第34話 強固な繋がりを得て



 帝城の内部は赤と黒を基調とした落ち着いた色合いであった。

 横をすれ違う人からチラチラと視線を向けられたが、俺は特に気に留めずに歩みを進める。

 俺の後ろには二人の男女。

 俺がヴァルトルーネ皇女に頼まれて、スカウトした人である。


 ファディと出会えた後に、もう一人誘った。

 ファディと違い、俺も面識のある人物。

 場所もヴァルトルーネ皇女から聞いていたので、探す手間はかからなかった。


「あの、本当に私も来て良かったのでしょうか?」


「はい。それがヴァルトルーネ皇女殿下の望みですから」


「そう、ですか……」


 その女性はまだ不安気な顔をしていた。

 しかし、気持ちを切り替える時間はもうない。

 既に目の前にはヴァルトルーネ皇女のいる部屋の扉があるのだから。 


「ヴァルトルーネ皇女殿下、少しよろしいですか?」


 ヴァルトルーネ皇女の私室の扉を叩くと中から声が聞こえてきた。


「入りなさい」


 命令形の口調だが、声音は優しくホッと胸を撫で下ろす。

 俺は後ろの二人に一瞬視線を送ってから、扉を開いた。


「失礼します。ヴァルトルーネ皇女殿下、予定通り二人を連れて参りました」


 中へ入ると、にこやかな話はヴァルトルーネ皇女が出迎えてくれた。


「私の代わりに彼らを連れてきてくれて、ありがとう」


 感謝されたことにより、頬が緩む。

 後方にいた二人はヴァルトルーネ皇女に手招きされて、恐る恐る俺の背後から前に出た。


「ファディとリツィアレイテね。貴方たちが来るのをずっと待っていたわ。いらっしゃい」


 歓迎の言葉を受け、二人は固まっていた。

 間違いなく彼らにとっては初対面の相手、ヴァルトルーネ皇女からの一方的な好意に困惑しているようだ。

 ヴァルトルーネ皇女はそれから、俺の方に視線を向けて一枚の書類を手渡してきた。


「これは?」


「貴方との契約書よ」


「契約書?」


 はてさて、ヴァルトルーネ皇女が俺とどんな契約をしたいのか考えが及ばない。

 俺は絶対な忠誠を誓っているし、裏切る行為もしない。

 ヴァルトルーネ皇女が心配だと言うのなら、絶対の忠誠を誓うと書面に起こしてもいいけど、ヴァルトルーネ皇女は俺のことを間違いなく信頼してくれている。


 彼女の態度からそれはヒシヒシと伝わってきた。

 ならば、どんな内容なのか。俺は書面に目を通す。


『アルディア=グレーツをヴァルトルーネ=フォン=フェルシュドルフの名の下、専属騎士に任命する』


 ──専属騎士っ!?


 いや、以前に少しだけその話題は出たものの、専属騎士とはつまり…………身も心もヴァルトルーネ皇女に差し出すということを誓うというものである。

 ヴァルトルーネ皇女のために命を捧げる覚悟をし、彼女の命令であれば殺しだって厭わない。

 常に彼女の味方をし、

 彼女か自分が死ぬまで、その関係性は断ち切ることができない。


「……っ!」


「不満?」


「い、いえ……えっと。その、俺なんかで本当にいいんですか? 俺は特別強いというわけでもないと思いますし、その……ご期待に添えるかどうか……」


「そこは問題じゃないわ。私は、貴方が専属騎士になって欲しいとずっと思っていた……あの時からずっとよ」


 ヴァルトルーネ皇女のあの時がどの時かちょっと把握しきれていないが、少なくとも、今世ではなく前世での話だろう。


「私は貴方と共に歩むことを選んだ。これは、私の意思表明でもある。アルディアが二人を連れてきてくれたように、私も貴方のために色々としてあげたい。そのための契約よ。それに、私は貴方のことを弱いだなんて微塵も思っていないわ。むしろ……」


 言いかけて、ヴァルトルーネ皇女か口を閉じた。


「なんでもないわ。とにかく、私は貴方を一番近くに置きたい」


 そこまで言われてしまえば断ることなどできない。

 ヴァルトルーネ皇女の優しさは予てから知っている。

 だから、最終確認のために胸に手を当て俺はヴァルトルーネ皇女の瞳をじっとみつめた。


「俺とで良いんですね?」


「ええ、もちろん」


 専属騎士の件……ありがたく、拝命させて頂こう。

 俺はサッとその用紙の項目にサインをした。


「これで俺は貴女の専属騎士になりました。以後、貴女のために命を懸ける覚悟を」


「ありがとう」


 ずっと前からこの意思は固かった。

 けれども、専属騎士になれたことでより鮮明にそれを示せた気がする。


「じゃあ、ファディ、リツィアレイテ。私の下に集ってくれた貴方たちにも誠意を見せなければいけないわね」


 続いてヴァルトルーネ皇女は二人に目を向けてから、言葉を発する。彼女の声を聞いたファディとリツィアレイテはピシリと背筋を伸ばす。

 帝国の皇女から言葉をかけてもらえるだけでも、平民の身からしたら光栄なこと。


 それ以上の恩恵を受けられるというのなら、頬が強張るのは自明の理。


「まずは、ファディね」


「はい、ヴァルトルーネ皇女殿下にお会いできたこと、至極光栄にございます」


「ふふっ、そんなにかしこまらなくてもいいわ。……貴方は貴族というものが嫌いでしょうし」


「────!」


 ファディの顔色が悪くなるのが誰の目から見ても簡単に分かる。

 額を伝う汗は内心を見透かされていることへの警戒感が影響しているのだろうか。

 唇をキュッと閉めたファディの泳ぐ視線を暫く眺めてから、ヴァルトルーネ皇女は笑顔を絶やさずに告げる。


「安心して、貴方の考えに文句を付けるつもりはないから。というより、私は貴方の望みを叶えてあげたいと思っているのよ」


「と、いいますと?」


「貴方……リゲル侯爵に不当な借金を背負わされているわよね?」


「えっ……! どうして」


 ファディは目を大きく見開き、床を擦るように一歩下がる。

 多分、当人以外の誰もが知らない話を彼女が言い当てたということに心底驚いているようだ。

 俺からすれば、ヴァルトルーネ皇女がヴァルカン帝国内のどんな情報を知っていようとも驚くことはない。俺もそちら側の人間だからだ。


 しかし、ファディは違う。


「その話は誰も知らないはずですがっ!」


「その部分は今どうでもいいの。大事なのは、私が貴方の望みを叶えてあげられるかどうかじゃないかしら?」


 そう、結局のところこの話はそこに行き着く。


「私は貴方の望みを実現させてあげられる。貴方は私のために力を貸す……簡単な話でしょ。無闇な詮索は己の身を滅ぼすわよ」


 全てを看破しているヴァルトルーネ皇女にファディは成す術がない。

 だから、


「その通りです。……分かりました。私は貴方に尽くすことをお約束致します」


 ファディは静かに頭を下げた。


「ありがとう。リゲル侯爵を野放しにする気はないわ。だから、貴方の手腕を存分に発揮して、彼の罪を公のものとする」


 ファディは自分のことを暗殺者と言っていた。

 だから、隠密行動で各地の情報を集めることだって容易だろう。


「はい」


「リゲル侯爵がどのようなことをしているかを私は知っています。けれど、彼を訴えるなら形ある証拠が必要なのです……あとは分かりますね?」


 証拠を集めろと。

 まあ、ファディにとっては好都合なことなのだろう。

 なにより、ヴァルトルーネ皇女という後ろ盾を得た今、リゲル侯爵に怯える必要もない。


「必ず、証拠を掴み……貴女に届けます」


 この日を境に、一人の暗殺者の灰色の人生は少しずつ色を帯び始める。それがヴァルカン帝国の進む先にどのような環境変化をもたらすのか、それはまだ誰も知らない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る