Episode006 林にて訓練



 自宅近くの林にて。

 セシリアと出会ってもう半年だ。

 奴隷市場で見たようなこけた頬はすっかりなりをひそめ。

 エルフとして平均以上の体力をつけることには成功している。

 

 順調だといっていい。


 いまセシリアには木刀で練習させている。

 ちょっと早いかもしれないが、このあと実剣もにぎらせてみようとベルティスは考えていた。


「いつも通り、冰力を全身にめぐらせて血流を速めて。このあたりは本当に感覚だ、一度掴んだ感覚は死んでも手放すな。深い集中はときとして眠った能力をも呼び起こす」


「やぁ!!」


 少しずつ形になってきた剣の型で、素振りを一発。

 荒さはあるものの中々に早い。


「よし。次は僕を殺すつもりでせめてこい。弱い存在が最初から手加減なんて考えるな。いまの君程度の実力じゃあ、それくらいの気持ちじゃないとかすりもしないぞ」


「はい、お兄ちゃん!」


 快活な声で返事をするセシリア。

 セシリアは理論を細かく説明するよりも、とにかく見て覚える、やって覚えるほうが上達スピードがいい。だからベルティスは余計な説明を省き、セシリアの本能に訴える形で剣術を教えている。

 

 賢者とはいえ、あくまでベルティスは冰力使いだ。

 剣の達人ではないため、前世で出会った人間の型や教本を自分なりに理解し、セシリアに教えている。

 正直この辺りは、セシリアの勘のよさに驚かされてばかりだった。


「ふぬぅぅうう!!」


 セシリアが、やや間の抜けた声を発しながら集中している。

 彼女がいまやっているのは、冰力を全身に巡らせることによって生じる身体能力の底上げだ。よくいわれる『筋肉増強』や『敏捷性向上』といった固有スキルを、意識的に生み出そうとしているのである。


 固有スキルは生まれ持ったその人間の才能だ。


 例えばベルティスの固有スキル『魔眼』は、彼が生まれたその瞬間から持っていたものである。先天的にスキルを持っているかどうかは、スキルを会得する労力をかけないで済むという意味合いでかなり重要。

 

 残念ながら、エルフはこれといった固有スキルを持たない種族だ。

 固有スキルがないからこそ、努力でその差を埋めないといけない。

 スキル持ちが無意識で行っていることを、彼女は意識して、最終的には無意識に落とし込む作業をせねば最強になれない。


「……セシリアは努力の天才かもしれないな」


 その瞬間、セシリアが鋭く呼気を吐き出した。

 突き、払いからの斬り。

 ベルティスは見事に見切り、かする様子もなくセシリアの相手をしていた。


「スピードは上々。息があがるまでの時間も、まえより長くなったな」


「ほんとですか?」


 稽古を始めて一時間後に、小休憩と称してベルティスがぽつりと感想をもらす。

 するとセシリアは、分かりやすいくらい頬を緩ませて嬉しそうに笑った。


「お兄ちゃんに褒められた…………り、リア、頑張る!」


「その域だ。最強への道のりは、そうやってモチベーションを強く保つことにある」


「うん! じゃない、分かりました、ししょー!」


 ぺしっと。

 小さな手で敬礼するセシリアの様子は、ほんとうに子どもっぽい。

 セシリアを抱きしめて撫でまわしたい衝動を、ベルティスは懸命に堪えた。

 飴と鞭は比率が大事だ、とローレンティアに叱られたばかりである。


「……ローレンティア、ちゃんと写真撮ってるかな」


「え?」


「な、なんでもないよセシリア」


 よもやセシリアの成長記録を写真で収めているとは言えまい。

 たとえ今はよくても、数年後のセシリアがそれを破いてしまうかもしれないのだ。

 ──なんてもったいない。

 

「そ、それよりセシリア、そろそろ君に試練を与えたいと思う」


「試練? あ、新しい技を習得するまえの壁みたいなやつですか?」


「うん」


 おぉ、と小さな感嘆の声音を吐くセシリア。

 いくら努力型のセシリアでも、毎日同じような訓練内容を繰り返す作業はつまらないだろう。自らのレベルアップを見込んで、ベルティスは試練を与えようというわけだ。


「冰結宮殿には指定危険エリアといわれる場所がある。例えば、500階層と501階層のはざま《昇降盤サルミス》周辺は特に有名だ」


「お兄ちゃん……《昇降盤》って……?」


「……あぁそっか、文字書きとか生活必需品とかは教えたけど、まだ冰結宮殿のことは詳しく教えてなかったな。一般教養はもう少しあとで教えようと思ってたから……」


 しかし、いずれ教えなけれなければならい。

 一般教養は、このさき絶対に必要だからだ。

 セシリアをただの筋肉バカにしたくはない。


「冰結宮殿は、腐敗した大陸のなかで唯一、人間を空に逃がすという役割を持っている。最高階層は783階層、最下層はもちろん1階層だけど、そのあたりは大陸からの腐敗が届いていて僕の《千里眼》でも覗くのを躊躇するほどだ」


「宮殿……? お兄ちゃん、この世界は大きな建物のなかなの?」


「そうだよ」


「じゃあどうして空が見えるの?」


 最もらしい疑問だった。

 もしこの世界が巨大な建造物なのであれば、屋上にいかない限り空がみえるはずもない。あそこで輝くおひさまも、常識的にはありえない現象だ。


「これは最後まで僕にも分かんなかったな」


「お兄ちゃんにも分かんないことがあるの?」


「あるさ、いっぱい。だから転生してこの世に舞い戻ってきたんだよ」


 物を知る、というのは快楽のひとつだ。

 これだけでも生きる価値があると、ベルティスは考えている。


「各階層ごとに空と太陽があるのは、おそらく階層の壁に含まれる万年冰力層が何らかの作用で偽りの空と太陽を生み出しているから。ほら、人間は太陽がないと生きていけないだろ? 神様の慈悲ってよくいわれるのはこのためだ」


「ふーん。……それで昇降盤って?」


 しまった、うっかり話を脱線してしまった。

 ベルティスは自分の行為を恥じながら、やっぱり人に物を教えるのは楽しいと感じ入る。

 説明はもちろん続けた。


「階層ごとに移動する手段は二つある。一つ目は、最近の冰力術で完成しえた《転移門ゲート》の使用だ。つまり、一瞬で瞬間移動できる。階層をまたぐことだってできるぞ」


「すごーい」


「二つ目は、古代より設置されている昇降盤。エクスタリア王国はけっこう昇降盤が残っていてな、なかでも王国と皇国の境目、500階層と501階層にまたがる昇降盤は、階層戦争なる歴史があって有名だ」


「今から行くの?」


「ああ。まずは転移門で、702階層から501階層まで一気に移動して、そのあと昇降盤で500階層におりる。エクスタリア王国内だが、ここは指定危険エリアだから許可証さえあれば誰でもいける。試練内容はそこで発表するぞ」


「うん、頑張る!」

 

 


 

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