第三十八話 凍結

[客観視点]

“氷の国”は、標高約八千メートルの山脈の上に位置している。一年じゅう真っ白い雪に覆われたその国には、“獣人”が三千人近く住んでいる。

“獣人”とは、獣と人間のハーフであり、骨格は人間だが、全身が柔らかい毛皮に覆われており、尖った耳が頭の上に立っている。この姿のおかげで雪山に生息できる一方、過酷な自然環境ゆえに何年も敵襲がなく、また人間たちとの交流も少ない。加えて、利益よりも誇りを重んずる独特の文化があり、外交面に関してはあまり発展していない。これが、一部の者たちから“獣人は頭が悪い”と見下される所以ゆえんである。

雪山では作物や家畜を育てられないので、獣人は食料を確保するため、ふもとの樹海まで降りてくる。そして、高い身体能力を活かして狩りをしたり、野生の木の実や山菜を収穫して、山へと持ち帰る。その際、樹海に迷いこんだ人間と接触してしまうこともあり、大抵の場合は人間のほうが驚いて逃げ出していくのだが、場合によっては獣人が捕まったり、殺されてしまうことも。

この“氷の国”を治めるのは、族長のコーン・フレイカー。大柄で逞しく、金地に黒い縞模様の毛皮は、まさに虎を思わせる。獣人の中では思慮が深いほうで、知識や洞察力もそれなりに持ち合わせているため、獣人を馬鹿にしている人間たちも彼のことだけは警戒することが多い。


地形の険しさと、族長の強さゆえに、それまで“氷の国”を侵攻できる国はなかった。

侵攻を試みる国もあったが、いずれもひどい失敗に終わった。

いかなる軍事国家であっても、それは不可能であった。


…だが、姫騎士リニア・モーターの傘下に魔術師ランドール・ノートンが現れたことで、その歴史はピリオドを打たれることに。



[ランドール視点]

リニアが考えた作戦はこうだ。

まず、山を登るのではなく、ダイレクトに山頂に行く。この俺率いる魔術師団が先に山の上まで飛んでいき、下にいる兵士団を上から魔術で引っ張り上げる。時間と体力の無駄を省き、かつ“氷の国”の裏側に回り込むってわけだ。

次に、攻撃の下準備。足場には雪が積もっているから、普通に戦えばこっちが不利になる。そこで、炎の魔術で雪を一旦溶かし、水になったところを氷の魔術で凍らせる。足場が少しでも安定するに越したことはないし、上手くいけば相手の足を固めることも可能だ。…このアイデアは俺が提案した。

そして、いざ戦うときだが、族長コーンの相手は俺とリニアが担当。さすがにこいつは別格の存在だから、捕まえるのも洗脳するのもおそらく無理だ。しかし、こいつを足どめしておく必要はある。ほかの獣人たちを生け捕りにしようとすると、邪魔してくるだろうからな。俺とリニアが時間を稼いで、ほかの連中が獣人たちをさらっていくという寸法だ。


この作戦を実行するにあたって、一つ問題がある。

…足場を氷にしたら、ツルツル滑って戦えないのでは?

などと、ルイージがほざきやがった!!

くそう、あの潔癖眼鏡!俺の名誉を台無しにしやがって。

それに対して、リニアが考えた解決策は三つ。氷の足場に慣れるため特訓するか、足場を凍らせた直後に改良して歩きやすくするか、そもそも別の策を考えるか。



とりあえず最初は、氷の足場に慣れる特訓をすることに。

リニアが王国の敷地の外まで兵士どもを連れてきて、浅く広めに地面を掘らせ、水を流し込ませる。そうしてできた水溜まりを、俺が凍らせた。簡易的な練習場の完成だ。

「では私から試してみるわ。さっそく…あらぁっ!?」

氷に両足で立った次の瞬間、リニアはすってんころりん!!ドシン、と音を立てて尻餅をつきやがった。ざまぁ見ろ!

「ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒ…」

思わず笑っちまったじゃねえか。

「「「「「ハッハッハッハッハッハッハ!!」」」」」

俺につられて笑い出す兵士たち。

「ふんっ!」

負けじと、意地を張って氷の上に立ち上がるリニア。

「…どんなものよ、私はもう感覚を掴んだわ。馬鹿にして笑うのは、同じことができてからになさいな」

そう言うと、リニアは氷の上からどいた。

「ランドール、やってみなさい」

「ええっ!!?お、俺ですかい!?」

何でこっちに飛び火するんだよぉ!!

「階級の高い者が先に行動しないと、部下がついてこないでしょ?」

「し、しかし、それならルイージさんを呼んできたほうが」

「彼は内勤で忙しいわ。今回の作戦に参加しないから、練習しても意味がないし」

まったく…。

「で、でも俺は魔術師ですから、飛べば問題ありませんぜ」

「魔力が切れたらどうするの?…ランドール?」

橙色の瞳でこっちを真っ直ぐ見つめ、圧をかけてくるリニア。…あ、いま口角を上げやがったな。こいつ…。

「はあ、わかりましたよ…」

仕方ねえ。

渋々、氷の上に片足を乗せ、もう片方の足も入れて…両足に力を…。

「うっ、うぅっ、うぉっ?」

足に込めた自分の力で、逆に滑りそうになった!あんまり余計な踏ん張りはしないほうがいいな。

幸い、俺は小柄で体重も軽いから、重心のバランスをとりやすい。

直立に成功!!

「どうだ見たか!!誰かさんと違って、俺は一回も転ばずに…うぉおっ!!?」

リニア!!てめえ、いま俺の背中をつつきやがったな!?

おかげで俺は転倒し、氷の上で四つん這い。

「「「「「ハッハッハッハッハッハッハ!!」」」」」

笑うんじゃねえ!!馬鹿にしやがるのもいい加減にしろ!!

「ちょっと押されたぐらいで倒れるようでは、まだまだね」

「あんたのときは、誰も邪魔しなかったじゃないですかぁ…」

「はいはい、そうだったわね。じゃあ氷の上からどいてもらえる?次は兵士を試したいんだけど」

調子のいい姫騎士め。



氷のテストは続いたが、次から次へと兵士が転倒するばかり。中には足先の鎧だけをはずし、裸足になって乗る者もいたが、さすがに冷たくて即リタイア。他人ひとのことは笑うくせして、情けない連中だぜ。



結局、氷の足場をそのまま歩くのはさすがに無茶だ、という結論に。

次に試すのは、凍らせた足場を改良するという方法。

俺が提案したのは二つ。一つは、氷を砕いてシャリシャリにしてから歩く。もう一つは、氷の上からもう一度雪を被せる。

「うーん、二つ目のアイデアだと、わざわざ凍らせなくても一緒なんじゃないかしら」

だよなあ…。

「試す価値があるとしたら、一つ目のほうね」

そう言うとリニアは、自ら進んで氷の足場に刀の切っ先を突き立て、真上から押しつけるようにゴツン、と突き刺した。

クシャクシャッ、と音を立てて、シャーベット状になる氷。

「さてと…」

シャーベットの上をシャリシャリと歩いてみるリニア。

「どうですか?」

「…さっきよりは歩きやすいけど、わざわざ先に凍らせるメリットがあるかといわれると…足元の氷を砕いてしまっては、獣人も逃げてしまうし…別の方法を考えるのが良さそうね」

畜生…。

どうすりゃいい。砕くのが駄目なら、氷の上にネバネバでも乗っけるか?いや、そんなことをしたら足がくっついて、歩くどころではないだろうし…。

…そうだ!

「だったら、氷の上を歩くんじゃなくて、真上から獣人を捕まえたらどうです?魔術師団に新しい技を教えれば」

「うーん…まあ、それが現実的ね。ただ…」

「何です?」

「それだと時間がかかるし、捕まえられる獣人の数も少ないわ。真上から引っ張り上げるとなれば、獣人どもの足を凍らせるわけにもいかないでしょうし」

「いい考えだと思ったんですけどねえ…」

「リニア様、我が国への移住を申し出る者が」

国の出入り口を見張っていた兵士の一人が、そう報告してきた。

「どんな人?」

「かつて“技術の国”で商売をしていた、武器職人だそうで」

「私が直接会ってみるわ。あなたたちはここで待っていなさい。怪しい人物だったら困るから」


それからほどなくして、帰ってきたリニア。そのあとについてきたのは…。

「…お前っ、あのときのじいさん!!」

「ハッハッハ、久しぶりだな。お前さんの言葉を真に受けて、わざわざやって来たんだ」

「あら、知り合いだったのね。そういえば、どこかで見たような…」

「儂が作った針金と金属の板は、役に立ったかな?」

「あー!あのときの!ランドールが依頼したお店のご主人!」

そういやリニアこいつ、俺とじいさんの会話を遠巻きに見てやがったんだったな。

「あ、ああ。ちゃんと使えたぜ。あんたの腕は確かみたいだ」

「そうか?そのわりには何だか…上手くいってなさそうだが。目が泳いでおるぞ?」

「あーいや、道具自体は役に立ったんだが、その先でいろいろあって、その…」

「そうか…まあ、そういうことはよくある。一級品の武器を携え、戦争に出たばっかりに命を落とす、そんな若者を何人見送ったか…」

じいさん…何だか言葉に重みがあるな。

「あら。一級品の武器を使えるのは、それ相応の戦士だけよ。使えもしないのに持つからいけないんじゃないかしら」

リニア、空気読め。こいつのこういうところがイライラする。

「お前さん、などと言っては失礼だな。ええと、姫様か。歳はおいくつですかな?」

「十八だけど?」

「お若いですな。を味わったことも少ないでしょう」

「少ないどころか、一度だってと思ったことはないわ。だってそんな感情、戦いには邪魔でしかない。でしょ?」

「それは心強い。あなたのような指導者のいる限り、きっとこの軍事国家は安泰でしょうな」

「ええ。だからあなたも安心して、この国で暮らしてちょうだい。それに、武器職人なら、力になってもらいたいわ。ちょうど戦力のことで相談したいことがあるのよ。今度、“氷の国”を相手にするにあたって、兵器が必要になるでしょうし」

氷の国、武器職人…いいことを思いついた!

「そうだ!リニア様、せっかくだから靴を作ってもらいましょうよ!」

「靴?」

「はて、靴とな?専門の靴屋に頼めばいいじゃないか」

「普通の靴じゃ駄目なんだよ。ツルツル滑って氷の上じゃ歩けないし、雪の中じゃ冷たい水も染み込んでくるだろ」

「儂は武器職人だ、靴には詳しくない」

「だったら、靴の裏に取りつける道具を作ってくれ。平たい板の片面に小さいトゲがたくさんついてるような…図を描いて説明したほうが早いかな?とにかく、それを作って、靴の裏に固定するんだよ!それで雪の上を歩く!」

「理屈はわからないけど、試すなら早いほうがいいわね。ランドール、この職人を会議室に連れていきなさい。私は紙とペンを持ってくるから、それまで会議室で待つこと」



俺が考えたのは、とスパイクをミックスしたようなスノーシュー。

まず靴の裏に板を取りつけ、接地面積を広げる。こうすることで、雪にかかる体重の圧力を減らす。

そしてその板にトゲを何本も生やしておき、がっちり足元の雪に食い込む滑りどめにするってわけだ。



話を聞いた職人は。

「なるほど、面白いことを考えたな。しかし、気になることが二つある。一つ、どうやって靴に取りつけるか。もう一つ、トゲを生やしても、金属の靴裏ではツルツルと滑ってしまわないかね?」

そうか…名案だと思ったんだが。

「ねえ、トゲの上から、蛇の皮を被せてみたら?金属よりは滑りにくいはずよ」

「そうか。儂が金属で骨組みを作って、靴屋に回して完成させる。上手くいきそうだな」

「じゃあ、さっそくやってみましょう!それで…リニア様、その蛇ってのはどこに?」

「あら、蛇ならその辺の森の中にうじゃうじゃいるわ。別に珍しくもない」

また、きょとんとした顔でほざくリニア。

「マジかよ…」

けっこう危ねえじゃねえか。もっと早く言ってくれ。俺、何回か森の中を通ったぞ?よく無事でいられたな…。

「蛇か。このあたりだとツチノコがよく捕れるな。形も、靴の裏にぴったりだ」

…ふぁ!?ツ、ツチノコ!!?

「ま、待て待て待て!!じいさん、いま何つった!?」

「ツチノコは平たいから、靴の裏にぴったりだと」

「ツチノコって!?あ、あの、薄っぺらくて短い蛇の、あのツチノコ!?」

「ああ、そうだが?」

「ええ…」

「ランドールは、ツチノコ苦手?」

リニアが首を傾げる。

「い、いえ、苦手とかではないんですけど、ちょっと馴染みがないというか何というか…俺にとっちゃ、珍しい存在だったので、つい…」

正確には珍しいっていうより、ほぼ存在が信じられないレベルなんだがな。

「あ、そうだったわ!ランドールはどこか遠いところの出身だから、ツチノコをあまり見かけなかったのね。…よかったわ、苦手じゃなくて。だって夕食によく出してるんですもの」

「夕食?」

「ええ。ツチノコの肉はプルプルして美味しいから、我が国でも食事に出すことが多いわ。特に、大量発生したときなんかは」

…例のプルプル肉の正体が、ツチノコだったとはな。

俺がもといた世界じゃ、未確認生物として扱われ、存在自体が都市伝説だというのに、こっちの世界では当たり前のように増殖し、肉を食用にされ、皮を剥がれてブーツにされる。

ここまで常識がひっくり返ってるもんなのか?異世界って。

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