第50話 皇女様の踏み台役、ご苦労様でした





 リゲル侯爵の相手をすること十数分。

 おびただしい数の足音が近づいて来るのを感じた。

 これだけの人数が歩いてくるということは間違いないな……。


「だから、私の味方となれば未来永劫幸せな暮らしを──!」


 未だに話を続けるリゲル侯爵から顔を背け、俺は仕えるべき主人の到着を心から喜んだ。

 そう、本当に喜んだ……ありがとうヴァルトルーネ皇女。

 そろそろ減らず口を黙らせてしまいたくなるところでした。


「お待たせ」


 馬から降りてヴァルトルーネ皇女はゆっくりとこちらに歩いてくる。そして、俺の目の前に立ち、耳元で囁いた。


「ありがとう。アルディア、貴方は本当に最高の専属騎士よ」


「────!」


 肩をピクッと動かした俺を見てヴァルトルーネ皇女は微笑んだ。

 これは本当に何にも代え難い褒賞だろう。

 彼女が喜んでくれたのなら、必死に戦って。

 その後、呪文のようなリゲル侯爵の言葉を聞き続けた甲斐があったというものだ。


 ヴァルトルーネ皇女はそのままリゲル侯爵の前まで進む。


「悪足掻きが失敗した気分はいかがかしら?」


「この小娘が……」


「その小娘に、貴方は負けたのよ。リゲル侯爵」


 未だに敗北を認めたくないという顔をしてきたリゲル侯爵に非情な現実を突きつけるヴァルトルーネ皇女。


「ふんっ、お前みたいな未熟者……一人では何も出来ないくせに」


 なおも挑発を続けるリゲル侯爵にヴァルトルーネ皇女はため息を吐く。

 落胆というよりも、本当に残念な人を見る目であった。

 そして、彼女は後ろにいる人物に手招きをする。

 俺は誰なのかを理解していたが、リゲル侯爵はその仕草を不審そうに観察していた。


「貴方に反省の色が見えなくて良かったわ。これで私も──良心を痛めずに済みそうだもの」


 にこりと笑うヴァルトルーネ皇女。

 その笑顔の裏に含まれる感情に触れたのか、リゲル侯爵は玉の汗を流した。

 危機を察したか。

 少々遅過ぎる感は否めないが。


「なっ、何をする気だ!」


「私は何もしないわ。貴方の処遇を任せたい人がいるのよ」


 ヴァルトルーネ皇女がそう告げ、後方から一人の男性をリゲル侯爵の前に見せた。

 若い青年。

 リゲル侯爵も見覚えのある顔だろう。

 彼の表情が更に凍りつき、プルプルと震え出したのが誰の目から見ても明らかであった。


「お、おま……」


 姿を現したのはファディである。


「久しぶりですね。……散々世話になったから、そのお返しに来ましたよ」


 口調は穏やか。

 けれども、彼の瞳には何一つとして優しげな成分が含まれていない。残忍に獲物を見る捕食者の目そのものだ。


「貴様っ! 私への恩を忘れたのか。金を貸してやっただろうが!」


「恩? ああ……あり得ないくらい高い利子付きの借金を押し付けてきたっけなぁ。お陰で俺の人生は滅茶苦茶になるところだったよ」


 ファディは恨み籠った口調で吐き捨てる。

 不当な借金を背負わされ、彼はこの先ずっとその借金返済のために殺しの仕事を続ける可能性があった。

 ヴァルトルーネ皇女に出会えなければ、確かに酷い人生を送っていたかもしれない。


「だが、お前はもう借金を返済した。私に恨みなどないはずだろぅ!」


「馬鹿。ヴァルトルーネ皇女殿下が俺の借金を肩代わりしてくれたんだ。この方がいらっしゃらなかったら、今もお前に借金返済するため、寝る暇も惜しんで働いてたろうね」


 ……うん。

 でも、今のファディも大概だと思う。

 寝る暇を惜しむ……とまではいかないが、ヴァルトルーネ皇女が様々な指示を出して、今の彼は本当に多忙な身だ。


 そんな彼のおかげで、今回こうして戦いに勝利出来たのだけど。


 ヴァルトルーネ皇女は満足そうな顔ですっと踵を返した。

 俺の手を取ったのを見るに、後はファディに任せてしまおうということだろう。

 俺も無言で頷いた後一瞬だけリゲル侯爵に視線を向けた。



『助けてくれ!』



 そう叫びたそうな顔であった。

 まあ、助けなんてないんだけどな。


「ファディ、彼の処遇は貴方に任せるわ……」


 本来、生きたまま捕まえたら、皇帝グロードの下へと連れて行くのが最適解。

 けれども、俺たちは死力を尽くしての戦いを行った。

 敵対した領主を生捕りにするのは本当に苦労した。


 となれば、だ。

 生捕りにする余裕が果たしてあったのだろうか。

 やむを得ず、リゲル侯爵を殺してしまった……なんてことも可能性としてはある。


 だからだろう。

 ヴァルトルーネ皇女はわざとらしい口調で告げる。


「いいかしら。私たちはリゲル侯爵率いる逆賊を全て討ち倒した。リゲル侯爵は激しい戦闘を終えた後に消息不明、リゲル侯爵邸は火に包まれていて、私たちは彼を死亡扱いとした……ふふっ、完璧な筋書きよね?」


 本当に恐ろしいな。

 こうしてしまえば、誰も文句を付けることはない。

 周囲にはこの様子を見ているものが多数存在するが、リゲル侯爵がどうなろうと、どうでもいいというのがこの場にいる人たちの総意であろう。


 ……最悪、口封じすればいいしな。


「まっ、待ってくれ。頼む……! 私は無実なのだ。裏事業もただ頼まれただけで、断じて私からやろうと思ったわけではない。信じてくれ〜」


 最後の最後に洗いざらい情報を吐こうとしているみたいだけど、それでもヴァルトルーネ皇女は何一つとして聞き入れないだろう。

 リゲル侯爵に背を向けたままのヴァルトルーネ皇女は心底嬉しそうに笑っている。


「……頼まれた、ね。一体誰にかしら?」


「レ、レシュフェルト王国のやつらにだ! 私は利用されたのだ。助けてくれ、もうこんなことはしないっ!」


 もしそれが彼女の知らない情報であったのなら、ヴァルトルーネ皇女が勢いよく飛びつく……なんて未来もあったかもな。

 諸々全部の事情を完全に把握している今のヴァルトルーネ皇女には、何も響かないが。


「リゲル侯爵」


「────!」


「貴方はこれまで国のためによく働いてくれたわ」


「で、では!」


「──ええ、ここまでご苦労様でした。貴方の役目はここでお終い、ね?」


 希望に満ちた顔をする彼をヴァルトルーネ皇女の残酷な一言が再び地獄へと突き落とす。


「あ……あ、あぁぁぁ〜〜っ!!」



 ガング=フォン=リゲル侯爵。

 彼はこの日を以ってして表舞台からその姿を消した。

 彼がヴァルカン帝国の不利益になるようなことを行っていた事実は明るみになり、更にレシュフェルト王国との繋がりも明かされた。

 これにより、彼と親しくしていた貴族諸侯。

 具体的には親レシュフェルト王国派の貴族は軒並み発言権を低下させた。


 当の本人であるリゲル侯爵だが、

 彼は自領に籠り、ヴァルトルーネ皇女率いる特設新鋭軍との全面対決の末…………




 壮絶な戦死を遂げたのだ。


 ヴァルカン帝国に反旗を翻した裏切り者とはいえ、最後まで戦い抜いた彼の勇姿には敬意を表そう。




 ──貴方は最後までリゲル侯爵を貫きました。賞賛いたしましょう。



 そして、感謝申し上げます。

 ヴァルトルーネ皇女の望む未来に必要な礎として、





 ──大事な踏み台役、大変ご苦労様でした。



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