第1話 マッハパンチじゃ砕けない!

涼果すずかすももさんんん――っ!」


 十五年の人生にして、この告白の瞬間を短距離走で例えるならば――


 それはまさにゴール直前。ゴールラインに少しでも近づこうと思いきり胸を張って、テープをからませながらのウイニングランまでちょうどイメージ出来たといったところか。


 ここまで来るのに必死でダッシュしてきたせいで、呼吸はひどく乱れていたし、胸のあたりがさっきからけるように熱い……


「僕はすももさんのこと、ずっとおおお――っ!」


 と、そこまでは勢いだけで言えたのだけど、つい噛んで口ごもってしまった。


 まるでタイムの確認でもするかのように、ちらりとすももさんの方へと目をやる。遠くの空が夕日に染まって、人気のない校庭にはしだいにはっきりと影が下りていく。


 そんな暗がりの中で見えた彼女の表情は恥じらいだろうか。


 それとも照れ隠しなんだろうか――すももという名前の通り、いつもはほんのり紅い頬。それが今では二倍増しぐらいに真っ赤になっていた。


 もう後戻りなんか出来ない……


 スタートはとうに切られたんだ。逆走なんてあり得ない……


 だから、さあ、最後の勇気を振り絞れ。あとわずか一歩でゴールなんだから。


「僕は! 小さな頃から、すももさんのことだけを――」


 でも、そこから先がうまく言い出せない。


 何だかすごく情けなくて……切なくて……そして辛くて……


 一番大切なはずの想いがプレッシャーとなって、じっと圧し掛かってくる。蝉が催促するようにさっきからみんみんみんみんとうるさく鳴き散らし、初夏のじんわりとした暑さのせいか、白シャツの襟が首筋にやけにからみついてくる。


「す、す、すももさんのことを、ずっと、ずっと、ス――」


 言え。


 言ってしまえ。好き、だと。


 たった二文字じゃないか。それでゴールだ。


「ずっと、す、スス……スッ――」


 そして、キ、と僕が子音まで言いかけたときだ。


 いきなり、耳をつんざくような絶叫が校庭全体に響いたのだ。


「その告白! ちょっと待ったあああああ!」


 それは校舎の陰から聞こえてきた。


 やけに図太くて、まるで地響きのようにお腹にくるほどの低い声音だ。


「待ちたまえええ! 荒野翔くんんん!」

「だ、誰だよ、こんなときにっ!」

「誰かと聞かれたならば、まず名乗らずにおくのは無礼と言うもの!」


 い、いや、こんなときにわざわざご丁寧に名乗らなくてもいいから!


 と、そう言いかけて、僕は思わず息を飲んだ。なぜなら、校舎の陰からドスンドスンと歩いてきたのは、同じ高校生かと見紛うほどにゴツゴツとした岩のような筋肉を誇る巨体の男だったから。


「俺の名前は――」


 そこで言葉を切って、その男はいきなり着ていた白い道着をなぜか豪快に肌蹴はだけてみせた。


「金剛拳士郎! 二年にして超空手部主将、何より世界最古の七つの秘奥義を託されたおとこだ!」

「……は?」

「申し訳ないのだが、君とケリをつけたいことがある」

「い、いったい……急に何なんです?」


 とはいえ、そう言ったまま、金剛とかいう二年の先輩は微動だにしなかった。


 いや、わずかに動いた――分厚い胸板がひくひくと。それからぱっくりと六つに割れた腹直筋がもそもそと。どこか挙動不審で、不気味にモジモジしているように見えるのは、決して僕の気のせいじゃないと思う。


「俺は! つまりだな、そう! 漢ぶりがいい! いや……この場合、そのアピールは何だか違うな」

「……はあ」


 というか、この先輩、脳細胞まで筋肉で出来ているんじゃなかろうか?


「ええと、金剛、先輩でしたっけ……こっちは今、ちょうど大切なところだったんですけど」


 僕がそう抗議すると、金剛先輩は「ふんす!」と鼻息荒く、超空手の雲手の型を構えてみせた。


 何だかいきなり臨戦体制だ。しかも、「すーはーすーはー」と、えらく激しい深呼吸をして、僕をギロリと睨みつけると、今度は一気呵成にこう叫んだ。


「俺はだな、荒野くん! 耳の穴をかっぽじってよく聞くんだ! 実は! お前のことが! 好きなのだあああああああああああーっ!」

「はいはい――」


 と、手であっちへ行けの仕草をしながら聞き流したのがマズかった。


 え? 今、この先輩、何て言った? 日本語がおかしくなかったか? というか、まるで外国語でも聞かされたような気分だ。


 何より、僕が言うべき大切な二文字が、目の前を素通りしていったような気もするんだけど……


 実際に、すももさんを見てみると、さっきから両手で口を覆いながら三倍ぐらい紅くなって、ふるふると震えているし……金剛先輩はというと、職務に忠実な軍曹のような直立姿勢で、僕のことを穴の空くほどじっーと真っ直ぐに見つめているし……


「あのう……もちろん、ジョークか何か……ですよね?」

「断じてそれは違うぞ! あれは忘れることも出来ない春先のことだ。俺はお前を一目見ただけで、心臓部位に正拳突きと正面蹴りを喰らい、さらにはチョークスリーパーホールドで絞め落とされたようになってしまったのだ。そう。まさに恋に落ちたとは、こういうことを言うのだろうな、ははははは!」


 そしてビシッと、四角張った親指をサムズアップで突き立てると、


「当然、お前も漢なら分かってくれるだろう?」


 いやいや、全く分からないですからっ!


 僕は校庭の隅っこで悲鳴を上げそうになるのをグっと堪えながらも、すももさんへとすがるような視線を向けた。


「あのね。荒野くん。わたしはわたしは――」


 頬を真っ赤にして、小動物みたいにあたふたするすももさん。


 そんな健気な様子に、僕のハートも思わずショルダータックルからパワーボムの連続コンボをもらいそうになったけど……って、うわ、危ない。これじゃ、金剛先輩の口ぶりそっくりじゃないか。


「そのそのね。ええと――」

「落ち着いて、すももさん」

「うん、わかった」


 すると、すももさんはちょっと俯き加減で、「そうだよね」と頷いてみせた。


「わたしは思うの」

「何をだい?」

「恋愛は自由でいい、って」

「へ?」


 ど、どういう意味ですか、それは……


 というか、全くもってフォローになってないんですけど……


 むしろ容認ですか? 岩男みたいなこの先輩をヒロインにしてボーイズラブにでも突入しちゃえってことですか? あるいは、婉曲に僕を振ろうとしているわけですか?


 そんなふうにして僕が呆然自失しかけていると、今度はどこからか爽やかな風が吹き抜けてきた。何だか、ちょっとだけ気持ちのいい涼風だなと思った矢先のことだ――


「お待ちなさい! そこの方々!」


 いきなり鋭利なかん高い声が、その風に乗って校庭に響き渡った。


「いったい今度は何だよ」、とは僕。

「ふむん、その声はもしや?」、とは金剛先輩。

「え、ええ? ももも、もしかして!」、となぜか驚いた声を上げたのがすももさん。


 そんなふうにして三人の声が微妙なアンバランスさ具合でハモると、校舎の一角から煌びやかな集団が一斉に前進してきた。


 女子ばかりだいたい十人くらいだろうか。みんな制服のブレザーに六枝星のバッチを付けていて、歩くたびにそれが夕日でキラキラと輝く。あれは間違いない。生徒会の連中だ。揃いもそろって、人が告白しているときに邪魔ばかりしやがって……くそう。


 と、僕が渋面を浮かべていたら、その中の一人が颯爽と前に進み出てきた。


「そこのお三方。頭が高いですわ! こちらにいらっしゃる御方は、本校の生徒代表超会長であらせられる鳳栄華おおどりえいか様ですのよ!」


 そう言うと、取り巻き連中は真ん中にいた超絶美形の鳳会長に跪いてから、マイナス十度ぐらいの冷たい視線を僕たちへと浴びせてかけてきた。もちろん、鳳会長からも圧するようなオーラが発せられている。


 そのせいか、まずはすももさんが弱々しくこうべを垂れ、僕も渋々とぺこりとおじぎ、それからどういうわけか、あの金剛先輩までもが膝を屈した。


 そんな状況で、鳳会長は僕たちのすぐ前に出てくると、長い黒髪を掻きやって華々しい笑みを浮かべる。


「金剛さん。少々お戯れに過ぎますわ」


 それは何もかもを見下すかのような傲岸な美声だった。


 ただ、僕はそこで眉をひそめた――戯れってどういうことだろうか。つまり、金剛先輩は僕をからかったということか。


 だとしたらすごい腹が立つ……けど、よくよく考えれてみれば、腹立たしいどころか、ある意味で全くオッケー、無問題。あんな告白は一切なかったことにして、さっさとどこかに行ってほしいぐらいだ。というか、この先輩のおかげで僕もどこか吹っ切れて、すももさんに大事な二文字を言える雰囲気が出来た気もする。


 もっとも、当の金剛先輩はというと、海苔のような太い眉毛をピクリと動かしただけで、


「ふふ。ご令嬢。もちろん、戯れなどではありませんよ」


 と、大胆不敵にニヤリと笑ってみせた。


「まあ……では、まさか!」

「ええ。俺の心は一心不乱、玉砕覚悟。何と言っても一球入魂の覚悟で、荒野翔くんにこの思いのたけを全て伝えたのです。それを幾らご令嬢とはいえ、戯れなどという言葉で汚すのは無礼千万!」

「その言葉に嘘偽りはないのですね?」

「ありません! この落日の紅い輝きに誓って」


 そこまで言うと、金剛先輩は夕空の斜陽に向けて高々と指を一本差した。


 数秒間ほどの静寂……


 アホー、アホー、と遠くからカラスの鳴き声が聞こえてきた……


 そして、その場にいた誰もが首を傾げて、三日前に食べたものをいまいち思い出せないといったふうな表情になったとき、鳳会長だけが整った顔を歪め、ヒステリックにこう言い放った。


「金剛さん! このことは単なる恋煩いでは済まされませんのよ!」

「分かっています、ご令嬢。たしかに鳳と金剛の両家によって定められし俺たちの婚約を覆す事態になることでしょうな」


 うっそ! 今どき高校生同士が婚約だって?


 そんなの異世界恋愛の悪役令嬢モノでしか聞かないフレーズだと思っていたよ。


 でも、そういえばこの高校に入ったとき、美女と野獣の噂を耳にしたようなしなかったような……僕にとってはほとほとどうでもいいことだったから、今の今まですっかり忘れていたけどさ。


 すると、鳳会長は「すうう」といったん深呼吸してから淡々と尋ねた。


「そこまでの覚悟をお持ちということなのね。いったい、なぜなのですか?」

「俺は金剛家を背負う漢であると同時に、一人の人間、いや本能に忠実なけだものでもあるからです!」


 ええと、まあ、言ってることはカッコいいのかもしれないんだけどさ……


 というか、何なんだろう、この展開は……僕のすももさんへの告白はいったいどこへ行ってしまったんだ?


「あのあのあの。そのう……」


 そんな理不尽な状況で、今度はとても可憐な声が上がった。


 言うまでもないだろう。僕の最愛の人、すももさんだ。でも、二人の先輩から、すももさんはキっと睨まれてしまった。


 あんなキャラの濃い二人にがんをつけられたら、さすがに気弱そうなすももさんもひとたまりもないだろうなと思っていたら――ところがどっこい、すももさんは怯むことなく、ちょこちょこと少しずつ前に出てみせると、


「わたし。じじじ、実は――」


 ちらっと僕を見て、はかなげな笑みを浮かべると――


 すももさんは淡い唇を震わせながら、こう言い切ったのだ。


「鳳様のこと。好きです!」


 ……

 …………

 ……………………


 今度こそ、しばらくの間、本当の静寂……


 夕日がついに地平線に隠れて、校庭に灯りが点いてからやっと、すももさんは恥らうような声音でもう一度だけ繰り返した。


「好きなんです。どうか妹のように可愛がってくださいませ、鳳お姉様!」

「「「えええええ――――っ!」」」


 さすがに誰もがポカンと口を開け、事態を把握するのに苦しんだ。


「あ、あら……暗がりでよく分からなかったけれど……中々に見所のある娘ですわ」


 何とか反応したのは鳳会長。


 さすがに生徒会長だけあって頭の回転は早いようだ。シャンプーのモデルみたいなさらさらヘアをなびかせて、一瞬で小悪魔的な笑みを浮かべてみせると、


「いいでしょう。そこの一年生女子」

「すももと申します」

「そう、すももさんね。覚えて差し上げるわ。それに意外と気丈なところも、よろしいことじゃなくて? 私の妹にして可愛がってあげても構いませんわよ」

「ほ、本当ですか?」

「そのかわり、条件があります」


 鳳会長の細長い指がピシっと、僕の方を真っ直ぐ差し示した。


「そこにいる一年生男子を亡き者にしなさい! 手段、方法は選ばなくても結構ですわ。どんな形であれ、私が許可いたします」

「んな……理不尽な!」

「理不尽ですって? 私の愛する金剛さんをこれほどまでに苦しめ、あまつさえ私の心労となり、そのせいで私はきっと肩こり、にきび、冷え性や手荒れなどに悩まされ、さらに睡眠不足になったり、栄養バランスを崩したり、最後にはタバコ、アルコールやドラッグに溺れることになってしまうのですわ。ああ、何てことでしょう。まったくもって許すまじき所業!」


 おいおい、どこからそんな未来予想図ができるんですか。


 というか、全ては鳳会長の勝手な思い込み以外の何物でもないように思うんだけど。


「よろしいですわね、すももさんとやら!」

「はい。鳳お姉様!」

「え! 本気なの、すももさん?」


 僕の弱々しい問いかけに、すももさんはギュッと小さな拳を固めてみせた。


「書記長、こちらへ」


 すると、鳳会長は取り巻きの一人を呼びつけて、鷹揚にこう言いつけた。


「明後日、臨時の超生徒代表評議会を開きます。提出する議題は、『男子生徒の恋愛について』。今から書類をまとめておきなさい。議案が通過すると同時に、私たち超生徒会は全力をもってこの男子の行動を阻止いたしますわ」

「んな……あまりに身勝手で非常識な……」


 僕の悲痛な叫びなんて華麗にスルーして、鳳会長は金剛先輩に向き合った。


「金剛さん。私、貴方のことを諦めたわけではありませんわ。たとえ両家によって決められていたとはいえ、私は今でも貴方のことを深く想っているのです。それが叶わぬというのなら、私はどんなことでもする女になりますわ」

「ご令嬢。それでも荒野翔くんに手をかけることなど、俺が断じて許しません!」

「金剛先輩っ!」


 藁にもすがる思いで、僕が先輩の背中に隠れようとすると――


 ぴくぴく、と先輩の三角筋が不気味に上下した。肩で笑うって、きっとこういうことを言うんだろう。その先輩はというと、僕にやっと聞こえるぐらいの低い声でこう囁いたのだ。


「護るわけではないぞ。他人にむざむざらせはしないということだ。お前が俺のものにならないというのなら、七つの秘奥義に誓って、俺こそがお前をこの手で殺める。この愛を永遠のものにする為にも!」


 振り向いた金剛先輩は、完全に逝っちゃった目をしていた……


 そのとき、シャツの袖を引かれる感じがしてすぐ隣に目をやると、いつの間にか、すももさんがちょこんと突っ立っていた。


「ど、どうしたのさ……すももさん?」

「ごめんね。荒野くん。どうか、わたしの為にも――」


 つぶらな瞳がうるうると、僕を切なげに見つめていた。


「お亡くなりください」

「え――――っ」


 気がつけば、僕は涙目になりながらダッシュで逃げ出していた。


 苦節、十五年。人生で初めての告白は見事に砕け散った。思えば、ゴール直前まで来たはずなのにどこをどう間違えたのだろうか。いつの間にか、僕はトラックを逆走し、ゴールからどんどん遠ざかっていったわけだ。


 でも、あきらめたら、恋はそこでお終いだから……


 せめて、すももさんに『好き』という二文字を伝えるまでは……


 そう。最低でも、この想いを胸に抱えてゴールテープを切るまでは頑張ってみたいと、必死に逃げ惑いながらも、すももさんのことだけを一途に考えていた自分をちょっとは褒めてやるべきなのかもしれない。


 と、その前に一言だけ。


 見苦しく叫ぶことを許してほしい――


 ごんぢぐじょーっ!(ずずず)

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