Episode005 体力づくりの日々



 冰力ひょうりき──

 未知なるエネルギー、それが冰力。

 腐敗した空気や大地に対抗するため、発現したとされるエネルギー。

 

 冰力は人間誰しも持っているとされるが、ある一定の水準に達しない限り攻撃や防御手段として使用できない。

 主にこれを使って戦闘する人間のことを、冰力使いという。

 極めた者は《賢者》。

 賢者の頂点に君臨する者には《大賢者サクスヴェーダ》という称号が与えられる。


 現在、この世界に賢者はいないとされる。

 国同士の階層戦争や突如出没する魔獣の数が激減し、人々の戦闘意識が薄れて強い冰力使いが現れなくなったのだ。


 千年前の職業基準でいう《賢者》に相当するのは、ベルティスだけ。

 相当すると言っても、ベルティスのステータス鑑定はのきなみ測定不能という結果を叩き出している。


 現在の鑑定道具ではベルティスの能力を正確に測定できないのだ。

《賢者》は絶滅したから、そんな高レベルステータスを測定する必要はないという理由で。

 だからベルティス自身も、いまのステータスがどのようなものなのか把握していない。

 

 周りから《賢者》と崇められなくなったが、彼自身は全く気にしていなかった。

 確かに前世のように豪奢な暮らしぶりなどはなくなったが、自分の知識欲を満たすのに階級の有無は大した役割を持たない。


 むしろ周りから注目を集めない、王族から招集命令がでない浪人生活のほうが、思うままに自分の知識欲を満たすことができた。

 

 しかもいまは奴隷のセシリアもいる。


「お兄ちゃん、見て」


「どうした?」


 パンを片手に恒例の冰力書を読んでいたところで、セシリアがひょっこり姿を現す。

 つい二時間ほどまえ、林の周回を命令したところだ。

 汗もかいていないことから、シャワーを浴びてこちらに顔を出したのだろう。


「お兄ちゃんにプレゼント」


 小さな背丈をめいっぱい伸ばして、白い花のブーケを押し付けてくるセシリア。

 女の子らしい。

 

「嬉しいけど、これを作るのに走るのをサボったんじゃないだろうな」


「サボってないよ!」


「じゃあどうやってこれを?」


「走りながら作った」


 満面の笑顔。


「……走りながら作ったの?」


「うん、ちゃんと走りながら作ったよ。走りながら花を摘んで、走りながら茎を編んで、走りながら花のブーケを作ったの」


「疲れなかったか?」


「疲れたけど、お兄ちゃんのために頑張ったよ」


 本当なら、走ることに集中しろと叱りつけねばならないところだが。

 残念ながらベルティスは、セシリアの笑顔に弱い。


「セシリアぁ!」


「わ!」


 しばらくセシリアを堪能。もちろん最後には、次からは走ることに集中しなさいと注意しておく。

 セシリアが嫌そうな顔をするまえにベルティスは解放し、それとともに課題を用意した。

 ベルティスが持っている本をセシリアが奪う。

 できたら、おやつにお菓子。できなかったら林の周回をプラスする。


「それ簡単すぎるよ?」


「お、言ったな。五分以内にこの本を奪い取れたらいい。言っておくが意外と難しいぞ」


 余裕のベルティス。

 セシリアは「負けないぞ」とばかりにやる気をみなぎらせる。

 ベルティスはまず、奪いやすいように右手の本を下にさげた。それを好機とばかりに、セシリアは手を伸ばす。

 ベルティスの空いた左手が、素早くセシリアの後ろ襟を掴んで引き倒した。


「重心が偏り過ぎ。動きが見え見え。ちょっと体力がついて敏捷力があがったからって、正直すぎる動きは素人にしか通用しない。最強からは程遠いよ」


「は、はい!」


「いまはまだ無理でも意識しなさい。明日から君には木刀を、はてには実剣を持ってもらうことになるから」


「…………はい」


「めげてないで次」


 セシリアは一際大きな声で返事し、立ち上がった。

 ベルティスの持つ本を取るために。

 ──結局、五分以内にベルティスから本を取り上げることは叶わなかった。それどころかセシリアは、本に触れることもできなかった。

 彼はその場から一歩も動いていないというのに。


「うぅうぅ……悔しい」


「悔しさはバネになる。さ、セシリア、林の周回をプラス五回。めげずに行っておいで」


「うぅぅううう。

 い、行ってきまぁあす!!」


 おそらくお菓子への未練を引きずりながら、ぱたぱたと駆けていくセシリア。

 ベルティスはその背中を見つめたあと、再び読書に戻った。






 

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