尊厳
月野夜
護られた、尊厳
4歳の女の子が薄暗い夕刻の横断歩道で轢かれ亡くなった。
「例の事故、ここだべ。あそこに花供えてあるし」若い男が指さした先に、花やジュース、お菓子といったお供え物が沢山置いてあった。
「でもよ、ここじゃ夜になれば暗いし、小さい子供が一人で歩いてたら気付かないよな」先程の若い男の連れが、辺りを見渡し私見を述べた。
「てか、小学生でもない子供を一人で出歩かせてるとかヤバいだろ。虐待だよ、虐待」
「あぁ、今流行りのアレか」
「ネグレクト」
「親ガチャに失敗しちゃったんだな」
男は近くにあった自販機でジュースを1本購入した。
「安らかにね」数多くあるお備え物のそばに、購入したジュースを置いた。
「おい、ありゃ何だ」
『ここに立ちますと街灯も灯ってなくて本当に薄暗いんですよ。照明さん、ちょっとライト消してもらえますか』と、画面に映るレポーターはこちらを見ながら、画面には映らない人物に要求する。程なくして画面が真っ暗になる。
『どうですか? 皆さん、こちらの様子が伺えますでしょうか? 私たちもですね、真っ暗で何も見えない状況で、少し、恐怖感がわき起こるとでも言いますか。脚がすくんでしまうような緊張が生まれます。照明さん、灯りをください』
夕方のニュースはおおかたそんな所だった。11月に入れば午後6時には日も落ち、あたりは暗くなる。
住宅街から1本外れた道路には街灯が40mおきに設置され、照明としてはとても責務を全うしているとは言えないレベルであった。
我が家から50m離れた、信号機のない横断歩道で事故は起きた。
私の困り顔と面を向き合わせたのが、娘との最後の瞬間だった。
「それで、どうして娘さんは家を出ていったのですか? 戸締りはちゃんとされていたんですよね?」記者は無神経を盾に土足で踏み込んでくる。
私は、まさかと思い彼の両足を確認したが、私がさきほど玄関で渡したスリッパを履いている。
「いつも戸締りはしてます。娘は鍵の開け閉めも1人でできます」
「では、怒られて家を飛び出してしまった、とか?」記者の話は飛躍する。黙ってこちらの話を聞くという姿勢は見受けられない。
「怒っても居ないですし、不機嫌だったこともありません」
「では、どうして娘さんは家を出ていったのか、お母様には心当たりが無い、という訳ですね?」記者はそうそうに結論に至った。私たち親子の関係性も知らずに第三者が簡単に答えを見つけられるはずがない。
「そういうことではありません。世間では憶測で話をする人が多くて、私たち家族は迷惑しているんです」
「しかし、あんなに小さい子が真っ暗闇の中を一人で歩いてたら、そりゃ事故だって起きますよ。親が一緒にいればあんなご不幸に見舞われることだって無かったでしょう」
「あなたは、私の監督不行き届きだと言いたいのですか?」
「あくまで真実のみを語ったまでです。幼児の夜の徘徊は虐待ですよ」記者は語気を荒らげた。いま目の前にいる私に非があるとでも思っているのだろうか。
私は最愛の娘を亡くした上に、世間から虐待を疑われ、根も葉もない噂で私たち家族の尊厳が奪われようとしている。
その片棒を担ぐのか、いや、むしろ先陣を切っていると言った方が正しいのかもしれない。ニュースで報道される際に、もっと冷静に、慎重に、事実をねじ曲げることなく伝えていれば、この様なことには至らなかったのだから。
事故当時、現場は暗かった、娘は一人で出歩いていた、わたしに何も告げずに家を出ていった。パジャマ姿のままで、だ。
「あんなくらい場所で一人で来たものだから、怖くなって走り出してしまったんでしょうね。ドライバーも急に飛び出してきたって証言してますし」記者はまた事故の詳細を引き合いに出した。いまどきドライブレコーダーの付いていない車の方が珍しいのだが、娘を轢いた車には不幸にもドライブレコーダーが付いていなかったらしい。現在も運転手は拘留されているが、いつ不起訴処分にされるか分かったものじゃない。
このままでは娘が飛び出してきたのが原因である、と結論付けされてしまいそうで、そうなれば私の心臓も猛スピードで跳ねられるくらいの衝撃を受けるはずだ。
「あそこの道路は制限速度は30kmです。それにしては…」手が震える。感情に押しつぶされないように、自ら感情を殺していたのに、娘の亡骸が浮かぶと感情の波が、津波のように襲いかかってくる。
「大丈夫、ですか?」記者が、はじめて私を慮った。酷く呼吸の荒い私を見て、正常ではない精神状態と悟ったのだろう。
私がいくらここで喚き散らそうとも、娘はもう返ってこない。
私は呼吸を、浅く吸い小さく吐く、を何度か繰り返した。
「大丈夫です。娘の身体はひどく傷付いてました。それこそかなりのスピードだったはずです」
「でも、それを証明するのは難しいです。目撃者はいないのですから」この記者は運転手の弁護士かなにかだろうか。どうしてこうも相手の肩を持つような発言を繰り返すのか理解ができない。
「悪いのは向こうですよね?」
「ハッキリとは、言いきれないのも事実です。もちろん人を跳ねてしまえば捕まりますが、運転手に非が無いと判れば不起訴です。むしろ不起訴というのはあなたは悪くありませんでした、ごめんなさい。ということになりかねません」
呆れた。このまま言わザルの置物になり、私の口から言語というものが二度と出てこなくなればいいとまで思った。
娘の名誉の回復を最優先で考えていた。親の言うことを聞かない子供、後先を考えずに先走ってしまう子供、親の手を煩わせていた子供…
どれもこれも本当の娘ではない。他人が勝手に想像した虚像の娘だ。娘がどんな時に笑い、どんな時に泣くかさえ知らないのに、どうして他人がそのようなことを言えるのだろうか。
「娘の財布から、200円が無くなっていたんです。毎月500円のお小遣いをあげてました。1ヶ月間で余ったお小遣いは貯金箱にいれて、『いくらになったかなあ』ってはしゃぐ子だったんです。事故あった日が2日で、まだお小遣いをあげて1日しか経ってなかったんです。なのに、もう200円無くなってたんです」
「何か買ってたんじゃないですか。前日に」
「私に黙って買い物する子じゃ無いんです。いつも、アイス一緒に食べよ、買ってあげるから。とか私を気遣ってくれる優しい子なんです」
「そんな子は割と良くいますよ。自分で稼いだお金じゃないから、気前よくなりがちです。むしろお金が無くなってたんなら部屋にいつの間にか増えてた、何てものは無かったですか? 好きな食べ物とか、板チョコのゴミ屑とか」
「麻婆豆腐」
「は?」
「心音、麻婆豆腐…ウソ、でしょ」
私は記者の事など忘れ去り、裸足のまま事故現場へ駆けていった。
「おい、ありゃ何だ」若い男は目撃した。
裸足の女性が道路の中央に突っ伏していた。交通量が少ないとはいえ白昼の道路を往来する車はいる。
既に二台ほどが連なって、道をふさいでいる人物に立ち往生していた。
プッと軽いクラクションがなるが女性は微動だにしない。這いつくばって地べたを舐めるようにして観察している。
左右から徐々に車がやってきて軽微な渋滞が発生し始めていた。
「あれヤバくないか?」
「あれはヤベーな」
若い男達は口はだすが助ける様子はない。目に映る奇異な場面に心が踊り、スマホで撮影を始める。
「バズる」
「バズれ」
彼女は地面に穴が空くほど、一心不乱に道路を凝視していた。
焼き付いて離れない娘の最後の表情が思い浮かぶ。
『あちゃー、心音の大好きな麻婆豆腐作ろうとしたのに、肝心なお豆腐買い忘れちゃった』
『ママ、困ったの?』
『んーん、ナスがあるから麻婆ナスに変更かなぁ』
『ここね、ナスきらい』
不貞腐れた顔が、離れない。
心音は買い忘れた豆腐を、自分で買いに行こうとしたのではないか?
もしそうなら、無くなった200円がこの場所で見つかるんじゃないか。私は必死に目を凝らした。
「おい! 何やってんだよ! 邪魔だからどけよ!」最前列の車両から男の運転手が降りてきた。「ここで女の子が亡くなったっていう事故知らないのかアンタは!」
「それは私の娘です!あの子が買い物の途中だったなら、ここに百円玉が落ちてるはずなんです!」
「そんなこと言ってもよぉ」男性は急にしおらしくなった。
子を亡くした親に対してなんと声をかけたら良いのか悩んでいる様子だ。
「あの」次は歩道の方から声がかけられた。若い2人組の男だスマホをかざして指をさしてる「もしかしてそこに落ちてるのがそうじゃないっすか?」
『いや、そもそも横断歩道って歩行者優先ですよね? 標識も道路標示もあるのに減速しないで突っ込む方がヤバくないですか? かもしれない運転が出来ない時点で技量が足りてないんですよね。むしろ亡くなった女の子はすごく優秀で豆腐さえ買ってくれば嫌いなナスを食べることは済むし、自分のお金で購入することで誰にも迷惑とか掛からないわけじゃないですか? なおかつ道すがら横断歩道っていう安全なルートを選択してるわけだからこれ程優秀な4歳児が居ますか?ってことなんすよ、はい。あとSNS等で被害者とご遺族を誹謗中傷した人達はそのうち裁判所から訴訟の通知来ると思うので覚悟しておいた方が良いっすよ、はい』
尊厳 月野夜 @tsukino_yoru
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