7章

第78話 その日となりて






 各国の来賓がディルスト地方を視察しに訪れる日となった。

 案内役はヴァルトルーネ皇女。

 俺はその護衛である。


 その日の朝はやけに寒々しいものであった。

 霧が立ち込め、一波乱が巻き起こる前兆のようであった。



 ──一波乱は、実際に起こると決まっているが。



「アル」


「はい、ヴァルト……ルーネ様」


「ふふっ、呼び方が混ざっているわ」


「申し訳ありません、ルーネ様」


 ヴァルトルーネ皇女への呼び方は未だに慣れない。

『ルーネ様』と。

 そう呼ぶことを許されたものの、これまでずっとそんな砕けた呼び方をしていなかったから、時々こうして以前の呼び方が出てきてしまう。


 しかし、ヴァルトルーネ皇女はそれを咎めたりはしない。

 俺が無意識にそれを告げてしまっていると認識しているからだ。

 意図的に以前の呼び方を使っていたなら、怒られていただろうが、本当に間違えることがあるのだ。

 こればかりは仕方がない。


「アル、いよいよ今日ね」


 ギュッと拳を握るヴァルトルーネ皇女。

 その凛とした瞳は、どこか遠くを見ているようであった。


 レシュフェルト王国軍がディルスト地方に攻め入ってくる。

 それをしっかりと理解して、

 その大きな問題に対処するべく、ヴァルトルーネ皇女はここまで多くの準備を整えてきた。


「ルーネ様、きっと上手くいきます」



 ──失敗なんてさせない。



「そうね。ここさえ乗り切れば、また一つ私たちの望むものに近付くはずよ」


 今回ディルスト地方の視察に招くのは、ヴァルカン帝国と比較的摩擦のない国々だ。

 レシュフェルト王国の侵略行為を目の当たりにすれば、彼らはきっとこちら側に付いてくれる。


 問題があるとするならば、


「ルーネ様、スヴェル教団の軍勢の規模が予測よりもかなり大きいそうです。レシュフェルト王国軍もかなりの戦力をこの一戦に投じてくるのも考慮すると、かなりの激戦になることが予想されます」


 こちらの想定以上の敵が攻めてくることだろうか。

 今回、ヴァルトルーネ皇女が特設新鋭軍の指揮を取ることはない。

 来賓への対応をするからだ。

 よって、特設新鋭軍の全権はリツィアレイテが握ることとなる。

 レシュフェルト王国軍の対処程度であれば、彼女が難なくこなしてくれるだろう。

 だが、挟撃してくるスヴェル教団の軍がかなりの脅威になることは想像に難くない。


「そう……どのくらいなの?」


「イクシオン王子殿下によれば、レシュフェルト王国軍が40000以上、スヴェル教団が7000以上の兵をこちらに向かわせているとのこと」


 両国間の開戦は正式に宣言されていない。

 にも関わらず、ここまでの戦力をこちらに送ってきているのは本当に驚きである。


「……でも、よくそこまでの人を集めたわね。発案はユーリス王子、次期国王候補であるとはいえ、そこまでの裁量権を現国王が渡すとは思えないけれど」


「恐らくですが、そこにもスヴェル教団の介入があるかと」


 ユーリス王子だけで、ここまでの軍を差し向けることは不可能だ。

 となれば、スヴェル教団がその後押しをしたというのは明白だ。


「スヴェル教団……ディルスト地方にある鉱山資源が目的と思っていたけれど、本当にそうなのか怪しくなってきたわね」


「そうですね。戦争状態になれば、ディルスト地方に攻め込む機会はいくらでもあります。しかし、今回の急な侵攻……スヴェル教団にとって、ディルスト地方がどうしても欲しい理由があるはず」


「聖地奪還という理由だったわよね?」


 ──今回、レシュフェルト王国軍とスヴェル教団がこちらに攻めてくる理由。まさか、本当にそれが目的?


 だが、ディルスト地方がスヴェル教団にとっての聖地であるなんて話は聞いたことがない。

 あの宗教団体が発足したのは、レシュフェルト王国内。

 ヴァルカン帝国との関係性は薄いように感じるが……。


「不気味ですね……」


 あまりに必死な相手方。

 数で押し切ろうとしている辺り。

 手段を選んでいるような感じでもない。


 ディルスト地方の占領を全力で目論むのなら、普通なら考えられないような策を使ってくるかもしれない。


「アル……今日は、専属騎士として私を護衛するということだったけど」


「はい」


「貴方の役割を変えるわ──スヴェル教団の軍勢を掃討。それが、貴方に命じる新たな任務よ」


 薄々分かっていた。

 こうなることだろうと。

 普通の専属騎士ならば、彼女の側を片時も離れない……という選択をし、それを進言するのだろうが、


「はい、そのようにさせていただきます」


 ヴァルトルーネ皇女がそれを望むのなら、俺は彼女の言葉にひたすらに従う。


「私の護衛は、ファディかフレーゲルにお願いしてみるわ」


「そうですね。他にも護衛の兵を複数手配致します」


「ありがとう。……まあ、貴方に守られる以上に安心できることはないでしょうけど」


 苦笑いを浮かべるヴァルトルーネ皇女。

 俺は彼女の代わりに前線へと向かう。


『私は自由に動けない。だから、私の代わりを貴方にお願いしたい』


 以前そう言われた。

 前世の彼女は戦時中、最前線で戦っていた。

 しかし、今世は違う。

 次期皇帝となる者として、危険過ぎる場所に赴くことは極力あってはならないのだ。


「アル、頼んだわよ?」


 その期待に応えたい。


「はい、完璧にこなしてみせます」



 ──そして、ヴァルトルーネ皇女の望みを叶えたい。


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