第2話 そんなこと、別に伝えんでもよろしい。

「君たち、一体何かあったのか?」

 突然の教え子らの来訪にいささか戸惑いながら、老教師は尋ねる。


「いやその、この度、東先生が入院されていると、古村君が連絡をくれましてね、それで私も、せっかくだから見舞いに行こうということで、参った次第です」

「古村君は、わしが入院しておることは、誰から聞いたのか?」

「山上先生からです。この度定年退職された山上先生の送別会の折に、東先生が入院されることを、内々に山上先生からお聞きしまして、岡本さんにもお伝えしたら、それでは早速参ろうという話になった次第です」

「そうか・・・」

 老園長が自らの入院情報の伝達状況を知覚するに、さほど時間はかからなかった。


 数週間前、山上敬子保母から連絡があった。

 彼女はこの3月末日をもって、終戦直後から長年勤めてきたよつ葉園を退職することを、元上司でもある東氏に報告した。

 その折、4月初旬より数週間入院する旨を伝えていたのである。


 現園長は大槻和男氏。当年とって40歳。

 彼とは理事会で顔を合わせることはあるが、仕事以外では話すことさえまずない。

 ましてお互い示し合わせて会うことなど皆無である。

 今回はさほど長期の入院でもないし、その間理事会が開かれる予定もないので、よつ葉園まで出向く用もない。出向くにあたっては、タクシー代程度の交通費名目での日当が支給される規定になっている。もっとも、そこは教え子の古村事務長が気を利かせて、理事長である恩師をよつ葉園まで送迎することが通例である。


「おい武志。大槻は、わしが入院しておることを知っておるのか?」

 老教師は、部下でもある教え子に尋ねた。

「いえ、御存知ないのと違いますか? 特に理事会もこの間ありませんし、さすれば業務上必要な情報でもないので、私も山上先生も、特に大槻には伝えておりません」

 これが選挙を控えた政治家ともなれば、こういった入院情報は、明らかに何か不祥事に巻き込まれて逃げ込むような場合も含めて、自身の進退云々やさらには政治生命への影響も心配されるところかもしれない。

 しかし、東氏の場合はすでに園長を退任しており、理事長となった今はもとより、園長時代も末期はほとんどの実務を当時主任指導員であった現園長の大槻和男氏に任せていたので、先に述べたような話になることもない。

 少し間をおいて、東氏は一言述べた。


「そんなこと、大槻君には別に伝えんでもよろしい」

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