第4話 神の拳を振るう者(※ラブコメです)
三日間ほど家で寝込んでいて気づいたことがある――
もしかしたら、現代でも、人は狩猟民族と農耕民族とに分けることが出来るんじゃなかろうか、と。
欧米人がなぜ恋愛に対してあれだけオープンになれるのか。それはつまるところ、肉ばっかり食べているせいだ。だから、彼らは獲物を刈ることに惑いがない。
一方で、日本人は食生活に農作物を多く取り入れて、四季と共に過ごしてきた。恋とはあはれで、奥ゆかしきもの――もっとも、そんな古典的な『いとをかし』の慕情は、アメリカナイズされてすでに半世紀以上……日本人の恋愛観をずいぶんと変えてしまった。
その典型こそ、僕のすぐ眼前にいる――プロテイン岩男なのだと思う。
金剛拳四郎。十七歳。
多分、童貞。何より、最大最凶最悪の
そんな先輩はというと、三日前と同様に人気のない校舎の裏側で歩みを止めた。しばし無言。それなのに、広くて硬そうな背中はあまりにも雄弁に威圧感を放っている。
「で、金剛先輩。涼果すももさんはいったい、どこにいるんですか?」
「悪いが……ここにはいない」
「どういうことです?」
「別のところにいる。もっとも、気を失ってはいるがな」
「まさか! すももさんに何かしたんですか?」
「俺が小娘に手を出すわけなどなかろう。屋上前の踊り場階に突っ立っていたので、少しばかり利用させてもらっただけだ」
「すももさんを利用した?」
僕がそう鸚鵡返しすると、金剛先輩は「ふん」と鼻息を一つだけついた。
そして、わざとらしく肩の僧帽筋をぴくぴくと揺らしてみせてから、
「ああ、その通りだよ。荒野翔くん。お前をここへと
それだけ言って、ゆっくりと振り向き、がっしりと両腕を組んで僕を真っ直ぐに
「先ほど、ご令嬢が面白いことを言っていたな。たしか、恋とはエゴイスティックなモノであるだったか。だから恋敵は排除しても構わない、とも」
「金剛先輩も同じ考えなんですか?」
「いや、全くもって違うな」
今度は胸筋がもそりと動いた。
というか、この先輩はなぜいちいち筋肉を動かすんだろうか……
「そもそも、男と女では、恋愛に対する考え方が根本的に違うのかもしれん。『男の恋は別名保存、女の恋は上書保存』などという俗説があるが、俺としては恋敵を上書いて
「へえ、珍しく気が合うじゃないですか」
「ふむん……つまりだな」
そこで両腕をほどくと、金剛先輩は腰を落としてふんばるような姿勢をとった。
その瞬間、ふくらはぎの筋肉がぼこっとなって、血管が幾重にも浮かび上がり、さらには外腹斜筋がもこもこと異常に盛り上がってきた。何というか、ボディビルダーのポージングみたいだ。
すると、先輩は応援団の団長みたいに声を張り上げた。
「俺はだな! すももという小娘を除こうなどとは思わない。その娘がいようがいまいが、関係ないということだ!」
「関係がない?」
「そうさ。俺はたった今、お前にぶつかるだけだっ!」
さっきよりも二倍増しぐらいの声量でもって、金剛先輩は腹の底からバリトンボイスを響かせた。
直後だ。校舎の全ての窓がぴしぴしと震えた。さらに不思議なことに、地までもが大きく揺れた。
何だ、この強烈なインパクトは……
「もう一度だけ言おう!」
そんな状況で、金剛先輩は背を反らして、息をじっと吸い込み、最後ににやりと笑みまで浮かべてみせると――
「俺は! お前のことが好きだあああああ!」
ピュー、と。初夏なのにやけに寒々しい風が一気に吹きつけてきた。
僕はその勢いに押されて、二、三歩ほど、後退させられたけど、「ふう」と一息ついてから、努めて冷静に返した。
「ええと……僕はもちろん、嫌いです」
「にべもないな」
「まあ、そりゃ」
僕は肩をすくめて、そっぽを向いた。
「ならば、一つだけ君に聞きたい。後学の為だ」
「今度は何ですか?」
「お前にとって、『好き』とはどういうことだ?」
その一言で、僕はつい視線を落とした。
結局はそこに行き着くわけだ。この乱痴気騒ぎのような一連の出来事も、あのとき僕がそのたった二文字をすぐに言えなかったから始まった。
もし、僕に覚悟があれば……
もし、自信や余裕もあったならば……
今からでも僕は変わり、また状況も少しは良くなっていくんだろうか……
すると、金剛先輩はなぜか校舎のそばの草むらに向かって歩き出しながら言った。
「俺にとってお前を好きだということは、いわば、お前を独占したいということだ」
そこまで言って、金剛先輩はその草むらの中から大きなボストンバッグを取り出した。
バッグの口を開け、その中身を校庭にぼとぼとと落とす。出てきたのは、僕にまつわる大量の可笑しなグッズだった――僕のあられもない姿が印刷されたブックカバー、クリアファイル、クオカードにエトセトラ。
というか、本当にあったのかこんなもん……かなりブルーなんですけど。
でも、先輩はそんな僕の精神的外傷なんかには全くお構いなしに、むしろどこか誇らしげに上腕二等筋にもっこりとした力拳を作ってみせると、
「武の道における勝利とは、完膚なきまでに相手の全てを奪い取ることにある。心も、技も、身も、そう、何もかもだ。だからこそ、恋敵の存在など関係ない。俺はどんな手段を使ってでも、お前を俺のモノにする。俺だけのモノにする。その全てを独占する!」
「……最悪ですね」
「俺にとっては最善なのだがな。それで、はてさて、お前の答えはどうなのだね?」
実は、中学の頃からずっと考えていたことがある。
もし、すももさんと付き合うことが出来るなら――色んなところに二人で行ってみたい。
でもって、三回目ぐらいのデートでキスをして、色んな本や音楽、アニメや動画や映画なんかも共有して、二人きりの思い出をたくさん作りたい。インスタ映えとかはどうでもいいけど、その想いを幾つも撮って残したい。そして、いつか二人は結ばれて……
うん。もちろん、分かっているさ。
今となっては、それがただのチェリーな妄想だってことぐらい。
でも、だからこそ――だ。
「その人を好きだということは、上手くは言えないんですけど……色んなことを二人だけで一緒に楽しみたいってことなんだと思います。この世界に溢れているたくさんの面白いこと――それを一瞬たりとも逃したくない。二人だけのものにしたい。そう強く願うことなんだと思います」
好きな人と一緒にいて、初めて自分に価値を見出せるのなら――
僕はいまだに何も見出せてはいない。そういう意味では、僕はその何かを見つける為にここまでやって来た。たとえ、その結果が分かっていようとも。せめてこの想いに区切りをつける為にも。
だから、すももさんに会いに行かなくてはいけない。
僕は金剛先輩へとしっかり向き直り、背中に隠してある拳銃に手を伸ばした。
「ほう? お前も戦う準備が出来たということだな?」
「はい。そういうことです」
僕の返事に対して、ニヤリと微笑む金剛先輩。
どういうわけか、その笑みはさっきまでの気色悪い表情と違って、鳳会長の最期にも似た、とても気持ちのいい笑みに僕には見えた。
「恋とはいつでも、拳でどつきあう真剣勝負そのものだ。ケリはつけなくてはいかん」
「武器は使わないんですか? 悪いですけど、殴り合いじゃどう考えても勝ち目がないので、僕はこいつを使わせてもらいますよ」
そう言って、僕は手にした拳銃を見せつけた。
「ふん。構わんさ。それでもハンデにすらならんだろう。もっとも、その差を埋めてやることなどしてやらんがな」
逆に金剛先輩はそう応えて、超空手の五十四歩大の型に構えた。
猫足のようにつま先で立つと、地流がドクンドクンと息づき始めて、風が先輩の拳に一気に集まっていった。ていうか、ありえない……何なんだ、この異様な光景は……
「悪いが一発で決めさせてもらうぞ。秘奥義開放!」
金剛先輩は一本貫手の型を決めると、溜めていた
「何が……起きているっていうんだ?」
僕は呆気にとられた。
すると、その蒸気がやっと霧散し、突き出した拳がわずかに光輝いたかと思った矢先のことだ――
拳圧が僕の頬を掠めていったのだ。
つう、と血が一筋、頬から滴り落ちていった。
「……え?」
直後だ。ドゴンっ、と。
背後で破砕音がしたので振り向くと、二十メートルほど後方の校舎が抉れていた……というか、何ですかこれ……本当にありえないんですけど。
「よそ見などしていていいのか? 次々にいくぞ!」
すぐに「はっ」と我に帰って、僕は拳銃を構えた。
腕を真っ直ぐに伸ばして、金剛先輩に向けてがむしゃらに発砲する。
でも、先輩はまるで蚊を叩き落とすかのように簡単にあしらって、豪快にこう言い放った。
「一昔前のコンバットコマンダーカスタムか。六ミリのプラスチック弾、装弾数は十六発でタンク容量は十六グラム。初速七十ミリパーセコンド。集弾性能はそれほど高くはないな。この程度の攻撃など、俺の目を撃つか、もしくは近距離射撃で急所を狙うでもしない限り、無力!」
そうだった……
この先輩は空手家でもあると同時に、ミリタリマニアだったんだ……
こっちのスペックなんかとっくにお見通しってわけか。
「こんちくしょうっ!」
僕はグリップをしっかり持ち、腕を伸ばしたまま前進をした。
でも、金剛先輩が熊のような掌を広げて空を切ると、いきなり鋭い空気圧のようなものが容赦なく襲い掛かってきた。僕のシャツの袖が破れ、上半身に切り傷が出来てしまった。
てか、これじゃあ空手なんかじゃなくて、まるでどこぞの北斗神拳だよ……
僕はそんなかまいたちみたいな凶悪な風圧から逃れようと横にローリングすると――
先輩は「ふんぬ!」と前足を踏み出して、地流を意のままにした。その影響で校庭が局所的に大きく揺さぶれたせいか、僕はローリング中にバランスを崩してその場に這いつくばってしまった。
その瞬間を見逃さず、先輩は左拳を僕に向け、鋭い空圧を放ってきた。
「うわっ!」
次の瞬間、僕の胸もとも肌蹴て、白シャツは
「くそっ」
僕は舌打ちするしかなかった。
こんなの、どうやって勝てっていうんだよ。まるで象と蟻だ。勝ち筋が見えないどころか、近づくことさえ出来やしない。
と、悲嘆にくれていたときだった――
「うほっ!」
金剛先輩の鼻息がやけに荒くなったのだ。
それはほんの一瞬の油断だった。どうやら先輩が幾つも画像加工してきた僕の恥ずかしい姿がこうして現実になったことに興奮したらしい……
当然、僕はその隙をついて躊躇わずに――
にんまりと歪んだ気持ち悪い赤ら顔に向けて、何発も撃ち込んだ。
「うおおおおっ!」
どうやらそれが目もとにでも当たったのか。
金剛先輩は両手で顔を覆うと、痛みを堪えるかのように幾度も地団太を踏んだ。何だかひどいことをした気もしたけど……何にしても勝負を決めるなら今しかない!
僕は残弾を気にせず、撃ち込みながらダッシュした。
近距離に入り、がら空きの股間を目がけて、これまでの怨念の全てを叩きつけるかのように思い切ってトリガーを引こうとすると、先輩は目を真っ赤に充血させながらも、大きな拳を振りかざしてきた。
「何を! ちょこざいな。恋はいつでも
なぜその言葉を……?
ふいにそんな疑問が過ったけど。
「違う。恋はそんなもんじゃない!」
僕は拳銃を左手に持ち替えて、金剛先輩のストレートに合わせるようにカウンターを一閃。
そのまま気合いの咆哮を上げた。
「恋はいつでもゴッドパンチだあああああ――っ!」
マッハの上はゴッドだろうという安直な発想はあえて不問にしたい。
でも、このとき、僕の右拳にはたしかに神が宿っていたんだ。ギュっと握った拳の中で、熱いマグマが灼けるように煮え立って、指と指の隙間からその蒸気が溢れ、炎の拳となって先輩の下顎に突進した。
そして、信じられないことに、先輩を宙で一回転させて地面に叩きつけていたのだ。
「う、ぐぬ、ううう……」
金剛先輩は吐血しながらも起き上がったけど、もう立っているのがやっとという状態だった。
僕はその額に、左手で持っていた拳銃の銃口を冷静に当てた。
「こ、ここで撃てば……すももという小娘の居場所が……分からなくなるぞ。いいのか?」
「構いませんよ。自分で探しますから。それに、金剛先輩はそんな小賢しい駆け引きをするようなタイプには見えませんし」
「ふん。言ってくれるじゃないか」
「で、結局のところ、どうなんですか?」
「負けたよ。あの小娘なら、超空手部の道場脇にあるベンチで眠っている」
よろよろになりつつも、金剛先輩は道場の方向を指差した。
「最後まで冷静だったな、クールガイ。この俺が見込んだだけのことはあった。いい漢ぶりじゃないか。さあ、早く撃てよ」
「では、遠慮なく――」
でも、撃つまでもなく、金剛先輩はすでに息切れていた。
目からは血の涙を流し、口から泡を吹いて立ったまま気を失っている。そのあまりに壮絶な姿に、僕もわずかに心打たれたわけだけど――
「グッバイ。ヒートガイ、金剛」
ところでこの物語……
本当に恋の話なんだろうか……
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