第一章 辺境の村 レギュラス

森の出口

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

 二人分の靴が地面を踏みしめる音が、森の中を木霊する。

 そのほかに聞こえるのは、風で揺れた枝同士が擦れて立てるガザガサという音と落ちている枝を踏んだ時のパキっとした音、そして鳥たちの会話くらいであった。

 二つの人影はしばらく無言で歩いていたが、やがてそのうち片方が痺れを切らして声を上げる。


「この森、全然出れないんだけど! どうなってんのよ!」

「んー、流石に弱ったなぁ。全く景色が変わらないや」


 カナデが八つ当たりのように足元の石を蹴飛ばすが、何が起こるでもなくそれは体力の無駄遣いにしかならなかった。

 周りをどれだけ見渡しても木、木、木。そもそも道すらない森の中を、段々と遠ざかっていく山脈だけを頼りに歩き続けているが、特手の方角にまっすぐ進めているのかも怪しく、既に太陽と月は三度その姿を隠している。

 既に彼女たちがアストの村を出発して四日目経っている。冒険は始まったが、まだ二人は森から出れてすらいなかったのだった。


「食べ物には困らないとはいえ、連日の様に森の中でテント泊じゃ、疲れも取れないし……。ベッドが恋しい……。思いっきり寝たい……」


 ステラとカナデは、ヒビキによる修行の過程の中に森の中でのサバイバルがあった事に今更ながらに感謝していた。森の中で食料を集め、寝泊まりを行ったその修業は、確かに今現在においては大いに役立っていると言えるが、何故こんなにも森が広大であるという事を先に伝えてくれなかったのかと、二人はヒビキへの恨み節をつらつらと連ねていた。


「はぁ……。でもなんとかしてこの森から出ないと、私たち一生森の中を彷徨い続ける事になるわ。これじゃあ遭難よ」

「そうなんだよねー」

「張り倒すわよ」


 くだらないやり取りを繰り広げながらも、森を進んでいく二人。実際のところ、この森の中で彼女たちが食料不足で野垂れ死ぬなんてことは無いだろう。森と言うだけあって植物はいくらでも生えているし(ちなみにステラは先述のサバイバル中に毒のある木の実を食べて大変なことになった記憶があったため、滅茶苦茶慎重に食べられるものを採っていた)、肉類に関してもステラが便利な遠距離攻撃を持っている以上、困ることは無かった。


 どちらかと言うと問題は終わりの見えない森からの脱出である。いくら歩けども景色が変わらないというのは、肉体的だけでなく精神的にも疲労が溜まっていく。カナデは言わずもがな、いつも通りに見えるステラも、あんまり眠れていないためか思考能力が芳しくない状態だった。


「とにかく、どうにかしてこの森から出る方法を考えなきゃ」

「方法なんてあるの? 全部切り倒すとか?」

「多分寿命が先に尽きちゃうよー」


 変わらない景色による焦燥感からか、カナデが心配そうにステラの方を見遣る。視線を向けられたステラは、しかしそれに気づかず、何か考え込んでいるのか黙りこくってしまう。


「(実際問題として、現実的な手段は殆どないようなものだ。そもそも私たちは自分の現在居場所を知る術も、この森がどこまで広がっているのかという知識も、どこに行けばいいのかという導きも、何も持ち合わせていない状態なんだ。せめて方位が分かれば突き進むこともできるんだけど……)」


 そこまで考え、ステラはふと首から掛けていた羅針盤コンパスの存在に思い当たる。そもそもこれは方位を知るためのものじゃないかと。こんな初歩的なことに気づけないなんて相当疲れているに違いない。元々箱形だったコンパスは持ち運びやすいようにペンダントのように改良されていた。胸元で揺れる羅針盤コンパスを手に取り、その盤面を見たステラはある事に気づく。


「あれ……?」


 羅針盤コンパスの針が、止まっていた。


「カナデ! 見てこれ羅針盤コンパスが……!」

「壊れた羅針盤コンパスがどうしたってのよ……ってウソ! 針が止まってる!?」


 この羅針盤コンパスの針は二人が崩れた本の塔の中から見つけた時以来、一度として特定の方向を指し続けた事は無かった。どんな時も忙しなく動いていたその針が今、ピタリと一方向を指して静止している。


「なんで突然一つの方角を指し始めたんだ……? 羅針盤コンパスの指すモノに近づいたから? それともアストの村の方に原因が? そもそもこれが指しているのは方位なのか? ううん、今はそんな事より……カナデ!」

「続けて」

「分かった。現状を鑑みるに今は取れる手段がほとんど無いに等しい。正直二日くらい歩けば森から出れるって高を括ってたんだ。ごめん。無計画過ぎた。だから、ちょっと賭けにはなっちゃうけど、この羅針盤コンパスの指す方に向かってみたいと思う。多分このタイミングで羅針盤コンパスの針がどこかを指したのは偶然じゃない、と思いたいんだ。……どうかな?」


 ステラは後半になるほど勢いの弱くなる調子でカナデに尋ねる。それを見たカナデはふふ、と笑う。


「なに弱気になってるのよ。しっかりしなさい。私はアンタに着いていくって決めたんだから、アンタがそうしたいって言うなら反対はしないわ。胸張ってビシッと決めなさいよ。……けどステラはあんまり張る胸も無いわね」

「最後の一言は余計だよね」


 ステラは自分の胸とカナデのそれとを比べて確認し少しげんなりするが、それでもカナデの言葉でいくらか元気を取り戻した。


「でもありがとう、カナデ。だったら善は急げだ。早速向かってみよう」


 そこから二人は羅針盤コンパスの導きに従って歩き出した。とはいえ、進むべき方向を決めただけで、その他の問題が解決した訳でないため、その移動スピードはなんら変わらない。それでも、二人は歩き続ける。


    ◇


 羅針盤コンパスの導きに従って三日目、二人が村を出てから六日目の事だった。


「なんかこの辺の魔物、弱くなってない?」

「確かにあんまり手応え無いわね」


 こちらを襲ってくる魔物を撃退していた二人は、そんなことに気づく。魔物の中には実力差を理解してステラとカナデを避けるものもいれば、勇敢(あるいは無謀)にもこちらを襲ってくるものもいた。逃げる理由も無いため適宜遊んであげていた二人は、出発した時ほど魔物たちの練度が高くないということに気づく。


「うーん。例えばの話だから話半分に聞いて欲しいんだけど、この森の奥深くに大きな存在があって、それを守るように奥に行くほど魔物が強くなるとか? だからそこから遠ざかっている今は魔物が強くない、みたいな説はどうかな」

「突拍子もないわね」

「やっぱり?」

「その説の真偽はともかく、魔物が弱くなってるこの辺が森の出口に近いといいのだけど」


 ステラは後ろを振り返り、かなり遠い場所になってしまったであろうアストの村と、その更に遠くに見える山脈を一瞥すると、まさかねとかぶりを振るのであった。


    ◇


 見飽きた木々が突然途切れ、二人が待ち望んでいた森の出口に到達したのは、その翌日。二人が出立して七日目のことだった。

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