第10話 申し訳ないというか、気の毒だったのは・・・

 申し訳ないというか、気の毒だったのは、玉柏さんじゃ。

 あの玉柏英子さんという方は、大正生まれの女性事務員じゃったが、あの方、最後の最後に、大槻を怒らせてしまった。彼女が大槻相手に「まあまあ」となだめすかすかのような言葉を述べたところを、大槻は決して、許さなかった。

 彼は玉柏さん相手に、最後の最後に、渾身の怒りを彼女に怒鳴りつけて表明した。


 わしが言われるのは、この際、一向に構わん。じゃが、玉柏さんにまでそれを向けられたのは、正直、あれほど辛いものはなかったな。

 武志も知っておろう。

 よつ葉園の事務所は、言葉は悪いが「女子供(おんなこども)」ばかりの地で唯一の、男社会の要素の強い場所じゃ。

 そこで玉柏さんは、森川さんの時代からずっと、あの職場の「潤滑油」のような役割を果たしてこられた。

 もちろん、玉柏さん相手に大槻が罵声など浴びせたことは、わしの知る限り、一度もない。じゃが、最後の最後にあの男は、玉柏さん相手にさえも、一切の妥協をすることなく、罵声をもって自己の意思を表明したわけじゃ。

 あの時わしらは、これから先のよつ葉園においてはもはや必要のない人間であることを否応なく知らされた。

 わしだけじゃない。玉柏さんももちろんそうじゃったろうなぁ・・・。


 それに加えて、そのときこそその場におられなかったが、ベテラン保母の山上さんも、な。

 彼女もまた遅かれ早かれ、彼によって葬られるというか、そういう立ち位置に置かれるであろうな、と。それは間違いなく、わしの死ぬ前に、必ずや、形となって現れるであろう。

 そう、思っておった。


「結果的に、それがこの春に、具体的な形となって表れたってわけですね」

 年長の教え子が、恩師に尋ねる。

「まったくもって、その通りじゃ。これで、拓弥も察せるであろう」


 目前の水を少し口にし、老教師が改めて回想する。

 今度は、小学校教諭時代のことである。

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