第3話 カウボーイスタイルでの決闘(※ラブコメです)
ふらり、ふらりと、まるでクロールのような手つきで。
他の生徒たちを弱々しく掻き分けながら、僕は廊下をゆっくりと泳ぐように進んだ。
朝のチャイムはまだ鳴っていないというのに、もうすでに一生分の疲労とストレスを溜め込んだかのような気だるい重たさ。まるで泥の中に沈んでいるかのようだ。
とはいえ、教室の後ろの扉にタッチして、そこでやっと「はあ」と息継ぎ。
そっと中をのぞいてみると――窓際、前から四番目の席に涼果すももさんはちょこんと座っていた。礼儀正しく、まるで水際に
十五年の人生の中で何百、何千回と見てきたはずのその姿に、僕はなぜだかいつも不思議な感傷を覚えてしまう。大切な想いが涙のように一滴、心の水面にこぼれて、いつまでも波のように打ち寄せては引いていく感じ……
いつもだったら、そんな静かな高揚感を隠して、何気なくすももさんに挨拶しつつ、自分の席へと座ればいいんだろうけど……昨日、「お亡くなりください」なんて言われたばかりだっていうのに、いったいどんな顔をして声をかければいいっていうんだろうか。
色々と作戦を練ってみるに。たとえば――
「やあ、すももさん。こないだは……ゴメンね」
「え?」
白シャツのボタンを上から二つほどはずしたラフな格好で、スポーツマンっぽい爽やかさと、健康的な笑みを合わせて浮かべながら、
「今日の夕方。人気のない校庭でもう一度、二人だけの特別なPKを楽しまないか?」
白い歯がキラーン。カッコよさ二倍増し、とか。
(※この映像はイメージです)
「おはよう、すももさん。こないだは……御免なさい」
「え?」
昭和の文豪の私小説を片手に、ちょっとだけ気難しそうな顔つきで、ついでにロダンの考える人みたいにもう一方の手を顎のあたりにやりながら、
「今日の夕方。図書館の奥でもう一度、二人だけの秘密の勉強会をしてみないか?」
どこか物憂げな鋭い眼差し。知的ノーブルさ二倍増し、とか。
(※この映像はあくまでイメージです)
「おはようさん。すもも、こないだはめんごめんご」
「え?」
いやいやいやと、かなり大げさなジェスチャーで、アホの坂田みたいに脳ミソからっぽの表情を作りながら、
「今日の夕方。体育倉庫の裏側でもう一度、二人だけで……ぐへへへへ」
説明不要、とか。
(※この映像はくどいようですがイメージです)
ああ、ダメだ、ダメだ、ダメダメだ。
というか、考えていることがリビドー塗れになっている気がする。朝っぱらから金剛先輩が勝手に作った可笑しなシャツを目の当たりにしてしまったせいで、ずいぶん毒されてしまったのかもしれない……
いずれにしても、こんな妄想はちょっと非現実的だ。
何より、どれも僕らしくないし……
というか、そもそも僕らしさっていったい何なんだ?
と、そんな深刻なアイデンティティ・クライシスに今さらながら陥りつつも、気がつけば僕はいつものように自分の席にぶらぶらとたどり着いていた。すももさんのちょうど右前にある席だ。当然のことながら、すももさんは僕に視線を投げかけてくるわけで、
「おはよ。荒野くん」
「うん。おはよう。三日ぶりだね、すももさん。こ、こないだは……本当にゴメンね」
「え?」
「そのなんて言うかさ……」
あ、そうか。ついに分かってしまった。
僕らしさって、結局――怖気ついちゃって何も言えないってことじゃないか。
優柔不断で……押しも弱くて……好きだっていう大事な言葉の二文字さえろくに伝えることが出来ない……謙虚さを脆弱さといつまでも履き違えている。それこそが僕――荒野翔こと十五歳、童貞だ。
はは。まあ、やっぱ、そんなところだよね。うん。
「どうしたの? 荒野くん」
「い、いや、その……何でもないよ」
予定調和すぎる受けごたえ。
こうやってきっと内向きに。僕の日常は何もかもが過ぎていくんだ。これまで通りに。そして、いつまでも永遠に――
「はあ」
僕は短くため息をついた。
すると、すももさんがこそりと一言。まるで内緒話のように掌を口もとに当てながら、
「せっかく、だったのにね」
「え?」
「何だか変なことに巻き込まれてちゃってさ」
そんな意外な言葉に、僕は
「本当にゴメンね、すももさん。全部、僕のせいだ」
「ううん。気にしてないよ」
そんなふうにフォローしてくれて、ちょっとだけはにかんで見せてくれるすももさん。
それだけで僕は何だか報われた気分になった。男ってつくづく単純なものだなと実感する。しかも、すももさんはさらにこうまで言ってくれた。
「わたし、嬉しかったから」
「ええ! 本当に? それじゃあ――」
今日の夕方にこの前のところでまた――と、僕が言おうとしたら、
「ねえ、荒野くん。放課後に屋上、行く?」
その瞬間、このまま教室の窓から脳天真っ逆さまにダイブしてもいいと思った。
人生、本当に何が起こるか分かったもんじゃない。『人間万事塞翁が馬』ってマジだったんだね。ありがとう、漢文の先生。期末テストでは間違っちゃったけど、人生ではこれから決して間違えないように頑張るよ。
「うん、行く。行くよ、すももさん。絶対に行く!」
二つ返事でそう言った後のことは、もう何もろくに覚えちゃいない。
もしかしたら、三日前のすももさんの「お亡くなりください」発言は単なる聞き間違えだったんじゃないのかなとか、金剛先輩と鳳会長の変な気迫に飲まれてついつい口走っちゃっただけだったのかなとか、授業なんかそっちのけで、ありとあらゆるシミュレーションが僕の脳裏を過っていった。
そして、あっという間に昼休みが過ぎ、さらに午後の授業も終わって、終業のチャイムと同時に、信じられないほど積極的なすももさんに手を引かれながら、僕は学校の屋上ですももさんと二人きりになっていたわけです――
「荒野くん。あのあのあの、あのね」
「落ち着いて、すももさん。いつも通りに話してくれればいいから」
「うん」
と、ぶんぶんと頷いて、すももさんはゆっくりと一回だけ深呼吸。
「そのね、荒野くん。ちょっとだけ向こう。見ていてくれるかな」
「向こうを……見ればいいの?」
「振り向いちゃダメ」
そんなふうに小悪魔的な笑みで言われたので、僕は鉄柵の方を向き、グラウンド全体を見渡せるところに立った。
トラック内では野球部がサッカー部を追い出し、その周りを陸上部が走り抜け、ラグビー部が相撲部と一緒になって砂場でどつきあっている。そんな放課後の運動部模様――
本日は天気明朗なれど波高し、皇国の興廃この一戦に在り、といったそんな気分。
「いいって言うまで、ダメだからね」
そんなことを言われちゃ、振り向きたくなるのが心情ってやつだけど……
でも、照れるなあ。いったいすももさんは何をやっているんだろう。ふふ。鶴の恩返しかな。
「ねえ、すももさん。まだ?」
「ダメ」
焦らし、焦らされ、やけに長い時間が経ったように感じられて……
「まだあ?」
「いいですわ」
声質の変化に驚いて、思わず振り向いてみると――
そこには、アサルトライフルのような電動ガンで武装した鳳会長の取り巻き連中が立っていた。思わぬ事態に、僕の顎はガボーンと外れそうになったけど、そんな僕なんかお構いなしに、全校生徒に聞こえるかというほどの鳳会長の高笑いが轟いた。
「おーほっほっほ! 袋の鼠とは、まさにこのことですわね。お馬鹿さん」
そして、優雅な動作で口もとから掌をゆっくり離すと、
「まずは貴方が持っている私の拳銃を返していただきましょうか」
「ええと……すももさんはどこへ?」
「あの娘なら階段で待っていますわ。こういう武働きには不慣れでしょうからね」
なるほど。つまり、僕はすももさんに見事に嵌められたってことか。
僕は「ちい」と舌打ちをして、腰のあたりに隠していた拳銃を足もとに置いた。
「あの、鳳会長。一つだけいいですか?」
「何ですか?」
「僕はただ、すももさんのことを――」
好きなだけなんです。
その一言を告げれば、果たして事態は好転してくれるんだろうか?
でも、今もまたこんな目に会うってことは、すももさんに対して脈はないようだし……何よりこんな状況になっても、僕はいまだに「好き」という二文字をこの人の前でさえ口にすることが出来ないわけで……だからこそ、三日前だって、ズルズルと変な状況に陥っていったのだし……
「とにもかくにも……僕は、金剛先輩とは何の関係もないんです」
「それで?」
「だから、僕のことは放っといてください。いい迷惑です」
僕ははっきりとそう言い切った。
でも、鳳会長は一つだけ短く、「ふん」と息を漏らすと、
「でしたら、
「何ですか?」
僕がそう応じると、鳳会長は矢のような眼光で僕を射貫いて、完璧な宣戦布告をしてみせた。
「まず、私にとって貴方は目障り以外の何物でもありませんわ」
「やけにストレートに言ってくれますね」
「当たり前でしょう。金剛さんは貴方のことを好きだとはっきりと言いましたわ。ですから貴方が邪魔なのです。金剛さんの心変わりをいつまでも待つより、貴方を排除した方が早いでしょう?」
「そんな自分勝手な理屈……」
と、僕が顔をしかめるのとは対照的に、鳳会長は胸を張って、さもありなんといったふうな涼やかな表情でこう言い切った。
「鳴かぬなら鳴かせてしまえ不如帰――恋はいつだってエゴイスティックなものですわ」
これが僕と鳳会長との決定的な違いか……
というか、もし少しだけでもいいから僕もこんなふうに
もっとも、鳳会長はそんな僕の妬みなど気にせずにさらに言った。
「そもそも、貴方だって私を責めることは出来ないはずですわ」
「どういうことです?」
「では、お聞きしますが、貴方はあの娘をどうなさるつもりだったのかしら?」
「どうって……いや、その、別に……ごにょごにょ」
「あの娘は私のことが好き。そうでしょう、違いますか?」
その言葉に、僕は悔しそうに唇をギュっと引き結んだ。
「結局のところ、私と貴方は似た立場にあるのですわ。私は金剛さんをお慕いしているけど、金剛さんは貴方のことを想っている。逆に、貴方はあの娘を気にしているようですけど、あの娘は私のことを――といったふうに。そうでしょう?」
「つまり、僕らのうち、残るのは一人だけでいい。そういうことですね?」
「おやまあ、珍しく、飲み込みの早いこと」
そりゃあ、振られた上にこんな仕打ちまで受ければ、どんな意気地なしだって色々と吹っ切れますよ。
「ところで、鳳会長に聞きたいのですが……まさかそこの取り巻き連中がいないと何も出来ないというわけじゃないでしょうね?」
「あら、今度はずいぶんなことを言ってくれますわね」
そう言って、鳳会長は取り巻きを下がらせた。
最早、交渉の余地はなし。残された選択肢は、相手を屈して譲歩させることだけだ。
まあ、とても分かりやすいルールだ。鳳会長は颯爽と二挺の拳銃を取り出し、慣れた手つきで弾倉に装填した。その間、僕は着ていた白シャツを脱いで屋上の水道で濡らした。
そのまま元の位置に戻って、両掌を白シャツで覆うようにして、僕はボクシングのブロッキングのポーズを取ってみせる。
「別に、それを使っても構いませんのよ」
鳳会長は驚いたといったふうに、一瞬だけ目を見開いてから、さっき僕が足もとに置いた拳銃を指差した。
「いいえ、結構ですよ。女性をエアガンで撃つなんて出来ませんし」
「そう……では、目もとには注意しなさい。トイガンだからといっても、当たれば最悪の場合、失明してしまうこともありますから」
直後、一涼の風が吹き抜けた。
何だか、上空の雲の流れがやけに速い気がする。
すると、鳳会長は短いスカートのポケットから古い硬貨を取り出した。映画なんかで見慣れたカウボーイスタイル――左手でそれを弾き上げようとする。
一瞬の静寂。空気は熱く、じりじりとしていた。
そして、ピンっと鈍い音を立てて、鳳会長の指からコインが宙へと舞った。きれいな放物線を描いて、僕と鳳会長のちょうど真ん中にそれが落ちたときだ――
鳳会長は両腕を真っ直ぐに伸ばし、二挺拳銃を水平に寝かせた。
横撃ちで、二つの火力を一点に集中させる。二人の距離はおよそ十メートル。直進すれば二、三秒ほどといったところか。
だから、銃口から逸れる為にはジグザグに進むしかなかった。でも、横撃ちでは素早く対応されてしまう。まさかこんなところでシューティングゲームの経験が活きてくるなんて……
僕はまた「ちい」と舌打ちをした。
姿勢をなるべく低くして、顔をかばうように濡れた白シャツを盾のように掲げる。
それでも、放たれた弾丸が四、五発、白シャツや腕に当たった。痺れるような痛覚――もし膝の関節を狙われたら、体勢を簡単に崩してしまったかもしれない。だからこそ、早く勝負を決めなきゃいけなかった。
僕は亀のように
背中に幾つか弾が当たったが、気にならなかった。わずかに腰を浮かせて、そして一気にダッシュする。
勝負はほんのわずか一秒フラット――
鳳会長まで二メートルほどの距離に近づくと、僕は白シャツを大きく開いて一気に投げ出した。
僕たちの視界を大きく遮る白い布地。その下から、鳳会長の足運びがちらりと見えた。
それは動揺だったのか。あるいは、狡猾な罠か。
でも、射撃姿勢の足取りじゃなくなっていたのは確かだった。
僕はそこにわずかな勝機を見出した――
が。
はてさて、ここからいったいどうすればいい?
実は、何も考えていなかった。だって、女子を殴ることなんて出来ないし。押し倒すなんてのも、もっての他だ。
ベストなのは、鳳会長の両腕を組み伏せて撃てなくすることなんだろうけど……そんなカッコつけてなんかもいられない。本当にギリギリの勝負なんだ。その間にも、視界を遮る白シャツは屋上の床に落ちていく。
そのときだ。
「くっ!」
僕の右膝に激痛が走った。
鳳会長が闇雲に撃った一発が、膝の皿に直撃してしまったのだ。
突き刺すような冷たい痛みが右足を痙攣させ、僕は思わず転倒しそうになってしまった。そして、無意識のうち、すがるようにして鳳会長の腰にしがみついていた。ちょうどタックルを喰らわすような格好だ。
「うわあああ!」
「きゃあああ!」
そのまま僕たち二人は、屋上の床に叩きつけられていた。
「あ! 鳳会長、すいません。大丈夫ですか?」
声をかけてみたものの、鳳会長はどうやら伸びているようだった。
どうやら外傷はないようだ。僕は「ほっ」と安堵の息をついた。気を失ってしまったんだろうか。まさか脳震盪かな。だとしたら早く診てもらった方がいいんだけど……
でも、倒れているっていうのに、やけに気持ちよく、すごくきれいな笑みを浮かべていて、何だか僕まで清々しくなってしまった。
「それなりに良い勝負が出来たのかな」
何にしても、後は保健室にでも連れて行ってもらえればいいかな、と思った矢先だった。
僕の周りを取り巻き連中が電動ガンを持って取り囲んでいたのだ。僕は両手を上げて降参のポーズを作った。それでも、幾つもの銃口は無音の威圧感でもって、僕だけを真っ直ぐに捉えていた。
僕はギュっと下唇を噛みしめた。
ちくしょう。
せっかく鳳会長を倒したというのにこの
どうする? ここからどうやって抜け出す? この
もっとも、どれだけ脳みそを味噌のようにこねくり回しても、答えは全く出て来てくれなかった。
「……万事休すか」
そう呟いて、僕が眉間に皺をやって、目を細めたときだ――
「荒野翔くん! 目を閉じろ!」
急な呼びかけに、僕は何とか咄嗟に目をつぶった。
次の瞬間、閃光らしきものが閉じた瞼の上からもはっきりと分かるほどに眩しく映った。
目を開けたときには、周りにいた取り巻きの女子たちは当て身でも喰らったのか、全員が屋上に寝そべっていた。その中心に悠然と突っ立っていた金剛先輩はというと、「ふんぬ!」と、いつものごとく白い道着を肌蹴てみせてから、
「ふふ。しっかりと目に焼き付けたか? これぞ、秘奥義の力だ」
いや、あの光の中で見られるわけがないでしょ。
そもそも、「目を閉じろ」って言ったのは金剛先輩じゃないか。
とは、さすがに僕も口には出さず、感謝の言葉さえ告げずにごくりと唾を飲んだ。というのも、金剛先輩の周囲にはいかにもゴゴゴといったふうな禍々しさがあったからだ。
「すももという娘に会いたいか?」
いつになく厳しい眼光を投げつけてくる金剛先輩――
その目つきが、戦いがクライマックスに差しかかっていることを物語っていた。
「はい」
「ならば、ついて来い。ケリはそこでつけよう」
というか、戦いって……
これは恋の物語じゃなかったっけ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます