第十話 こうして親睦会は終わった

 歌い始めて一時間、健たちが流してしまった冷たい空気は完全に消えて、元の通り明るく楽しい空気が流れていた。


まあ、健たちは何やら完全に撃沈して、最初よりもずっと暗い空気を漂わせて『死にたい死にたい』と呟いているけど。


「よっしゃー!次は勇人の番な!」

「えっ?俺?」


ジュースが入ったコップを片手に立花と談笑し、幸せなひと時を送っていると翔が名指しで俺を指名してきたが俺に歌う気はさらさらない。


「いや俺はいいよ。歌自信ないし」

「そんなことないだろ。去年一緒に来たときは滅茶苦茶うまかっただろ」


断ると翔は俺にお世辞を言って歌わせようとしてくるがそういうことを言うと周りが期待するからやめてほしい。


「んなことない。普通だよ普通」

「じゃあ俺と一緒に歌おうぜ。だったらいいだろ」

「いやどういう理屈だよ」


向かいにいる翔は俺の所までやってきて、歌うのを渋る俺を無理やり立たせてマイクを渡してくる。


さらに俺のツッコみを無視して、タブレットで男のデュエット曲を検索している翔はもう止められる様子ではなかった。


「はあ~」

「とっ豊川君」

「ん?」

「頑張ってくださいね。期待してます」


気持ちが前に向かず、ため息をついてどうしたものかと困惑していると、隣の立花からそんな鼓舞が聞こえてきて嬉しさと同時に期待されている恥ずかしさを感じながらも立花に言われてはもう歌わないわけにはいかなくなった。


「おっおう。自信はないけど頑張るわ」

「そうだそうだ頑張れ。そしてたまには恥をかいてこい!」

「お前は励ましているつもりなのか?」


立花に続いて今度は舞も俺に言葉をかけるがとても鼓舞しているようには聞こえず、それどころか舞のせいで危うく少しだけ前に出ていた気持ちが引っ込むところだった。


「よしこれにしよう!最近流行ってるバンドのデュエット曲!」


やがて翔がカラオケに曲を送信すると俺も知っている有名なアーティストの曲が流れて、気恥ずかしさを前面に受けながらもそれを押し殺して、俺はマイクを口元まで持って来て歌い始める。


 約五分ほどの曲を歌い終わり、その間立花には目をキラキラと輝やかせながらガン見されていたが他のみんなはコールの部分で声を上げるなど盛り上げてくれた。


そのおかげか意外と歌っている間は緊張せず、楽しく歌い終わることができた。


「おー!97点って滅茶苦茶高いじゃん!やっぱ勇人うまいじゃん!」

「いやお前がうまいだけだろ」


そう言って俺の肩を回している翔はさっきから90点台後半をバンバン出しており、ふざけたキャラとは相反して滅茶苦茶歌がうまいため97点を出せたのは大半こいつのおかげだ。


というか歌っている間もこいつがうますぎてついていくのが死ぬほど大変だった。


「でも豊川君も上手でしたよ。凄く聞いてて楽しかったです」

「そっそうか?なら良かった」

「ちっ恥かけば面白かったのに…」

「おい。なんか言ったか」

「いや!何でも!」


俺が聞き返すと舞は可愛い声で首を横に振るが俺の耳には完全に届いていた。


こいつ、仮にも俺の彼女なんだし褒めるなんなりしろよ。


でもまあ、彼女になってもこいつはこいつなんだと付き合う前と変わりのない舞の様子に少しだけ肩が降りて、安堵した。


 それから三時間ほど俺達は歌い続け、最後のほうには健達三人組も所謂アニソンを歌ってカラオケの親睦会は幕を閉じた。


こっちの部屋もかなり盛り上がったがあっちの部屋もこちら以上に盛り上がっていたみたいでクラス委員長としてはかなりいい親睦会になったと思う。


時刻は午後五時過ぎ、夕日が空を照らしている頃に俺達はカラオケ屋の前で解散する。


「勇人この後バイト?」

「おん。六時から」

「あーそっか。じゃあ頑張れ」

「ありがとな。じゃあな」


翔の言い方から恐らくこの後翔達は二次会的にどこかへ遊びに行き、それに俺も誘う予定だったのだろう。


だが今日も俺はバイトを入れているので残念ながら行くことは出来ず、その場で手を振って翔達と別れた。


翔達を見送ったところでカラオケ屋の前で集まっている立花と舞を含む女子達のほうに目を向けると何やら盛り上がっている。


「勇人、私達この後ご飯食べに行くけど、勇人はバイト?」

「おん」

「休日なのに働くね~じゃあ頑張ってね」

「おう。行ってら」


そう言って見送ると最後に女子集団の後ろのほうに居た立花も気恥ずかしそうに俺に手を振ってくれたので俺も控えめに手を振って返した。


今日はいい日だった、と一言で振り返った後に周りを見渡すと健たち含めて、もう誰も居なかった。


今からバイトが始まると俺は心の中で思うと自然と気合が入り、誰もいないカラオケ屋の前でグーっと背を伸ばして、肩を回すとゴキゴキと肩が音を鳴らしていた。


今日は母さんが休みで飯を作る担当なため、俺は夜の22時までバイトのシフトが入っている。


休日の一番忙しい時間だがその代わり給料がいいのでいつも以上に気合が入っている。


皆にとって、まだ休日は終わっていないが俺にとっては実質ここで休日は終わりだ。


さてと、バイト頑張りますかね。


俺は立花との今日の楽しいひと時を思い出して、興に浸りながら俺はバイト先へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る