鉄蟲

Emotion Complex

本編

 黄金色に降り注ぐ陽光。高く、包み込むような青天。万物が生まれ出でる海と全てが還る大地。そんな当たり前の世界を求める旅は、それだけで優に百年を越し、移住船の中で一生を終えた者も少なくない。

 放浪の旅を終え、ここに辿り着いて既に二世紀余りが過ぎたものの、人々はいまだ宇宙に居を構えていた。全長三十四キロメートルの円筒形をした浮遊都市――スペースコロニーで――。


         *       *       *


 パルツィン・レッカードには、先人達の選んだこの惑星が人間の進入を頑なに拒んでいるように感じられた。

 憧れの青い星は、現実にはただの砂の塊に過ぎなかった。

 黄褐色の肌を晒す惑星の一部とは対照的に、パルツィンのいる第二ブリッジは深い紺色に包まれていた。

 第二ブリッジとはその名の通り二次的に使用される。

 平常航行時には、艦長以下メインクルーがここでシートを埋めているが、今は有事扱いとして真下の第一ブリッジが使用されていた。それ故にこの広空間をパルツィン達パイロットに開放してくれたのだ。

 これから降下作戦に入るパイロットへの気遣いであろうが、船のエネルギーはエンジンに集中させている為に、非常灯のみの明かりが部屋を濃紺に溶かしていた。

 前面百六十度で展開する大型モニターには、ほぼ実視に近い母星の姿が一面に広がっている。

 ゆっくりと近付いて見えるが、実際はかなりの速さのはずであった。モニターに集中しすぎると、星へ吸い込まれそうな感覚に囚われてしまう。

 そこに収まる者達の浅く早い呼吸音が、相乗的に彼らを包む〈紺〉に『生』を与え、逆にそれが目に映る星の『死』のイメージを強くしていた。

 浅く早い呼吸は皆の緊張を意味していた。

 パルツィン達が座っているのは今だけ設置された補助シートである。第一ブリッジは床ごと下へ降りているからだ。つまり、パルツィン達がいる所は天井にあたり、バスケットコートが二つは余裕で入る広さに、シートがちんまりと真中に集中して固定されていた。

 艦長のマフラッカ・クルーズが一番前に席を取り、その後ろに三・四・三の並びで、隊長を含んだ十名のパイロットがモニターに見入っている。平常を装っているが、呼吸音からも分かるように緊張は隠し切れていない。

「いよいよ降下だな、パル。〈大地〉ってどんな所なんだろう」

 と、隣のミードラ・サーフリックが小声で話し掛けてきた。真実味に欠けた軽い口調はいつものそれだが、声を震わせていた。

 恐らく緊張の糸がミードラを絡めているのであろう。しかし彼だけではない。皆そうに違いないのだ。

 不安と期待の狭間で緊張は発生し、増殖するように肥大する。

 大気圏突入――生死を分ける一瞬の時を、数分後に控えている。しかし、それで縮こまるようでは機動兵器のパイロットは務まらない。

 〈糸〉の出所は別のところにあった。

「まだ人の住めるところじゃないさ。政府の広報によれば、かなりの量の粉塵が舞っているらしいからな」

 パルツィンは冷静にそう答えた。周りに比べて緊張が少ないのは、〈希望の大地〉への期待が薄いからかもしれない。

「この星を一目見て、しばらく待てば居住できるって思った先人がバカなんだよ」

 後ろの方から怒りを露わにしたダミ声がパルツィンに同意した。

「疲れたんだろ。新天地を求める旅にさ」

 パルツィンは事実を述べただけで、先人を非難したわけではない。だからそう付け加えた。

「理解る気がします」

 パルツィンの右前に座る、ナディ・スティッチーが言った。

 パルツィンは彼に一目を置いていた。女性っぽい物腰ではあるが、弱々しくないのは彼が信念の人間だからであり、筋道の通った彼の行動は常に皆を導いていた。

 彼の青い瞳は、正面の窓に映る砂褐色の惑星へ向けられたままだ。悲しみと寂しさの同居する、切ない瞳であった。

「人が住めるようになるのかなあ」

 とミードラが誰に訊ねるでもなく、独り言のように洩らした。

 答える者はいなかった。

 できる事ならば、想像もつかない程の年月を経て形成された生きた大地に立ち、代金のかからない空気を思いっきり吸い、誰にもいじる事のできない天候や季節をその身体に感じたい。人工の大地――スペースコロニーで生まれ、育ち、不自由なく暮らしていても、遺伝子がそう求めてしまうのだ。

 ミードラの独り言は皆の問いであり、答えがないのは現実を認めるのを先送りしたいという気持ちの表れなのかもしれない。

 あと数分でその姿がパルツィン達の前に晒され、自ずと答えが出てしまうのだとしても、誰も言葉に出来ずにいた。

「お前ら口数が多すぎるぞ!」

 艦長のマフラッカが怒鳴った。振り返りもせず正面に向けられた声は裏返り、言葉と言うよりはまるで悲鳴のようで意味は皆に届かなかった。威厳ではなく剣幕だけで静まり返ったその場には、すぐに嘲笑がシルクのように薄く広がった。

 パルツィンの後ろのほうであからさまなブーイングも上がった。

 階級的にはパルツィンが彼らへ注意する立場である。しかし艦長が第二ブリッジで震えているという事実は笑いの種でしかない。その芽を刈り取る意味を見出せず、放っておいた。

「少尉、ずっとあの調子だよね」

「緊張してるのさ、少尉殿も」

 パルツィンのすぐ前に座る隊長のルーシー・アクルスがミードラに応えて、皆の笑いを誘った。

『間もなく大気圏突入です。各人はショックに備えてください』

 いつにない固い声で通信兵がアナウンスすると、上辺だけのリラックスムードは剥ぎ取られた。

 慌てるように自分のシートベルトを確認し、肘掛を掴む者。十字架を握り締める者。頭を抱え込むようにシートの影に消える者。各々が衝撃に備えた。

 パルツィンも肘掛に手を置いた。思ったよりも自分が緊張していたのだと、手のひらの湿っぽさで気付く。頭を下げたい衝動を押さえ、パルツィンは正面のモニターに目を据えた。他にもそうしている者が二人いた。ナディと、意外にも艦長のマフラッカであった。詳しくその様子を探ろうとした時、カウントダウンが始まった。

 パルツィンの注意は船の動きへと切りかえられ、マフラッカを視界から外した。

 確かに軍人として、パイロットとして厳しい訓練を潜り抜けてきた強者達であるが、その度胸も自分が操る機体だからこそ備わるものであった。自分で運転する自動車なら酔わないという心理に似ている。仲間を信頼していても、やはり不安は隠せないのかもしれない。こんな長い十秒は始めてであった。

 ゼロカウントのすぐ後で、バーニアの点火が加わったGで分かった。

 〈大地〉への降下が始まった。

 炎の中に放り込まれたように視界が赤く染まっていく。

 小刻みなはずの船の振動さえ、大爆発の予兆と錯覚させた。

 右横でミードラが頭を抱え込み身体を小さく丸めている。ぶつぶつと何かを言っている。その声は大気の摩擦による唸りと船の振動が織り成す平面のような音の隙間を巧みにすり抜けてパルツィンの耳に届いた。

 思いもよらない名前をパルツィンはそこに聞き取った。自分の耳を疑う事もせずに、それが真実だと悟った。

『シールドを展開します』

 と通信兵が叫ぶように宣言し、五カウント後、大きな衝撃と共に正面の視界が閉ざされていった。

 シールド――大気圏突入の際、空気の摩擦を減らすために、船の前面に付けるオプションの事だ。〈アヒルの口〉と呼ばれている。船の前部で、えさを欲しがるアヒルのようにシールドが上下へ開き、降下へのブレーキとするのだ。その上嘴部がパルツィンの視界へ入ってきた。

 冷却装置も働き、機体の装甲温度が下がっているのが視界の色の変化で分かる。落下スピードも見る目に遅くなっており、姿勢制御のブースター音から、大気圏突入の終わりを感じ取れた。

 前向きに当たっていたGが次第に平衡となるのを腹の底で感じ、さらに全身にのしかかる別の力に気付いた。

 重力だ。

『大気圏突入、無事終了しました』


         *       *       *


 第二ブリッジで、歓声が跳ね上がるように湧いた。ミードラの奇声が群を抜いていた。

 シートベルトを外して、本物の重力を味わう者、走り出す者、歌い始めた者。皆はしゃいでいた。

 パルツィンも立ってみた。心地よい重さを感じるより先に、パルツィンは足下に伝わる違和感が気になった。貧乏揺すりのように神経に障る振動が、波のように強弱をつけ、しかし途切れることなく足の裏へと届いていた。

 他に気付いている者はいないかと周りを見回すと、一人だけ座ったままのマフラッカが目に付いた。指が白くなる程、肘掛を強く握り締めている。彼の緊張はまだ続いているようであった。

 まだ恐怖は始まっていない――そう見えた。  

『シールドを閉じます』

 湧いては引くはしゃぎ声の中、シールドが音を立てて閉じてゆき、前面に壮大な光景を映しだした――誰もがそう思っていた。そう願っていた。

 泡が弾けるように喜びの声はたちまち消沈していった。

「こんなんじゃ――人が住むなんて絶望的じゃないか」

 泣きそうな声でミードラがポツリとつぶやいた。

 パルツィンはそのミードラの横を過ぎ、正面の窓へと近付いた。

 希望を覆い隠しているのは、衛星軌道上で見たのと同じ色の粉塵であった。

 嵐のような強い風が右から左へと埃と砂を駆り、パルツィン達の視界を塞ぎ、船を揺らしていた。

 それは何百年と変わらぬ光景に違いない。

 どこまで時間を遡れば心に描く〈大地〉に会えるのだろうと、パルツィンは人ごとのように考えた。聞こえないはずの幾万もの砂の触手が船の装甲を抜けて、心まで吹きすさんでいるようであった。

「この現実を政府は分かっていない。さっさと引越しすればいいものを、いつまでも〈大地〉に固執してさ」

 と、一番格下のジーン・ロビマークが、腹立たしさの矛先を政府に向けて怒鳴った。

「ジーン、お前〈推進派〉なのか」

「〈推進派〉?」

 無精ひげを撫でながらジーンに問うクラッチェ・ポーキンスに、ミードラが訊いた。答えたのはルーシーであった。

「今、世界を分けている派閥の一つさ」

「派閥?」

「〈大地〉に見切りをつけて再び移住地探しの旅に出る――これが〈推進派〉。いつまでも回復を待つ――これが〈保守派〉。この二つが対立を始めているのです」

「軍は〈推進派〉が多いんだ」

 と、ジーンが興奮気味に言うと、再びルーシーが受けた。

「そうだな、軍と政府の対立――という見方もできるな」

 これからの人生を大きく分けかねない対立なのに、自分が知らないでいたことにパルツィンは動揺した。

 ミードラも知らなかったらしく、その顔は遠足バスに乗り遅れた子供のようであった。

 まだ水面下の話ですよ―― と、ナディが二人に諭すように言った。

 さらにルーシーが詳しく話そうとした時だ。

「三百六十度監視体勢だぞ! 何をしている!」

 またマフラッカだ。

 皆言葉を無くして黙った。

 パルツィンは振り向いてマフラッカを見た。座ったままの変わらぬ姿勢でマフラッカは、今の叫びに全エネルギーを使い果たしたかのように浅い呼吸を繰り返していた。

「A班は〈バッシュ〉で待機。B班は第一ブリッジで対空監視だ。急げよ、少尉殿は今度はご立腹だ」

 と、ルーシーは嫌悪感を隠そうともせずにそう指示した。

 了解――とパルツィン達は敬礼し、その場を離れた。

 ジーンやクラッチェの冷笑にもマフラッカは何の反応も示さなかった。見開いた目は粉塵の嵐に縫い止められたように動かず、半開きの口は空気を求めてせわしなく動いていた。

 パルツィンはそんなマフラッカを横目に第二ブリッジを出た。

 一つまみの不信感がパルツィンの心の片隅にしこりのように消えることなく残った。

 第二ブリッジを出るとパルツィン達は二手に分かれた。パルツィンはナディ、クラッチェ、それにシーバス・ハリスンと共に第一ブリッジへ向かった。

 第一ブリッジは今までいた所の半分の狭さだ。ほとんどが機器類だからだ。

 アームで支えられた二つのキャプテンシートが部屋の後方で見下ろすように立っている。前には操舵手が船の舵を取り、他に通信兵二名、レーダー監視兵二名の計五名いる。

 眺望は下のここの方が悪いはずだが、視界は何一つ変わらないから全く気にならなかった。

「今、高度はどのくらいですか?」

「ちょうど三千メートルを過ぎました。まだまだ降下中です」

 パルツィンはナディとレーダー兵の会話を耳にしながら、キャプテンシートに座る男へと近付いた。シートに座っていても、背が低いと分かる。制服がはちきれんばかりに筋肉が隆起し、肩との境界線の分からない首の上でごつい顔がパルツィンを見つけてにやりと笑った。

「しかし酷いな、この有様は」

「うわさには聞いていたがな」

 筋肉質の男――副艦長のシャット・カイヤは腹の底から響く声で言った。パルツィンより階級は上だが、公式の場でなければ気さくな会話を許している。

「視界が悪すぎる。その行方不明になった運搬船って、崖にでも激突したんじゃねえの」

 と、無精ひげを撫でながらクラッチェがパルツィンの側に来て言った。

「全く無いとはいえんがな」

「三機が続けざまってのは不自然ですよね」

「それに、鉱石運搬船にはナビゲートシステムがある。自動的に航行できるはずだ」

 パルツィンがナディ達の言葉を補足した。

「何ものかによって意図的に墜とされた――と考えた方が納得できます」

「何ものって誰さ」

「それを調べるのが我々の仕事だろ」

「はいはい、皆様お頭がよろしいようで」

 クラッチェがおどけて、ふわっとした軽い笑いをブリッジ内に起こした。

「でも、こんなんじゃ対空監視なんて意味無いな」

「だからレーダーを強化してあるんだよ、この『アメンボ』は」

 パルツィンの心配に、シャットは詰襟を外しながら言った。

 彼らの乗っている船〈プークス〉は、両脇に張り出すアームの形状とそのシルエットから、『アメンボ』の愛称で呼ばれていた。そのアームの先には格納庫が設けてあり、その右側にミードラ達が待機しているのだ。

「当てにしていますよ」

 ナディが二人のレーダー兵に言うと、彼らは顔を赤らめた。

 男同士でありながら、そうさせるのはナディの持つ色気のせいなんだろうなと、パルツィンは見ていた。

「何ものか――目的は何なんだろう?」

「少なくても、我々移住者ではないでしょう」

 ナディの言葉に、シャットはしかめ面で頷いた。

「墜落船が運んでいた鉱石は我々の命綱だ。だから、それを襲ったところで自分の首を絞めているに過ぎない。――しかし他に誰がいる。」

 誰もが答えに詰まった。想像の域を出ない憶測の中で、クラッチェが恐る恐る口を開いた。

「〈大地〉に先住民がいて、生活を脅かし始めている我々に敵意を向けている――とか」

「移住してきて二世紀も過ぎた今ごろになってか?」

「地下で眠っていて、何らかの拍子で今目覚めたとか」

「軍曹は想像力があるな、いっそ軍なんか辞めて作家に――」

「何か来る!」

 バカ話に見切りをつけさせようとシャットが会話に割り込んだ時、レーダー兵の一人が叫んだ。

 誰よりも早くナディが、続いてパルツィンもレーダーへと近づいた。

「二時の方角から――かなりでかい!」

「あと五分で接触します」

 レーダー兵が仕事をしている後ろから、覗き込むようにナディとパルツィンは画面に次々と映し出される情報を読んでいった。

「総員、出撃用意!」

「ちょっと待ってください」

 ナディがシャットを止めた。

「うん、おかしいぞ」

 パルツィンは数値を指で追いながらナディの言葉を肯定した。

 シャットがキャプテンシートを降りてパルツィンの後ろへ寄ってきた。

「こいつ、ナビゲートシステムの信号を受信している」

 パルツィンが皆に説明すると、一番始めに気付いたレーダー兵が、あ――と軽く声を上げた。

「という事は――」

「鉱石の運搬船ですよ」

 一瞬で張り詰めた空気が、同じ速度で和らいだ。

「慌てもんが」

 とシャットが軽くそのレーダー兵を小突くと、彼はかなり恐縮して皆に謝った。

 シャットは続いて、その運搬船に接触するように命じた。

 通信兵の呼びかけに応え、通信用モニターに細面の男が映し出された。こけた頬と短く切った髪が精悍な彼が、運搬船の責任者だという。

 通信兵をどかし、シャット自らが対話していた。その後ろにパルツィン達パイロットが埋めていた。すぐ横にいるナディのムスクの香りがパルツィンの鼻をくすぐった。

「ウクラス・ブータンです」

 と、しかめ顔が抑えた声で言った。こちらの様子を探っているのがたやすく見て取れた。

「船を襲っている犯人に見えますか?」

 パルツィンはストレートに訊いた。

「分かりませんね。確たる証拠が無い以上、なんとも言えませんよ」

「今日、事件の調査で軍が降りてくるという知らせは?」

 パルツィンとウクラスの会話を聞いていたシャットが不機嫌な顔で言い放った。

「来てますがね」

「それが我々だと信用していただく以外は無いです」

「言えてます」

 ウクラスは軍人気質なシャットの対応に苦笑しながら答えた。

「護衛として〈バッシュ〉を二機つけます。接触していただけますか?」

「了解です」

 相変わらず愛想の無い男であったが、パルツィン達への疑念の半分は消えてくれたようだ。それでも進歩である。

 パルツィンは初対面の他人から信頼を得るのは難しいものだと改めて痛感しつつ、ウクラスに声をかけた。

「事件の事、何か聞いていません?」

 ウクラスは肩をすくめた。

「事件に遭った奴は生きてないからな。誰も知らないさ」

「そりゃそうだ」

 クラッチェが大げさに頷いて見せた。

 ウクラスにもそれが見えたはずだが、目に入らなかったように続けた。

「そいつはかなり高速だと噂されている。それに――」

そこでウクラスは少し口篭もった。次を言うべきかを迷っているようであった。シャットに促されてようやく口を開いた。

「襲われた所を傍受した奴が聞いたらしいんだ。――そいつの哭き声を」

 一瞬間、ぷつ――と世界が切れた。

 パルツィン達が言葉を見失ったのだ。息をする事を思い出したかのように動き出した時間の中で、クラッチェの声が別世界に存在するように響いた。

「哭く? 哭くって、生き物が運搬船を墜としたってことか?」

 答えはなかった。代りにパルツィンがウクラスに別の事を訊いた。訊いてよいものか――迷いが口調をゆっくりとさせた。

「どんな、声か聞いてますか?」

「『キリキリ』と金属同士を擦り合わせたような――」

 その時、パルツィン達の後ろで、悲鳴を飲み込む声が転がった。

 振り向いたパルツィンは出入口付近に立つ艦長のマフラッカ・クルーズを見た。目の端が切れそうなほど見開き、でもその焦点は落ち着きなくハエのように動き回っていた。

「少尉――」

 ナディの呼びかけで、マフラッカはブリッジ全クルーの視線を浴びている事にやっと気が付いた。

 何でもない――とマフラッカは動揺を隠そうともせずに、そう口から押し出すと踵を返した。

「少尉、運搬船と接触しますが?」

「まかせる」

 マフラッカは振り向きもせずにそう言うと、そのままドアの向こうへと消えた。

 その肩はしぼんだ風船のように落ち、パルツィンと変わらぬ程あるはずの上背が一回り小さく見えた。

 今回の任務のほとんどを一人でこなしている副艦長のシャットは呆れ返り、クラッチェの無精ひげには嘲笑が刻まれていた。

 そんな中、パルツィンは別の見解を抱いていた。マフラッカは何かに怯えている。その何かは、この事件と繋がっている――とパルツィンは睨んでいた。しかし証拠が何一つなく、口に出して大騒ぎする自信に欠けていた。


         *       *       *


 それから十分後――。

 パルツィン達はナビゲートシステムの信号上で、ウクラスの運搬船〈パセリⅤ〉とランデブーした。

 〈パセリⅤ〉は鉱石運搬船の基本形を踏襲していた。

 細長い船体の前方に球形のコクピットがあり、ウクラス以下三人のクルーによって運行されている。残りの部位のほとんどはエンジンで、尻部のジョイントに鉱石を四、五ブロックに分けて接続するのだ。

 パルツィンにその姿がはっきり見えたわけではない。モニターは相変わらず壊れたテレビのように砂埃が舞っているからだ。

 しかし、黄褐色の幕が時折はためくように隙間を生み出し、その一瞬の映像を繋ぎ合わせ、形を想像するのはたやすい作業であった。だから、その名前の由来が形から来ているのだとも理解できた。

 ナビゲートシステムに引っ張られる〈パセリⅤ〉に追随する形で『雨んぼ』は並行に航行した。約束通り、二機の『バッシュ』を同行させるためだ。

 二条のテールノズルが粉塵の向こうで閃き、運搬船に合流するのが見えた。

 ミードラとジーンだ。

「お世話になります」

 と、ウクラスが初対面の時とは打って変わって慇懃に礼を言った。

「航行の無事を」

「ありがとう」

 そのやり取りの横でパルツィンはミードラに声をかけた。

「しっかりやれよ」

「お前に言われなくたって」

 ミードラの口調には、初の重力下での作戦行動への緊張感が前面に溢れ出ていた。

「戻りはどうするのですか?」

 堪り兼ね、ダミ声のジーンが隊長のルーシーに訊いた。

「我々はこの空域を巡回したらそちらさんの基地に寄る。そこで待ってればいいのだよ」

「宇宙へ戻るにはブースターが必要なんですから」

 ナディがからかうように言うと、笑いがブリッジと通信装置から溢れた。

 他愛もない事由による明るさであった。ほんの数秒の事であったが、声を出して笑ったのは久しぶりであった。降下してから一時間足らず、〈大地〉の惨状に沈んでいた空気がわずかに和らいだ気がした。

「パルはミードラとジーンに代り、格納庫で待機だぞ」

 と、ルーシーが場を締め直した。

 了解――と、パルツィンは笑いを残しながらも返事をした。

 ミードラ達の『バッシュ』を伴い〈パセリⅤ〉が粉塵の奥へ消え、レーダーだけにその姿を映すようになると、パルツィンは大きく伸びをした。

「行くんですね」

「対空監視よろしく」

 パルツィンがナディに応え、副艦長のシャットに敬礼をした時だ。

「あれ?」

 先程、運搬船を誤認したレーダー係がまた固い声を上げた。

「どうした、何か来たか?」

 キャプテンシートのアームに寄りかかるクラッチェがからかった。が、今度は誰も笑わなかった。

 パルツィンはレーダーの方へと近付いた。ナディとシャットもそれに倣い、二人のレーダー班の間に割り込んで計器を覗き込んだ。

「やっぱり何かいます!」

 確信は彼に恐怖心を誘い、その声は悲鳴に近かった。

「また見間違いじゃねえの?」

 とクラッチェが弱々しく言った。

「そうではなさそうです」

「速いぞ!」

 パルツィンの言葉に重なるように、隣のもう一人のレーダー兵が情報を読み上げた。

「大きさ約二十メートル。進路はこちらではなく――」

「運搬船を追っているのか!」

 シャットが驚きとも怒りとも取れる声で怒鳴った。

 それを合図に、パルツィンとナディがドアへ走った。遅れてクラッチェともシーバスがブリッジを出た。

 シャットの少尉を呼べと怒鳴っている声がパルツィンの背中を追ってきた。

 ロッカールームへ飛び込み、パイロットスーツに着替える。

 遅れていた二人もそこで合流した。

「例の奴みたいですね」

「犯人って奴だな、とっ捕まえてやる!」

 シーバスとクラッチェの会話にパルツィンは危険なものを感じた。

 余り意気込みすぎるなよ――ヘルメットを掴んだ時、パルツィンの口からこぼれたのはそのせいかもしれない。

 二人の返事を待たずにパルツィンは部屋を出た。

 パルツィンが乗る機体は船の右舷にある。格納庫に入ると、行動迅速なナディが既に自機へと取り付いているのが見えた。

 二十度に傾いた『ベッド』に鉄の巨人が四体、格納庫の半分を埋めていた。

 十二メートル級の人型機動兵器〈バスタードシューター〉、愛称『バッシュ』のパイロットになるとパルツィンが言った時、彼の父リャウルは反対した。

 『バッシュ』は元々三十メートルもある、超大型機動兵器であった。それがこの星域に辿り着き、さらに一世紀余りが過ぎた頃、変化が起こり始めた。

 当時の首相レグレ・モリスは、大きな争いも起こらないこの星域で巨大な兵器は不必要だと主張し、資源不足に悩んでいた民意を得たのだ。サイズを半分以下まで落とし、余計な飾りも排除したものが〈バスタードシューター〉――『バッシュ』であった。

 パルツィンの父リャウルは『バッシュ』は鉄の棺桶だと豪語していた。

 使えないものを作りやがって――と、製鉄場の工場長を務めていたリャウルは『バッシュ』を一目見るなりそう怒った。

 『バッシュ』用の飛び道具が発明され、接近戦の必要性は五十パーセント以下となった――その軍の上層部の認識は、さらに使用する金属を減らすため、デザインも大幅に変更された。強固なイメージの前デザインから一転、骨格のみの『バッシュ』は確かに非力な印象があった。

 総合的に見れば『バッシュ』は戦力になる――というパルツィンの意見はリャウルには受け入れられなかった。そんな父の同意も得られないままにパルツィンは軍に入隊し、そしてパイロットになった。

 リャウルはそれから二年後に交通事故で亡くなる。賛成してもらえなかった事がパルツィンには今も悔やまれてしょうがなかった。

 船に積まれている『バッシュ』は軍の汎用タイプ〈キュラス〉であった。操作性の軽さ、照準のつけやすさとそれに伴う演算の早さが定評の機体だ。見た目はかなりスマートだが、関節部のしっかりさや、Vの字型の頭部は乗る者にプラスの印象も与えた。

 パルツィンは胸の真中に位置するコクピットへ身体を飛び込ませると、すぐにシートへ収まり、コンソールパネルのスイッチをオンにした。耳の中で木霊するような音を立てて鉄の戦士が目覚めていった。

 前部の壁面百八十度がカメラモニターとなり、周囲の状況を映し出す。その画面上に次々と現れては消える文字や数値を目で追って、パルツィンは整備がベストである事を確認した。

 機体の動きをコントロールするボール型スティックへ右手を、アクションを選択するキーボードへ左手を置く。巨大な相棒の鼓動をパイロットスーツ越しに感じ、パルツィンにはそれが頼もしく思えた。

 そういえば、再移住を最初に提案したのもモリス首相だったって父さんは言っていたな――。

 パルツィンがそんな事を掠めるように思い出した時、シャットの声が飛び出してきた。パルツィンの意識は通信モニターのシャットに向けられた。

「少尉がいないので私が指揮を取る」

 シャットの第一声はパルツィンの耳を通り、頭の中に固く残った。

「未確認機はまっすぐ運搬船へ接触するコースを取り、この船が達するより速いスピードで飛んでいる。しかし君達『バッシュ』隊なら追いつける。先行してくれ。指揮はもちろんアクルス曹長に一任する」

「了解だが、〈スティングレー〉の調子が悪い。なんとかならんか?」

「私に言われてもな」

 そのやりとりの間にも二十度の角度で横になっていた『ベッド』が垂直となっていく。

 奥のコンテナからスノーモビルのような機体が引き出されてきた。これが〈スティングレー〉だ。

 『バッシュ』は小さいながらも大気圏内で行動できる出力を持っているが、持続力となると限界がある。現場までそのパワーを維持し、更に迅速に到着する為の手段として開発されたものが〈スティングレー〉だ。

 大型バーニアとそれに伴う大型エンジン、これが『バッシュ』の倍以上のスピードを実現させた。エンジンとバーニアを積んだ本体の両脇から左右にハンドルと台座が飛び出て、『バッシュ』はそこに座る。二機まで乗せる事ができ、速度は落ちるが、下部のバーにもう一機を掴ませる事で計三機を運べるのだ。

 パルツィンはナディと同じ〈スティングレー〉へ自機をセットした。

 稼動状態が良好なのを確認すると、ブリッジのシャットを呼び出した。

 ルーシー達A班が出られず、混乱している左舷格納庫とのやり取りでシャットは荒立っていた。

「何か用か、軍曹?」

「少尉、どこにも見当たらないのか」

「第二ブリッジにも、部屋にもいない」

 この事件にマフラッカが噛んでいるという疑念は、冬の嵐のようにパルツィンの心に雨足を強めていた。

 少尉を探してくれ――パルツィンの疑念が口から放った言葉であった。

「どういう事だ?」

「勘に過ぎないんだが――」

 パルツィンは言葉を切った。納得させられるだけの語彙が見つからず、シャットの感受性に賭けてみた。

「少尉の様子、気にならなかったか?」

 シャットは一瞬考えて見せたが、決断は早かった。

「手の空いている者に探させよう」

 そう答えたところを見ると、彼も同じ気持ちを抱いていたのであろうとパルツィンには見えた。

 シャットとの会話が終わると同時に、困った顔のルーシーが通信モニターに映った。

「パル、準備はできているか」

「良好です」

「こちらの〈スティングレー〉が愚図っててまだ出られん。すまんが先行してくれ」

「了解。三号機、四号機出ます」

 二機の巨人を乗せた〈スティングレー〉が二台、コンベアーで下層の射出口へ運ばれた。

 既に開いていた射出口からは、容赦なく粉塵が吹き込んでいた。

 そこから、巨大な砂の舌へ飲み込まれるように粉塵の中へ飛び込む。

 風力と粉塵に負けないように機体をコントロールすることにはすぐ慣れた。

「計算では、私達が到着する二分前に、ミードラ達は未確認機に接触します」

「二分か、最悪保たないな」

「急ごうぜ、パル」

 パルツィン達はナビゲートシステムの信号を拾い、出せる限りのスピードで運搬船を追った。

 〈スティングレー〉は、厚い雲のような粉塵を割って進んだ。変わらぬ景色は時間さえ見失いそうであった。方向を狂わせる視覚はまるで落ちているようでもあった。

 意識が飛びそうになるのを必死で堪え、パルツィンはミードラ達を探した。

「いました、十一時の方向!」


         *       *       *


 集中力の強いナディが一番初めに見つけた。

「少しずれてた!」

 方位を修正したその先で、粉塵の切れ目切れ目に『バッシュ』のハンドガンの火線が見えた。

「まだ頑張っているらしいゼ」

 とクラッチェは言った。言葉とは裏腹に固い口調であった。

 火線が見えたという事は、そこに敵がいる事を意味した。

 誰もが生命をかけた戦闘は初めてである。しかしパルツィンは不思議と堅くなっていない自分を感じていた。あるのは程よい緊張のみ、自分の調子が良好なのをパルツィンは心強く思った。

「こちらも識別信号を。ミードラ達に撃たれるぞ」

 パルツィンは指示を出した。機体の識別信号のスイッチを入れる。自機のハンドガンを腰から外させて構える。

 火線は今、消えているが、かなり近いはずである。

 パルツィンがミードラの姿を探そうとした時、その音は耳に噛り付いてきた。

 喩えるなら金属同士を擦り合わせたような不快な連続音――それがかなりのスピードで近付いてきた。

 何の音か――と考えるより先に、巨大な影が頭上を通りすぎた。報告されていた二十メートルは優に超えていた。

 ハンドガンを構えたものの、引金を絞る暇も与えずに、影は後方へと飛び去った。

「何だ、今の!」

「速いぞ」

「クラッチェ達は追撃を。オレ達はミードラ達と接触してから追いかける」

 と、パルツィンはナビゲートシステムを頼りに、火線と影の飛んできた方向を考慮して先へ進んだ。

 すぐに運搬船が運んでいる鉱石の影が粉塵の向こうに滲んだ。追いつき、全体を捉えられる位置につくと、その光景は高度な間違い探しのように、何かが足りないとパルツィンに思わせた。

 答えは隣から上げられた。

「一機だけ?」

 ナディが珍しく悲鳴混じりに言った。

 そう、護衛につけた『バッシュ』のうちの一機が見えなかった。運搬船の鉱石に抱きつくように取り付いているのはミードラ機であった。

「ミードラ、ジーンはどうした?」

 パルツィンの呼びかけに、ミードラは答えなかった。微動だにしなかった。

 運搬船の速度に合わせると、先端のブリッジに三人の乗員の姿が見えた。それは頼りないほど小さく見えた。

「よく間に合ってくれた」

 運搬船の責任者ウクラスの声が通信用スピーカーから聞こえた。初めて会った時の張りはなく、それは弱々しかった。

 パルツィンはナディに一言告げると〈スティングレー〉を降りた。スラスターをうまく使い、風に乗るに流れ、後方の鉱石の一つに取り付く。そこからミードラのいる鉱石は二つ下に位置する。

「ミードラ、返事をしろ。ジーンはどこなんだ?」

 スラスターとバーニアを使い分け、鉱石を跳ねて、パルツィンはミードラの方へ向かった。

 ミードラ機の側まで行くと、何か呪文のような小さな声が近付いてきた。それはミードラのものだとわかるが、なんと言っているかは聞き取れなかった。

「もう一人の方は、さっきの奴に――」

「やられたのですか?」

 ナディの言葉をウクラスは申し訳なさそうに肯定した。

 パルツィンはミードラのすぐ横に来た時、その会話を耳にした。

「ジーンがやられた――?」

 と、小さく確認するようにパルツィンはつぶやいたが、言葉は意味を成さず、音だけが口から洩れた。

 次に届いたのは、一段とボリュームを上げたミードラの声であった。

 どこか、焦点の合わない、ぼんやりとした声で『は』と『ち』を繰り返していた。

「は・ち? 八? ミードラ、何を言って――」

 パルツィン機がミードラ機の肩に触れたその金属音の向こうに、さっきの人を生理的に不快にさせる音が聞こえた。

「近い! どこだ」

「パル、正面です!」

 ナディの声が、かなり近い擦過音に溶けることなく弾けた。

 その言葉通り、パルツィンの正面――運搬船を追う位置にいた。滲んでいた影が粉塵の向こうで形を成していった。

 パルツィンはハンドガンの銃口を影に向けた。

「く、来るうっ!」

 突然ミードラが叫び、腕を振り回した。

「ミードラ、落ち着け!」

 パルツィンの言葉はミードラに届かなかった。

 ミードラはパルツィン機を突き飛ばした。迫る巨大な影に向かって――。

 ナディがパルツィンの名前を呼ぶのが聞こえた。

 スラスターを吹かして宙でバランスをとる。

 目の端にミードラ機が鉱石からずり落ちていくのが捉えられたが、ミードラの身を案じている余裕はパルツィンにはなかった。

 すぐそこに粉塵の乱れがあった。圧力がモニターを通さずにパルツィンに直接伝わった。まるで手を伸ばせば触れられるように――。

 近すぎてハンドガンは使えない。自分が邪魔となり、後方のナディは援護できない。パルツィンは宙に飛び出したその一瞬間で接近戦を覚悟した。

 太股にマウントしてあるナイフを逆手に持って引き抜いた。

 ボールスティックを弾くように回す。

 影の下側から懐へ入る算段だった。機体が身をひねらせる感覚がパルツィンをシートに押し付けた。

 予想より速く影がパルツィンの視界へ飛び込んできた。

 近すぎて全貌は掴めない。身体が三部位に分かれているのは分かった。単純な構造ゆえに固い印象がある。

 パルツィンは、その腹部と腰部を繋ぐ、その隙間に見える機械部にナイフを向けた。

 そいつは刃をくねって躱すと、粉塵を身にまとうように周りながら上昇していった。

 ナディがハンドガンを撃つ。火線はよく敵を追っていたが、致命傷にいたる事はなく、影は粉塵の幕奥へと消えた。

「無事ですか?」

「ああ――」

 〈スティングレー〉を寄せてきたナディに答え、パルツィンはその横へ取り付いた。

 目と耳で敵が離れたのを確認すると、パルツィンはミードラが落ちていった辺りを見た。

「ミードラの奴――」

 パルツィンは小さく口の中でつぶやいた。

 ナイフを元へと戻す。

 もう一台の〈スティングレー〉が合流する。

「見失っちまった」

 ラッチェが残念そうに言いながらパルツィン達と並走した。

「まだいますよ」

「ミードラ達は?」

「ジーンはやられたらしい。ミードラは知らん」

 とパルツィンは言い放った。

 クラッチェとシーバスの感慨を待たずして、敵が近付いた事をナディが教えた。

 影も見えないが、微かに音がする。あの耳障りな音が、右かと思えば下に、上かと思えば左に、まるでパルツィン達を中心に回っているように思えた。

 誰の指示でもなくハンドガンを構える。

 一番近くで接触したパルツィンが初めに気付いた。

「右だ!」

 粉塵を割って、枯竹色の機体が現れた。二本のアンテナ。三つの身体、四つの腕と二本の脚。羽根に類似したバーニア。まるで昆虫であった。膨れ上がるような大きい腰部からくる全体のイメージが『蜂』を思わせた。

 その目が赤く光り、パルツィンを睨んだ。

 薄皮一枚に刺し込まれたナイフのようにパルツィンを凍らせた。

 既にハンドガンは火を吹いているが、小口径の弾丸は虚しく弾き返されていた。

 『蜂』はそれを嘲笑うかのように、何のフェイントもなく真直ぐパルツィン達へ迫った。

 パルツィンとナディは効果無しと見るや、その軌道上を上へと避けた。

 『蜂』は標的を決めたらしい。

 『蜂』が残ったクラッチェ達に狙いを定める方が、クラッチェ達の回避より速かった。ハンマーのような印象の、鋏状の右手を大きく振りかぶった。

 クラッチェとシーバスは辛うじてそれを跳んで避けた。

 置いて行かれた〈スティングレー〉が犠牲となった。〈スティングレー〉は二つに折れ、激しい炎を生んだ。粉塵がそこだけ開けたが、代りに爆炎が視界を塞いだ。

「いけない!」

 ナディが叫んだ。

 しかし、シーバスへは届かなかった。彼は爆炎を利用して敵に近付こうと、バーニアを吹かせたのだ。

 だが、爆炎を利用したのは『蜂』も同じあった。

 上方にいたパルツィン達には、爆炎の向こうに『蜂』が潜んでいるのが見えた。

 『蜂』の二番目の腕がシーバス機を殴打した。角度のついた棘が肩口の装甲に食いつき、引いた腕につられてシーバスは『蜂』の元へと寄せられた。鈍く光る『蜂』の顎が歓喜の音を立てて喉元へと噛みついた。

 そこまでわずか数秒である。〈スティングレー〉の爆発はまだ続いていた。

 シーバスの悲鳴が間断無くスピーカーを割った。

 皆が同時に動いた。一番近くにいたクラッチェがナイフを引き抜く。

 シーバスの声が一段と高くなった。

 『蜂』が彼の機体の頭を、胴体から噛み千切ったのだ。間髪入れずに『蜂』の両手の鋏がシーバス機を挟んだ。

 ロブスターのそれのような分厚さに挟まれた『バッシュ』は、生まれたばかりの赤ん坊のようにか細く見えた。

 なんというパワーであろうか。

 クラッチェが間合いへ入るほんの数秒を待たずして、シーバス機は鉄で出来た魔物に砕断された。

 パルツィンは、シーバスの悲鳴の最後に、ぶつ――という肉がつぶれる音を聞いた気がした。

 クラッチェもそうなのか、『蜂』を前に一瞬の気後れを見せた。

 『蜂』は身体をくの字に曲げて、上方から迫るクラッチェ機に尻を向けた。

「――クラッチェ!」

 パルツィンは叫んだが、当の本人に聞こえたかどうか。

 『蜂』の尻の先についた筒の内側が光った。目を焼くほどの光の帯がクラッチェを呑み込んだ。

 パルツィンは光の線上を避けつつ、『蜂』が下方へと姿を消していくのを確認した。その更に下の方でぼんやりと二つ、明かりが灯って消えた。それに誘われるように、光に呑まれずに済んだクラッチェ機の頭部や片腕が落ちていった。

 薄絹の向こうで灯った二つの明かりは、二つに引き裂かれたシーバス機の残骸なのだとパルツィンは気付いた。

「何てこったい」

 絞り出すようなウクラスの声が耳に触れた。

 運搬船が粉塵の奥に姿を消さない距離を保ち、周囲を警戒する。

「ビーム兵器ってやつですね」

 ナディの声が聞こえた。久しぶりに聞く彼の声は重みがあった。この状況を受け入れるのは彼とて容易ではないのだろう。

「こんなのじゃ倒せませんね」

「この視界の悪さで目眩撃ちしたって何のダメージにもならねえ」

 パルツィンは手元のハンドガンを見た。既に弾丸は補充済みだが、これが自分の命綱かと思うと、かなり頼りなかった。

「五分――曹長達が来るのを待って一気にといきたいが」

「人生、そううまくいくはず無いですもんね」

 パルツィンはその言葉に奇妙な現実感を覚えた。そう、マンガのように、ヒーローが都合よく助けにきてくれるという幸運は望めない。ましてや三機四機増えたところで――。

 パルツィンは考えるのをやめた。そこから先は最悪のシナリオしか見えないからだ。

 冗談じゃない――と、パルツィンは胸の内で叫んだ。

「ブータンさん、そっちに損傷は?」

「大丈夫です」

 蒼ざめた表情のウクラスがモニターに映った。会った当初の精悍さが、血の気と共に失せていた。

「あいつは何者なんです?」

 わななく唇が訊いてきた。

 こっちが訊きたいよ――と言いたくなる衝動をパルツィンは堪えた。

「あれって人と対してる気がしませんよね」

 ナディが自分の言葉を確認するようにゆっくりと言った。

 それはパルツィンにとっても頷ける事であった。こういう視界の悪い場で対峙する場合、敵が前方にいれば動ずるものだ。それは鉄のハッチ越しであろうが感じ取れる。『バッシュ』の訓練でそれがよく分かった。

 しかし、あいつ――『蜂』にはそれが無い。

「人工知能――ですか? そんなものが開発されたって聞いたことないですよ」

「現実に奴は我々の知らないビーム兵器を持っていたじゃないか」

 直接対さないウクラスに分かるとは思えなかったが、パルツィンはそう言った。

 急に、先ほどの対空監視中に皆でしていた会話が思い出された。

 敵は異界の人々――そんな薄ら寒い空想が、パルツィンの手に鳥肌を浮かばせた。

 例の擦過音が聞こえてこなければ、パルツィンは吠えていたかもしれない。

 剃刀の刃同士をこすり合わせた耳を苛める音に、恐怖は逆に沈んだ。代りに闘志が溢れ出すように沸いてきた。

「パル、最悪のことを考えておきましょう」

 とナディは言った。

 パルツィンにはそれが何のことか分かった。最悪相手が自分達の手におえる代物ではなかった場合、身を呈してでも運搬船を守る覚悟の事だ。

 了解――と一言だけ返す。

「ウクラスさん、奴が我々に気を取られているうちに全速力で逃げてください」

 そのナディの言葉を脅えたウクラスが理解するのに数秒を要した。言葉は更に遅れて口を出た。

「そんな――」

「来ました!」

 ナディが叫んだ。

 パルツィンは〈スティングレー〉を運搬船から離しつつ、機体を斜めに振った。

 下から『蜂』が真直ぐに突き出てきた。粉塵を纏い、四本の手が音を立てて二機の『バッシュ』を掠めた。

 やはりそこに人の意思は感じられなかったが、明らかな悪意だけは肌に直接伝わった。

 かなり側を通ったものの、撃つタイミングを逸してしまった。その余裕が出来たときには、『蜂』は粉塵の中に影だけを残していた。

 追う無駄も、無駄弾も撃たなかった。

 そして、まずパルツィンが気付いた。ナディの名を呼んだ。

「分かってます」

 燈黄色の玉が『蜂』の消えた辺りに浮かんだのだ。それが何なのか、考えるより先にパルツィンは〈スティングレー〉から飛び降りた。ナディも同時であった。

 主のいなくなった乗り物を光が包んだ。ハンドルが溶け、台座が灼光し、〈スティングレー〉は炎へと生まれ変わった。

 爆風に振りまわされないようにスラスターでバランスをとる。

 あの音は消えていた。

 パルツィンは運搬船を追い、ナディがそれを追尾した。

「あいつ、この粉塵の中でどうやってオレ達を追っているのか、ずっと不思議だった」

「こっちの行くところに必ずいますもんね」

「あいつは船を――運搬船を追っていたんだよ」

「ナビゲートシステムの信号ですね」

「そう、だからあいつは今、船を追うコース上にいるはず」

「なるほど――。そうそう、私も一つ気が付きました」

 パルツィンは無言で続きを促した。

「あのビーム、連射は出来ないんですよ。撃った後、チャージしてるんでしょうね」

「だからすぐ姿を消すのか。チャンスといえばチャンスだが――」

「そろそろ出てくる頃です」

 パルツィンは先行している船を見つけた。粉塵の向こうに、必死に坂を登る巨漢のイメージでパルツィンの視界へ入ってきた。パルツィン達でも追いつけるのなら、敵はもうとっくにこの空域にいるはず――。

「いました!」

 ナディ機が上を指差す。

 獲物を狙う蜂のシルエットが、真直ぐと下降していた。パルツィン達が接触するより、向こうの方がわずかに速いように思えた。

「この距離だが!」

 パルツィンは無駄と知りつつ、船の接近を阻止できればと、ハンドガンを構えた。休み無く弾を撃ちこむ。数弾が命中し、『蜂』の周囲で火花となった。弾き返されたものの、そのスピードは見た目にも鈍った。

 ハンドガンを撃つために機体を止めていたパルツィンをナディが追い抜いた。ナディは出せる限りのスピードで船と『蜂』の間へと割って入った。

 ナディ機の引き抜いたナイフが、反った『蜂』の顔の正面を走る。唸りを上げて振るった左手の鋏を難なく躱して、ナディは空いた胸めがけてナイフを振り下ろした。後方へと退った『蜂』ではあったが躱し切れず、胸の装甲に浅く溝が走る。

 接近戦ではナディに分があるようだ。あの擦過音までもが悔しがる歯軋りのようであった。

 パルツィンはチャンス到来と見た。ナイフを引き抜き、『蜂』の後方から迫るべく、戦闘を左側へ迂回した。

 見られている――とパルツィンは左側に感じた。その勘を信じてボールスティックを動かした。それが彼の生命を救った。

 軋むような音と共に『蜂』の腰が回り、尻先がパルツィンを睨んだ。ビーム弾がパルツィン機を襲った。

 もし勘を信じなかったら、直撃を受けていたであろう。

 圧倒的力を持つ光は、パルツィン機の右腕をもぎ取るのみに留まった。

 パルツィンはビーム砲のチャージ不足も幸いしたと気付いていた。しかし、無理な姿勢であった所に受けた攻撃と、無くした腕がバランスを取れなくしていた。

「パル!」

 ナディにはそれが死のダンスに見えたのか。パルツィンがやられたものだと動揺した事が、その声に出ていた。

 その隙を『蜂』は見逃さなかった。鋭く突き出した『蜂』の右鋏は、ナディ機を捉え、ボディに吸いこまれていった。

 パルツィンは、なぜ『蜂』と組するナディの後ろで運搬船が揺れているのか分からなかった。

 ナディ機がボディに残る『蜂』の右腕を掴み、ナイフを振りかざした。刃は『蜂』の頭部を狙った。『蜂』がそれを酷く嫌がるように大きく反った為ナイフは逸れたが、銀光は躱し切れなかった胸部へ呑みこまれた。

 『蜂』が本物の蜂のそれと類似した口を大きく開く。金属の甲高い軋み音が悲鳴のようにパルツィンの耳を打った。『蜂』の顎は、そのまま勢いをつけて、ナディ機の喉元へ噛みついた。

 パルツィンは援護しようと接近をかけた。

 二機の取っ組み合いに、後方の運搬船もタンゴを踊るように、同じ動きで追従していた。

 その疑問を解消する前に、パルツィンのコクピットに、運搬船のブリッジの会話が飛び込んできた。

「このままでは――」

 切羽詰った口調の主はウクラスであった。

「機体制御が利きません!」

「艦長!」

 ブリッジのクルーの叫びに重なり。金属を力で破壊する鋭角的な音がした。下方から迫っていたパルツィンのすぐ側を、Vの字型のシルエットをしたものが落ちていった。見上げた先でナディ機の首から上が無くなっていた。

 その手前、パルツィンに背中を向けた『蜂』が、右に左に大きく体を揺すっていた。ナディ機から離れようという必死さが伝わった。

 しかし、ナディにあれ以上の動きは全く見えず、運搬船だけが振り回されていた。

 パルツィンに一つの不安がよぎった。

「このままでは墜ちます!」

「三番ブロック、切り離します」

 パルツィンはその会話の全てを理解できたわけではない。ただ、手の届かない背中のかゆみのような不快感が感じられた。

「勝手なことはやめろ!」

 ウクラスの制止する声が言い切れる前に、パルツィンの頭の上で重い仕事から解放される金属の音が聞こえた。鉱石の一つの繋ぎ止めているジョイントが外されたのだ。その鉱石はナディと『蜂』が接しているものだ。

「やめろ!」

 パルツィンは叫んでいた。

 鉱石は重力に従って地に向かい、ナディ機と『蜂』は共に粉塵を割って落ちて行った。

 側を過ぎる一瞬で、パルツィンは全てを悟った。

 『蜂』の右腕はナディ機のコクピット付近を突き抜け、そのまま鉱石にまで達していたのだ。重みのあるあの鋏は鉱石をも貫いていた。

 しかし、もっと表敬すべきはナディではなかろうか。

 『蜂』の腕を掴んだ時、ナイフを振り上げた時、刃を突き刺した時、ナディはすでに死んでいたはずなのだ。

 厚い粉塵が、あがく『蜂』の後ろ姿を飲み込むまで、パルツィンは目を離せなかった。『蜂』の背中に隠された、ナディから。


         *       *       *


 ナディとは同期だ。部隊で一番信用できる同僚だった。なにかといえば一緒につるんでいるミードラよりもだ。

 一度だけ、ナディと大きな喧嘩をした事があった。原因さえ思い出せないほど、つまらない喧嘩だ。しかし、それを境に彼との信頼が強まったと記憶していた。

 さっきから仲間をどんどん失っている。ジーン、シーバス、クラッチェ、それにナディ。だが、不思議と涙が出ない。自分はこんなに情の薄い人間だったのかとパルツィンは自分を責めた。

 それとも『バッシュ』が非現実感を視覚から与え、〈人の死〉というものを撤去してしまうのか。このイベントをクリアすれば、皆がまた復活する――そんなTVゲーム的な感覚が感情を麻痺させているのか。

「いや、違う。まだ終わってないからだ」

 パルツィンは言いながら、運搬船後部の鉱石に倒れこむように接触した。

「すみません。部下が勝手な事を――」

「軍曹はあの時既に死んでいた。間違った判断ではない」

 ウクラスの恐縮している言い方に、パルツィンは極めて事務的に対応した。冷たい人間と思われようが構わなかった。パルツィンの頭の中には『あいつ』しかなかった。あの『蜂』を倒すことしか頭になかった。

「後方から、軍の人が近付いています」

 と、ウクラスが報告してくれた。

 パルツィンがレーダーで確認するより早く、粉塵の向こうに二台の〈スティングレー〉が姿を見せた。

 先頭の左にいる緑で塗られているのが曹長のルーシーだ。他に三機がいる。

 パルツィンは、奥の〈スティングレー〉の下に、更にもう一機の〈キュラス〉を見つけた。

 まるで眠っているように力無くぶら下がっていた。その肩部アーマーにポルノ女優が描かれたその機体はミードラのものだ。

「パルだけなのか? ミードラから訊いてはいたが――」

 ルーシーは絞り出すように言った。ショックは隠し切れていない。これが普通の反応なのかもしれなかった。

「奴はまだ生きています。応急処置のため、一度船に戻りたいのですが」

「了解だ。ライク、ボビー、お前らの〈スティングレー〉をパルに貸してやれ」

 曹長――と、彼らの返事より先にミードラが割って入ってきた。

「僕に、パルを送らせてください」

 ミードラは叫ぶように言った。感情を抑えきれずに溢れてしまったような言い方であった。

「それは構わんが――」

 ルーシー機がパルツィンを見た。

 それでパルツィンは、ミードラがパルツィン達を見捨てた事を、ルーシーは知っているのだと気付いた。だからパルツィンに気を使っているのだ。

「ミードラ、頼む」

 パルツィンは運搬船から離れ、奥の〈スティングレー〉のシートを譲ってもらった。その横にミードラ機が席を取った。

「『やつ』のデータは隊長のコンピューターに送っておきました。一度目を通しておいてください」

「了解だ。『雨んぼ』はすぐそこのはずだ。急げよ」

 ルーシーの心遣いは有難かった。だから、パルツィンは「了解」の返事を敬礼と共に返した。

 母船の『雨んぼ』こと〈プークス〉の出す信号はすぐに見つけ出せた。一、二分の距離にいる。しかし、戻りを考えると十分はかかる。ルーシー達には致命的な戦力ダウンであった。

 スピードを上げる操作をした時、すすり泣く声がした。隣のミードラしか他にはいない。

「――泣いているのか?」

 パルツィンは我ながらバカな事を聞いたと後悔したが、他にかける言葉も見つからなかったのだ。

「ごめん、ごめんよ、パル」

 三度、同じ言葉を泣き声で繰り返した。

 パルツィンにはそれが何のことなのか正確に理解した。だから子供をあやすように言った。

「気にするな、オレはなんとも思っちゃいない」

「そうじゃなくて――」

「エイシャの事だろ?」

 パルツィンが水面を露とも揺らさぬほど優しく言ったにもかかわらず、ミードラの息を呑みこむ音が聞こえた。吐息にもビブラートがかかり、声が返ってきたのは二呼吸も後であった。

「知っていたのか?」

「あれが浮気していたのは前から知っていた。だけど、相手がお前だと気付いたのはついさっきだ」

「さっき?」

「大気圏突入の時さ。お前、神様に祈ったろ。その次にお袋さんの名を呼び、そしてエイシャの名前を口にしていた」

 ミードラは黙ってしまった。パルツィンは本心で言ったのだが、優しげな言い方は逆にわざとらしかったかと反省した時、ミードラがやっと口を開いた。

「パル、本当にすまない」

 その声には親友への後ろめたさから来る後悔の念と反省の色が充分に混じっていた。パルツィンの優しさは、それ故にミードラを打ちのめしたようだ。

「さっきも怖さの余り、お前を突き飛ばしたけど、もしかしたら僕は本気でお前の事を――」

「もう言わなくていい」

 パルツィンはミードラを止めた。それ以上言わせたら、ミードラが壊れてしまうような気がした。

「オレとエイシャはもう終わっていた。彼女の移り気はその後だ。お前は何も悪くない」

 『雨んぼ』のシルエットが、粉塵に遮られることなく捉えられる距離へ来ていた。

 パルツィンの気持ちは切り替わった。ふつふつと湧き上がるのは『蜂』への敵意。闘志といってもいい。それがパルツィンの心を満たしつつあった。

「オレへの気遣いは止めて、手を貸してくれ」

 唐突なパルツィンの言葉にミードラは訊き返す事さえ忘れたらしく、パルツィンはすぐに言葉を継いだ。

「奴を――あの『蜂』もどきの息の根を止めてやりたいんだ。この手で!」

「方法はあるのか?」

 改めて訊かれると説明に窮してしまうパルツィンであったが、倒せない相手だとも思えなかった。きっと方法はあるという確信だけがあった。

「これから考えるさ」

 投げやりにも聞こえるパルツィンのセリフに、ミードラは吹き出して笑った。パルツィンも笑った。空元気でもいい、この雰囲気は悪いものではなかった。

 『雨んぼ』への着艦は管制室からの誘導センサーが自動でやってくれる。〈スティングレー〉は仕込まれた芸のようにすんなりと格納庫へ滑り込んだ。

 パルツィンはまだ動いているというのにコクピットを出て、そのまま床へ飛び降りた。

「パル!」

「整備しておいてくれ」

 背中に当たるミードラの声に、パルツィンは振り向いて答えた。

「また出る気か?」

 パルツィン機の状況を一目見るなり、同期の整備員が聞いてきた。

「当たり前だ。敵はまだ健在なんだぜ。准尉はブリッジか?」

「だと思うぜ」

 パルツィンは走ってエレベーターへ向かった。中へ入り、階数指定のボタンを押す。ドアが閉まるとすぐに内線がパルツィンを呼んだ。受話器を取るとモニターにシャットの顔が映った。その表情から良くない知らせだと分かった。

「軍曹、すまないが一緒に少尉を探してくれ」

「何か?」

「お前に言われて、少尉を捕まえて問い質したんだ。やはり何か知っているようであったが、隙を付かれて逃げられた」

 パルツィンはエレベーターをすぐ近くの階層で止めた。

「いつの話しだ?」

「つい二、三分前だ」

「了解した」

「すまないな。こちらも人を回すが、既に銃で二人撃たれている」

「歴戦の強者だったんだろ、少尉って」

「今は見る影も無いって笑っていたんだがな」

 エレベーターが目的地前の別の階で止まり、ドアを開いて通路とエレベーター内を繋げた。

「なるべく生かして捕えたいが」

「皆にもそう伝えるが難しいぜ」

「准尉も無理をせず」

 パルツィンは受話器を置くと、閉まりかけたドアを広げて通路へと飛び出した。

「あの人は追い詰められている。だとしたら当然この船から逃げる」

 と、推測しながらパルツィンは腰の銃を抜いて、弾数を確認する。

「人の多い『バッシュ』の格納庫なんかにはいかないはず。――ならば」

 パルツィンは船の後部へ向かって走り出した。


         *       *       *


 エンジンルーム。そこでは巨大な鉄の心臓が息づいている。鼓動のように足下を揺るがせ力を生み、力は船を浮かばせていた。熱が光を生むのか、轟音が振動を生むのか、ここは全てが一気に身体へ伝わってくる所であった。

 パルツィンは下へ降りる階段を探していた。

 その横でシリンダーは休みなく回転している。それが爆発的なエネルギーを造り、船の推進力としているのだ。

 これだけの巨体を動かすのだ。熱くないはずがない。パルツィンのパイロットスーツの中には汗がたまっていた。それがヘルメットまで上がって溺れるのではと、本気で心配しかけていた。

 行き詰まる壁の手前に、目指す階段があった。

 パルツィンの勘は、自分の推理が当たっている事を教えていた。マフラッカはここにいる。

 あらゆる音はエンジン音が呑みこんでいそうだが、油断はしない。

 マフラッカ・クルーズ少尉。軍の特殊部隊で馴らした腕だと聞いている。決して追われるだけの草食獣ではない。舐めてかかってはいけない相手であった。

 しかし――。

「軍曹、今どこだ?」

 無遠慮なシャットの呼びかけがヘルメットの中でパルツィンの耳を打った。

 もしかしたら、あの脅えていたマフラッカのイメージが心を惑わしたのかもしれない。通信を切っておかなかっただけでなく、パルツィンはシャットに応えてしまった。

「エンジンルームだ」

「何でそこに?」

「逃げ出すつもりなら何かに乗るはず。あの人、〈大地〉に降りる前から事件の真相を知っていたみたいだった。なら、前もって脱出手段を船に積んでおいたんじゃないかってね」

「――そうか、サブ・エンジンルームか」

「非常用のサブエンジンを外して、そこに――」

 その時、エンジンの音とは別の音域が生まれた。

 圧力的なそれが何かと理解する前に、パルツィンは右腕に熱いものを感じた。それが痛みと変わったのは、前方へ身体を投げ打ってからであった。

 遅れて階段の手すりに火花が走った。そこに殺意が存在し、その延長線にマフラッカがいるのは確かであった。

「軍曹、どうした?」

 シャットへ応える余裕もなく、パルツィンは階段へ飛び込んだ。頭は守ったが、全身をしたたかに打ちつけてしまった。痛がっている暇はない。

 パルツィンはすぐに起き上がり、這うように一番近くの物陰へ身を隠した。

 上に比べると室温は低い。明かりも階上から洩れてくる光のみで、視覚的にも冷んやりとした印象が強い。

 今自分が接しているものが、パイロットスーツ越しにも冷たさを伝えた。

 改めて見ると、それが十メートル四方のコンテナである事に気付く。パルツィンにはそれに見覚えがあった。

「大した推理力だな、軍曹。探偵や刑事の方が向いてるぞ。しかし軍人には向かん。敵を前におしゃべりしていてはな」

 と、マフラッカがゆっくりとした口調で言いながら階段を降りてきた。

 勝ち誇った言い方にも理由があった。マフラッカの手にはパルツィンの拳銃が握られているのだ。さっき右腕を撃たれた時に落としてしまったのだ。

 パルツィンは腰のナイフを確認した。一本だけある。ナイフで、しかも左手でどこまで対抗し得るか分からないが、やってみるしかなかった。

「軍曹には悪いが、死んでもらう」

 マフラッカは下へ降りきったようだ。

 パルツィンは立ち上がり、マフラッカへと身体を晒した。

「あなたは一体何を企んでいるんだ?」

 マフラッカの銃口がス――とパルツィンを見た。

しかしすぐには撃ってこない。後ろから狙って外したさっきの失敗も手伝っているのだろう。歩みを止めたのもパルツィンの動きを警戒しての事だ。パルツィンが動かなければ逆に撃てない、そんな膠着状態が生まれていた。

  パルツィンにとっては一種のハッタリであったが、チャンスは虎の口に入り込んでから見つけるものだと、父親はよく言っていた。ナイフを投げる絶対的チャンスは隠れていては見つからない。

「あの『蜂』、知っているんでしょう?」

「知らんな。私が関与している事ではない」

「いや、知っているはずだ。あれはすぐ側まで来ているぞ。聞こえないのか、あの音が」

 効果覿面であった。パルツィンから見てマフラッカは逆光であったが、影の中でも白目の細かな揺れは見て取れた。恐がっているのだ。

「あの『蜂』は何なんだ? 何のために我々を襲うのだ?」

「知らん!」

 マフラッカは叫んでいた。その声に先程の余裕は感じられなかった。それどころか狂気の色さえそこに感じ取れた。

「あれはこの星の意思だ 我々の代弁者だ」

「我々?」

「まだ大っぴらに動けないから助けられない? ただそれだけの理由で私を〈大地〉に降ろすなんて!」

 マフラッカはパルツィンを見ていなかった。二人の間の空間に誰かを投影し、そこに向かって憎しみを吐き出しているようであった。

「私は生き延びてみせる! 自分の力でな」

 パルツィンを見ていなくとも銃口はぴたりと微動だにせず狙いをつけていた。

 その時、頭上の方で足音がした。パルツィンを呼ぶシャットの声がエンジン音に負けずに届いた。

 マフラッカの注意が一瞬逸れた。

 パルツインはナイフを投げようと左腕を振りかぶった。

  マフラッカの狂気の目がパルツインを射抜いた。誘いだったのだ。

 やられる――パルツィンはそう観念した。

  聞こえたのは銃声ではなく、金属のひしゃげる音であった。

  波を割る巨大魚の背びれのように床を突き出た切っ先がマフラッカを巻き込み、パルツィンの視界を行過ぎた。

 人間の身体は脆いと証明していた。マフラッカは巨大な鉄の塊に二分され、血と内臓を撒き散らした。その顔は笑っているように見えた。しかしそれを確認する間もなく、掃除機に吸われるように裂け目から外へと放り出されていった。

「少尉―― 何てこったい」

 シャットの声がパルツィンの目をマフラッカの鮮血から引き離してくれた。

 パルツィンは深く息を吐いた。命拾いしたのだ。左手にはナイフがまだ残っていた。

「パル――、僕――僕――」

 ミードラの声がパルツィンのヘルメットに届いた。

 パルツィンは今も突き出る鉄筍が、ミードラ機のナイフの先だと知った。

 負傷した右腕を押さえて、ミードラ機が見える裂け目へと歩み寄った。

「僕、お前を助けようとして――それで――それで少尉――」

 パルツィンはミードラを落ち着かせた。

「お前がこなかったら、俺は少尉に撃たれていた。それに刺し違えてでも俺は少尉を殺そうと思っていたんだ」

 とパルツィンは命の恩人に礼を言った。それでも動揺を隠せないミードラを格納庫に戻させた。

 その横へシャットがやってきた。

「軍曹、ケガは?」

「動けない程じゃない」

 後ろの方でシャットの連れてきた兵達が、マフラッカの忘れ物に戸惑っていた。吐く者、うめく者、シャットはそいつらに喝を入れた。

 パルツィンは視線をコンテナへ移した。

「でかいな。この大きさ、もしかして――」

「『バッシュ』だ。前にこんなコンテナ見たことがある」

 パルツィンはシャットに答えた。軍に入りたての頃、工場見学の機会があった。その時にこれを見たことがあったのだ。

「開けさせよう」

  シャットは部下達にコンテナを開けるよう指示を出した。

  パルツィンはその間に傷の手当てを済ませた。

  右腕が自由に動く事を確認していた時、コンテナの正面の扉が、重々しい音を立てて、ゆっくりと前へ倒れてきた。 中が外気に晒される。蓋の内面に付けられたレールと荷の載るレールがドッキングし、中の荷が滑るようにコンテナの中へと引き出されてきた。焦らすように中の物が徐々に現れる。

 膝を抱えるように座った鉄の巨人がパルツィン達の前に姿を見せた。

 頭は横に広く、肩口まで飛行機の翼のように伸びている。どうやらバーニアと一体らしい。その扁平な頭の中央にモノアイがある。細身の〈キュラス〉より肉付きのいい中肉中背のバランスが、攻撃的なイメージを抱かせた。

「新型か」

「よく、こんな物を手に入れられたな、少尉は――」

 とシャットが感嘆とも取れる言い方をした。

「オレ達の知らない所で何かが動いていやがる」

 パルツィンは新型へと歩み出した。シャットがパルツィンを呼んだ。

「これで出る。新型ならあの『蜂』にも対抗できるかもしれない」

「無茶な―」

「百も承知さ」

 パルツィンは新型の装甲へ手を触れた。パイロットスーツ越しに冷たい鋼鉄の響きを感じた。しかし嫌な感じはしない。パルツィンはシャットへ振り向いた。

「下部のハッチを開けてくれ」

「了解だが、いいのか?」

「オレが『蜂』と戦っている隙に宇宙へ帰るんだ」

 とパルツィンはシャットの問いとは別の答えを返した。そしてそのまま『バッシュ』へとよじ登った。

「どうやって? これには大気圏離脱の性能はないんだぞ」

 パルツィンは胸のコクピットのハッチを開けた。心臓が抜けたようにぽっかりと穴が開いていた。

 心臓――パルツィンを待っているのだ。

「〈大地〉にいちゃいけない。それだけは確かだ。近くの基地へ向かえ」

 パルツィンは中へ入り、コクピットのハッチを閉ざした。

 無意識のうちに伸ばした先に起動のスイッチがあった。慣れた手順で操作していくと、静かに、だが確実に巨人は目覚めつつあった。

「基本操作は〈キュラス〉と一緒か」

  パルツィンはシートの横に照準器を見つけた。前へ引き出すとパイロットの目の位置に来て、正面のモニターとリンクする仕掛けだ。次いでコンテナの横面にマウントされたライフルに気付く。

「長射程型、口径もでかい。これなら奴の装甲も打ち抜ける。腰にはトマホーク、接近戦も問題ない。いけるぞ」

「軍曹、用意は?」

 シャットが通信用モニターに映った。ブリッジに戻ったらしい。

 パルツィンは巨人を立たせ、横のライフルを持たせる。

「OKだ、開けてくれ」

 シャットがブリッジのクルーに指示を出している間に、ライフルの弾をチェックする。三発しかないが、これで充分だとパルツィンは言い聞かせた。

 床面のハッチが動いている音がした。 パルツィンはそこまで歩いてみた。長年の愛機のように、パルツィンはもうそれを使いこなしていた。

「やはり、我々はお前を見捨てられん。邪魔にはならない所で待機している」

 思いがけないシャットの言葉であった。パルツィンは言葉に詰まった。嬉しかった。素直に喜び、礼を言った。パルツィンは『蜂』を倒して必ず戻ると心に誓った。

「パルツイン・レッカード、出る!」

 床面を蹴って宙へと身を躍らせる。粉塵の世界を久々に会った旧友のような感覚で受け止めていた。歪んだ開放感を得ているなと自嘲気味に一人ごちたパルツィンは、正面に〈スティングレー〉を一台見つけた。 片側には〈キュラス〉が一機座っている。

 パルツィンは空いている横の席に機体を落ち着かせた。

「ミードラ、大丈夫なのか?」

 パルツィンは先程のミードラの様子から、彼が万全ではないはずだと思い、そう訊いた。 しかしミードラからは意外としっかりとした声で「ああ」と返ってきた。

「船で待っててくれていいんだぞ」

「手伝わせてくれよ。足手まといにはならないからさ」

 いつにない真剣さがミードラにはあった。だが、その裏に無茶をしそうな危険も感じて、パルツィンは言葉に詰まった。

「手を貸してくれって言ったろ? あれ、嬉しかったんだ。パルが本気で僕を必要としているって分かったのがさ。――僕は決して操縦はうまくない。でもやれる事はしたい。しなくちゃいけないんだ。そうだろ、パル」

 パルツィンの答えは決まっていた。無茶なのは自分も同じなのだ。素直に親友の身を案じてくれているミードラの厚意はかなり心強かった。今乗っている新型の『バッシュ』よりも。

「なあ、パル」

「――分かったよ、一緒に行こう」

 パルツィンはミードラの返事を待たずに、〈スティングレー〉を加速させた。それに二人の『バッシュ』の推進力が加わる。それがミードラの返事なのかもしれない。

 ナビゲートシステムの発するパルス信号の線上を進む。この先には運搬船がいて、その周辺にはあの『蜂』がいるはずである。

 目の前を覆うブリザードのような粉塵は何の情報もくれなかった。進行方向では二人を歓迎するかのように避けてくれて見えるが、その実、見知らぬ世界へ引きずり込もうとしているに過ぎないのかもしれない。

 それは、天国か。それとも――。

「パル、戦闘の光だ」

 ミードラの指す方角で、一つの大きな柑黄色の花が咲いた。それは花びらを散らすように光の緒を引きながら下方へと落ちていった。

「殺ったのか?」

「いや、あの音がする」

 鉄を擦り合わせたようなあの音は、もはやそれだけで独立した不快感をパルツィンに味合わせていた。

 左か右か上か下か、定かではない位置から、新しいゲスト――パルツィンとミードラを歓迎するように嫌味な泣き声を散らしていた。

 嫌な音だぜ――ミードラもそれをキャッチしたらしく、その場に唾を吐きかねない口調で言った。

「船はあそこ。――曹長達は?」

 友軍の反応は、レーダーにも、生身の勘にも感じ取れなかった。

 ただ、運搬船だけが粉塵の中を走っていた。その背中は周りを見ておらず、まるで平穏な生活に必死で戻ろうとしているようでもあった。

「間に合わなかったのか?」

 ミードラがそう洩らした時、パルツィンは細い、しかし確かな冷たい意思を感じた。

 パルツィンはミードラ機を〈スティングレー〉から突き飛ばした。同時にその反動を利用して、自分も反対側へ飛び降りた。

 誰もいなくなった〈スティングレー〉を雷が打った。

 殺意を持った光の矢は、〈スティングレー〉の真ん中を貫いた。

 炎に包まれた〈スティングレー〉を視界の端に収めつつ、パルツィンは上方へ向けてライフルを撃った。ミードラもそれに倣う。

 手ごたえはなかった。 パルツィンの機体のライフルは破壊力こそあるが、素早さに欠ける。どんなに強いパンチであろうと当たらなければチャンピオンにはなれないのだ。

「確実な場所さえ掴めれば――」

 パルツィンは洩らしつつ、船へと接近していった。

「ブータンさん、大丈夫ですか? ブータンさん?」

「パル」

 ミードラが悲鳴に近い声をあげた理由は、パルツィンにもすぐに分かった。

 誰も答えないはずである。

 運搬船のブリッジは巨大な圧力をそこに受けて潰れていた。あまりにも奇麗に丸くなっているから、何かの冗談のようにも見えた。

 船はナビゲートシステムに従う、石を運ぶ無人船と化していたのだ。 目を凝らせば、ウクラス達がいた痕跡も見つけられるであろうが、パルツィンにはそれが出来なかった。目を逸らしていた。


         *       *       *


「何もかも遅かったって言うのか!」

 パルツィンはコンソールパネルを思いっきり叩いていた。もうどうでもいいという気分が僅かに芽吹き、頭を覗かせていた。

 それを止めたのはミードラであった。

「まだ奴は生きている。それを倒すのが僕らの役目だ。違うか、パル?」

「何のために倒すんだよ」

「生かしておけないから。それ以上何が必要だ! 僕達は兵士なんだぞ」

 パルツィンは目を丸くしていた。あのミードラからこんな意見が聞けるとは思っていなかった。自暴自棄の芽は双葉となる前に闘志に変わっていた。

「奴の確かな場所、僕が分からせてやる」

 ミードラの唐突な宣言をパルツィンは理解できなかった。

 ミードラがさらに付け加えた。

「僕がオトリになる」

 その言葉は音だけでパルツィンの耳に届き、朧げに頭の中で形を成し、意味を解すのに一拍遅れた。

「危険だ。お前まで失いたくない!」

「ただ奴を引っ張りまわすわけじゃない」

 とミードラは言いながら、運搬船を軽く叩いて続けた。

「これを使うのさ」

「船を?」

 パルツィンが訊き返すと、それを合図にしてか、ミードラが船から離れた。

「お前は船の下にいろ。そこからこの船に狙いをつけていればいい。チャンスは必ず僕が作る」

 そのままミードラは粉塵の奥へと消えていった。

「おい、ミードラ、勝手に決めるな」

 パルツィンは叫んでみたが、返事はなかった。返事を期待したわけではない。ミードラを止められないと分かっていたから追わなかった自分にも気付いている。それならばミードラの提案に乗るしかないのだ。

 霞の向こうで、ミードラ機のバーニアやスラスターの光跡が、虫を誘うような動きをしているのが見える。

「――死んだら承知しねえぞ」

 とパルツィンは小さくつぶやき、船の下へと移動した。

 粉塵に遮られずに船に照準付けられる位置まで下りる。

 船のスピードに併進して、ライフルを構える。狙いは真上の鉱石運搬船。

 微かにあの不快音がする。船を挟んだパルツィンの向こう側で戦闘が始まったらしい。ミードラと『蜂』の一騎打ちである。

 連戦して、その疲労があるとはいえ、まだ『蜂』の方に分がありそうだ。パルツィンがこうしている限り、ミードラに勝ち目はないように思えてしょうがなかった。

 厚い無機質な粉塵と運搬船、更にその向こうにも塵の壁。パルツィンとミードラを隔てる距離はたいした事はなくとも、それらが二人を星一つ分も切り離しているように思わせた。確実な情報は何一つパルツィンには届いてこない。

 一瞬だけ見えたあの火線はミードラのハンドガンなのか? ならばその火線の元の方で散った火花は?

 パルツィンが悶々と重圧に耐えていると、上から何かが落ちてきた。それは船に当たり、弾かれてパルツィンの横を落ちていった。ミードラの乗る〈キュラス〉の左腕であった。

 飛び出してミードラに加勢したい衝動を無理やり抑える。

「大丈夫なのかよ――」

 パルツィンは不安を隠し切れずにそうつぶやいた。

 人類が滅亡した荒野に一人だけ放置された不安とは違う。じっとしている事への緊張感と作戦への疑惑が絡み合い、漠然とした空虚感――それが不安を生み出しているに過ぎない。

 ミードラがパルツィンから離れて二分と経っていない。それでも、二時間走り続けたような疲労がパルツィンの肩に重くのしかかっていた。

 その時だ。

 粉塵越しでもそれと分かる光が空を斬るように走った。

 『蜂』のビーム砲だ。

 パルツィンの視線の向こう、ミードラ機が背中から船に落ちてきた。下半身が無かった。遅れてビームの奔流に飲み込まれずに済んだ膝から下が二つ、それを喜ぶかのように落ちていった。

「ミードラ!」

「動くな、今チャンスがくる!」

 ミードラの叱咤がパルツィンを止めた。気合の一言であった。

 パルツィンは照準に全神経を集中させた。

 ミードラを追って『蜂』が姿を現した。

 左腕は肘から下が無い。恐らくナディ機に突き刺していた左腕を自分で引き千切ったのであろう。左足も、羽根の形をしたバーニアも右側だけ無かった。粉塵に邪魔されていても、その体中に走る傷跡をパルツィンは見逃さなかった。『蜂』のスピートと技の切れが無いのはそのせいだ。ナディやルーシー達の執念による物なのだ。彼らの命と引き換えの傷なのだ。

「絶対当ててやる!」

 パルツィンは照準の向こうに『蜂』を捉えた。しかし、引き金を絞るにはまだ不十分であった。

 『蜂』がミードラのすぐ前へ迫っていた。間合いは『蜂』のものだ。 しかしミードラの取った行動は逃げではなかった。残った右腕で運搬船のエンジンにナイフの刃を突き立てたのだ。

 エンジンが血のように炎を吐いた。そこから花が開くように紅の炎が膨れ上がり、ミードラを吹き飛ばし、『蜂』をも弾いた。

 船は心臓を打たれ、航行を不可能にした。鉱石の重みに船体は耐えられなくなり、尻から落ち始めた。

 『蜂』は何故か、船の後を追った。それを引き止めるかのように。

 単純な動きであった。『蜂』の動きが止まって見えた。

「これなら!」

 パルツィンは叫んだ。引き金を引いた。

 ライフルは火を放ち、炎の矢は『蜂』の胸の辺りに吸い込まれた。 そこは丁度、ナディがナイフを尽き立てた所だ。弾丸は『蜂』の背中を抜けた。

 『蜂』は耳を貫くような金切り声を上げた。ガラスを爪で引掻いたような細い音が束となり、耳を直撃した。

 パルツィンはひるまなかった。二撃目も冷静に狙いをつけて撃つ。

 『蜂』の頭部――顎から上が吹き飛んだ。 『蜂』がもんどりうつように後ろへ反った。

 パルツィンは倒した――と思った。

 自分の横を過ぎる巨大な影――運搬船に気を取られてしまった。まさか、その間に『蜂』が迫っていようとは思っていなかった。

 剥き出しになった顎部から炎と煙を噴きながら、残った手足を振り回し、パルツィンめがけて真っ逆さまに落ちてきた。

 振り回していた『蜂』の腹部から飛び出た第二の腕がパルツィン機を殴打する。昆虫のそれに類似した腕には棘がついている。その棘がパルツィン機の左腕に深く刺さり、引きずられるように『蜂』と共に急降下を始めた。

 パルツィンは汚く罵りながら、腰のトマホークを外して『蜂』に打ち込んだ。トマホークの太い刃が『蜂』の肩口に食い込んだ。

 『蜂』は左腕に絡んでいる以外の腕を振り回して抵抗した。闇雲に動かしているはずの腕でも、これだけ近ければ確実にパルツィン機はダメージを被る。

 左側のモニターは死に、バーニアも落とされ、左脇腹も裂かれた。裂けた所からは血のようにオイルが溢れ、身体から開放されたように宙へと上っていく。

 パルツィンは左側から迫る死の恐怖と、落下による浮遊感からくる恐怖と戦っていた。

 トマホークを引き抜いてまた振り下ろし、また引き抜く。『蜂』のオイルを返り血のように浴びても止めない。さらに、振り下ろす。

 先に途切れた方が負け、生命力の強い方が勝ち――そんな単純な決着法で二機はもつれ合い、そして山間へと激突した。

 パルツィンの身体がシートの上で縦横に振り回された。

 シートベルトが無ければ、放り出されていたであろう。

 岩山を転がり落ちる。気を失わないようにパルツィンはコクピットの中で吼えていた。操縦桿をしっかりと握り締め、『蜂』の場所を確認した。

 『蜂』はパルツィンの頭の方を少し遅れて転がっていた。

 勾配が緩やかになり、パルツィン機がやっと転がるのを止めた。

 『蜂』はパルツィンを追い越し、身体の大きさの分だけ下の方で止まった。腰から下がもげ、更に下へと滑り落ちていった。『蜂』はそれでも動いていた。

 下半身は歩こうとしているようにでたらめな動きだ。しかし、上半身は腕だけでその身体を引き上げた。パルツィンの方に、じりじりと寄って来ている。見る目は存在しないというのに、確実にパルツィンへと向かっていた。

 無気味な姿であった。頭の無い上半身だけの『蜂』が迫っているのだ。

 パルツィンは操縦桿を動かした。ペダルを踏んだ。しかし機体は反応しなかった。 目の前にある計器類を触れるだけ触り、挙句にはコンソールパネルを叩き、足下を蹴り、操縦桿を激しく前後に動かした。その甲斐あってか機体は身震い程度に動くようになった。

 傍目に見れば、近付く『蜂』を恐がっているだけの動きでしかあるまい。

 『蜂』はあと二、三すりでパルツィン機に手が届く位置に迫った。

 『蜂』の狙いはパルツィンなのだろうか。

 パルツィンは背筋に冷たいものを感じた。

「ナビゲートシステムの信号しか認識できないんじゃないのか――」

 パルツィンは悲鳴をあげる寸前であった。声の塊は喉の出口のところで止まった。視界の脇から飛び出してきた影に気を取られたからだ。

 ミードラ機であった。

 ミードラはパルツィンの正面に飛び出し、這いつくばる『蜂』の背中にナイフを突き立てた。

 『蜂』は身体を右左に大きく振ってミードラを放り投げた。そしてクマが咆哮するように立ち上がった。

 パルツィンはペダルを強く踏み込んだ。

 機体が動いた。トマホークを振り下ろす。

 その刃は『蜂』の残った顎部を割って身体へ達して止まった。

 最後の力であった。肘関節がスパークして腕と身体を分け、肘から先をトマホークごと『蜂』に残した。全体重のかかっていた左脚も崩れるように炎を吹いた。パルツィン機は大地へ沈んだ。

 『蜂』は腰だけで立ったまま、自分に食い込んだ異物を取り除こうと手をばたつかせていた。それは覚えていない踊りを必死で取り繕う動きに似て滑稽であった。

 だが、パルツィンには笑えなかった。人間のように、いや、それ以上に生への執着を持つ、その強靭な生命力にパルツィンは怯えた。震えが止まらなかった。

 『蜂』はバランスを崩して背中から倒れた。それでも尚、まだもがいていた。

 三分――パルツィンとミードラにとって、悪夢に匹敵する長い時間であった。


         *       *       *


 パルツィンが灯の消えたコクピットを出たのは、それから十分経ってからだ。

 まだ震えを引きずってはいるが、動けないほどではなかった。

 粉塵は宙空にいた時よりは少なく見えた。だが、閉鎖された空間にいる気持ちは否めない。バイザーを上げて顔をこすりたい衝動を抑える。

 パルツィンを呼ぶ声に、ミードラが飛ばされた方を見る。粉塵の向こうで、ミードラが手を振っている。ミードラも機体を放棄したらしい。ゆっくりと歩いてくる。

「胸くそ悪くなる奴だったね」

「何とか倒したな」

 と、パルツィンは地面に降りながら言った。

「うん、やったね」

 パルツィンはミードラと拳を合わせた。

 バイザー越しにミードラの顔が見える。生き長らえた安堵感で、ホッとした表情をしていた。

 自分もそういう顔をしているのかと思うと、ナディ達に申し訳なかった。彼らがいなければ、自分達もここにはいなかったのだから。

「二機ともボロボロみたいだね」

 ミードラが調子外れに言った。激戦で気が抜けてしまったようだ。戻りを気にしているのかもしれない。

 「近くに〈雨んぼ〉がいるはずだ。呼ぼう」

 パルツィンはヘルメットに取り付けられている無線機で〈雨んぼ〉に呼びかけた。

 応えは無かった。

 パルツィンは辺りを見回した。

 背中側には岩山があり、パルツィンの視界の向こうへ溶けるように伸びている。

 『蜂』と共に落ちてきた斜面だ。パルツィン達の足元からは平らな足場が続いているが、十メートル先では粉塵が折り重なるように視界を包んでいるから分かったものではない。

 ふと、パルツィンは奇妙な感覚に足首を捕られている気がした。忌むべき粉塵であるのに、自然の中にいる暖かみさを感じているのだ。

 パルツィンは、どんな状態でも人間は大地に還るものなのだと、その身をもって知った。

「何かあったのかな」

 返答の無い母船を心配するミードラの声が上がらなかったら、パルツィンはふらっと歩き出していたかもしれない。

「わからん」

 パルツィンは答えて、もう一度船を呼んでみた。

 今度は少しだけ反応があった。

 ただ、それは二人を安心させる物ではなかった。むしろ逆であった。

 荒れた電波音がパルツィンの耳に応えてきたのだ。スクラッチ音と高音のノイズが入れ替わり声の代わりに下手な唄のように神経を逆撫でした。

 電波が届いていないからではない。〈雨んぼ〉が近くにいるからこそ、通信が開けたのだ。

 考えられるのは二つ。

 一つは誰かに通信を妨害されている時。しかし今は妨害されていた音ではない。

 ならば、もう一つの方、二人にとって最悪な理由。それは――。

 その時、パルツィンは視線の向こうに幾筋もの光の帯を見つけた。その線上を結ぶ位置で、光は徐々に炎と化した。

「パル、あれ!」

「〈雨んぼ〉か?」

 炎は重力に従い、尾を引いて流れ落ちていった。それは粉塵の濃い辺りで消え、二呼吸遅れて一瞬の強い光へと膨れ上がった。更に遅れてパルツィン達の周囲の粉塵も陽炎のように揺れた。

 かなり大きめの爆発のはずだが、その影響は差ほどでもなかった。

 よほど遠くに落ちたのか、それともこの粉塵が壁となっていたのか、それは分からない。だが、その微かな揺らぎでさえもパルツィン達を打ちのめすのには充分すぎる力があった。

 ミードラはその場に腰を下ろしてしまったが、パルツィンはそれに耐えた。このまま座り込んでしまっては二度と立てない気がしたから――。

 〈雨んぼ〉が通信できない時――それは誰かに攻撃を受けている時であった。

「そんな――誰が?」

 ミードラが泣きそうな声で言った。いや、ミードラは泣いていた。自分達の仲間を失った事を悲しんでいるのか、それとも帰る手段を無くした不安からなのか、それとも二人の周りにいる見えない敵への恐怖からなのか、それはパルツィンには分からなかった。

『あれはこの星の意思だ』

 ふいにマフラッカの言葉が走った。それは通り過ぎず、頭の中を駆け巡った。

 それが本当なら、大地は我々を拒んでいる事になる――パルツィンは思った。その思考は別の推論を導き出した。

 『我々の代弁者だ』

 我々――? まさかあれが誰かの手によって作られたものだとしたら? マフラッカの上、推進派――レブレ・モリス元首相?

 パルツィンはその考えが突拍子も無い事だと否定できずにいた。

 〈雨んぼ〉を襲っていたのは恐らく――パルツィンは考えるのを止めた。

 ミードラを見る。

 ミードラは座った姿勢を変えず、膝を抱えるように小さくなっていた。

 パルツィンは移動しようと決め、ミードラに声をかけようと近付いた。その時である。周囲の微妙な変化に気がついた。

 粉塵の流れが妙なのだ。彼らの周りの粉塵が揺らいで見えるのだ。

 粉塵はパルツィンの正面、ミードラの背の方からやって来て通り過ぎていく。右手に岩山の斜面が伸びているだけで他に遮る物は無いので一定方向の流れのみを感じていた。

 だが今はパルたちの周囲でそれが広範囲に流れの乱れている所があるのだ。乱れは次第に激しくなっていた。

 パルツィンは上半身だけで振り返ってみる。

 乱れた粉塵は視界の遠くで、再び寄り添うような流れを取り戻していた。 それは原因となる何かが流れの上流のほうにいるということであった。

 何か――?

 パルツィンは動けなかった。

 粘着質な目をした蛇が牙を光らせて、パルツィンを後ろから睨んでいるような圧力が背中に感じられた。

 忘れていたあの音が、後ろの方で滲むように沸いてきた。

 カミソリの刃同士を擦り合わせたような首筋が毛羽立つ不快感――つい十分以上前に自分が黙らせたあれが再び蘇っていた。幻聴ではなく、確実に自分の耳が拾っている現実の音であった。

 ふと視界の端に自分が倒した『蜂』の上半身が見えた。地に落ちた時と状態は変わっていない。

 そこに伏している物とは別の何か――。

 だが、〈雨んぼ〉を攻撃していたあの光は『蜂』のビーム砲であった。そしてこの音、これはあいつしかなかった。

 あのビーム光も一本二本ではなかった。そして聞こえる音も――。

 片手分くらいまでは数えられたが、後は塊と化していた。

 恐怖と脅威だけが体の全ての感覚を支配していた。

「パル!!」

 ミードラの声が、いや、悲鳴がパルの耳を打った。

 人間があんな声を出せるとはパルツィンは今まで知らなかった。

 一生分の声を絞り出したかのように、ぷつ――とミードラの声が消えた。

 気を失ったらしい。遅れて地面へ倒れこむ音がした。

 それと共に静かになった。

 パルツィンはそんな気がして身体を元に戻した。

 ミードラが地に伏せているのが見える。 バイザーの色の加減で顔は見えない。

 視界はその向こうへ移った。

 先程はいなかったもの。糸に吊られるように揺れる影。スズメバチのような攻撃的なフォルムをしたあの『蜂』がパルツィンの正面にいた。

 それを認めた途端、不快音が一度に耳に戻ってきた。

 一匹ではなかった。

 粉塵の濃さに比例して滲む影になっていく『蜂』まで数えていたら、パルツィンはその場で発狂していたかも知れない。

 そんな数を目の前にしてもパルツィンを失神から救っているもの――それも掛け値無しに恐怖心であった。

 視線は、散りばめられるように停滞した『蜂』を通り越していた。

 視界に入りきらない大きさのものがそこにいるのだ。

 かなりでかい。〈雨んぼ〉の五倍は大きい。

 動きに乱れが無いから地の影響を受けていない事が分かる。浮遊しているのだ。

 うっすらとした霧の中から現れた幽霊船のように、ゆっくりとパルツィンが認識できるように近付いていた。

 筒の集合体に見える。そんなものをパルツィンはどこかで見た記憶があった。

「あ――」

 パルツィンは気付いてしまった。その正体を――。

「あぁーっ」

 筒の形状は六角形。その一つ一つに『蜂』が収まっている。

 『蜂の巣』だ――。

 『蜂』が目覚めるように赤い目を灯らせていく。

 霧山で一匹の鹿を追う狩人達の持つ松明の明かりのようにも見える。

 全てにパルツィンが映っている気がした。

 巨大な影は止まらない。『蜂』を纏いながらパルツィンに向かって進んでいた。

 鹿は追い詰められた。

 ――あれはこの星の意思だ。

(了)

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鉄蟲 Emotion Complex @emocom

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