第2話 入国希望者

 レオンとそんな他愛もない会話をしてから、一週間ほどが経った頃――。


「お、今日初の入国希望者だぜ」


 一人の金髪美少女が門にやって来た。


 耳が長い。エルフだ。頭の上に丸いスライムを乗せている。


「入国を希望されますか」


 僕が定型的な文句を述べると、彼女はこくりと頷いた。


「では、お名前を教えてもらえますか」


「リリアじゃ」


 僕はエルフの彼女に訊いたつもりだったけど、答えたのは彼女の頭の上に乗ったスライムだった。


「えーっと、スライムさんのお名前が、リリアですね」


「違うわい。この子がリリアじゃ」


 スライムは体から触手を伸ばして、下にいる金髪エルフ美少女を指差した。


「……失礼しました。エルフの少女のお名前が、リリア、と」


 入国者を記録するノートに、「種族:エルフ 名前:リリア」と書き込んだ。


「では、スライムさんのお名前も教えてもらっていいですか?」


 もともとスライムの名前を訊くつもりはなかった。話せるスライムは少ないし、入国したがるスライムも滅多にいない。だが何となく彼(彼女?)の名前を訊くのが礼儀だと思ったのだ。


 だけど――、


「わしの名前など、どうだっていいじゃろう」


 にべもなく回答を断られてしまった。


 そんなスライムの態度が鼻についたのか、


「おい、スライム。生意気言ってんじゃねえぞ。俺たちにはお前の入国を拒否することだってできるんだからな」


 レオンがスライムを脅した。


「ほう。この国の門番は、名前を教えなかったくらいで入国を断るほど、了見が狭いというわけじゃな。しっかりわしが、これから旅先で出会う皆にそう伝えよう」


「ああ? 何だとコラ」


「まあまあレオン、落ち着いて下さい」


 レオンは腕っぷしが強くて、揉め事のときはとても頼りになるが、短気なところもある。


 彼自らが入国希望者に突っかかって揉め事を起こしてしまう、という笑えない展開もたまにあるのが現実だ。


 僕はスライムに向かって言う。


「お名前を教えたくないとのこと承知しました」


「物わかりのいい奴は好きじゃぞ」


「もともとあなたのお名前を訊くつもりはなかったので。単なるスライムですからね。そもそも名前すらないと思っていました。だってスライムですから」


「何じゃとコラ! わしにはモリルという立派な名前が――あ」


「モリル様ですね。お名前頂戴しました」


 僕はノートに「種族:スライム 名前:モリル」と記した。


「くそ、まんまとめられてしもうたわい。このインチキ門番め」


 モリルが名前を教えたくないと言ったのは、何か後ろ暗いことがあるためかもしれない。


 モリルたちを見張っておくようにと、レオンに目で合図を送り、僕は門の中にある待合所に入った。机の引き出しから「指名手配犯」の情報が記されたノートを取り出す。


 どこの国でも犯罪者はいるものだ。罪を犯した者は国外に逃亡を図るケースが多いため、指名手配犯として他国にまでその情報が伝えられることが多い。


 門番が危険人物を入国させるわけにはいかない。怪しいと思ったときは、こうして指名手配犯のリストを調べるのが常だった。


 男性冒険者のトニー、リザードマンのガルス、オークのザナック――。


「モリルの名前は、ない。指名手配中のスライムもいないみたいだ」


 杞憂だったか。


 念のためリリアの名前も探してみるが、空振りだった。


 待合室を出て、モリルたちのところに戻った。


「さっさとしてくれ。わしは早く宿で休みたいんじゃ」


 モリルが言う。


 リリアの頭の上に乗っかっているだけのスライムが、何を言っているのだ。


 モリルの物言いにうんざりしながらも、僕はノートに記入すべき項目を問う。


「入国の目的を教えていただけますか」


「観光じゃ」


「滞在期間はどのくらいですか」


「数日といったところかの」


「どちらの国から来られましたか?」


「ブラーム公国じゃ」


 遠いな。ここからブラーム公国までは馬車に乗っても数日はかかる。


「それにしては、荷物が少ないようにお見受けしますが」


 リリアは麻の布を羽織っているだけで、小さな鞄すら持ち歩いていなかった。仮に馬車に乗ってこの近くで降りたのだとしても、数日旅をするとなれば、水や食料を携帯するための鞄を持っているのが普通だ。それに、一目見たところ彼女は武器も持っていないみたいだった。


 ブラーム公国からやって来たというのは、本当だろうか?


「荷物は、あの森で〈黒影くろかげ〉に襲われたときに失くしてしもうたんじゃ」


 モリルはそう言って、伸ばした触手で背後の森を指差した。


 ヴァルガ王国の周囲は、森に覆われている。馬車がすれ違うことのできるほどの道が、僕たちの見張っている門から森の外まで続いているが、それ以外は森である。


 最近、森での黒影の目撃情報が増えている気がする。その黒く大きなナメクジのような体をした怪物は、他の生物を襲い、呑み込んでしまう。冒険者たちによって定期的に討伐されているが、成果は芳しくないようだ。


「黒影に襲われるとは、災難でしたね。ご無事で何よりです」


 黒影に襲われて亡くなる冒険者や商人も多い。


 モリルとリリアは強そうに見えないし、どうやって黒影から生き延びたのかは疑問だが、これ以上引き留めてもヴァルガ王国の心証を害してしまうだけだ。もし鞄を持っていたら、変なものが入っていないか中身を確かめているところだけれど、鞄も持っていないわけだし、入国を許可しようか――と思っていたところで、僕の目がそれを捉えた。


 ――リリアの手が震えていた。


 体の横で小さく握られている手が、微かに震えているのだ。


 彼女の顔をよく見ると、何かに怯えているようにも見える。


 彼女は何に怯えているというのか。


 さっきから詰問してくる僕に?

 僕の隣で、モリルに鋭い視線を向けているレオンに?

 それとも、黒影に襲われた嫌な記憶を思い出して?

 

 そんな風に僕がごちゃごちゃと考えていると、


「おい、さっさとしろ」


 野太い声がした。


 新たな入国希望者がやって来たようだ。


 声の主は僕たち人間と同じくらいの背丈だが、肌は灰色で、口から鋭い牙が覗いている。長く丈夫そうな棍棒を右手に、引きずるようにして大きな鞄を左手に持っていた。


 オークである。


 リリアは背後に立つオークのほうを振り返ることなく、体を震わせている。


「オークのおっさん。俺が入国審査するからよ、こっちに来な。変なものが入っていないか確かめたいから、鞄の中身は一通り出してもらうぜ」


 レオンがそう告げる。


 入国希望者が複数のときは、こうして僕とレオンで別々に入国審査をするようにしている。そっちのほうが効率がよく、彼らを長時間待たせずに済むからだ。


 しかし、オークは何が気に入らなかったのか、


「ああ? 俺様に順番抜かしなんて姑息な真似をしろって言うのか?」


 ドスの利いた声で、鼻息荒くそう言った。


「何言ってんだ、おっさん。別に順番抜かしでも何でもねえだろ」


「ああん? どう考えても順番抜かしだろうが。俺様はちゃんと決まりを守る男だからな。卑怯なことはしねえ主義なんだ。こいつらの後ろに並んで、正々堂々と審査を受けてやる。だからさっさとこいつらの審査を終わらせて、俺様の審査をしやがれって言ってんだ」


「物わかりの悪いおっさんだな。別に卑怯でも何でもねえから。さっさと通りたいんだろ。いいからこっちに来な」


 微塵も怯えを見せないレオン。


 そんな彼の眼前に、オークは棍棒の先を突きつけた。


「お前、潰されてぇのか?」


 オークが叫ぶようにして言う。


「やれるもんならやってみな。だけどそのときには、お前の体には風穴が開いているだろうけどな」


 レオンとオークの視線が交錯する。


 直後、オークが棍棒を振り上げ、レオンの頭蓋目掛けてものすごい勢いで振り下ろした。


 棍棒がドゴンッと大きな音を立てて地面を叩き、砂煙が上がった。


 獲物を仕留めたと思ったのか、オークが下卑た笑いを浮かべた。


 だが直後、笑みは苦悶の表情へと変わる。


「お前、いつの間に……」


 レオンはオークと背を向かい合わせ、逆手に槍を握っていた。


 その槍は、オークの背から胸にかけてを貫いていた。


 レオンはオークの攻撃を素早くかわして背後に回り込むと、振り返ることなく逆手で槍を突き刺したのだ。驚異的な身体能力がなければできない芸当である。


 急所をやられたオークが倒れた。


 その動かなくなった体から、レオンが槍を引き抜く。


 ぽっかりと背に空いた穴から、鮮血が流れ出す。

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