第43話 課題の合否(3)


 俺が机上に置いたレポートの束を、素早くムジカ先生が目を通した。


 そして、その内容に目を見開いた。



 驚くのも無理はない。


 俺だって近頃のレポートの、内容の充実ぶりには感嘆しているんだ。


 ムジカ先生は、ゴドルフェンをちらりと見て、淡々と報告した。



「…詳細な全部員の鍛錬の進捗データです。

 …加えて各々の課題の分析と、改善方法に関する助言、今後の成長に関する予測、そして各部員の健康状態やスケジュールにまで言及しています。

 現時点の1年Aクラスの生徒で、翁の合格基準に達している生徒は13名。

 恐らく、遅くとも2ヶ月以内に全員が基準に達するでしょう。

 驚異的な成長速度です」



 その報告を聞いて、じじいの眉毛がピクリと動いた。



 言葉を発さないゴドルフェンに変わり、ムジカ先生が俺に質問してきた。


「ロヴェーヌ君は、坂道部の活動に加え、体外魔法研究部の立ち上げ、地理学研究部の立ち上げ、お辞儀研究部の名誉監督、加えて休日は探索者活動で、Gランクから1ヶ月余りでEランクまで上げたのでしょう?

 なぜこれほど詳細な分析が?

 きちんと睡眠は取っていますか?」



 俺は暇に任せて、思いつくままにアルを部長に据えて立ち上げた体外魔法研究部の他に、この王国のあるロンディーヌ大陸の地理を研究する、地理研究部を立ち上げていた。


 部長はココだ。



 地理という学問は可能性が無限大だ。


 地図というものは、その位置関係を単純に示すだけでの物ではない。


 例えば魔物や動植物の分布域であったり、高低差であったり、水源などの重要な情報であったり、農作物の作付け状況であったり、その他にも気温などの気候情報や、歴史といった、ありとあらゆる物事を、その位置関係という切り口で切り分けていく事が可能だ。


 そしてこの世界の地図は、俺の知りたい事を網羅しているとは到底言い難い、お粗末なものだった。



 というような話で、ある時ココと盛り上がって、勢いで創部した。


 まぁ部活動啓蒙活動の一環だ。



 探索者のランクアップについては、俺の意図に反している。


 俺はこんなに早くランクが上がるのはおかしいと、探索者協会東支所の受付のおばちゃんに食い下がったのだが、『ルールだから』の一言で、理屈も何もないおばちゃんの防壁を崩す事は出来なかった。


 どうせ上から手を回しているに決まっているので、本部のサトワへ抗議に行ったが、居留守を使われた。



「もちろん俺が1人でやっている訳じゃない。

 むしろ俺は何もしていない。

 それは、坂道部の統括マネージャーであるケイトが中心になって組織された、坂道部のマネージャー達が纏めたデータだ。

 俺は最初にマネージャーというスキーム枠組みを作っただけで、その報告内容は、全てマネージャー達が、部員達にとって何が必要かを考えて、自発的に纏めているものだ」



 俺は、自分の力ではない事を正直に言った。


 そしてじっと俺の目を見ているゴドルフェンを見つめ返しながら、純粋に疑問に思った事を聞いてみた。



「自分で目を通さないのか?

 予め言っておくが、お前がこれまで目を通してきた、その道の専門家が纏めてきたレポートから見ると、甘いところもあるだろう。

 だが、この短い期間での、その内容の充実ぶりを、俺は感嘆に値すると考えている。

 さすがはこの国が誇る王立学園の生徒だと、素直にそう思った。

 このレポートの束は、決して監督に言われたからやっている、おざなりの仕事ではない。

 彼女らの溢れんばかりの熱意が、随所に垣間見えると思うぞ?


 俺の課題についてはもういい。

 だが、どうかその努力には目を向けてやってほしい。

 それすらもせず、尚も結果のみに固執するというのであれば…

 やはりお前は教育者失格だ。


 先程、俺はゾルドのこの学園への招聘については、賛成でも反対でもないと言ったが訂正させてもらおう。

 断固反対の立場を取らせてもらう。

 時間の無駄だからな」


 俺はそう言って席を立った。


 これは俺の偽らざる本音だ。


 ゾルドには大して能力などないだろう。

 だが、教育者としての熱意は本物だ。

 人を育てる覚悟のないものと話をしても、時間の無駄だろう。



 そして、ムジカ先生に対してこう宣言した。


「俺は、本日を持って坂道部監督を引退します。

 手続きをお願いします」



「そんな!

 ここまでの組織を短期間で一気に作り上げておいて、いきなりあなたが引退などしては、どれほど彼らが混乱するか!」



 ムジカ先生は悲鳴を上げた。


 生徒達への影響を必至に考えているその顔を見て、俺は、あぁ、この人は教育者だな、と思った。



「俺の知った事じゃない。

 先ほども言ったはずだ。

 これは俺の課題ではなく、ゴドルフェンの課題だとな。

 先程から散々偉そうな事を言ったが、俺には指導者としての熱意など何もないんだ。

 人に物を教えられるほど偉くなったつもりもないしな。


 俺の心にあったのは、ゴドルフェンが抱える課題に対して、俺の答えを示す。

 そして俺は、その対価に師の紹介を頼む。

 それだけだ。


 坂道部の精神も、マネージャーも、その答えの一つだ。


 ついでに言うと、俺はすでに部員達の育成方針すら立てていない。

 学年毎に、ライオ、ダン、ステラに責任者を任せ、各々の裁量で奮闘しているところだ。

 形が固まる数ヶ月後には、部長を決めて、全体の育成方針に統一感を出すことになるだろうがな。

 なので、ムジカ先生が懸念する様な混乱など、何も起きない。

 坂道部はすでに、俺がいなければ始まらないような、脆弱な組織ではない」



 そこで、黙り込んでいたゴドルフェンが、立ち去ろうとする俺に対して、ようやく口を開いた。



「待て。

 わしも目を通す」



 そういって、暫くレポートを読んでいたゴドルフェンは、嬉しそうに笑った。



「全くもって、荒々しいのぅ。

 じゃが確かに、眩しいほどの熱意を感じる、良いレポートじゃ。

 …確かに、学年毎に教育方針に差が見られるの。

 それぞれの信念が反映されていて、実に面白い。

 人を育てるという、正解のない課題に悪戦苦闘しておる様子が、手に取るようにわかるわい」



 俺がニヤリと笑うと、ゴドルフェンも笑った。



「…わしはこれまで、いかに厳しく指導するかばかりを考えておった。

 這い上がって来れん奴は、所詮はそれまでのやつだと信じておったからじゃ。

 わしは、お主が言う通り、人を育てるという事に、真摯に向き合っていなかった、ということかの…」



 俺は、そのセリフに驚いた。


 これほどの立場の男が、学生に説教されて非を認める、などという事は、到底出来ることではない。


 俺は初めて、ゴドルフェンに敬意を持った。



「そういうやり方も重要だと思う。

 手取り足取り教えるだけでは、決して身に付かない能力もある。

 実際、ゴドルフェン先生は、そうやって自分自身を伸ばしてきたのだろうからな。

 だが、そこで思考を停止してしまっては、教育機関に身を置くプロの教育者としては、やはり甘いと思う。

 どこまでも生徒にとっての最善を追求する姿勢。

 それが、俺が見てきた教育者、ゾルド・バインフォースの背中だ」



 その言葉にも偽りはない。


 ゾルドは、どれほど俺にけちょんけちょんに言われようが、決して俺の言葉を鵜呑みにする事も、頭ごなしに反対する事も、もちろん怒る様な事も無かった。


 何が俺にとって最善かだけを、妥協なく考えていたから、俺も安心してぶつかり合えた。



「一般寮での生活も、貴様の差し金かの?」


 ゴドルフェンは、顎髭を撫でながら聞いた。


「あれもあいつらが、勝手に決断し、俺の知らぬ間に引っ越してきただけだ。

 俺は何もしていない」


 俺は仏頂面で、心底嫌そうに答えた。



 ゴドルフェンは、その俺のセリフを聞いて、暫く目を瞑っていた。

 そして、目を開き、俺の顔をみて、先ほどの課題の結果を訂正した。


「わしが、教師として、アマチュアだった、と言う事じゃな…

 アレン・ロヴェーヌよ。

 先ほどからの言葉は訂正し、謝罪する。

 そして、貴様へ与えた課題は合格じゃ。

 ただし貴様は名誉監督として坂道部に残る事。

 よいな?」



 …まさかこの頑固そうなじーさんが、こうもあっさり結果を覆し、頭を下げるとはな…


 ちっ、どこまでも食えないじーさんだ。


「いいだろう。

 俺も、ゴドルフェン先生への、数々の無礼を謝罪する」


 部長への恨みは不完全燃焼気味だが仕方がない。

 この辺が落とし所だろう。


 俺は坂道部の名誉監督を受けた。



 その言葉を聞いて、ムジカ先生が息を吐いた。


「よかった。

 一時はどうなることかと思いました…」



「ふん。

 この程度の掴み合いの喧嘩など、ゾルドとは日常茶飯事だったぞ?

 俺の様なクソガキの担任になったのが、運の尽きだと思って、さっさと諦めるんだな」



 俺のそのセリフを聞いて、ゴドルフェンはさらに上機嫌に笑った。



「ふぉっふぉっふぉっ!

 いや、わしは運がいいのぅ。

 貴様を通じて、ゾルド氏の教えを間接的に汲み取ることが出来る。

 それ一つとっても幸運じゃ。


 …しかし、『俺には指導者としての熱意など何もない』、じゃと?

 下手な嘘をつきおって!

 ふぉっふぉっふぉっ!」



 …それはホントなんだけど…



 ◆



 アレンが職員室を去った後。



 ムジカはソファーへと崩れ落ちた。


「はぁ〜疲れました。

 いったい、どこまでが演技で、どこまでが本気なんですか?翁」


 ゴドルフェンは、上機嫌だ。



「ふぉっふぉっふぉっ。

 演技もなにもない、見たまんまじゃよ。

 まぁ多少は小僧の考えを引き出すために、煽った面はあるがのぅ。

 あの様な年端もいかない子供に説教をされて、ぐうの音も出なくなるとは、わしもまだまだ修行が足りん、と言う事じゃの!

 ふぉっふぉっふぉっ!」



「…結果として、全部翁が描いた絵の通りの結末じゃないですか…

 また翁の一人勝ちですか…

 はぁ。まぁ丸く収まったのでいいですけどね。

 しかし…

『俺は何もしていない、全部あいつらが自分でやっただけ』、ですか。

 ゾルドとアレン師弟と言うのは、やはり似てくるものなのですね…」



 ◆



 当然ながら、あの『仏のゴドルフェン』が、アレン・ロヴェーヌに与えた、数ヶ月に及ぶ難解な課題に不合格を伝えたところ、掴み合いの喧嘩になって、最後には完膚なきまでに言い負かされ、謝罪して、結果を合格に訂正した、などと言う信じ難い噂は、3日と待たず王都中を走り抜けた。



 この噂を受けて、大笑いした者が、王都に3人。



 探索者協会本部ー


「だっはっはっ!

 きいたかてめぇら?

 あのじーさんが、例のガキに言い負かされて頭を下げたらしいぞ!


 おいサトワ!奴のランクは今どうなってやがんだ!」



 サトワは答えた。


「えー、Eまで上がっています。

 貢献度および人物評価裏評価はAなので、能力面さえ示せば1度の依頼達成でランクが上がります。

 指名依頼が出せるCランクまではすぐでしょう。

 一度本部へ抗議に来ましたが、居留守を使いました」



 シェルはニヤリと笑った。


「あのツノウサギ楽勝で狩ってんだから、能力面なんてCまではすでに見えてんだろ?

 薬草一本引っこ抜いてくる度に、1つランクを上げろ!」




 王宮ー



「がはははは!

 そちが12歳の子供にコテンパンにやり込められた、などという噂を聞いて、気になってしょうがなかったが、そう言うことか…

 しかし面白い子だな」



「全くもって、面目ない。

 どこかまだ、騎士団気質が抜けておりませなんでな。

 それを子供に指摘されて初めて気がつくという体たらく。

 しかもわしが悠長に構えておる間に、其奴は人を育てられる人材の育成までやっておりましてのう。

 まさにコテンパンでしたの」


 ゴドルフェンは嬉しそうに笑った。



「ふーむ。

 だが、随分と変わったものの見方をする子だな。

 騎士団に限らず、一流を育てようと思うなら、厳しく追い込んで、這い上がってこさせる、というのは教育方針としてごく当然のことだろう?


 その噂の家庭教師の影響か…

 それとも、その子が人にはない、独自の感性を持っておるのか…


 …よかろう。わしがオリーナ騎士団長のやつへ一筆したためる。


 しかし、これだけ頻繁に噂を耳にすると、流石にわしも会ってみたくなるな…

 その、アレン・ロヴェーヌ、とやらに、な」



 この時、この国の王は、その名をしっかりと記憶した。



 騎士団王都中央駐屯所ー



「ゴドルフェン翁じゃねぇか!

 ぷっ。

 聞いたぞ、翁、あの性格の悪いクソガキに説教されて、涙目になってたんだってな?!

 だからあれほど言ったろう、あいつの根性はひん曲がってるって!

 ぎゃっはっはっ!」


 デューは、ゴドルフェンを指差しながら、爆笑した。



「面目無いのぅ…

 あやつが課題に合格したら貴様デューを師匠として紹介すると約束してしもうたから、忙しい貴様のためにも、半端な成果は認めるつもりはなかったのじゃが…

 見事にやり込められてしもうての。

 すまんが宜しくの」



 ゴドルフェンは好好爺の顔でデューにそう告げた。



 爆笑していたデューは、たちまち固まった。


「……ふ、ふざけんじゃねぇ!

 俺がどんだけ仕事抱えてると思ってんだ!

 しかもあのとんでもねぇガキのお守り師匠だと?!

 冗談じゃねぇ!

 断固お断りだ!」



 それを聞いたゴドルフェンは驚いた様な顔をした。


「ややや!

 これは早まったかのう…

 貴様なら喜んで受けると思ったでのう。

 陛下からの勅書を団長宛にしたためてもろうて、先程渡してきてしもうた…」



 そこに、1人の騎士が1枚の紙を持って、デューの元へ走ってきた。


「辞令です、デュー軍団長!」



「き、汚ねぇぞ、じじい〜!!!!!!」



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