第18話 伝説
「…さて、申し開きを聞こうかの?」
ふむ。なぜこれほど成績が伸びたのか、理由を説明しろということか……
…できるかそんなもん!
異世界から転生した事を思い出したら、勉強が好きになりました、なんて言える訳がない…
「この3ヶ月間、死ぬ気で勉強した、としか言いようがないな」
俺は説明できる範囲で正直に言った。
「ふん。月並みじゃの。
この判定結果に対して、さすがにその答えで、はいそうですかとはいかん」
ゴドルフェンは、深くため息をついた後、ギリと俺を睨みつけた。
空気がひりついた。
「わしはのぅ。
試験の本来の目的は、試験を通じて、これまでの己の振る舞いを自問自答し、その結果から自己を省察し、さらなる研鑽に繋げる事にあると思うておる。
その自己研鑽の場で不正をするようなクズが、1番嫌いじゃ。
わしの独断で、この場で即、合格取り消しもある。
そのつもりで答えよ。
…嘘が通じるとは思わんことじゃの!」
「ひぃっ」
クラスメイトから悲鳴が上がる。
仏のゴドルフェンだと?
ちょっと凄んだだけで、母上が怒っている時と同等の圧力を感じるぞ。
…確かに、嘘が通じる相手ではないな。
俺は、慎重に口を開いた。
「…凄腕の家庭教師がいるんだ…。名前は、ゾルド・バインフォース。
ゾルドのお陰で、俺は今、この場所にいる」
俺は全てをゾルドに押し付けることにした。
「ゾルド・バインフォースじゃと?
ふん。聞いたこともないの。
まさか家庭教師一つで、これほど急激に成績が伸びたとでも言うつもりかの?」
俺の目をじっと覗き込みながら、ゴドルフェンは手元の紙をパンパンと叩いた。
そりゃそうだろう。
国王陛下の懐刀がゾルドの事など知るわけがない。
「別に名のある家庭教師というわけではないだろう。
だが、腕は間違いなく一流だ。
何せ、折り紙付きの勉強嫌いだった俺が、寝食を惜しんで勉強するようになったんだからな。
…その日の事ははっきり覚えている。
ゾルドは俺に言った。
自分には俺が掴み取る栄光の未来が見えていると。
もしも俺が合格できなかったら、死んで詫びるとな。
その日を境に俺は変わった。
実際俺は、ここ3ヶ月の間、睡眠は1日3時間、朝食及び昼食はほぼ携帯非常固形食しか食していない。
その他は全て自己研鑽に充てている」
嘘ではない。簡潔に要点を纏めただけだ。
ピク。ゴドルフェンの眉毛がわずかに上がった。
「…最近発売された、サラミ味についてはどう思う?」
「邪道だ」
俺は即答した。
「あれは、わしがプロデュースしたものじゃ」
…
……
まだ合格取り消しではないらしい…危なかった。
もっと慎重にいかないと。
「ゾルドが育ててくれたのは、小手先の受験テクニックではなく、心だ。
常在戦場ー
年老いたその家庭教師は、口癖のように、『ここは戦場ですぞ?』と、言っていた。
年寄りで近いだろうに、ほんの5分の休憩時間を惜しんで、オムツを穿いてトイレにも行かず、俺にとことん向き合ってくれた…
その背中で、甘い心は今すぐ捨てろと、俺を叱咤しつづけてくれたんだ!」
まだギリギリ嘘はついてない。
背中に何を思うかは俺の勝手だ!
「俄には信じられん話じゃ。
それほどの覚悟を持った男が、片田舎の子爵領で、一家庭教師に甘んじておるといわれてもの」
ゴドルフェンは疑わしげな目で俺を見ながら、白髭を撫でた。
「ゾルドが、どのような経緯でうちの子爵領に流れてきたのかは分からない。
だが少なくとも俺と姉上…昨年王都の上級魔道具研究学院に、貴族学校から進学した姉上は、ゾルドがいなければ全く違う人生を歩んでいただろう。
この短い期間に、2人で実績を示した。
それが、ゾルド・バインフォースという男の力量を明瞭に物語っている」
断じて盛ってなどいない! ギリセーフだ!
バタフライ・エフェクトという言葉もあるんだ!
ゾルドがいなければ俺たちがどうなっていたかなど、誰にもわからない!
「昨年、研究学院がドラグーンから才女を取ったという噂は聞いておる。
そうか。その才女を育てたのも、そのゾルド・バインフォースという男か…」
「きゃはははは!
いやぁ面白いよ。
愛らしい顔で、寝食はおろか、入浴する時間すら惜しんで研究に没頭すると噂の『憤怒のローザ』の背景に、そんな秘密があった、だなんてね」
フェイが、ネコ科の肉食獣を思わせる目を爛々と輝かせながら、舌なめずりをした。
それはただズボラなだけだから!
話を危険な方向にまぜっ返すのは止めろ!
今なんとなく、いい感じに収まりそうになってただろ!
だがそこで、意外な人物がもう1人反応を示した。
「『憤怒のローザ』だと?
まさか、アレンは『
アルが、驚愕の顔でこちらを見ていた。
◆
教室をよく見ると、驚いた顔でヒソヒソと話をしているクラスメイトが他にもいる。
あ、頭がクラクラする…
あの姉上は一体何をやらかしたんだ…
「何じゃ、その『憤怒のローザ』やら、『レッドカーペット事件』というのは…?」
ぎろり、とゴドルフェンが俺を睨んでくるが、俺は知らない…
どうせ碌な話じゃないから聞きたくもない。
「そんなわけで、俺は、ゾルド・バインフォースの名にかけて、不正などしていないと、ここに改めて誓う!」
「教えてくれるかの?」
俺を無視したゴドルフェンは、好好爺の雰囲気に戻り、優しくアルに聞いた。
「エンデュミオン侯爵地方にとっては、あまり誇らしい話ではないのですが…
四年前に、この王立学園の試験で、エンデュミオン侯爵家の後継ぎが、とある令嬢に足切り芝生で強引に絡み、逆にエンデュミオン侯爵地方の受験生60人以上が病院送りにされた事件があった、と、聞いています。
それ以来、エンデュミオンでは、王立学園の試験で、他地方の人間とみだりに話すのを、厳格に禁止されています…」
聞きたくないってば。
「あぁ、そのバカ子息と気の毒な令嬢の話は知っておる。
何でも強引に妾になるように迫ったばかりか、当初穏当に断っておったその令嬢の腕を掴み、強引に契約の指印まで取ろうとして逆鱗に触れ、取り巻きごと全員血の海に沈めた豪傑じゃろう」
聞きたくないってば!
「事後のセキュリティ班の解析で、その令嬢は被害者ということが明白になったのじゃが、止めに入った職員も2名ほど血祭りに上げてしもうての。
エンデュミオンの奴が、家の名を守るために暗躍して、そのバカ子息を勘当して喧嘩両成敗、などという甚だ不当な結果に落ち着いたと聞いておる。
肝心の令嬢が、その場で『試験は辞退します』と告げたきり一度も話し合いに出てこず、一切の釈明をしなかったから、そのような不当な判決が認められたらしいの」
…姉上め…母上に説明するのが嫌で、
覚醒した後、よく考えたら変だなとは思っていたんだ…
1万人も受験生がいるのに、足切りの数字がその年だけ1.5倍だなんて…
どう考えても大数の法則を無視している。
「その事件の影響で、次の年からこの王立学園の試験には、騎士団から精鋭が警備担当に投入される事になっての。
当時まだ副騎士団長だった、わしのところにも随分と報告と相談が来ておった。
この話は、伝統ある王立学園の試験会場で起こった事件として、余りにも刺激が強いと、箝口令が敷かれたと聞いたが…人の口には戸は立てられない、と言った所かの」
「きゃはははは!きゃはははは!
あー、面白い。その話は初めて聞いたよ」
フェイは目に涙を浮かべて笑っている。
何が面白いの?
まだ他にもあるの?
もうお腹いっぱいなんだけど。
「その被害者が、未だエンデュミオンに苛烈な憤りを抱え、『憤怒のローザ』と呼ばれていると、噂で聞いていたもので…まさかアレンがその弟だったとは…」
断言する。
姉上はどこの誰を殴ったかなど一切覚えていないだろう。
殴ってスッキリ、綺麗さっぱりだ。
帰り道には忘れていた可能性すらある。
「…ふー…おおかた見えたかの。
『常在戦場』ゾルド・バインフォースの教え、というものが」
やばい、じじいに、何か見えてはいけないものが見え始めた…
このままでは、取り返しのつかない事になる。
「いえいえ、そんな物騒な教えではなく、ただ一生懸命頑張ろうね、という事の例え話というか、」
「被害者にも関わらず、一切の釈明をせず、この王立学園進学の道をその場で捨てた潔さ。
しかも小僧…今の今まで知らんかったな?
弱冠12歳の少女が、家族にすら言い訳せず、全てを己の内に呑み込んだか…
その上で、自力で、貴族学校から、上級魔道具研究学院まで這い上がってきたその反骨精神も、見事としか言いようがない…
胸糞の悪い話じゃと思っておったが、なんと胸のすく思いじゃ」
「いえいえいえ、どう考えても60人以上を病院送りにした姉上が加害者といいますか、そもそもよく考えるとドラグレイドにいた姉上の頑張りと、ゾルドは何の関係もなー」
「お主が先程言った通り、心を育てるのが1番難しい…
それは長く騎士団で若いものを見てきたわしが、1番身に染みておる。
じゃが、お主の姉のように、一度育った心は、何物にも代え難い財産となる。
同じ教鞭を持つ身として、わしがそのゾルド・バインフォースに教えを請いたいぐらいじゃ。
…欲しいのぉ。この学園に」
「ゾルド・バインフォースはドラグーンの人間だよ?
そう簡単に外に出せると思わないでね?」
先程までゾルドのゾの字も知らなかったフェイが、急に貴族ヅラして領有権を主張した。
ゴドルフェンが、ギロリとフェイを睨む。
フェイは涼しい顔で受け流した。
頭の回転の速いAクラスのクラスメイトたちは、この後起こるであろうことを予見して、いち早く実家に知らせるべく、一斉に『ゾルド・バインフォース』の名を手元にメモした。
◆
こうして、王の懐刀、ゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュをして、教えを乞いたい、とまで言わしめた伝説の家庭教師、ゾルド・バインフォースを巡って、国を挙げた熾烈な獲得合戦が繰り広げられる事となる。
それはまた、別のお話。
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