画を立てたセバスの苦労を考えて、文句の言葉は飲み込んだ。



 その順序、派閥を配慮した組み合わせ、会食の場所など、あらゆる事情を考慮して、どこからも文句が出にくい様に組み上げられたその計画は、一種のジグソーパズルの如き芸術品で、どれほどの調整の上に成り立ったのかは想像もしたくない。



 セバスがもし、結婚式の席次表の組み合わせに頭を悩ませている日本人カップルなどを見ると、鼻で笑うより他ないだろう。



「ご苦労様です。

 ただでさえ王立学園入学試験直後のこの時期は、情報交換が盛んになる時期ですからね。

 加えて、少しでもアレンさんの情報を得ようと、みな必死ですね」


 ジュエは、突然現れた、あの摩訶不思議なクラスメイトを思いだし、くつくつと笑った。



 自分でも、なぜこれほど、あの平凡な顔の少年が気にかかるのか不思議に思う。


 先日、王都への買い物に行った時の私服も、相変わらずいかにも『田舎からのお上り』と名札を付けているような、率直に言ってしまえばダサい事この上ない服を着ていた。



 しかも『ポークぶた』だなんて偽名を名乗ったかと思うと、いかにも『うまくごまかせた』、とでも言いたそうな表情を浮かべて一人その場を立ち去って、副支店長さんを唖然とさせていた。


 これまで自分の回りには、いくらでも見目麗しい御曹司がいたが、異性として興味を持ったことなどなかった。


 あくまでも名門レベランス侯爵家として、利用価値があるかどうか、あるとすれば、どう付き合うべきか、という視点で見定めていた。



 もちろん、この彼への気持ちも、異性としての興味などではないだろう。

 ましてやレベランス侯爵地方を背負っている私が、恋、などはありえない。



 ただ、仮にレベランスという立場で無かったとして、おそらく彼のことは、優秀なクラスメイト、という以上に気にかけているだろうと思える。


 フェイさんも『アレンは別の次元で生きている感じがする』と言っていたように、あの彼のどこか、超然とした世界観が気になるのだろうか。



「お嬢様のご学友となられる可能性のある人材を、事前に徹底的に調査したレベランス情報部ですら、完全にノーマークでしたので。

 まったく面目ない」


 セバスは苦り切った顔でいった。



 セバスはもともと、レベランス家の分家出身で、執事になる前は情報部門で責任者をしていた優秀な男だ。


 レベランス侯爵家としても重要なポストにいた人材だが、ジュエの魔力器官が完成し、Aクラス合格がほぼ間違いないと判定されたタイミングで、ジュエを陰に陽にサポートするために執事として抜擢された。



「ロヴェーヌ子爵の寄り親であるドラグーン家ですら、Eクラス合格の可能性あり、程度の情報のみで、ほぼノーマークだったというのですから…仕方ありません。

 あの合格発表の日の、各王公侯爵家情報部の慌てようを想像すると、気の毒でなりません」


 ジュエは可笑しそうに笑い、セバスも苦笑した。



「彼は、情報部泣かせですからな…


 そんな彼について、今日はお耳に入れたい情報が二つございます。

 一つは探索者活動について。

 以前報告を上げておりました、彼が加入した弱小互助会『りんごの家』ですが、近頃ゆるやかに評判を高めている模様です。

 どうも『狂犬のレン』という、最近加入したおのぼりが、穏やかそうな見た目に反してかなりの腕白で、他の互助会員も巻き込んで王都東支所を拠点とする不良少年たちに求心力を発揮し、ちょっとした勢力を構築している事が理由の模様です。

『狂犬のレン』が彼であるという裏は取れておりませんが、『レン』という名前や加入時期など様々な情報を統合すると、ほぼ間違いないかと思われます」


 この報告に、ジュエは首を傾げた。



「狂犬、ですか。

 普段のアレンさんの印象と合致しませんね。

 またいつもの気まぐれなのでしょうか?」


「まだ情報部でもはかりかねている所です。


 もう一つ、にわかには信じ難いのですが、あの『仏のゴドルフェン』が、彼に長期間に及ぶ難解な課題を与え、その課題に対して不合格を伝えたところ、つかみ合いの喧嘩になり、最後にはコテンパンに言い負かされて謝罪をした挙句、課題を合格に訂正した、などという真偽不明の怪情報が流れています。

 課題について、何かお心当たりはありますでしょうか?」



 その報告を聞いて、ジュエは苦笑した。


「……いえ、心当たりはありません。

 ですが、流石に事実とは考えにくいのではないですか?

 その突飛な内容もそうですが、今の注目された状況でその様な課題情報が漏れず、かつ今になってあっさりと漏れる、というのも解せません」



 ここのところ、アレンの情報は尾鰭がついて飛びまくり、中には事実ではないものも沢山ある。


 それが各家の情報部門を疲弊させる一因になっている。



「私も当初はそう判断したのですが…

 情報筋を辿ると、複数の王立学園の教師陣にたどり着いております…

 信憑性が高い、と判断せざるを得ません。

 考えられる事は、ゴドルフェン氏が、課題終了までは緘口令を敷いていた。

 だが、課題を終えて、あえて情報を漏らした。

 あの『仏のゴドルフェン』の事です。

 うっかり漏らしたとは考えにくい。

 本当にお心当たりは?」



 ジュエは絶句した。


 セバスの目は、ほぼその情報が間違いないと確信していたからだ。



 事実を言ってしまうと、ゴドルフェンは別にはじめから口止めなどしていない。


 アレンは、自分の課題でクラスメイトにプレッシャーを掛けるのは、なんか違うなぁ〜と考えて黙っていた。


 把握していた名門王立学園の教師は、生徒の個人的な課題を学園外に漏らさない程度の分別はあり、

 だが、その衝撃的な結末を黙っていられるほどの分別はなかった、と言うだけだ。



 ジュエは素早く頭の中の情報を精査した。


「……坂道部関連、しか考えられませんね…

 全て私たち生徒が自主的に参加したものですので、どうしてそれが、合否のある課題になるのかは分かりかねますが…


 妙な名称の部活動を、思いつくままの気まぐれで運用している様にしか見えませんでしたが、不思議と人材育成組織としての完成度は目を見張るものがあります。

 副監督、そしてマネージャーなんていう、私達が面白がっていた突飛な試みにも、深い意味があった、という事でしょう」


 ジュエは嬉しそうに笑った。


 アレンが、相も変わらず、天才ともてはやされてきた自分の想像を軽々と超えていく、という事実が嬉しくて仕方がない。



「事実、とすると、彼の価値はどこまで跳ね上がるか想像もつきません。

 これまで、彼に関する確定している事実は、誰もがノーマークだった、身体強化魔法の才能が突出している少年、というのみでした。

 ですが、その組織編成力、ゾルド氏仕込みの人材育成力、齢12歳にしてゴドルフェン氏と渡り合う胆力、知性。

 静観を決め込んでいた上級貴族も腰を上げざるを得ませんし、王家が直接唾をつけに動いても不思議ではないでしょう」


 その見解を聞いて、ジュエは自分の胸中に複雑な感情が渦巻いているのを感じた。


 自分が一目見て、これは、と見込んだ人物が、自身の予想を超えるスピードで世に出ていくことは、素直に嬉しい。


 一方で、彼が自分の手の届かない場所に行ってしまいそうな不安、いっそ自分だけが知る山奥の城に彼を隠してしまいたいような―



 そこまで考えて、ジュエは苦笑した。


 この私が独占欲だなんて。


 これではまるで、彼に恋でもしているようではないか。



 表情をくるくると変える、らしからぬ主をみて苦笑しながら、セバスは続けた。


「こほん。

 会食の後ですが、大聖堂で聖魔法の訓練をしていただく予定です。

 本日も、ドゥリトル大司教が講師をご担当される、とのことです」



 その予定を聞いて、ジュエの気分は一気に沈んだ。



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