5章

第51話 急接近する距離感




 リゲル侯爵を討ち破り、俺たちには束の間の休息が訪れた。

 とはいえ、完全に休みというわけではない。

 急務でこなす仕事が減り、仕事に従事する時間がやや軽くなった程度だ。


 でも、これはとても大切なことだ。

 これから先、休む間もないくらいに大変なことが続くと予想される。

 だから、今はこの穏やかな時間を満喫しようと思う。


 ……戦争が始まったら、死ぬまで動き続けることになるしな。


「アルディア卿、今日の夜、お時間は大丈夫でしょうか?」


 午前中の職務を終えた頃合いでリツィアレイテからそんなことを尋ねられた。

 ヴァルトルーネ皇女から支給された指揮官の服ではなく、彼女は私服であった。


 ──珍しいな。


「プライベートで、ということですよね」


「はい、リゲル侯爵の軍を倒した戦勝会は開きましたが、個人的にアルディア卿とサシで話したいと思いましたので」


「そうですか……」


 こんな機会滅多にない。

 リツィアレイテと仕事以外でちゃんと会話しておきたいと個人的にも思う。

 リゲル侯爵領でもお世話になった。

 少し考えた後に俺は笑顔で答える。


「分かりました。今夜はちょうど予定がありませんので……ぜひとも」


「っ! ありがとうございます。では、また夜に。時間になったら、また部屋を訪ねます」


 こうしてリツィアレイテとプライベートでの約束を結んだ。

 これは、夜に仕事を残すわけにはいかないな。

 俺は休憩を早めに切り上げて、残りの仕事に取り掛かった。




▼▼▼




 休憩時間を削って正解だったな。

 約束した時間ギリギリ。

 彼女が俺の部屋に来たちょっと前にやっと仕事が終わった。


 午後に舞い込んできた仕事が意外に多く、余裕を持たせておいたことが本当に良い結果に繋がった。


「お疲れ様です。アルディア卿」


「リツィアレイテ将軍もご苦労様です」


 簡単に挨拶を済ませた後、俺たちは顔を見合わせた。

 なんというか少しだけ緊張する。

 それは向こうも同じようで、リツィアレイテは少しだけ頬を赤く染めていた。


「えっと、では行きましょうか」


「そうですね」


 リツィアレイテに手を掴まれる。


「こちらです」


「はい」


 リツィアレイテに連れられた先は、


 アルダンの市街地にある飲み屋であった。




▼▼▼




「アルディア卿……その、将軍って付けて呼ぶの辞めてくれませんか? なんだか壁を感じてしまって嫌です」


 飲み始めて一時間。

 リツィアレイテがそこまで酒に強くないことが判明した。

 瞳は虚で、呂律も怪しい。

 俺は多分、彼女以上に飲んでいるものの、まだ酔いが回る段階にまでは至っていなかった。


「聞いていますか?」


「はい……あの、リツィアレイテ将──」


「リツィアレイテです。はぁ……言ったそばからそうやって」


 どうやら彼女は俺が『リツィアレイテ将軍』と呼ぶことが気に入らないらしい。

 仕方がない。


「分かりました。リツィアレイテ……これで良いですか?」


「うーん」


 えっ、駄目?

 ちゃんと呼び捨てにしたのに。

 これでもかなり譲歩した。

 名前の末尾に『さん』とか付けたら距離が遠いとか言われて、また叱られるかなと思っていたが…………呼び捨ては、流石に距離感を見誤ったか。


「申し訳ありません。リツィアレイテさん」


「どうして、『さん』を付けたのですか!」


「ええ……俺にどうしろと」


 なんだか理不尽な話だ。

 呼び捨てにしたら微妙な反応で、さん付けしたらまた怒る。

 選択肢がないじゃないか。


 俺には正解が分からない。

 だから、素直に尋ねてみた。


「では、どのようにお呼びすればよろしいですか?」


 結局、彼女が気に入る呼び方というのは、彼女の判断基準でしか成り立たない。

 俺がいくら考え込んだところで、最適解がどれなのかという答え合わせは不可能なのである。


 リツィアレイテの方をじっと見る。

 彼女は鋭い眼差しをこちらに合わせるように向けてくる。


「リア……」


「え?」


「ですから、私のことはリア、と。そう呼んでください」


 ちょっと、待て!


「そのそれはちょっと」


 距離感が近過ぎやしないだろうか。

 彼女とはこちらの世界で出会ってからまだ数ヶ月しか経過していない。

 仲良くしている記憶もそんなになかったはずだ。

 しかし、俺の反応が悪いと見るや、リツィアレイテはこちらにグイッと顔を近付けてくる。


「私の親しい友人は、私のことをリアと呼びます。……貴方は私のことが嫌いなんれすか?」


 酔っ払いの女の子にそんな風に詰め寄られても、戸惑う以外に反応のしようがない。

 俺とリツィアレイテはあくまでもヴァルトルーネ皇女に仕える同僚のようなもの。

 仕事仲間だ。

 まだ友人の段階には至っていない。


「嫌いというわけではなくてですね……」


「じゃあ、私が貴方のことをアルって呼んだら、私のこともリアって呼んでくれるんれすか?」


「ええ……」


 そんな等価交換みたいに言わないでくれ。

 それを許したら、いよいよ俺も彼女のことを愛称で呼ばなければならなくなる。

 でも、


「どうなんれすか!」


 頷かないと、このままずっとこの話を続けられそうだな……。

 これは仕方のないことだ。

 あくまでもプライベートだけ、そうそこさえ徹底すれば変な勘ぐりもないだろうし。


「分かりました。ですが、仕事中はリツィアレイテ将軍と呼ばせていただきます」


「むぅ……分かりました。それで納得しておきます……ふぁ……」


「あっ、ちょっと!」


 リツィアレイテ、そのまま卓上に伏す。

 はぁ……このタイミングで眠るのか。


「すみません」


「はい!」


「お勘定お願いします」


 結局、酔い潰れたリツィアレイテを部屋まで送り届けることとなった。まともに会話できたのは、最初の数分だけであったが……彼女と仲良くなれたような気がする。


 ──リア、か。


「アル……ふふっ」


「はぁ……」


 幸せそうな寝顔のリツィアレイテを背負いながら、暗い夜道をゆっくり歩くのだった。


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