第11話 ただ、なぁ・・・、

 そうじゃ。わしも年を取った。


 拓弥の頃はまだ平教員。

 担任をもって、必死で子どもらと、真剣に向き合っておった。

 単に知識を与えてそれでよしではない。私は、目の前にいる子どもらにとって、一人の大人として、真剣に、それは真剣に、向き合っておった。

 拓弥の頃は、一緒に遊んでさらには体育の授業で走り回ったり、フィールドワークと称して野山を駆け回ったり。忘れもせん。クリスマス会と銘打つはいいが、酒こそないものの、つまらんドンチャン騒ぎもやったわな(苦笑)。

 他の学級でもやっておって、まあ、みんな、もう盛り上がりまくって、しまいには教頭や校長までもが巡回に来て、怒るどころか、挨拶と称して、今日はもっと楽しめとあおるようなことまで言われてなぁ。自然発生的に学級対抗の何とか大会にまで発展してしもうた。

 でも、あれは、楽しかったわな。ええ年の大人の、わしでさえも。


 わしはその後、教頭そして校長と職掌を変え、管理者に回った。

 拓弥の頃のようなことは、武志の頃にはもうできなくなっておった。

 あの学校の地域性という問題もあるし、何より世の中が豊かになって、幾分子どもらも冷めてきたような、そんな感じもあった。わし個人としては、一抹の寂しさのようなものも抱いておったが、それを述べてみても、しょうがないわ。


 今思い出してみれば、大槻も、若い頃は、わしとよく似ておった。

 じゃが、園長になったこともあるし、息子らも成長しておる中、昔のような感覚と手法では駄目であると明白に認識しておる。

 山上さんは大槻が園長に就任した折の子どもらの前での挨拶で、「一緒に遊んでくれる若い園長先生」みたようなことを述べられたと武志から報告を受けたが、言われた当の大槻のほうは、何かその言葉に、違和感を抱いていたのではないかな。

 何と申しても、彼がわしと違うところは、自分の職場の中だけではなく、外の世界を十二分に認識して、それに合わせて自分たちはどうすべきかを、きちんと考えておる。彼の言う「社会性」というのは、そんなところから出てきた言葉じゃよ。


 ただ、なぁ・・・。

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