逆立ちしても
こんにちは!
ここは皆様に楽しく明るいデスゲームを提供しているこどくカンパニーです!
デスゲームには皆さん前時代的な偏見があると思うんですよね…。
重い、とか。暗い雰囲気、とか。裏切り合い、とか。
私共はそんな悪しきイメージを払拭するためにっ!
ロボットを導入し、自動化にも努めて!
デスゲームをお手軽な娯ら
私はリモコンの電源ボタンを押した。
ジッ、と音を立ててテレビの電源が切れた。
何が楽しく明るいデスゲームだ。人が死ぬのに明るい気分になれるわけが無い。
本当に馬鹿馬鹿しいな。そんなことを平然と言ってのける連中も、参加するやつも。
人間が寿命という言葉を辞書から消してから、はや百年。私も八十代だがまだぴんぴんしている。人々は永遠の寿命に酔い、世は正に黄金時代。そんな世の中では何故だかデスゲームが流行っているらしい。自然に死ななくなったらなったで、今度は死ぬ経験をしてみたくなったという話だ。本当にどうかしている。死んでしまったら、死んでしまうじゃないか!みたいなわかるようでわからない批判をしている政治家もいた。だが、その政治家もいつかは消えた。
なんでも、死んでしまっても3Dプリンターか何かで簡単に戻せるらしい。
便利な世の中になったものだ、とは思わない。死ぬという、越えてはいけない一線を無視する口実を新しいもの好き達に与えてしまったのだ。そりゃあ奴らにとっては新しいことこそが至高なのだから是非もなしに飛びつくだろう。
でも、私はその一線を越えようとは思わない。
そう、思わないのだ。が、ある日なんとなく友人に聞いたところによると、その技術はワープの原理にも採用されているものだと言われた。ワープはここ数年で広く普及した移動法だ。今では人口の七割以上がワープで旅行しているというデータすらある。ともかく、それを聞いて私はその日からワープを使わなくなった。しかし、それまでは何も知らず普通に使っていたから、もう私は私じゃないのかもしれない。この世の中は既に、人類ではなくスワンプマンで溢れているのかもしれない。
小難しい上に遠回しな話にはなったが、要するに私はデスゲーム反対派ということだ。人の死をそう簡単に扱うのはどうなんだろうと考える常識人ということなのだ。
デスゲーム参加者の連中は自ら死を望んでデスゲームに参加しているわけだから、私には止める理由もないが、だからと言ってあまり好きでもないのも事実である。
「死ぬのが娯楽だなんてな。」
テレビによると今は人類史における黄金時代らしいが、本当にこんな世の中が黄金時代なのだろうか。もしかすると我々は、とんだディストピア社会を形成してしまっているのでは無いだろうか。そんなことを時々考える。
でも、時代が変わればダメージジーンズもただのボロい布切れだろうし、常識なんてそれこそあっさり変わる。最近では何やら服なんてどうせただの布切れだから脱ぎ捨ててしまおう、なんて集会を開いてるやつが支持を集めていたりする。
今は私みたいな古い考えの者がデスゲームを批判しているだろうが、いずれは学校帰りの学生が軽い気持ちで参加する程度まで一般化されるかもしれない。そうなったときはもう、私にそれを避難する気持ちは起こらないかもしれないな。今は逆立ちしても見方を変えられないが。
窓の外を見た。弱めの雨が降っている。
さっきまでは雨が強かったからテレビを見て無為に時間を潰していた。
本当は、折角の休日なのだしどこでもいいから外に出かけたいと考えていたのだ。
夕食は外で食べようかな。そう考えた私は、コートを羽織って家の外に出た。
小粒の雨が頬に当たった。それがくすぐったくて、なんだかこれだけで外に出た甲斐があったようにも思える。しかし、実際に出てみると外はまだ結構明るくて、夕食について考えるにはまだ早かったかもしれなかった。
「暫くどこかで暇を潰そうかね。」
だとしても、どうやって暇を潰そうか。
本屋に行って、今年の本屋大賞になっているものでも買ってみようか。
それは、その場で思いついたにしては割合いい考えに思えた。
そういえば、駅前に新しい本屋ができていた気もする。そこに行ってみよう。
実際に駅前に着いてみると、そこに本屋は無かった。代わりに変な団体が居座っていた。通りすがりの人に聞いてみたところ、どうやら電子書籍が当たり前になった世の中に負けてしまったようだ。本を全身で愛しているような店主が、電子書籍に対する反骨精神で昔ながらの本屋を立ち上げたものの、売上げが立たず潰れてしまったという。
私は結構紙の本を売っている本屋が好きだから、ちょっと悲しかった。
ノスタルジックな雰囲気を排除してしまう今の社会を憎んでみたりした。
と、そのとき誰かが話しかけてきた。
「そこのあなた、服っていうのは煩わしいと思いませんか?」
「あんな布切れに体を包まれているんです。それはもう窮屈でしょう。」
本屋があった場所に居座っていた団体らしい。服に関して色々言う割に、
靴とマントを皆、羽織っていた。どうやら、最近流行りの例の集団らしかった。
話しかけて来たところを見るに勧誘だろう。服はともかく君たちは結構煩わしいな。
でも、ただそれだけだ。
鬱陶しいが、普段の私なら相手せずに立ち去るだろう。
ただ、彼らが本屋の跡地に居座っていたこともあり、今日の私は不機嫌だった。
「あなた方、服が煩わしいとか言う割にマントなんか羽織っちゃって。」
「雨の日にそんな格好でうろついていたら、寧ろ地肌に直接纏わり付いて鬱陶しくありませんか?」
んな、とか言って相手がたじろいだ。実際肌にマントが纏わり付いている。
見ているだけでちょっと、鬱陶しいと感じるくらいだ。
「靴も。履いてるのって足を守るためですか?なんだ、立派に覆われちゃってるじゃないですか。」
ちょっと引かれた。勧誘相手を間違えた、というような顔をしている。
そのままにこっと微笑んだら、彼らもへらへら笑いながら去っていった。
ただまぁ、あんな彼らにも彼らなりの理由と信念があるんだろう。私の偏見だけで彼らを攻撃しすぎたのは良くなかったかもな。いくら八つ当たりと言えど。
すまないね。とは一応、心のなかで言っておいた。
念願の本屋に行けなかったので、あたりをぶらっと歩いてドーナツを食べた。
オールドファッションの実直な甘さはいいな。チョコの微かな苦味によく合う。
そんなことを考えつつ二個目のドーナツを齧った。
食べ終わる頃にはすっかり雨も止んでいた。
「そろそろかな。」
友人と待ち合わせしておいたのだ。一緒にステーキでも食べないか、と。
向こうも暇していたらしく二つ返事でオッケーだった。
斯くして、待ち合わせ場所に既に友人はいた。まだ五分前だと言うのに、律儀なやつだ。それから私達は、待ち合わせ場所から十分程歩いたところにある近所の少し高級なレストランに入った。私はそこの常連なので、
「いつもの。」
と言った。
友人は少し悩んだ末に高級牛肉のステーキとボトルワインの赤を頼んでいた。
注文した料理を給仕ロボットが運んできた。
私達は喋るのをやめ、それぞれステーキを食べ始めた。
暫くして、赤ワインを飲んで饒舌になった友人がこちらのコップにワインを注ごうとしたが、やんわりと断った。肉に舌鼓を打っていると、友人が話しかけてきた。
「お前はさっきデスゲームが人の死を軽く見ているって言ったけどさ。」
「今、お前がしている食事も広い意味では殺人と似たようなものだよな。」
そうかな、と私は言った。
「これはただの培養肉に過ぎないよ。」
「でも、それはお前の細胞から造った培養肉だろ?」
「つまりお前は今人を食っているんだよ。」
確かにそうだ。これは私の細胞を育ててできた培養肉で、これは食人だ。
でも。
「食人と殺人は全くの別物じゃないか。」
「そうかな、しかし、見方によってはどちらも人を害していると取れるし、それらは元々倫理に触れると言われていた行為だよ?」
そうだったっけ?食人は培養肉を経て、今や正統な食文化として日常に存在しているのだが、確かに昔はそんな風に言われていた気もする。
私はフォークに刺さった己の肉を見た。美味そうだった。
その後、妙な空気になってしまったが、なんだかんだ私は満足して食事を終え、
友人も、今言ったことは冗談だからあまり気にするな、と言って牛肉のステーキを完食した。それから私達は適当な挨拶を済ませて別れた。
ただ、次の日は家で時代ごとの常識について考えていたら一日が終わった。
天気のよく、外に出かけたくなるような休日だった。
和日人食 白雪工房 @yukiyukitsukumo
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