第三十一話 逃避

[客観視点]

ランドールを摘まんだ“橋渡しの女神”ニスィマトゥーヤは、彼を次元Rの出入口があるところまで連れていった。

「ここが、あなたのかつての姿、“鈴木聡”の住む世界です」

「ええいっ!!」

次元Rに飛び込もうとして、手足をばたつかせるランドール。しかし、ニスィマトゥーヤの指を振りほどくことはできない。

「こら、入ってはいけません。見るだけです。しっかりとその目に焼きつけなさい」




球体に映し出されているのは。




黒のスーツに空色のネクタイを身につけ、パソコンの画面にのめり込んで書類作成にいそしむ“鈴木聡”の姿。


「彼はいま、ある企業の正社員としてデスクワークをしているところです」

ニスィマトゥーヤが説明する。


鈴木が書類を上司に見せると、上司は受け取ったその書類に数秒だけ目を通し、鈴木の頭を書類でひっぱたいた。


「怒られてんじゃねえか!!だっせえ。あんなの俺じゃねえ!」

「ダサいかどうかはともかく、確かに彼はあなたではありませんね」


鈴木は自分のデスクに戻ると、再び作業に取りかかる。

一足先に帰る上司。

職場に一人、残された鈴木はポロポロと涙を溢し始めた。


「たった一人で残業かよ。そんなブラック企業、とっととやめちまえ!」

「ブラックとまでかはさておき、確かにあまりいい待遇とはいえません。しかし、鈴木はこの職場をやめるまでの間に、虎視眈々とある計画を練っているのです」

「計画?上司への謀反か?」

「だからあなたは次元Rにいられないのです。謀反を起こすのは“ランドール・ノートン”のやることであって、鈴木のそれではないのです。…彼はのちに、独立して起業することになっているのです。そのために、社員としての経験を積んでいる途中なのです」


ようやく残業を切り上げ、夜道を電車で帰宅する鈴木。車内は満席で、仕方なくつり革に掴まって立っている。


「ったく、見てるこっちまで惨めになってくる!」

「惨めに見えるかもしれませんが、彼が身を粉にして家庭を支えている証なのです」


マンションに帰宅した鈴木。彼が家の電気をつけると、和室で寝ていた還暦の母親がのそのそと起きて出迎えた。

「…聡、お帰り。お風呂沸いてるわよ」

「ありがとう。母さんは休んでて」

「すまないわねえ」

「いいんだ。僕には母さんに育ててもらった恩がある」


「母さん!!そいつは偽物だ、気づいてくれ!!俺はこっちだ、ここにいるんだよぉ!」

ランドールが鼻声になって叫ぶ。

「無駄です。向こうの世界には、こちらの声は聞こえません」

「だったら殴り込んでやる!」

ジタバタするランドール。

「いけません」

「何でだよ!?」

「では逆に訊きます。あなたには、“鈴木聡”として、日本の経済に貢献する力がありますか?」

「何だと?」

「起業して成功できますか?そのための努力を、上司になじられながら、同僚に見下されながら、それでもできますか?そうでなくとも…


…たった一人の母親の生活を、あなたは支えられますか?」


「…」


「答えられませんね?それこそが、あなたの答えなのです」


「…そんなの、やってみなきゃわかんねえだろうが!!」

再び抵抗しようと手足をばたつかせるランドール。しかし“橋渡しの女神”の前には、あまりにも無力だ。


「あなたの気持ちが変わらなくとも、勝手を許すわけにはいきません。それが、私の仕事なのです」


結局、再びランドールを次元Dまで運んだニスィマトゥーヤは、そのまま彼を次元Dの中に放り込んでしまった。





[ランドール視点]

ちくしょう。ざけんなざけんなざけんな。

あんなので納得できるわけねえだろ!!

あのウサ耳、ナメた真似しやがって!!この仕返しは必ずしてやるからな!!

それに、向こう側の“鈴木聡”、つまり中身は元“ランドール・ノートン”め。俺の偽物のくせに、いけしゃあしゃあと溶け込みやがってよぉ!!




母さんまで、偽物に気づかないなんて。




もう向こうの世界に、俺の居場所はねえんだ。




いかりとも悲しみとも絶望とも憎しみとも見分けのつかない、味わったことのない負の感情。

ゲロみたいに、喉の奥からこみ上げてきやがる。




どうすりゃあ、この感情を抑えられる?






リニア・モーター。

あいつをサンドバッグにしてやる!!

こうなったら自棄糞やけくそ、八つ当たりで謀反を起こし、あの姫騎士をメンチカツに変えてやるのだ!!







[サラ視点]

きょうはいちにち、まじゅつのれんしゅうにうちこんだ。どれいをじゅうろくにん、かきゅうでころした。

まじゅつのれんしゅうでもしていないと、よけいなぎねんにとらわれる。そうしてまよいがうまれると、てきにつけこまれやすくなる。それはなんとしてでもふせがないといけない。


だが、もうすこしジャズマイスターきょうから、カラブ・ドーエンのことについてききだしてもいいかもしれない。

とくに、ジャズマイスターきょうのむすめがゆうかいされたことについては。


ジャズマイスターきょうのへやのドアをさんかいノック。

ドアのかぎがあくおとがして、ドアがひらき、サングラスのろうしんしがすきまからかおをのぞかせる。

「おや、女王陛下。何のご用です?」

「カラブ・ドーエンについて、もうすこしはなしをききたい」

「構いませんが…明日あすの日中ではなりませんか?何しろ私には仕事が残っていますし、陛下もお休みになったほうが」

「ではきょうはひとつだけ、しつもんさせてもらうわ。あなたのむすめがゆうかいされたことについて」

「ああ、そのことですか。それでは、娘の肖像画でもお見せしましょう。口だけで説明すると、話が長くなってしまいますからなあ。ハハッ」

そういうと、ジャズマイスターきょうはへやのおくにいちどひっこみ、いちまいのかいがをひだりうででかかえてもどってきた。

「こちらが、娘の肖像画です」


あぶらえのぐでかかれた、ひとりのしょうじょ。おそらく、わたしとおないどしかそれよりおさない。みつあみのきんいろのかみと、ターコイズブルーのひとみ。ふんわりとしたあおいドレスにみをつつんでいるが、ほんにんのひょうじょうはどことなくふまんげにみえる。


「なぜ、カラブ・ドーエンにゆうかいされたの?」

「私の唯一の弱点だったからです。つまり人質ですよ。あの男は目的のためなら、容赦はしないのです。ですから陛下がご無事でよかった、本当によかった」

「もうひとつ。そのむすめは、いまどこにいるの?」

「カラブ・ドーエンの手もとです。さあ、今日はもうお休みになってください」



じぶんのへやにもどると、まどがあいていて、カーテンがゆれている。


しまっていたはずなのに、だれがあけた?




「お前がサラ・リーマンだな。一緒に来てもらうぞ」




う、うしろに、だれかがい





[ランドール視点]

ヒャーッハッハッハ!!城に火をつけてやったぜ!!

さあ、出てこいリニア。正々堂々の一騎討ちだ!!

「た、大変だあ、城が火事だあ!!」

「早く、早く火を消せ!!」

慌てて火を消しにかかる、モーター王国の使用人たち。

まだリニアは出てこない。外の騒ぎに気づいていないのだろう。

仕方ねえ、俺がわざわざ城の中まで迎えに行ってやるか。



城の内部を探し回るのはいいが、リニアの居場所の見当はつけないとな。

まずは会議室。ここで書類の整理をしているかもしれねえ。だとしたら書類ごと燃やしてやる!


ノックせずにドアをバン、と開ける。

「何事だ!」

書類を片づけているのは、リニアではなくルイージ・グリーン。

くそっ、リニアは別の部屋か。

「ノックもせずにドアを開けるとは、よほど急ぎの用なんだろうな?」

「リニアはどこだ!?」

「姫様を呼び捨てか!?お前、調子に」

「リニアはどこかって訊いてんだよ!!言わねえと書類燃やすぞ!!」

魔法の杖を向けて脅してやる。

「お前っ…と、とりあえず落ち着け」

ルイージの顔が引きつって青くなる。こいつ、以外とわかりやすいやつだな。

「言わねえと、ほんとに書類燃やすからな」

「わ、わかったよ!…姫様は、ご自分の寝室に戻られた」

「案内しろ」

「できるわけねえだろ、お前ろくなこと」

「書類と一緒に灰になりてえのか!?貴様ア!!」

「わかったって!!…ハァ、姫様の部屋に連れていけばいいんだな?まったく、何で俺ばっかりこんな面倒なことに…」



ルイージに案内させ、リニアの部屋に着いた俺。

「ありがとよ。お前はもう用済みだ!!」

ルイージを片付けようと火球を放つ。が、間一髪で躱され、火球はルイージの左腕を掠めてうしろの壁を破壊。

「お前!!室内で魔術を使うとは、どういうつもりだ!?」


「何の騒ぎ?」

銀のナイトガウンを着たリニアが、寝室のドアを開けて出てきた。


チャンス!!

「ダイレクト・ブラスター!!」

ナマの魔力の束を、リニアめがけて発射!!

「ぐぅっ」

ギリギリのところで寝室に引っ込み、魔力の束を避けやがるリニア。

小癪な!!

俺はすぐに寝室のドアを開け、

「ジョウ・スターリン!!」

宝石の群れを室内にお見舞い。これなら、避けようがなかろう。

…と思いきや、寝室の刀を手にとり、鞘から引き抜いて、宝石の群れをカチカチと弾くリニア。

どこまでも小癪だぁ!!

「ダイレクト・ブラスター!!」

宝石の群れに混ぜるようにして、再びナマの魔力を発射。巻き添えを食った宝石たちが、一瞬で溶けて蒸発。部屋の壁に、直径一メートルはあろう穴が開く。

「うっ!!?」

右の上腕を左手で押さえるリニア。どうやらかすったらしい。

「次は頭だ。ダイレクト・ブラスター!!




…え?」

くそう、技が出ねえ!!魔力切れだ!!


「抜かったわね、ランドール」

リニアが、血まみれの左手で刀を持って構える。負傷した右腕を使わずに戦う気だ。


「おのれ…」

仕方ねえ。ここは一旦、トンズラするか。



[客観視点]

魔術剣を持ってルイージが戻ってくると、既にランドールは去ったあとだった。

リニアの寝室のドアは開きっぱなし。

「姫様…?」

おそるおそる寝室の中を見ると。

「あら、一足遅かったわね」

魔法薬の瓶を開け、セルフで右腕の傷を治療しようとしているリニアの姿が。

「姫様!!ご無事ですか!?」

「大したことないわ。この程度の傷、前線ならよくあることだし」

平然と左腕に魔法薬をかけるリニア。ジュウッと煙が出て、傷口が塞がる。

「しかし…」

「ほら、傷ならもう治った。それよりも酷いのは、城の損害のほうね。あの壁を見て。あんなに大きな穴が」

「あの金髪コウモリ…」

「どうやってこの代償を支払わせるか、じっくり考えないと」



[ランドール視点]

さすがに一人でモーター軍を制圧するのは、無理があるか…。味方をつけないとな。

しかし、俺の謀反に荷担するやつなんて、そう多くは…




いや、待てよ?




誰かを利用して、上手く同士討ちさせられないだろうか?





[カラブ視点]

得体の知れない何かを察し、夜中に目が覚めた。いや、それとも明け方の手前か?

しかし、我が国では寝る時間をずらして見張り役を常に設けている。異常があれば、すぐに報告が来て叩き起こされるか、騒ぎが起きるはず。逆に何もないとしたら、こんな胸騒ぎはなく、俺も眠っていられるだろう。

いつもと同じ静けさの中で、俺だけがひとりでに目が覚めるなんてあり得ない。

この状況で考えられるのは…。




…俺しか気づけないような猛者が、部下の目を掻い潜って、国内をうろうろしている!?




咄嗟に飛び起き、テントを飛び出す。

「カラブ様?どうなさいました?」

見張りの部下の一人と目が合う。

「こ、国内に、侵入者が」

「何ですと!?」

「しっ、大声を出すな。俺の思い過ごしかもしれん。ちょっと待て。…スコーピオンズ・センス」

目を閉じ、意識を集中。


…いま俺から見て右のうしろ側、つまり南西の方角。そしてこの位置から約十二メートルのところに、侵入者の存在が!!しかもこの感覚は、何度も会ったことのあるやつ…




ジャズマイスター卿




あいつで間違いない!!




やつのいるであろう位置には、国民の寝ているテントが。

まずい。あのテントには今日、妊娠中の女性が一人いる。危険な目には遭わせられない!一応、妊娠した女性には必ず護衛を五人と医師を二人、そして世話係を三人、それぞれ交代でつけるようにはしているが、それでも危険すぎる!


ダッシュでそのテントのところまで駆けつけ、もう一度スコーピオンズ・センスで敵の姿を確認。


…いない?どこへ消えた!?


とりあえずテントに入って、先に妊婦の無事を確認。

「…カラブ様?」

護衛の一人が、きょとんとした顔で振り向いた。

肝心の妊婦はというと、気だるそうにウンウン言いながら両腕だけをもぞもぞと動かしている。寝つけないみたいだが、とりあえず怪我や異常はない。

しかし安心はできない。うろうろしているジャズマイスター卿を探さなくては。

もう一度、やつの姿を探すと。


どうやら俺の寝ていたテントに、移動したようだ。


誰も巻き添えにせず戦うには、いましかない!!


急いでそのテントへ向かう。たどり着き、中へ入ると。

「…逃げたか?」

誰も見当たらない。




…いや、違う。

姿を透明にして、目の前に立っている!!




「スコーピオンズ・クロウ!!」

二本一組の光の矢を放つと、それを躱しながらジャズマイスター卿の姿が現れた。

「やれやれ、穏便に済ませるために隠れていたのに」

「ふざけるな!我々の国内に侵入し、一体何をしている?」




「それはこっちの台詞だよ、カラブきみ。…私の屋敷から女王陛下を、一体なぜ誘拐した!?」

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