第41話 課題の合否(1)


 ゴドルフェンから課題を出された日から、ちょうど2ヶ月が経過した放課後。



「失礼します!」


 アレンは職員室のドアを引いて、頭をきっかり30°下げた。


 この『お辞儀』は、すでに職員から見ても、珍しい光景では無くなっていた。



 アレンが朝のランニング時に、正門から走り出す前と、走り終えた後、さらに坂道ダッシュの前後に、道に向かって一礼する、ということは有名だ。



 もちろんアレンは『礼の精神』などと、深く考えているわけでは無い。


 前世で見ていた野球部員が、グランドに向かってお辞儀をしている姿や、柔道部員がイカつい顔で道場にお辞儀をしているのを見て、『青春っぽくて羨ましぃなぁ』なんて思っていたので、何となくやっていただけだ。



 この行為について、監督アレンからは何の説明もない。


 質問しても、アレンは面倒臭そうに『ただの趣味だ』などと言うのみで、しかしこの意味深な動作を欠かさない。



 部員達は、アレンがこれまで行ってきたお辞儀のタイミングなどから、なんとなくその精神を汲み取り、いつしかこの作法を欠かさなくなっていた。



 さらに、アレンが2年Aクラスの態度が横柄な先輩、ルーデリオ・フォン・ダイヤルマックの加入を断った、という話があっという間に広まった影響もある。



 優秀な王立学園生は、このちょっとした出来事と、部員達からヒアリングした情報を統合して、アレンは破天荒な人物ながら、意外と不作法な態度を嫌い、行儀にうるさいという結論を導き出していた。



 アウトロー路線を志向するアレンが聞いたら、即座に否定するであろうが、礼儀にうるさい大手日本企業で社会人として揉まれたアレンの性を考えると、ある程度的を射ていると言えるだろう。



 こうして『お辞儀なくして坂道部の入部は認められない』、などと、根も葉もない噂が完成し、近頃では『お辞儀研究部』なるものを立ち上げる者まで出てきて、学校中でこの行為が見られる様になっていた。


 ちなみにアレンは、このお辞儀研究部の名誉監督に就任している。



 そんな大袈裟な…とは思ったが、リアド先輩に紹介された3年Aクラスに所属するティーラ先輩に、お辞儀でもって頼まれて、断りきれなかったからだ。



 職員室に入室したアレンは、真っ直ぐにゴドルフェンとムジカが腰掛けているソファーに向かった。



 ◆



「『失礼します』のぅ。

 ゾルド氏から授けられたという、格調高い『礼』の精神については、ワシも聞き及んでおる。

 察するに、その『礼』を失するという事じゃと思うが…

 なぜ職員室に入る事が、礼を失する事になるのじゃ?」



 ゴドルフェンにこんな事を聞かれたが、俺ももちろん詳しいことまではわからない。


 俺は当てずっぽうで答えることにした。



「自分は室内にいる目上の人間に対して、相応の配慮をしています、という気持ちを示しているんだ。


 もちろん実際は失礼な行為に当たる可能性は低いだろう。


 だが、俺が入室する事で、先生方の大事な会話を中断させてしまうかもしれない。

 或いは、生徒には見せられない書類を片付けさせてしまうかもしれない。

 そうした予見しうる出来事について、配慮した上で、それでも入室させてもらう…

 入室する際のこのセリフには、こうした謝罪や感謝の念が込められている…との事だ、ゾルドによるとな」



「…ロヴェーヌ君は、ただ部屋に入るだけでそこまでの事を考えているのですか?

 そこまで突き詰めると、流石に生きづらくはないですか?」


 ムジカ先生が、信じられない、といった様子で聞いてきた。



「いちいちそんな事を考えているわけが無いでしょう。

 むしろ考えなくて済む様に、作法を身につけると言えるでしょうね。

 剣術の『型』と同様です」



 前世では、あれほど口下手だったのに、こんな屁理屈が次々に出てくる今世は便利で仕方がない。



「なるほどのぅ。

 確かに『型』にまで落とし込む事で、その先に思考が向く余裕が出る。

 お主の家庭教師であるゾルド氏とは、ぜひ一度語り合ってみたいものじゃが…

 じゃが、この学園の講師に、とのオファーは悉く断られてしもうての。

 お主の方からも、ゾルド氏を説得して貰えはせんかの?」


 ゴドルフェンはにがりきった顔で、こんな事を言ってきたが、俺は首を振った。



 もちろん頼む気は全く無いが、例え俺が頼んでも、ゾルドがこの学園に来る事は無いだろう。

 当たり前だ。



「悪いが、俺は反対も賛成もしない。

 ゾルドにはゾルドの生きる道があるし、本人がノーと言っているのであれば、あの頑固者を説得するのは俺でも不可能だ。


 …それで本題だが…」



 俺はゴドルフェンの目をしっかりと見た。


「師の紹介の件、その課題の合否を聞こうか」



 ゴドルフェンは、鋭い眼光で俺の目を見つめて問うてきた。



「ふむ。

 貴様は、最初から、ほとんどのクラスメイト達の距離を短縮したのう?

 ワシが、その様な手段で負荷を減らして、課題を合格とするはずがないと分かっておったじゃろうに。

 なぜその様な手段をとった?」



 俺は、考えていた理由いいわけを自信満々に開陳した。


「それが、俺が考える、部員を伸ばすための最善の手段だと判断したからだ」



 俺の台詞を聞いて、ゴドルフェンは、悲しげに首を振った。



「不合格じゃ。

 アレン・ロヴェーヌよ」


 …マジで?



「もしわしが貴様の立場なら、何としても得たい物を得る為ならば、手段を選ばんかったじゃろう。

 例えついてこれない友人が出ようとも、徹底的に部員を追い詰めて、精鋭部隊を作ることも厭わなかったの。

 最善を尽くした、などは負け犬の言い訳じゃ。

 わしが求めたのはあくまで結果。


 …貴様にはガッカリじゃ、アレン・ロヴェーヌ」



 職員室が静寂に包まれた。



 ゴドルフェンの横でムジカ先生がオロオロとしている。


 だが、俺は、そんな様子も目に入らないほど、目の前の老人に、猛烈に腹を立てていた。



 ◆



『ベストを尽くした、なんていうのなぁ、負け犬の遠吠えなんだよ!

 俺が求めているのは結果だ!

 結果を出せ結果を!』



 これは、俺が前世の会社で一時所属していた、営業部の部長だった男の口癖だ。


 部下に達成不可能なノルマを与えて、ひたすらに怒鳴り散らし、とにかく結果を出すことだけを求める。


 かといって、数字を上げるための具体的な戦略については、何一つ示さない、典型的な前時代的パワハラ上司だった。



 例え客の信頼を裏切ろうが、違法行為すれすれだろうが、とにかく結果を出したもの勝ち。



 そのような営業スタイルをとると、当然ながら長期的には会社にとってもマイナスなのだが、その問題が明るみに出るころには、自分は昇進あるいは異動しているので、部長はお構いなしだ。



 勿論俺は、散々理不尽なことで怒鳴られて、大っ嫌いだった男だ。



 目の前に座っているゴドルフェンが、その上司と重なる。


 どうせこの頑固そうなじじいは、いったん下した不合格結果を覆したりはしないだろう。



 俺は前世の恨みも込めて、目の前のじじいに徹底抗戦することに決めた。



「くっくっく。

 あっはっはっはっは!」



 突如笑いだした俺を、ゴドルフェンが怪訝そうに見てくる。


 その目を真っすぐに見ながら、俺は職員室中に響き渡る声で言い放った。


「がっかりか…

 それはこちらのセリフだ、ゴドルフェン!」



 静まり返っていた職員室中で、息をのむ音が聞こえた。




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