第40話 職員室より


「なぜ学園の南東で、彼らのペースが揃って大幅に落ちるかがわかりました。

 どうやら、ランニングの途中で、足場の悪い坂道を全力で登る鍛錬を導入している模様です。

 その回数は生徒ごとにまちまちですが、アレン・ロヴェーヌは、500m程のその坂道を、10往復しています」



 ゴドルフェンがアレンに課題を出した3日後、王立学園の用務員であるケインズは、ムジカと、ゴドルフェンに報告した。


 ムジカに、学園周囲の点検ついでに、その辺りの朝の様子を確認する様頼まれていたからだ。



「つまりアレン・ロヴェーヌ君は、毎朝45km以上の距離をあのペースで走って、ケロリとしている…という事ですか……」


 ムジカが、呆れたように確認した。



「ふぉっふぉっふぉっ!

 なるほどのぅ。

 小僧の様子からして、後半スタミナ切れでペースが大幅に落ちている、というのはあまりに不自然じゃ…

 その辺りで何かしておるのは分かっておったが、そういうことか」


 ゴドルフェンは、実に嬉しそうに笑った。



「『坂道部さかどうぶ』という部活動名称を聞いたときは、意味不明だと思いましたが…

 外周を走るランニングよりも、むしろその鍛錬に意味が有りそうですね。

 ……エミーちゃんに言って、その付近に監視魔道具を設置してもらいますか?」



 ムジカの提案に、ゴドルフェンは少し考えて、首を振った。



「いや、余り干渉せず、生徒達を信じ、彼らの自主性に任せるのも重要じゃ。

 伸びるものは放っておいても伸びる。

 ……大方の狙いは見えるしの。

 いつまでもスタミナ偏重で伸ばす訳にもいかんと思っておったが……

 これは思った以上に考えられておるの」



 ゴドルフェンの機嫌が良さそうなのを見て、ムジカは気になっている事を聞いた。



「……今朝も授業は、ある程度通常の実技鍛錬ができたのでしょう?

 ほとんどの人間は、朝の部活動の距離を短縮した、という事ですが。

 翁は、そのアプローチについてどうお考えですか?」



 ムジカの質問に、途端にゴドルフェンは表情を曇らせた。



「小僧がもし、これでわしの課題をクリアした気になって、師匠デューの紹介を頼んで来たなら、当然不合格を言い渡すつもりじゃった。

 この課題は、負荷を減らしてクリアするだけなら猿でもできる。

 ……だが、あやつは何も言ってこなんだ。

 ワシは、活動内容に口を出さんと明言したからの。

 とりあえず期日までは口出しせず、小僧の答えを待つつもりじゃ」


 そこまでいって、ゴドルフェンはさらに表情を険しいものにした。



「ワシならば、血反吐を吐くまでクラスメイト達を追い込んで、ついて来られる人間だけに絞るがの。

 ……もっとも、小僧にも同じ答えを期待しとる、という訳ではないがのぅ」



 ゴドルフェンの厳しい表情を見て、ムジカは、改めてこの課題の難易度の高さを確認した。



 アレンは『完璧なスキーム』と考えていたが、ゴドルフェンは距離短縮を認めるほどぬるくはなかった。



 ◆



「坂道部の部員が100名を超えたとのことです。

 いったい彼は何を考えているのでしょうか…?」


 1か月を過ぎたころ、ムジカはゴドルフェンに報告した。


「ふぅむ。

 まさか自分で言い出した、『対象を部員に限る』という条件を忘れたわけはあるまいに……

 これほど風呂敷を広げて、なお目的を達成する自信があるのか、あるいは……」


 ゴドルフェンの顔は苦々しい。



「あれほどの勢いで師の紹介を頼んでおきながら、簡単に諦めるとは考え難いですが……

 彼の師であるゾルド氏の調査報告を見ると、彼は、課題のクリアよりももっと本質的な、人材育成に目を向けているのではないか……

 そんな気がしてしまいます。

 課題を受けた翌日に、ほとんどの部員の距離を調整した時には、すでに課題の合格よりも優先すべきものを見つめていた……

 そう考えるのは考えすぎでしょうか?」



 ゴドルフェンは首を振った。



「……もし小僧がそう考えておったとして、それと合否の判定は別じゃ。

 ワシとしては、坂道部の部員が学園の外周を周回して、午前中の実技試験を受けられる様になっておるかどうか…

 百歩譲っても、クラスメイト達が条件を達成すること。

 それを基準とする方針を変えるつもりはないのう」



 ……可哀想なロヴェーヌ君。



 ムジカはそう思ったが、自分ではこの頑固な老人ゴドルフェン翁の考えを変える事はできないと思ったため、口を出す事は控えた。



 そこで、この王立学園の教師の1人である、ジェフリーが、ムジカに相談に来た。



「副理事長。

 ご相談があるのですが、今宜しいでしょうか」



「はい、大丈夫ですよ、ジェフリー先生。

 どうなさいましたか?」



「実は、一般寮の入居権を巡って、うちの2年Dクラスの親御さんから嘆願が出ております。

 何でも、子供が自分の許可なく一般寮の入居権を買い取ってしまった。

 学校側で取引を規制するなどして、買取りを無効にしてくれないか、との事です」



 ムジカとゴドルフェンは顔を見合わせた。


「なんですか、その一般寮の入居権というのは?

 入居権も何も、一般寮はガラガラで、入りたい人はフリーパスで入れるでしょう?」



 ムジカのそのセリフを聞いて、ジェフリーは逆に驚いた。



「あれ、聞いていないんですか?副理事長。

 今学生たちの間で、一般寮に入居して贅沢な生活から離れ、心身を鍛錬することがものすごく流行していて、とても正規の手順で入れるような状況ではないみたいですよ?」



 それを聞いて、ゴドルフェンは上機嫌になった。



「ふぉっふぉっふぉっ!

 それは素晴らしい心がけじゃ。

 最近の若いもんは、自分たちがいかに恵まれた環境に身を置いておるかを、全く理解しておらん。

 そう思っておったが…

 王国騎士団でも、最初の数年間は野営訓練等を通じて性根を叩き直すのに腐心しておるのじゃ。

 それを、学生のうちから、しかも金を払ってまで、苦労を買って出るとは……

 近頃の若いものも、中々どうして、捨てたものではないの」



 ムジカはため息をついた。



「……確かに、教育者としては歓迎できますが、親から嘆願が来ているとなると、理事会として無視するわけにも行けませんね。

 いったい幾らくらいの金額なのでしょうか」



「それが……500万リアルとのことです。

 このままではうちの伯爵領の運営に支障をきたす…との嘆願です」



 そのとてつもない金額に、ゴドルフェンとムジカは仰天した。


「500万リアルじゃと!?

 ムジカよ。いったいあの寮の設備は今どうなっておるのじゃ!

 わしが王立学園へEクラスで入学した時は、金さえ払えばEクラスの生徒が貴族寮を利用できる、などという救済措置はなくての。

 当時まだあまり金に余裕のなかったわしは、外に部屋を借りることもできず、その犬小屋のようにぼろくて狭い部屋から何とか出たい一心で、必死に努力したんじゃ。

 なんせこの王都で、当時の一般寮は風呂が他人と共同だったのじゃぞ?

 そんな大金を払って入居するような場所では、断じてなかった」



 ムジカは慌てて資料を引っ張り出してきて確認し始めた。



「えーと……

 翁が在学したおよそ50年前からですと…

 一般寮については設備の改築や、サービスを改善したという記録はありませんね。

 水漏れの工事が3回あったのみです。

 そもそも、翁がそうだったように、成績下位者の反骨心を煽るために残されている寮ですからね。

 おそらく翁がいたころ、そのままの形で運営されているはずです。

 寮母さんすら、魔物食材の研究家として著名なソーラ・サンドリヨン女史のまま、変わっておりません」



「なんじゃとぅ……?

 その人は、研究者としては確かに学ぶべきところがあったが、生徒を実験道具としか見ておらず、人間としては大いに問題があった。

 確か今はもう、90歳に近いはずじゃが…まだ現役で寮母をしておったのか」



 ケインズは、思い出した様に言った。


「そうそう、何やらその寮母さんの朝食を食べられるのが人気とかで。

 というか、ゴドルフェン翁もご存じなかったのですね。

 そもそもの始まりは、翁が担任をされている、1年Aクラスの生徒全員が、アレン・ロヴェーヌ君に倣って一般寮に入寮したのが、流行の始まりと聞いておりますので、てっきりご存じなのかと。

 寮に入居しているのも、翁が顧問をされている坂道部のメンバーばかりだと聞いておりますし」



 ジェフリーの言葉に、ゴドルフェンは絶句した。

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