第2話 恋人はスナイパー

 あれから三日間ほど、僕はすっかり寝込んでしまっていた。


 もちろん、教育テレビを見ていたわけでも、お気に入りのようつべ動画を一気見していたわけでも、あるいはソシャゲのガチャを回しまくっていたわけでもなく――


 ただ呆然としたまま、ベッドで横になり、ぐるんぐるんと悶えるようにして寝返りを打ちまくっていただけ。


 眠れない夜に頭上を過ぎて行った羊の数はおよそ一万二千匹。いやはや、ギネスブックに申請したいぐらいだよ。


 でも、三日もかけて、くすぶる気持ちをやっと整理整頓して、久しぶりに実家の部屋の窓をガラっと開けてみると――


 初夏のからりとした空気が頬を過っていった。


 とても眩しい日の光に、どこまでも澄み深まった海のような空。まあ、リスタートをきるには良い一日の始まりなんじゃないかな。


 と、僕は考えて、「うーん」と背伸びした。


 やっぱり人間は二足歩行するべきだね。このままずっと横になっていたら病人まっしぐらだよ。今日はもうズル休みなんかせずに、ちょっとだけ早めに家を出て、チャリをかっ飛ばして学校へ行こうか。


 そんなふうに思いついたときだった。


 ふと、違和感を覚えたのだ。


 眼前に広がるのは、いつもと変わらないはずの日常風景――


 郊外の閑静な住宅街で、長閑な朝のひとときのはずなんだけど……


 よくよく目を凝らして見ると、トラ猫が家の前の坂道をてくてくと上がり、ランドセルを背負った子供たちがそんな猫を後追いしてはしゃいでいる。


 うん。ごくごくいつもの光景で、何もおかしいところはない……そう、そのはずなのに……


「気のせいかな……」


 僕は首を傾げ、大きな欠伸を一つだけついた。


 多分、ずっと気鬱にしていたから、まだぼうっとしているのかもしれない。


 これはいけないな。もうヤメヤメ。気持ちをしっかりと入れ替えて、学校へ行く支度でもそろそろ始めようじゃないか。


 と、窓から離れた瞬間だった。


「フギャ、ニャニャニャ!」


 唐突に猫の悲鳴が上がった。


 次いで、「わーっ!」、「きゃあ!」と、子供たちの泣き叫ぶような声音も。


 ……

 …………

 ……………………


 そんな騒ぎの後、再び静寂がやってきた……


 というか、あまりに不自然な静けさだ。むしろ、その無音状態が威圧感をもって、僕の背中にひしひしと迫ってきているのは気のせいだろうか……


「落ち着け。この三日間、あまりにボケっとし過ぎて、脳みそが味噌になっちゃったんだよ、きっと」


 僕はぶんぶんと頭を横に振って、単なる思い過ごしだと否定した。


 でも、歯磨きをしているときも、家族と食事をして「今日は学校に行くから」と伝えたときも、あるいは制服に着替えているときでも――どうにも粘りつくような視線を受けているような気がして堪らなかった。


 そんなプレッシャーを振り払うかのように、僕はチャリにまたがり、猛烈にこぎまくって、学校へと三日ぶりに到着した。自転車置き場にチャリを並べて、まだ人気の少ない校舎裏を歩いていると、再度、背中を刺すような妙な視線を感じた。


「ん?」


 すぐに振り向いてみると――


 そこにはなぜか、大きな麻袋が口を開けて浮いていた。


 というか、超生徒会の取り巻きと一緒になって、鳳会長がそれを持ち上げていただけなんだけど……


「あら、なかなかに鋭いじゃありませんか」

「ええと……何をやっているんですか?」

「ふふん。ちょっとしたラジオ体操のエクササイズですわ。ほら、貴方もご一緒に。一、二、三、死、二、二、三、死――」


 何だか、四の文字が妙に違う気がするんですが……


 しかも、絶対にその麻袋で僕を拉致ろうとしていたでしょ。


 と、僕が疑わしそうな視線を投げかけていると、鳳会長はそんな疑念を爽やかにスルーして、雅やかに肩をすくめてみせた。もし高飛車な態度のワールドカップがあったなら、この人はスポンサー枠なんて関係なく、日本代表のエースとして決勝トーナメントを余裕で勝ち進むに違いない。


「全くやれやれですわ。お家でずっと寝込んでいればよかったものを。わざわざ一学期の終業式前日に、我が愛すべきこの学び舎に浸入するだなんて、校則違反もいいところです」

「あのう……僕はごくごくふつーに学校へ来ただけなんですけど?」

「普通にですって?」


 そのとたん、なぜか取り巻きからも、くすくすと笑い声が漏れた。


「これをよくご覧なさい」


 いきなり目の前に出されたのは一枚のわら半紙だった。


 そこにプリントされていたのは、『健全な男子生徒を育成するための規則(仮題)』と記された簡単な議事録。その内容はというと――


・「俺のモノになりたんだろ」といった発言の禁止

・「俺のモノにならないなら、壊すしかないな。この世界を」などの発言も禁止

・眼鏡を外して、「ふっ」と微笑するのも禁止

・右手がついつい疼いて、壁ドンしちゃうのも禁止

・上級生が下級生の制服のタイを握ってはいけない

・下級生が上級生の背中に隠れて、何かを期待するような眼差しを投げかけてはいけない


 等々、まあ、どこぞの美少年ラブ小説から抜き取ってきたかのようなことがつらつらと書き連ねてあった。


「――って、何ですか、これは?」

「座して感謝しなさい。夏休み前に制定されたその新たな校則の栄えある適用者第一号こそ――」


 鳳会長はそこで言葉を切ると、以前のように細くてつやつやな指をスっと僕の方に差し示した。


「貴方になるのですわ!」

「んな! 何故に……僕が?」

「先日の件を鑑みるに当然のことです。この学校では、わたくしこそが校則なのですから」


 そんなことを堂々と言いながら、鳳会長は胸に手を当てて悦に入った。


 というか、この人が生徒会長になれたのは、そのあまりにも手段を選ばない直情径行に全校生徒が恐れをなしたからなんじゃなかろうか。大人しくしていれば誰もが認める超絶美人なのに……


 そういえば、と僕はふいに思い出した。この鳳会長と金剛先輩の両家は異世界恋愛モノみたいな婚約を取り結んでいたわけだけど……たしか金剛先輩の実家は日本でも有数の武門の旧家、その一方で鳳会長は世界有数のグローバル企業だったはずだ。


 僕が嵌っていたソシャゲだって、鳳グループの傘下企業で、ウィキペディアなんかでその事実を知って、「ほへー」と感心した記憶があった。


「とまれ、私もそこまで厳しくはありません。何と言いましても、超生徒会長たる私に求められるモノは、全校生徒に対する寛大な御心」


 うわー。自分で心とか言っちゃっているよ、この人。


 引くわー。一人称が俺様とかわらわとかちんとかよりもドン引きだわー。


 とかいう、僕のしごくまっとうな心のツッコミなんて露知らず、十人ほどの取り巻きたちが鳳会長の発言を受けるや否や、ハンカチを取り出して、「よよよ」と涙をすすり始めた。うーん、わざとらしい……


「そこで一つ、貴方に条件がありますの」

「また条件ですか……」

「ええ、そうですわ。貴方、金剛さんから手をお引きなさい。そして、二度と会わないと誓約書をここで一筆、したためるのです」

「えーと、だから、僕はそもそも金剛先輩とは何ら関係ありません」

「よくもまあ、いけしゃあしゃあとそんなことを言えたものですわね」


 そのとたん、鳳会長のきれいな顔が怒気に染まっていった。


 何も悪いことをしていないはずなのに、僕の胃はちりちりと焼けそうな感じになる。美人を怒らせると怖いって本当なんだな……


「私が何も知らないと思っていますの!」

「い、いや……だからですね……わら半紙に書いてあるようなことなんて、そもそも一つとしてありえないんですけど?」

「ふう。仕方がありません。不愉快ですが、言って差し上げましょうか」


 直後、取り巻きの一人が鳳会長に近づくと、レポートらしき束をそれはもう恐る恐るといったふうに手渡した。


「たとえば……んん、こほん……こんなことが報告されていますわ――金剛さんが貴方への想いをポエムに託して『乙女チック通信』に毎週送りつけていること。スマートフォンの待ち受けや、パソコンのディスクトップに貴方の画像を使用していること。他にもまだまだありますわ。部屋にたくさん貼ってあるポスター、抱き枕やシーツやタオルに印刷されている等身大の貴方の姿……ん、もう! こんなもの読みたくもない!」


 鳳会長がパンっと束を地に投げ捨てると、「ひいっ!」と取り巻きたちが短い悲鳴を上げて、ばたばたと見事に倒れていった。うーん、これもやっぱりわざとらしい……


「というか、マジなんですか、それ?」

「マジです……んん、こほんこほん。本当ですわ。それでも白を切るつもりですか?」


 その前にささやかな疑問。


 はてさて、この人たちはどうやってそんな他人のプライベートを調べたんだろうか?


「嗚呼……貴方たち二人が、私のあずかり知らないところで、こんなにも深く愛し合っていたなんて……何とまあ、許すまじき所業!」

「いや、だからさっきのは全て、金剛先輩が主語だったですよね。僕は一方的に気持ち悪いことされているだけの立場でしかなかったはずですよね?」


 でも、僕の懸命な説得はまったく届かなかった。


 集団ヒステリックとは怖いもので、むしろ状況はさらに悪化する一方だ。いやはや、どこぞの独裁国家と同じくらい、この人も全く聞く耳を持っちゃいない。ある意味、金剛先輩と似た者同士なのかもしれない。


 そんなふうに僕が呆れかえった表情を浮かべていると、鳳会長はいきなり制服の胸もとから黒光りする拳銃を取り出してきた。スライドを引いてコッキングをし、銃口を僕に向ける。


「えええ! な、何でそんなものを持っているんですか?」

「些細なことは気にしなくていいのです」


 いやいや、絶対に気にするべきでしょ。


 というか、常識的に考えて銃刀法違反なんじゃ?


「この学校では、私こそが法律なのですから!」

「んなっ!」


 うわ! その一言で正当化するつもりだ、この人!


 美人や天才は狂人と紙一重というけど、まさにゴーイングマイウェイ。世界は自分を中心に回っているというのを地で行くタイプだ。


 それより、どんどん何でもありな方向になっていくのは気のせいだろうか……


「待たれい――――っ!」


 そのときだ。例によって、図太い声が響いた。


 どこからともなく聞こえてきたそんな重低音ボイスに、僕は思わずキョロキョロと周囲を見回したのだけど、肝心の声の主が見つからない……


「ご令嬢! 先ほどの件。多少、情報が古かったようだな」

「ほう。どういうことかしら、金剛さん?」


 鳳会長はキっと鋭い視線を校庭の隅っこの花壇へとやった。


 そこにあるのはごくごく普通の花々と、もそもそと茂った草木ぐらいなんだけど……ん? ええと、よくよく凝視してみると、わずかに異質に映る緑色の物体があるぞ、何だありゃ……


「ええと……その前に金剛先輩。僕から一つお聞きしたいことがあるんですが?」

「うむ。何だね。荒野翔くん」

「そんな格好で何をやっているんですか?」


 というのも、草木の中で金剛先輩が着ていたものはいわゆる迷彩服――


 それも柄だけの安っぽいものじゃなく、本格的なリップストップの野戦服だったのだ。他にも、ブーニーハットやゴーグル、モジュラーベストまで着込んでいて、顔もしっかりと塗りつぶして校庭の隅っこで寝そべっていた。


 なぜ僕がそんなことに詳しいのかというと、一時期FPSのシューティングゲーム好きが高じて、ミリタリ系の情報を色々と漁ったことがあったからなんだけど……まあ、それはともかく、金剛先輩はというと、その場で微動だにすることなく問い返してきた。


「お前も漢ならば、見ただけで分かるはずだろう?」

「いえ、どう見ても、さっぱりきっぱりすっぱりと分からないです」

「ふむん。やれやれ、仕方がないな。説明しよう。これはプローンと言ってだな。地形に擬装しながら寝そべって撃つ射撃体勢のことなのだ。姿勢が低いから対象に見つかる可能性が少なくなり、しかも射撃そのものも安定する。まあ、恋のスナイパーにとっては基本的な体勢の一つだな。よくよく覚えておきたまえ」


 そこまで言って、金剛先輩は四角張った親指を突き立てた。


 誰が覚えるか、そんなものっ! と、僕は心の中で毒づきつつも――まさかとは思うけど、今日の朝から感じていた妙な違和感ってもしかして……


「ちなみに金剛先輩。今朝はどちらにいらしたんですか?」


 すると、先輩は急に顔を赤らめ、モジモジし始めた。


 げ。ありえねえ。やっぱりいやがったんだ、この人。家の近くに朝早くから。こんなふうにカモフラージュして。あるいは、もしかしてこの三日間ほどずーっと? うわあ……


「それより金剛さん。情報が古いとは、いったいどういうことなのかしら?」

「うむ。そのことなのだがな、ご令嬢――」


 金剛先輩は上体を起こして、臆面もなく上半身の迷彩服をたくし上げた。


 その下に着込んでいたシャツにプリントされていたのは、紛う方なく僕の画像――しかも、上半身が裸。そして、なぜか下半身に着用しているのは、ちょっとエッチな赤ふんどしっ!


 もしかしたら、春の健康診断のときにでも隠し撮りされていたのかもしれない。というか、下半身は画像加工で完璧に修正が施されていて、あられもないポーズを取っているように見えるのは今すぐ記憶から速攻削除したいところだ。うう、自分の画像なのにトラウマになりそうだよ。


「ご令嬢。最近になってこういうものを作ってみたのだ。中々に快適だぞ。何なら一枚贈呈してもいいぐらいなのだが?」


 その恥ずかしいシャツを見て、鳳会長はきれいに卒倒した。


 一方で、僕はすぐさま鳳会長の手から拳銃を奪い取ると、真鍮製の銃身であることを確認した。


 そして、フロントサイトからしっかりと目標を捕捉。一撃必殺、躊躇することなく、金剛先輩に向けてトリガーを引く。


「このド変態めがっ!」


 プラスチック弾は先輩の眉間にスポンと当たって、「あ、痛っ!」とか何とか言いながら、金剛先輩はというと茂みの中に隠れると、素早くどこかにいなくなった。


 ふう、やれやれだ。


 久しぶりの登校早々、最悪の一日の始まりじゃないか。

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