第35話 第二の礎
「なんだい騒がしいね…
静かなことが、この寮の唯一の長所なのに、騒がしかったらありゃしない。
坊や、帰ったのかい?」
脳みそピンク連中がでかい声で騒ぐから、中からソーラが出てきた。
「ソーラさん。
今朝は連絡もなく朝食をすっぽかしてすみません。
これ、お土産です」
ソーラはちらりと俺が差し出した肉を見ていった。
「まったく、朝から美女を五人も待たせるとは、坊やも罪な男だね。
…水属性のツノウサギかい。
締めてから18時間から20時間といったところだね」
さりげなく、自分を美女カウントしたソーラをスルーして、横からステラが口を挟んできた。
「水属性だって?
肉を見ただけで、なんでそんなことがわかるんだ?
何者なんだ、このばあさん」
「誰がばあさんだよ、失礼な小娘だね。
筋繊維のはしり方を見れば、どういう場所で育ったか大体分かるし、匂いに特徴があるのさ。
坊やが狩ったのかい?」
俺が答える前にステラが再び口を挟んだ。
「いや、さすがにアレンでも属性持ちのツノウサギを、一人で狩るのは無理だろう。
こいつらは逃げ足がとてつもなく速い」
「っ痛い!」
ゴリラに握られているとしか思えないほど、身体強化でガードしている手首が軋んでいる…
「どういうことかなアレン?
さっきは一人で行ったって言ったよね?
花街で遊んだくらいなら、男の甲斐性と言えなくもないから許そうかと思っていたけど、お泊りデートとなると、話が変わってくるよ?」
フェイがニコニコと笑いながら聞いてくる。
「「きゃー!野獣ぅ!」」
このあほども!
「一人で行ったなんて一言も言ってないだろ?!
そもそも、なんでお前の許可がいるんだ?
離せゴリラ女!」
俺はあまりの痛みに、小学生男子のような言葉でフェイを罵倒した。
「きゃはは!
女の子相手にゴリラ女だなんて、アレンはまだまだお子様だね」
確かに自分でもそう思うが、問題なのは、俺の手首をつかんでいる女の握力が推定で200㎏を超えているため、どう考えても名詞のゴリラが適切な形容詞である点だ。
「…騒がしいねまったく。
リアドの坊やと一緒にいったんだろう?
解体の癖でわかる。
骨の切断面も、あの子のもっているザイムラー社の特注ナイフの切り口を想像させるしね」
ステラは『そんな事まで分かるのか?』なんて驚愕しているが、俺には、それがどのくらい凄いことなのかは分からない。
「…僕はアレンの事を信じていたよ?
アレンが鍛錬をすっぽかして人里離れた山奥の洞窟に、雨宿りと称して女の子を連れ込んで、一晩中燃え上がってなんかいないって」
出てきた
妄想逞しすぎるだろ…
俺は急いでフェイの手を振りほどこうと手を力いっぱい振った。
が、外れなかった。
「…その『リアド』さん、というのは、どなたなのですか?」
ジュエがソーラに尋ねた。
「3年Bクラスに在籍しているこの学園の生徒さ。
坊や以外で唯一、Eクラスでもないのにこの寮に身を置く、変わり者さね。
まぁ、なかなかに見どころのある子だよ」
それを聞いたジュエは、とち狂っていきなりこんなことを宣言した。
「…ソーラさん。
私は貴族寮からこちらの一般寮に引っ越して参ります。
こちらは1棟しかないようですし、男女で建物が分かれていないのでしょう?
アレンさんの隣の部屋を希望いたします」
流石のソーラも呆気に取られて言葉が出ない。
「いつ貴族寮に来るのかを尋ねても、はぐらかすばかりで一向に引っ越すご様子がないので、不思議に思っていましたが…
アレンさん、その先輩と懇意にしておられることから考えても、お引越しなさるつもりがないのでしょう?
こんなことを繰り返していては、アレンさんのDの行方が気になって、おちおち夜も眠れませんわ」
いや、Dの行方はどうでもいいから…
かっこよく言うの止めてくれない?
Dのファンから苦情来るよ?
それを聞いたフェイは、ネコ科の肉食獣を思わす目をラン、と見開いて笑った。
「…即断即決即実行とはね。
それでこそ剛毅果断を家訓とするレベランス家が誇る天才、ジュエリー・レベランスだね。
ソーラ?アレンの隣をもう一つお願い」
フェイは、餃子もう一皿!みたいなノリで俺の隣室を要求した。
「ふふ。
アレンさんが角部屋だった場合、唯一の隣室は先に手を挙げた私のものですよ?」
ジュエは、くつくつと笑いながら、フェイを挑発するように見下ろした。
ちなみに、ジュエよりもフェイの方が身長が高いので、ここでいう見下ろしたは、心理的なものだ。
「…あんたたち、その
ここは貴族寮と違って、家事代行サービスも何もないんだよ?
生活できるのかい?
そもそもあんたらは、粒ぞろいと評判の今年の1年Aクラスの生徒だといっていただろう。
ここが何て呼ばれているか知っているのかい?
ソーラは二人を上から覗き込むようにして、いつか俺も聞いた脅しをかけた。
頑張れソーラ!
「
それに、アレンさんに加えて、私たちまで入寮するんですよ?
そのような呼び名は、すぐに聞こえなくして見せます」
応援虚しく、ジュエは自信満々に言いはなった。
「はぁー…まぁいいだろう。
だが残念だったね…坊やは角部屋じゃないが、上下左右はすでに埋まっているよ」
…え?そうなの?
今までまったく気配を感じなかったんだけど…
俺が不思議そうな顔をしていると、ソーラは手についていた杖で後方を指した。
「来たみたいだね」
ソーラが指した方を振り返ると、荷台に荷物をぱんぱんに積んだトラック型の魔導車と並行して、アルたちがこちらに向かって走って来ていた。
◆
「よぉアレン!
俺たちも今日からこっちで世話になるからな。
今朝の訓練で話そうと思っていたんだが、アレン休んでたから…驚かせちまったか?」
なんでそうなるんだ…
俺はこの静かな寮が気に入っているのに…
「…いったい何を考えているんだ?
メリットなんて何もないだろう?」
俺は至極当然な疑問を口にした。
「…昨日ライオがさ、朝の訓練をアレンと同じ本数坂道走れたから、次は素振りのやり方を聞きに行くっていうから…
休みだったし興味本位で俺たちもついてきたんだ」
ここにはアルの他に、ライオ、ココ、ダン、ドルの5人がいた。
「…タイムはまだまだ、だがな」
現状に満足していないのだろう。
ライオはぶっきらぼうにいった。
「そしたらアレンは出かけていないっていうからさ。
ソーラさんに普段のアレンの素振りの様子を聞いてたんだけど…
アレン、貴族寮にはそのうち来る、なんて言ってた癖に、ソーラさんには、はっきり『3年間ここで世話になる』って宣言しているそうじゃないか?」
アルは、俺のことを真っすぐな目で見て聞いてきた。
ジュエも、やっぱり、という顔で微笑んだ。
アルにこういう目で見られると、ごまかす気が失せるな…
「それは……悪かったな」
俺は素直に謝った。
「いや、怒っているわけじゃないんだ…
アレンは、この寮に初めて来たとき、寮則の『質実剛健』が気に入って、その場で3年間ここで過ごすことを宣言したってソーラさんに聞いてさ…
王立学園に合格して、田舎のエングレーバー子爵領では考えられないほど優雅な暮らしを貴族寮で味わって、満足していた自分が恥ずかしくなったよ」
アルの言葉に、他の4人が悔しそうにうつむいた。
いや、俺が考えている『質実剛健』はそんな美しい物じゃないんだけど…
もっとチャランでポランな気持ちなんだけど…
この流れで言いにくいけど、いってもいいのかな?
やばいかな?
「俺たちが、まずアレンに追い付かなくちゃならないのは、身体強化魔法の練度なんかじゃない。
極限まで甘えを削ぎ落して、高みを目指そうとする、その精神だ。
そういう結論になったってわけさ」
ライオが奥歯を噛み締めながら、付け加えた。
「近頃では、お前の、アレンの、やりたい事をやる生き方とやらも、うっすらと分かり始めた。
自分が真に望む物を見つめ、それ以外は全てを捨てる覚悟。
そう言うことだろう?
俺に足りないものを、お前は、アレンは確かに持っている。
それが何なのか、近くで見させてもらうぞ。
…そして、俺も必ず手に入れてみせる」
ライオがまじめ腐った顔でこんなことを言ってきたので、俺はやりきれなくなった。
似ている様で、全然違う。
俺はアホらしくなって、思いつきでこんな事を口にした。
「ふん。
お前か、アレンか、呼び方どっちかに統一してくれない?
切り替えるタイミングって照れ臭いよね」
…
……
滑った…
◆
「ところでアル?
何でそんな重要な情報を僕は聞いていないのかな?
友達だと思っていたのは、僕だけだった、ということかな?」
フェイはようやく俺の手首を離し、瞳孔を開いてアルに詰め寄った。
「ん?いやぁ昨日今日と休みだっただろ?
朝の鍛錬でも会わなかったし…
明日クラスであったら勿論言うつもりだったさ。
あぁ心配するな!
部屋はたくさん空いてるみたいだぞ!」
アルは無敵の笑顔で言った。
さすがはアルだ!
お前とは仲良くできると最初から分かっていた!
「…それで、どなたがアレンさんの隣室に入居予定なんですか?」
絶句したフェイを横目に、ジュエは嫌な予感のする質問を投げかけた。
「ん?あぁ、俺とココが隣、ダンが上でドルが下に入る予定だよ!
やっぱり男同士でー」
ジュエは遮った。
「100万リアル…
アルさん、ココさん、どちらかお部屋を変わってくださいませんか?」
いつもと変わらぬ平然とした表情で、ジュエがこんなとんでもない事を言い出した。
「100万リアル?!
ジュエ!流石に侯爵令嬢のあなたでも気軽に出せる金額じゃないでしょう?」
耳年増で妄想癖はあるが、一見真面目な委員長風で、その実真面目な委員長タイプのケイトが止めに入った。
「ご心配なく。
お父様を説得する自信はあります。
寧ろ推奨されるでしょう」
どんな親だよ!
だめだ、俺の勘は正しかった。
こいつも姉上と同じ、あちら側の人間だ…
「僕は300万リアル出すよ?
ココ?僕たち友達だよね?変わってくれるよね?」
フェイは、狡猾にも断るのが苦手そうなココに詰め寄った。
「あ、あぁ、そんなに変わりたいなら金なんていらないから、変わってー」
このままでは詰むと思った俺は、アルが言い切る前に強権を発動した。
「如何なる理由があろうとも、部屋の交代は認めない。
もしこれを破った場合は監督権限で坂道部はクビだ。
勿論3年間、俺はそいつとは一言も口を聞かない」
こうして俺の平穏な寮生活は終止符を打ったが、やばい隣人が引っ越してくる事だけは辛うじて阻止した。
ちなみにライオは、『上り下りする時間が無駄』と言って、一階の入り口に近い部屋を確保したらしい。
◆
「…で、あんたら、寮に付いてるあたし特製の朝食は食うのかい?
私は魔物食材の研究家でねぇ…
味よりも、その効果を見極める事に主眼をおいているから、大してうまいもんじゃないが…
ちなみに、坊やは自分のなしたい事に必要だといって、毎日食べてるよ?
ひゃっひゃっひゃっ」
ソーラは、寮母の顔をかき捨てて、いきなりマッドサイエンティストに変貌した。
大して美味いものじゃないだと?
だが、その事に気がついているのは俺だけだ。
「なるほどそういう事か…
だからそれほど、ツノウサギについても詳しかったんだな。
私は勿論食べるぞ!
どうやらこの寮にはアレンの強さの秘密が色々とありそうだ。
私もこっちへ来るよ」
「…仕方ありませんね。
私もこちらへ移ります」
秘密なんて何も無いが、ソーラに騙されて、
くっくっく。
『性欲の権化』の噂の出どころは、間違いなくこいつらだ。
人を噂でオモチャにするやつらには、いい気味だ。
どうせ引っ越してくるなら、こいつら全員巻き添えだ。
俺はダメ押しに、こんなふうな事を言った。
「お前らに、この修行はまだ無理だ。
特に、口が肥えているだろう、ライオやフェイ、ジュエなんかにはな…
必ず後悔するから、止めておく事を強く推奨する」
ジロリ、と、ソーラが危ない目でこちらを睨む。
邪魔をするなと言いたいのだろう。
心配するな。
こいつらの行動パターンは既に知悉している。
こうして煽ればー
「無論、俺も毎日食べる。
寧ろお願いしたいくらいだ」
「心外だな。
僕は魔法技師だよ?
食事なんか、むしろいかに簡単に済ますかばかりを考えていたくらいだよ。
僕も喜んで食べるよ」
「アレンさんの顔を見ながら食べる朝食なら、何だって美味しいに決まっていますっ」
次々に食いついてくるに決まっている。
「ひゃっひゃっひゃっ
全員だね?
これは明日から忙しくなりそうだね。
ひゃっひゃっひゃっ、ひゃっひゃっひゃっひゃっ!」
俺は『やれやれ、俺は止めたぞ』という感じで頭を下げて首を振った。
しかし、心の中では笑っていた。
ひゃっひゃっひゃっひゃっ!
…人を騙してする、この笑い方は気持ちいいな…
癖にならない様に気をつけよう…
◆
こうして、王立学園
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