第6話 ゾルドの報告


 入学試験が水物という事はわかっているつもりです。


 出題分野が得意不得意どちらかに偏ることもあれば、当日にたまたま体調がすぐれないこと、精神面のコンディションが整わないこともあるでしょう。


 入学試験には、あらゆる不確定要素が絡みますが、長年家庭教師として受験に携わっていて、やっと最近わかった事があります。


 こと受験では、幸運の神様がたまたま微笑んで合格、などという事はない。


 最近のアレンぼっちゃまを見ていて、やっとその事に気がつかされました。

 受かる人間は、受かるべくして受かるのだ、と。


 それぐらい、ここ最近のぼっちゃまは急激に伸びました。


 子爵家の専属となる前から、40年家庭教師をしてきた私です。

 受験直前に、急激に伸びる生徒がいるという事はわかっていましたが、それにしても信じられない馬力です。


 何がきっかけになったのか……

 家庭教師として全く心当たりがないのが寂しい限りですが。



 勉強時間を伸ばしてくれと頼まれた時も驚きましたが、本当に驚いたのはそのあとでした。


 ぼっちゃまの指示通り、集められる限りの過去の入試問題を整理してお渡しすると、一体いつやったのか、1週間もしないうちに全てこなしてきたばかりか、講義内容に注文をつけてきたのです。


 自分が苦手とするところ、苦手ではないが、限られた期間で得点を伸ばせそうなところ、近年の出題傾向も踏まえた分析結果をもって、講義内容を絞り込み、受験までの緻密な戦略を指示されました。


 ぼっちゃまの熱意に押し切られて、講義内容を生徒の主張通り変えてしまった私は家庭教師失格ですが、これがまた私の目から見ても理に適っているのです。



 疑問に思う箇所があっても、理路整然と必要な理由を説明されて、全て納得させられてしまいました。


 また、講義のスタイルも大きく変わりました。


 これまでは一方的に説明するだけで、質問など碌にされた記憶はありませんでした。


 ですが、ここ最近のぼっちゃまは少しでも疑問に思う事があると、納得するまで徹底的に質問をしてきます。


 その内容も鋭くて、質疑というよりは討論になる事も少なくありません。


 弱冠12歳と話している事をすっかり忘れてしまいそうになります。


 以前から、本質的な勉強にこだわる気持ちが強かったですが、ここに来てさらにそうした気持ちを強めています。


 ですが一方で、以前はあれほど毛嫌いしていた、所謂受験テクニックとしての勉強も、それはそれとして受け入れてくれています。


 疑問に思って聞いてみたところ、『確かに長い目で見たら役に立たないが、短期的には合格が第一目標なのだから、何も問題ないだろう。

 中・長期的な計画と短期的な目標は分けて考えるのが大切』

 との事でした。


 これまでの苦労はいったい何だったのか……



 そんなわけで、アレンぼっちゃまは、ここ数ヶ月で別人の様に伸びました。


 あまりの講義密度に、講義終わりには私の方がヘトヘトになりますが、ぼっちゃまは平気な顔をされており、夕食の後も自習をされておられる様子。


 その背中に励まされ、何とかくらいついてきたという有様です。


 実技については私にはわかりませんが、勉強の方はAクラスに手が届いても何らおかしくはないと、私はそう思っております。



 ◆



 ロヴェーヌ家当主、ベルウッド・ロヴェーヌ子爵は、王都での社交シーズンを終え、さらに長旅を経て屋敷に帰った。


 到着したのは夜更けであり、ヘトヘトだったが、これだけは確認せねばと専属家庭教師のゾルドを書斎へ呼び出した。



 そこで恐る恐る、アレンあの勉強嫌いの進捗を聞いたところ、この様な説明を受けた。


 子爵は大いに混乱した。


「そ、それではつまり、この2ヶ月は、アレンが考えた講義内容で勉強をしていたというのか?!

 この受験直前の!1番大事な時期に?!」


 子爵はデスクに突っ伏した。旅の疲れが2倍になったような気がした。


 確かに王都で受け取った手紙には、アレンがやる気になって、勉強時間を増やしたいと自発的に言い出した、などと書かれていた。


 子爵は、3日坊主でもやらないよりはマシかぁ……などと考えてすっかり忘れていたのである。


「じい?それは本当にあのアレンの話かい?

 疲れていてローザ(長女)の時の記憶と混同しているんじゃないかな。

 アレンの事は、やればできる、才能ある子だと家族みんなが思っているけど、いくらなんでもその話を鵜呑みにするのはちょっとね。

 父上もね、あれほど期待したローザでもダメだったんだ、今回はダメで元々の気構えでいようと言ってるから、それほど重荷に思う事はないんだよ?」


 長兄のグリムが横から口を出して、子爵は顔を上げた。


 グリムは後継なので、今回の社交シーズンに王都へ伴って、つい先程一緒に帰宅したのだ。


「そうか、ローザの話か!うむうむ、それならばわかる。

 あの子は小さい頃からしっかりしていて、やると決めた事への没頭具合には目を見張るものがあったからな。

 流石のじぃも耄碌したかぁ?あっはっはっは、はっはっは、はっはっは……」



 穏やかに自分へ報告していたゾルドは、ヘラヘラと笑うベルウッドに対して、途端に気配を一変させた。


 子爵はゴクリと唾を飲み込んだ。


 まるで戦場にでもいるような気配だ。


 殺気のこもった目で、当主をキッカリと見据えていった。


「ぼっちゃまは……

 この2ヶ月、事あるごとに、この由緒あるロヴェーヌ子爵家の血の努力、涙の歴史に俺が泥を塗るわけにはいかないとおっしゃって……

 寝食を限界まで削って努力をなさっておいでです。

 それは戦場もかくやといった、猛烈な気迫で、その背中で私を引っ張ってくれました。

 背中を預けてくれたぼっちゃん戦友の、不断の努力が幻ではない事が、半月後に迫った受験で証明される事を、この老兵は確信しております……」



 もちろんアレンは、一族の歴史などどうでもいいのだが、寝食を忘れて異世界を堪能しようと夢中で勉強して遊んでいるのに、やれ健康がどうのといって取り上げられそうになるのを、全てこのセリフでねじ伏せたのである。



「しかし、それでは余計にアレンらしくないような……

 あやつは年に一度の墓参りすらめんどくさがる様な男だぞ」


 ゾルドの気迫に押され、恐る恐る子爵が反論する。

 この『じぃ』の目が座ると、その昔ベル本人の家庭教師だったころから、何が飛び出すかわからない。



 ゾルドは歯噛みした。


 確かに3ヶ月ぶりに帰ってきて、この話を信じろというのも酷なものがある。

 自分だったらとても信じられないだろう。


「お人柄も随分しっかりなさいました。ご心配なら、明日の夕飯をともにされてみてはいかがでしょう?

 なにせ、朝と昼は野営用の携帯固形非常食ですから、同伴する訳にも参らないでしょうしな」


 どう見てもコケた頬を歪ませてニヤリと笑ったゾルドは、この老兵には、まだ明日の講義の準備がまだありますので、失礼いたします。


 そういって退出していった。


 アレンはチンタラ朝食を食べるのも時間が惜しくなって、朝も非常食に変更していた。


「非常食??あやつらは一体いつから兵隊になったんだ」


 疲れ果てた子爵はまたまたデスクに突っ伏した。


「まぁまぁ父上、じぃは多少受験ノイローゼ気味のようですが、アレンが成長したという事自体は喜ばしい報告です。

 明日の夕飯、アレンからしっかりと話を聞いて、頑張った事を褒めればそれでよろしいではないですか。

 決して、じいの話を鵜呑みにして、プレッシャーなどをかけない様気をつけましょう」


 何事もポジティブな、できる男グリムが子爵を励ました。


「そうだな、確かに可愛いアレンが成長したという話自体は喜ばしい。

 決して過度なプレッシャーとならない様にそれとなく褒める様にしよう。

 では明日の夕飯はアレンととる。その様に手配を頼む」



 ……可愛かった末っ子が育つのは少々寂しいがな。


 気を持ち直した子爵はそう心の中で呟き、目を細めた。



 ◆



「父上、グリム兄様、お待たせいたしまして申し訳ございません。午後の魔法史の講義でゾルドと議論しておりまして…」


 ダイニングまで速足できたアレンは申し訳なさそうに頭を下げた。


 ほう。これは確かに見違えるな。


 いくら言っても直らなかった言葉遣いが改まっており、中々堂に入っておる。


 しかも身にまとう雰囲気に、以前の荒々しさ猛々しさが、すっかりなくなっている。

 といって腑抜けたようでもない。


 溢れんばかりのエネルギーを、うまく身の内に留めておる……と見るのは親ばかだろうか。


 ロヴェーヌ子爵は目を細めた。



「よいよい、近頃は勉強に集中していると、ゾルドから報告を受けておる。

 王都への出発前の大事な時期なのだから、わしのことなど二の次でよい」


「恐れ入ります」


 しかしこれは、あまりに急激に大人になっており、何か不安になるの。

 グリムのやつも笑顔が引きつっておる。



「アレン、わしもグリムも王都での気の抜けない社交続きで聊か辟易としておる。

 いつもは礼儀作法を口うるさく言うが、今日は無礼講で構わんぞ。どうせ身内だけの席だしの」


 何となく尻込みしそうになるのを誤魔化すように、子爵が提案した。


「母上もいないしね」

 グリムはそう付け足してウインクした。


 アレンは一瞬、少し気恥ずかしそうな素振りを見せたが、咳を一つして、笑顔を浮かべた。


「親父!グリム!おかえり!」


 そこには、やや大人びたものの、生意気な口調で旅の土産話をせびるいつもの可愛いアレンがいた。



 ◆



 違和感なく「アレン」でいられるか少し心配だったが、杞憂に終わった。


 前世の記憶があるとはいえ、俺がアレンとして12年間生きてきた事もまた、間違いない事実だ。


「母上は王都に残ったんだね?」


 ひとしきり王都での最近の流行やら、差し障りのない世情の話などを聞いた後。



 鹿が長い年月をかけて体内に魔石を育んで生まれる魔物、パピーのステーキを頬張りながら俺は聞いた。



「あぁ、あやつは、ローザの生活があまりに荒んでおるのをみかねての。

 どうせアレンももうすぐこちらに来るからということで、王都に残ることになった」



「姉上は相変わらずか…」


 俺は苦笑した。


 実家にいる時も、一度研究や鍛錬に没頭すると、周囲の事など何も見えなくなり生活が荒んでいた。



 二徹三徹は当たり前、食事も碌に取らず、顔も碌に洗わない、寝癖も直さない、最後には風呂も入らなくなったところで母上と口論になって、就寝前、もしくは朝食前に必ず入浴する事だけは義務付けられていた。


 薄い桃色の髪色に、普段はおっとりした性格と愛らしい顔立ちに騙されて、領民からはコスモスのお姫様ひいさま、なんて呼ばれている。


 だが名は体を表すとはよく言ったもので、姉上はそんな可愛げのある女ではない。


 気の短いという訳ではないが、一度キレたらお気に入りの俺にさえ拳がブンブン飛んでくる。



 親父は顔に似合わず草食系穏健派の官吏コース上がりなので、家族で姉上を押さえられるのは母上ぐらいのものだ。



「親父…もし俺が運良く王立学園の試験に合格したら、寮に入る事を認めて欲しい。一般寮で構わないから、頼む!」


 テーブルに擦り付けんばかりに頭を下げた。


 王立学園には寮があるようだ。


 一般寮は狭いワンルームとの事だが家賃も王都にしては安く、朝食がついているらしい。


 子爵家が保有する王都の別邸、といっても小さな庭がついた一般住宅だが、別邸からも通学可能だが、そこには姉上がいる。

 母上もいつまでもは王都にいないだろう。



 あの姉上と王都で2人暮らしなど冗談ではない。


「そうだな、騎士を目指すアレンは、寮に入って学友と同じ釜の飯を食べながら学ぶのもいいやもしれんの」


 俺の気持ちを察した親父が苦笑いしながら頷いた。


「だが、入ってからの事を心配とは、随分と自信がありそうだな?」


 酒が入って勢いづいた親父が、努めて平静を装って聞いてくる。

 だが、言葉に僅かに緊張感が伴っているのがわかった。


 ちらりとグリムをみると、笑顔を能面のように貼り付けて固まっていた。


 思えば、食事が始まってから受験のことには不自然なほど話題にならなかった。



 聞くのが怖かったのか、もしくはプレッシャーをかけないよう気を遣っていたのだろう。


 自信はもちろんあるのだが、いつこの競争社会からドロップアウトするかを考えている身だ。


 過度な期待を持たせるのは後々の事を考えても良くない。



 努めて期待を持たさないように配慮していたのは俺も同じだ。


「まぁ、それなりに頑張ってきたからね。

 流石にAクラスとはいかないだろうけど、何とか下の方に引っかかれないかなと思ってるよ」


 無難にそう答えておいた。



「そうか?何やらゾルドのやつはやけに自信がありそうだったが……

 王都では山隣のムーンリット子爵のやつがやたらと絡んできおっての。

 今年受験するやつのところの次男坊のトゥードは優秀じゃと、ドラグーン侯爵家の寄り合いでも噂だからのう」



 うちのような弱小貴族は普通、他の貴族領を含む広大な領域を管轄する、侯爵家の庇護下にある。

 うちの場合はドラグーン侯爵家がそれにあたる。


 そして、(あまりおおっぴらに話をするのはマナー違反ではあるが)それとなくする子の進学や成績の話題は、社交界でも重要な情報だ。


 将来国の中枢に携わるほど優秀な人材が勢力から出れば、そのまま勢力の力になるからだ。


「やつめ、よほど自信があるのか、お宅のところのアレン坊ちゃんは優秀で羨ましい、などとワザとらしく社交の場で何度も話題を振りおって。

 これでは受験結果には否が応でもみなの関心が集まる……

 再来月のドラグレイドでの総会は気が重いわい」


 ……何なんだ、その可哀想になるフラグを立ててまわってるアホ貴族は。

 まぁ俺の知ったことではないが。



「うーん、とにかくまぁ、受験はやってみなくては分からないけれど、運良く受かったとしても、王立学園は入ってから勉強についていくのも大変だと聞くし、まかり間違って途中で退学にでもなったら赤っ恥だから、親父はそんな自慢して回るような事は控えてくれよ」


 とりあえず親父がアホ貴族よろしく墓穴を掘って回らないよう、釘を刺しておく。


「お前は相変わらず能天気でいいの……

 まぁ今更ジタバタしても始まらんか……」


「そうだね父上、あの奔放だったアレンが、これだけ人事は尽くしたんだ、あとは天命を待つしかないね」


 できる男グリムがいい感じに締めくくった。



「そうだな、あのローザですら天運に見放されてはどうにもならなかったのだからな、返す返すもあの時ーー」


 が、親父がウザ絡みを始めた。


 酔ってなければいい親父なんだけどなぁ〜


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