第55話 君のためならば(ユーリス王子視点)
「ユーリス王子、ヴァルトルーネ様との婚約破棄おめでとうございます!」
めでたいことだ。
あの忌々しいヴァルトルーネとの婚約を正式に破棄したのだから。
これで俺はやっと──レシアと一緒になれる。
「ああ、ありがとう。レシア」
スヴェル教団の聖女であるレシアとは、士官学校で初めて知り合った。
天使のように白い肌、
人懐っこい無邪気な笑顔がとても魅力的で、
俺はすぐに彼女のことが気になり始めた。
『あっ、もしかしてユーリス王子ですか?』
彼女と初めて言葉を交わしたのは、士官学校の近くにある一際大きい大樹の下であった。
誰も立ち寄らない場所。
静かに風の音だけが吹き抜けていたその場所に、福音が鳴ったかのような感覚があった。
『君は、聖女レシア』
『聖女だなんて……ふふっ、私のことは普通にレシアと呼んでください』
広野に咲いた一輪の花のようであった。
この国の王族として生きてきた中で、こんなにも優しげな表情を見たのは初めてだった。
当時から、俺とヴァルトルーネは婚約関係にあった。
しかし、生真面目で口うるさいヴァルトルーネのことが俺は大嫌いであった。あの女は国の利益のことばかりを永遠に語り続ける。
民がどうとか、
国家がどうとか、
うんざりするほど小言が多かった。
『ユーリス王子もこういう場所が好きなんですか?』
『ああ、全てを忘れて静かな時間を過ごしたい時はよくここに来る』
『そうなんですね……あの、ユーリス王子』
『ん?』
『私も時々、ここに来てもいいですか?』
なんてことない普通の申し出。
俺に許可を取る必要のないものである。
この大樹の下は特に立ち入りに制限があるでもなく、人があまり寄り付かないだけで、誰かの専有地などでもない。
『自由にしたらいい』
『──っ、ありがとうございます!』
俺の何気ない一言に嬉しそうな反応を見せるレシアが可愛かった。
だから、俺はヴァルトルーネとの婚約解消をこれまで以上に強く望んだのだろう。
『ユーリス王子……えっと、私……』
『言ってごらん、レシア。悩みがあるなら、俺が相談に乗る』
『いけないことだとは分かっているんです……でも、私は諦めたくない! ユーリス王子、貴方のことが好きです!』
告白されるとは思っていなかった。
けれども、彼女から聞いた言葉と自分の気持ちを照らし合わせ、気付いた時には、
「レシア、結婚しよう。俺たち」
彼女の手を取り、情熱的に口づけをしていた。
思えばこれは運命だったのかもしれない。
ヴァルトルーネという邪魔な障害があったが、それも二人が幸せになるための試練だと思えば、特段苦痛には感じなかった。
そして──。
『ヴァルトルーネ。貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄させてもらう!』
士官学校卒業の日を以て、俺はヴァルトルーネとの柵を断ち切った。後日正式に婚約破棄も認められて、晴れて俺は自由の身となったのだ。
「レシア、ここまで来れたのは君がいたからだ。支え続けてくれてありがとう」
「いいえ、これはユーリス王子の努力の賜物ですよ。神はいつでも、ユーリス王子の味方をしてくださるはずです」
ああ、今日もレシアが美しくて愛おしい。
彼女のためであれば、俺は世界をも敵に回せる気がする。
と、ここでレシアが俺の服の裾をクイッと引っ張ってきた。
「どうした?」
「でもその……ちょっと気になることがあって。ヴァルトルーネ皇女はなんで簡単に婚約破棄を受け入れたんだろうって……」
「さあ、それは俺にも分からない。けど、素直に別れてくれたのなら喜ばしいことだろ!」
俺が明るくそう告げても、レシアの顔色は少しだけ悪かった。
「本当にそれだけでしょうか。もしかしたら何か企んでいるのかも?」
確かにレシアの言葉にも一理ある。
あの女は常に国のためだと、徹底して利益を考えた行動を取っていた。
レシアに危害を加えてやろうと画策していても不思議ではない。
「レシア、大丈夫だ。何があろうと、俺がお前を守るから」
そうだ。
俺はレシアと結ばれるためにヴァルトルーネとの婚約を破棄したのだ。彼女と共になれるのなら、どんなに巨大な壁が目の前に現れようとも必ず乗り越える覚悟がある。
「ユーリス王子、ありがとうございます。本当に頼もしいです」
「ああ、任せておけ」
「えっと、それでユーリス王子にひとつだけお願いがあるんです」
レシアのためなら、俺はなんだってやれる。
彼女のささやかな望みを叶えてあげるのも、俺の務めだろう。
彼女の手をギュッと握り、俺は優しく聞き返す。
「レシアの望みを教えてくれ。俺にできることなら、なんだってしてやる!」
「本当ですか!」
「ああ、だから聞かせてくれ」
レシアは少しだけ黙ってから話し出した。
「あの、ヴァルカン帝国にディルスト地方というところがあるんですけど──」
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