Episode020 イスペルト家
魔獣への果てなき憎悪から、騎士よりも冰力使い育成に金をつぎ込んできたのは、冰結宮殿の上層を独占するフィネアネス皇国である。
魔獣全盛期時代、皇国がまだ皇国として統率されていなかった時代でも、強い冰力使いを輩出した家には褒賞金が舞い込み、その領地をまとめる貴族として名を馳すことができた。
最も栄光に輝き、かつ今までその栄光を保ち続けている貴族は三大公爵家とよばれている。
そのなかでも異色を放っているのが、冰力使いではなく騎士として大貴族に成り上がった《騎士公爵家》だ。他の公爵家が十人の冰力使いを戦場に送り出すとすれば、騎士公爵家は千人の騎馬兵を戦場に送り込む。優秀な騎馬兵と主将の稀代な戦略性、騎士道という信念が高く評価され、もっとも勢力が大きい大貴族となった。
そんな騎士公爵、エンベール家には。
直系の次男坊と三流貴族の娘が駆け落ちの果てに誕生した、エンベールという家名を名乗れない娘がいる。
ユナミル・ロール・イスペルト。
母ミラルバの家名を継ぎ、710階層の貴族街で暮らす13歳の娘だ。
「──お母様」
暗がりの部屋のなか。
キングサイズのベットのうえ、母ミラルバは夫と最後に撮った写真を抱きしめていた。
娘のユナミルでさえ、内容の分からない言葉をブツブツつぶやきながら。
「私はお母様が正気に戻るのであればなんだってします。お母様、私はお母様の味方です」
なんでもする。
その言葉が、どこか機械的な受け答えだとユナミルは感じていた。しかしここで、ミラルバの気に触るようなことを言えば、彼女がどんな状態になるか分からない。
もともとヒステリックな女性だった。
ユナミルに手をあげたことはない。自分にとって不都合なことが起こると、すべて自傷行為に走る人だった。
ユナミルの存在を疎ましく思った夫に絶交を言い渡されて以降、ミラルバの情緒は不安定なままだ。
「お母様、願いはなんですか」
母親が少しでも正気を取り戻してくれれば、そう思ってユナミルはよくミラルバのお願いを聞いていた。掃除洗濯皿洗いといった簡単なものから、宝石といった高い物品を強請るなど。
ユナミルが必死になって剣の腕を磨いているのも、ミラルバのお願いから始まった。
──夫の剣舞が見たい。
いまはもう顔すら覚えていない父親の剣。実力は中の上だったらしいが、大きな剣を勇ましく振る姿だけはユナミルの脳裏にも微かに残っている。
「優勝……」
突如、ミラルバがはっきりと単語を口にした。
「シュレイク様……きっと、きっと娘が弱いから……私を捨てたのでございましょう……。ユナミルが強くなり、イスペルト家の名をあげれば…………あなたは帰ってきてくださる」
「…………」
「早く準備を……、準備をおしユナミル!!
「…………」
「娘の実力をラステナフラスで、騎士公爵の本家に見せつければ……そう、きっとシュレイク様は私のもとへ帰ってきてくださる!」
あまりに大きな声をだしたせいか、ミラルバは大きく咳き込んだ。
ミラルバの体は、病におかされている。
イスペルトの本家から資金援助の少ない今の状態では、満足な治療を彼女に施せない。
ユナミルは母の背中をそっとさすった。
「お母様」
「なにをしているユナミル!! さっさと剣の稽古をおし、いまは一刻も早く剣の腕を上達させるときですよ!!」
母の一撃がユナミルの体をベット外まで吹き飛ばす。
ミラルバも武術のたしなみがあるため、錯乱状態の彼女に手をあげられれば中々に痛い。
しかしユナミルは文句も言わず、一度だけぺこりと頭を下げると、母の部屋から出た。
「優勝します、お母様」
それからは無言で、ユナミルは稽古をしていた。
◇
ユナミルの母ミラルバは、夫とのヨリを戻すためイスペルト家の地位上昇を図っていた。
治療よりも仕事を優先して貴族界を駆けずり回る。
ミラルバが手始めに着手したのは、かげり始めていたイスペルト商会の盛り立て。商会本部に
さらにだ。
当日は闘技会場周辺で移動式飲食店が軒を連ね、劇団やサーカス、音楽隊までもがこぞって集まってくる。
闘技会場はイスペルト商会が本部を置く710階層ということもあり、今大会でミラルバは、イスペルト家の地位向上が見込めると睨んでいた。
なにより優勝はユナミルに相違ない。
ミラルバはユナミルの剣の才能を本物だと信じて疑っていない。ユナミルは魔女フルーラに見事勝利し、剣武装奥義『爆風炎』を直に教えてもらっているという話だ。
さらに闘技会には上限年齢が存在する。
青少年たちに己の信念をかけて戦う意味を知ってもらおう、という意味合いで始まった聖剣闘技会は、18歳以上の大人と現役騎士が参加してはいけないという制約があるのだ。
大人がいない少年少女の闘いであれば、たとえ13歳でもユナミルが負けるはずない。
13歳が年上の相手をもろともせずに勝ち進む。
あぁ、これほど栄光のロードがあろうものか。
一躍イスペルト家はスポットライトを独占し、これに乗じてイスペルト商会に資金が集まり、商業が成功し、やがて夫シュレイクが戻ってくる。
ミラルバは毎日夢見がちで過ごしていた。
だがある日のこと。
いつものように商会本部で仕事をこなしていると、真っ青な顔をした女従業員がやってきたのだ。
「どうしたの?」
「闘技会主催の祝賀会から帰ってきた者が、今大会の出場予定リストを見たそうです!!」
出場予定リストというのは表立って回ることはない。ミラルバは金にものをいわせ、どうにか出場予定リストを確認させて、強い出場者の情報を得ようとしていた。
ユナミルの実力を疑っていたわけではない。
事前に下調べさえできれば、より勝機があがるというだけだ。
「あの《冰魔の
「なっ!! おかしい、アイツはエルフ族だろう!! 年齢オーバーしてるに決まってる!!」
「いえそれが、正式に16歳だと認定されたようです。彼女はまだ、16年しか生きておりません」
「あの強さで16歳ですって……!」
冰魔の剣姫。
貴族界に突如現れた、貴族であれば誰もがその異名を知るエルフ族の少女。
エルフ族でありながら見事な大剣を振り回し、大の大人を瞬殺できる怪力の持ち主。エルフならではの冰力量でもって、彼女がスキル《武装》を使用すれば恐ろしい敏捷数値を叩き出すという。
「本家の隠し玉……ッ!!」
冰魔の剣姫を雇っているのは騎士公爵家の本家。
本家は、自らが主催する闘技会で家の強さと偉大さをアピールするつもりだ。
パフォーマンスだ。
今回の優勝賞品である、恐ろしく純度の高い魔獣の結晶石だって
「優勝しかない……」
「み、ミラルバ様……?」
ミラルバは嗤う。
「ユナミルは優勝する。そうです……ユナミルは優勝しなければなりません。優勝しなければ、私と愛しいシュレイクの子じゃありませんもの……」
閃光のごとくスピードで、ミラルバの頭は回転する。
「潰せ。……何が何でも冰魔の剣姫を出場させてはなりません」
「しかし、そんなこと……」
「魔女を呼べ!! こんなときこそ、魔女フルーラの力を借りるときだ!! 冰魔の剣姫さえ何とかできればいい。あの魔女に金でも魂でもくれてやる!!」
女従業員は血相を変えて部屋を出ていった。
闘技会開催まで、残り一カ月をきっていた。
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