第28話 危険な腫れ物(イクシオン王子視点)
呆気に取られてから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
固まる俺を前にして、ヴァルトルーネお義姉様は瞬きだけをし、そのままにこやかに俺が口を開くのをただ待っていた。
その表情は以前見かけた時とは比べ物にならないくらいに大人びたもの。
まるで、全てを見通しているかのような物憂気な瞳が彼女の微笑みと相まって、とても不自然に感じられる。
「あの、どうして……こちらに?」
喉から絞り出した言葉は質問にならないような曖昧な疑念を含んだもの。そんな不足だらけの言葉だったのにヴァルトルーネお義姉は正確に理解したような表情になり答えた。
「勿論、貴方に会いに来たのよ。イクシオン王子」
彼女はそんなことを告げる。
やっぱり分からない。
何故ヴァルトルーネお義姉様が俺と会いたいと思ったのだろうか。彼女とは特に接点がなかった。
すれ違えば会釈と簡単な挨拶をする程度の間柄だった。
それなのに、今目の前にいる彼女はまるで──。
「それから、一つ訂正させてもらうけど……私はもう貴方の義姉ではないわ」
俺の心情を見透かして、こちらに興味を向けているような顔をしている。
胸がざわついた。
これはなんだ?
嵐の前触れかと思うくらいにこれから先の未来でとんでもないことが起きるような予感がした。
「イクシオン王子……私はユーリス王子との婚約を解消しました。なので、お義姉様などと気を遣って頂かなくても構いません」
スラスラと話すヴァルトルーネお義姉様は有意義な時間を過ごしているかのような感覚なのだろう。表情がとても穏やかだ。
しかし、俺の心中は大きく波立っていた。
ヴァルトルーネお義姉様もそうだが、その横にいる男……。
こっちもかなりヤバそうな雰囲気がプンプンする。
威圧されているわけじゃない。それなのに、背筋に走る悪寒が彼を怒らせてはいけないと激しく警鐘を鳴らしている。
曖昧な勘などではなく、本当に危ないのだ。
「…………」
男は何も喋らないが、ヴァルトルーネお義姉様と時々目配せし、何かを示し合わせているかのような仕草を取っている。
これは、ヴァルトルーネお義姉様の機嫌を損ねたら……かなりヤバい。
──もう、逃げられないんだろうな。
こんなのは初めてだ。
誰かのことをこんなに恐れるなんて今まで体験したことがなかった。俺が何を言おうとも、この二人の前には全て無駄になりそうな感じで、御託を並べていればご機嫌になる有象無象なやつらとは別の存在のように思えた。
話し合いを長引かせたところで、きっと意味などない。
それなら、さっさと用件を聞き、ヴァルトルーネお義姉様には悪いがすぐに帰って貰おう。
俺にとって、この空間は少し息苦しい。
「それで、ヴァルトルーネお義姉様の本当の目的はなんですか?」
俺に会いに来たなどと、つまらない冗談を言うために彼女はこんなところに赴かないだろう。
彼女は俺が考えている以上に聡明だ。
俺の言葉を聞き、ヴァルトルーネお義姉様の表情が一気に変わる。にこやかな顔は真顔に戻り、彼女の素の姿を目の当たりにした気分であった。
「そうよね……貴方と腹の探り合いなんて無駄なことだったわ。貴方はとても賢い人だもの」
馬鹿言え。
そんなことを口走っている間にも、こちらを値踏みするような視線は崩さないくせに。
彼女は俺に何かをもたらそうとしている。
それが俺の今後にとってどんな方向に左右するのか、それは全く分からないが……彼女の話を聞けば、間違いなく俺の運命は大きく揺れ動く。
彼女はニヤリと悪い笑みを浮かべて、前屈みになった。
「イクシオン王子。…………貴方は、この国の統治者になりたいと考えたことはあるかしら?」
今、目の前に置かれたのは、触れればすぐに爆発してしまうような爆弾そのものであった。
この危険な取引をする覚悟を俺はこの瞬間に決めなければならない。
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