第48話 閑話 アイスクリーム
レベランス家のド派手なオープンカーで向かった目的の店は、車で15分程走った所にあった。
アイスクリームを食べに行くと言うので、前世で女子高生が列をなしていた、ジェラート屋とかクレープ屋の様な、テイクアウト中心のお店を想像し、買い食いなんて青春っぽいっ!
なんて思っていたのだが、到着したお店はどこかアラビアンな雰囲気を醸し出す、どう見ても一流レストランの様な作りだった。
こういうのは求めてないのだが、仕方ない。
恭しく奥の個室に案内された後、俺は、価格が書いていない恐ろしいメニューを見て、最もシンプルな『アイスクリーム』を注文した。
「正直いうと、アレンさんにお付き合いいただけるなんて意外でした。
甘い物をお食べになっている姿が想像できませんから」
ジュエはいつものくつくつとした笑みを浮かべながら、そんな事を言ってきた。
「そんな事はないぞ?
俺は甘いものにはうるさいスィーツ男子で通っている」
前世で、しかも自称だがな。
「ぷっ。
無理しなくていいよ、アレン。
アレンの味覚がアレだって事は、皆んな分かっているよ?
誰もアレンに気の利いたコメントなんて期待していないから、ね?」
フェイは、微笑ましい物を見るような顔で、こんな事を言ってきた。
『味の事など何も分からない田舎の少年が、頑張って背伸びしているんだね?』と言いたいのだろう。
…これは容認できないな。
日本の、しかも東京で鍛え上げられた、俺の味覚がアレだなんて、何でそんな噂が広がっているんだ?
確かに学園入学後は、朝はソーラの朝食を文句も言わず食べ、昼は携帯非常固形食を摂取し、夜は毎日蕎麦屋に通い詰めてはいるが。
…我ながら酷い食生活だな…
だが俺は断じて味覚音痴などでは無い。
前世では一流食品・飲料メーカーで、商品開発部門に籍を置いていたこともあるんだぞ?
今日は、ステラが付き合ってくれたお礼のつもりで来た。
なので、出てきた物が例えイマイチでも、前世で培った蘊蓄を披露したりせず、皆んなが気持ちよくすごす事だけを考えよう…
なんて思っていたが、仕方がない。
俺は店員にメニューの変更を告げた。
「すまんがこのロールベリー味、というやつに、メニューの変更を頼む。
ソースはかけず、別皿で持ってきてくれ」
こう頼んだところ、一流ソムリエを思わせるその店員は戸惑った様な顔をした。
「ソース…で、ございますか?」
「アレン?
アイスクリームが何か分からないなら、正直に言っていいんだよ?」
フェイがニコニコと優しく笑いながら言った。
…この店構えからして、ベリー系のソースくらいは自家製の後がけかと思ったが、どうやらフレーバーは全て、すでにアイスへ練り込まれているみたいだな。
「ロヴェーヌ領にもアイスくらいはある。
分かった、やはり普通の『アイスクリーム』でいい。
追加で紅茶を頼む」
「…ロヴェーヌ領では、アイスクリームにソースを掛けて食べるの?」
珍しくココが、皆の前で質問してきた。
最近はかなり打ち解けたが、皆のいる場で発言する事はあまりない。
純粋に気になるのだろう。
ココはチョコレートアイスにホットコーヒーという、王道のチョイスだ。
最近は引き締まってきているが、初めて会った時はぽっちゃりしていたし、甘い物が好きなのかもしれないな。
「いや、うちの実家のシェフと軽く研究しただけだ。
人間の舌というのは、単調な味にはあっという間に慣れてしまう。
あらゆる料理に共通する事だが、味にムラがある、という事が大切なんだ。
そういう意味で、アイスのフレーバーは、可能であれば後がけの方が好ましい。
ココの様に、飲み物で変化をつける、というのも一つの手ではあるがな」
これは、カレーライスのご飯とルーを混ぜてはいけない理由と同様だ。
味に濃淡がないと、人の舌はすぐに麻痺してしまう。
全てが渾然一体となった様な料理でも、口の中で味や香りに変化が感じられる、という事が重要だ。
そう、かけうどんでいえば、青ネギの様な物だ。
この工夫に乏しいと、いわゆる大味な料理ばかりになってしまう。
「ぷっ。
いくらランチに誘っても、毎日携帯非常固形色しか食べないアレンが言っても説得力が無いよ?
伝説の家庭教師、ゾルド・バインフォースの次は、至高の料理人、ソルト・パインフォークでも出てくるのかな?
紹介してね?」
この野郎…
俺の心の友とすら言える固形食を馬鹿にしやがったな。
たがしかし、流石にシェフと研究、と言うのは無理があったか…
もちろん研究などは真っ赤な嘘で、前世カンニングを用いた俺が、シェフに『受験の合格に必要』と強権を振り翳し、あれこれ自分好みに料理を作り変えさせただけの事だ。
「うちのシェフの名前はシュガーだ」
俺は苦しい状況ながらもせめて、実在の人物だよ?という事を強調した。
何とかあっと言わせる一手を放ちたいが、科学的な話を省略して説明可能なアイスクリームの蘊蓄はない。
前世の会社には、アイスの商品はなかったが、たまたまアイスのメーカーと自社のブランデーとのコラボ商品を出す機会があった。
その商品開発に携わった俺は、アイスの製法について、バカ真面目に勉強した事がある。
だが、俺が開発に携わったアイスクリームは流通品だったので、工場の大型機械を用いた粒子レベルでの脂肪球の攪拌や、マイナス40°の強風で急冷する、連続式フリーザーなどの調整が、開発のポイントだったのだ。
流石にこんな研究を、実家のシェフとしたと説明する事は不可能だ。
さすらいの魔法技師でも登場させるか?
いや、魔法技師など登場させては、フェイはすぐさま裏どりに動くだろう…
そんな風に俺が懊悩し、その様子をクラスメイト達が生暖かい目で見ているうちに、アイスクリームが到着した。
高級そうな陶器の皿に、こんもりと盛られたそれを見て、俺はゲンナリした。
これほどのボリュームで、完全に攪拌され一色となっているアイスでは、紅茶で誤魔化しながら進んでも確実に最後は飽きる。
俺は、前世で見た、通常のミニカップの8倍はありそうな、馬鹿でかいバケツの様なアイスカップを抱えて、カレーでも食べそうなスプーンでほじっていた外国人を連想した。
こちらの世界は、体内に魔力器官が発現するぐらいの歳から、食べる量が前世よりもずいぶん増える。
なので、量としては食べられないほどではないのだが、だからこそ、途中で飽きさせない工夫について、実家のシェフには口うるさく言ったのだ。
「コーヒーのミルクも同じかな?」
と、そこでココが、コーヒーにミルクを投入し、スプーンで混ぜようとした手を止めて、俺に聞いてきた。
流石はココだ。
俺は、ココの着眼点の鋭さと、偏見のない平易な視点をかねてから尊敬している。
「勿論だ。
ぜひ試してみてくれ」
「…混ぜない方が美味しい」
そうだろう。
「すごいなココ。
あのアレンから、『鼻で息をするな』以外で食事のクオリティを上げる手法を聞き出すなんて」
ステラはココに感心した。
無礼な…
俺の味覚への評価がそこまで低いのは実に心外だが、まぁいい。
ココのおかげで多少は流れが変わっただろう。
俺はアイスを一口食べた。
うーん…惜しい!
素材がもの凄くいい事は明白だ。
だからこそ、その完成度の中途半端さに言及したくて仕方がない。
日本人がこのアイスを食べると、全員が『すごく美味しいけど、何かしゃりしゃりと水っぽい』と答えるだろう。
だが、なぜ俺がそんな感想をもつのかは説明不可能だし、俺が提示する改善策を、この世界で実現できるのかも不透明だ。
あれこれと言いたい事があるのを我慢して、無言で食べすすめ、ふと顔を上げると、全員が俺のことをチラチラと見ていた。
「あぁすまん、美味しいよ」
俺は無難にそう答えた。
この言葉に、近くに立っていたソムリエ風の男は、目に見えてホッとした。
王立学園生というだけで、気を遣わせて申し訳ないな…
「言いたい事がありそうに見えましたが、何か気になる点が?」
さらにジュエが聞いてくるので、俺は再び緊張した気の毒な店員さんを安心させようと試みた。
「いや、本当に美味しいよ。
滑らかさとコクを出す為に、アイスのベースとなるアングレーズソースに生クリームを加える事は基本的な手法だが、この程度の脂肪分…アングレーズ全体で20%弱くらいか?
これほど複雑で濃厚なコクが出るのは驚きだ。
何というミルクなんだ?」
俺の言葉にさらに安心し、気を良くしたのか、店員は教えてくれた。
「はい。
ローブラードという品種で、寒冷な高原で飼育されている乳牛のミルクを主に使用してございます」
ほう?
主にって事は、配合がポイントなのか。
だがその先のレシピを聞くのは無作法というものだろう。
「ぷっ。
またそんな意味不明な事を言って。
食べ物の感想で脂肪分が20%弱、だなんて初めて聞いたよ?
量ったことあるの?
一体何のために、どうやって量ったの?」
しまった…
そもそも食品に含まれる成分の含有量という概念がなかったな。
日本では成分表示を見れば一目瞭然だったので、脂肪分の量り方なんてサッパリ分からんが、この世界には比重計もあるし、やってやれない事はないだろう。
しかしまずいな…
このままでは美食家と言うより
「多分ヤギ系の魔物…ラミーゴートのミルクも入ってる。
うっすら感じる、夏草を踏んだ時のような青い匂いが特徴。
アレンの脂肪分という分析は面白い。
ラミーゴートは岩場で暮らす、跳躍力に秀でている非常に筋肉質な魔物で、ミルクの特徴は、あっさりとしているのに玉ねぎでとったスープの様な、深いコクがある事」
ココの指摘に俺たちは全員驚いた。
「いやはや、流石は王立学園生、
舌も知識も一流ですな。
ラミーゴートのミルクは、そうそう市場に出る事は無いのですが…参りました」
店員は、スィーツ男子2人に兜を脱いだ。
…店員は真っ直ぐにココへ称賛の視線を向けているけど、俺もだよね?
言ったよね、コクって!
「アレンは、どうすれば良くなると思うの?
何かアイデアがあるんでしょ?」
ココは、俺の表情から、俺の話には続きがある事を読み取って水をむけてきた。
鋭い…
そして、こうなったココは納得するまで質問を決してやめない。
俺はギリギリ説明できそうな範囲で、少しだけ前世の知識を開示した。
「先程も言ったように、分離できるフレーバーは食べる直前に合わせる。
先に入れてしまうと、例え混ぜなくても味が馴染んでしまうからな。
皮や種を細かくした物を漉さずに食感として残すことも有用だ。
後は…シェフの仕事には文句はないが、魔道具に改良の余地があると思う」
魔道具、と聞いて、フェイが目をきらりと光らした。
「どういう事かな?」
「アングレーズソースを冷やしながら混ぜる事で、アイスクリームになるわけだが…
物理学の授業でも、砂糖や塩を水に溶かす事で融解点が降下する現象については学んだだろう。
融解点が降下したソースを、凍らないギリギリの温度で冷やしながらよく攪拌して、最後に高出力で急冷する事で、このしゃりしゃりした食感は、もう少し滑らかで口溶けの良い食感になると思う」
「…興味深いな。
今度実験してみよ」
ココは、今日のところはこの辺で勘弁してくれるらしい。
だが、遅くとも数日以内には俺の寮の部屋へ話の続きを聞きに来るだろう。
「きゃははは!
一体アレンは何でそんなことを知っているのかな。
試験の勉強もせず、姉君やゾルドとそんな実験ばかりしてたから、入試で不正なんて疑われるんじゃないかな?」
フェイはアイスよりも、俺の生い立ちに興味を持ち始めた。
それはそれで面倒臭い。
「それは、俺がスィーツ男子だからだ」
俺はフェイの予想を否定も肯定もせず話をシャットアウトした。
「アイスの感想を聞かれて、成分含有量と融解点降下の話をするやつなんて、アレンぐらいだぞ…
俺だって味なんて大して分からないし、無理に難しい事を言わなくてもいいと思うぞ!」
「アイスクリームなんて、美味いか不味いかだけわかればいいんだよ」
アルとステラは、謎の親近感を感じさせながら俺を励ました。
違う、俺は断じて
だが、この頭のいいクラスメイト達に、これ以上前世の知識を開示するのは危険だ。
こうして俺は、舌がアレなのにメシの感想で小難しい理屈を捏ねる面倒な奴という、不名誉な印象を新たに獲得した。
ココだけは分かってくれたからそれでいい…
このアイスクリーム店が、王都でNo.1のアイスを食べさせる店として評判になるのは、およそ半年後のことである。
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