第四話 舞が好きな人

 学校が始まって二日目。今日も昨日と同じく授業は無く、楽だけど退屈な一日。

学校に来るなりいろんな人に茶化されて、私を巻き込んだ時の話題はいつも勇人ばかりで正直うんざりしている。


だけど、今日からは違う。春休み含めて私の日々はしばらくつまらなかったけれど

今日からは放課後のほんの数時間だけ、また私の一番楽しい時間が始まる。


私は少しだけ太陽が落ちて日中よりも暗くなっている廊下を歩いて、美術部の教室へと向かっていき、教室のドアに手をかける。


「こんにちは!先輩!」

「ん。久しぶり」


決して目線はこっちに向けず、自分が書いている絵に一途なその姿に私は安堵する。


いつもの風景といつも姿。ボロボロ筆を携えて、大きな紙に自分の頭に描いた風景を描いていく堀越風雅(ほりこしふうが)先輩のその姿に私は惹かれている。


「どうですか?絵の方は進んでますか?」

「まあまあ」


決して表情に自分の色はうつさない。どんな時でも変わらない表情と広げる気のない素っ気ない返事だけど、今は心地よさすら感じ、私は先輩の横の自分のいつもの席に座る。


最初は私も不気味だった。なんだこの人?感情が無いのかなって思ってた。


だけどこの人は感情を出すのが死ぬほど苦手なだけで本当は心の優しい人だと先輩が描く絵で知った時には私はもう先輩に惹かれていた。


「またどこかに出すんでよね?」

「一応。色んな所から招待されてるし」


先輩は絵の世界の中では少しだけ名の知れた存在らしく、小学生の時から小さな省から大きな賞までタイトルを網羅していて、そんな先輩が描く絵はいつも人物の絵ばかり。楽しそうな絵から悲しそうな絵まで感情的な絵が多い。


どうやら今日はかなり悲しい絵を描いている様だった。


「さすが先輩ですね!」

「長久手は絵が下手なんだからさっさと練習しろ」

「そんなにはっきり言わなくても…」


辛辣な先輩も言葉よりも慣れっこだけど、私のほうを一切向かないやきもちからぷくーっと頬を膨らました。


実は私は絵には全く興味がないうえに滅茶苦茶下手くそ。


しかし、言われてしまっては書くしかないので私は部室に置いてある自分の絵の具のセットをとって、先輩の隣で絵の練習を始める。


時折、少しでも会話をする為にほとんど必要のない質問をして。


そんな二人きりの幸せな時間があっという間に過ぎていくとドアの音が鳴った。


ドアのほうに目を向けると、疲労感を漂わせた同じ美術部で同じ学年の中村陽向(なかむらひなた)ちゃんがやってきた。


「陽向ちゃん久しぶり~」

「あっうん、久しぶり。なんでそんなテンション高いの?」

「まあ新しい学年だしね。色々心機一転って感じで」


私のテンションが高いのは先輩と久しぶりに会えたから、なんて言えるわけがない。


まだ誰にも私の気持ちは打ち明けていないため適当な噓をついてごまかした。


「さすが陽キャ。陰キャオブザ陰キャの私とは違う」


陽向ちゃんは自称オタク?らしくて自分のことをよく悲観していて、名前とは裏腹に内向的で暗い性格だけど私のことは凄く信頼してくれているような気がする。


漫画家を目指しているらしくて、絵の勉強をするためにこの部活に所属している。


「そういえば漫画の新人賞の結果はどうだったの?」

「…二次審査で落ちましたよ畜生」

「ああーまた落ちちゃったのか…」

「あのへたくそな絵じゃ二次審査でもよくやったほう」

「本当に遠慮が無いな二人とも。せめて慰めてくれなきゃ私泣くよ?」


いつも以上に暗い表情を浮かべながら陽向ちゃんは自分のカバンから自身の漫画専用のタブレットを取り出した。


「そういえばさ長久手」

「何?」

「とうとう豊川君と付き合ったんだよね」

「あっうんまあね」


さらりと出た陽向ちゃんの言葉に私はぎこちない返事をしてしまった。


そんな返事になってしまったのは照れよりも驚きの感情方が圧倒的に強かった。


「やっぱり陽向ちゃんも知ってるんだ」

「まああんだけ騒がれてたらさすがの私でも耳には入るわ」


自称常に一人ぼっちの陽向ちゃんの耳にまでその情報が入っているとなると先輩もやっぱり知っていたのかな?先輩はどう思っているのかな?


何も言わないし何も表情に出さないから分からない。


まあでも絵に一途な先輩だからどうせ何にも思っていないだろうな。


「それでどうなの?」

「えっ?」

「付き合ってみてどうなの?うまくいってるの?」


少し高圧的にというか怒っているように問いただす陽向ちゃんは今は書く気分じゃないといわんばかりにタブレットの上に腕を組んでその上に顎を乗せていた。


「うーんどうだろう。勇人はそんなに変わった様子はないかな。ただ周りがね…」

「鬱陶しいんだ」

「まあぶっちゃけ」

「そっかそっか。二人だけの世界でいたいのか。チッ!」


最後気持ちのいい大きな舌打ちをして顰蹙する何処に気持ちがあるのかわからない陽向ちゃんの言葉を否定しようと思ったけど付き合っているので否定するのは違うと思い言葉を私は飲んだ。


「…まあ、そんな感じかな」


少し俯いて苦笑いしながら言葉を返すと突然先輩が立ち上がった。


「どうしたんですか先輩?」

「飲み物買って来る。二人は何がいい」

「えっ?別に私は…」

「私コーラで」


遠慮のない陽向ちゃんの答えに続いて先輩は私に目線を向けて私の答えを待つ。


「えーっと、じゃあ私はミルクティーで」

「ミルクティーとか陽キャ女子かよ…あっ陽キャ女子だったわ」

「分かった。じゃあ買ってくる」


ぼそっと何か陽向ちゃんに文句を言われた気がするが私は先輩の圧に押されて

咄嗟に思いついた飲み物を答えると先輩は美術室を後にした。


「ねえ長久手」

「何?」

「なんで今日美術部に来たの?付き合いたてなんだから一緒に帰ればいいのに」

「えっ、うーんまあ勇人とは毎日一緒に登校するしクラスも一緒、席も隣だしね。

付き合ったとはいえいつまで一緒っていうのはお互い窮屈だから」

「ふーんカップル以前に幼馴染だもんな。一緒に居すぎても話すことが逆にないか」


倒していた上半身を起こして漫画を描く気になったのかグッと背を伸ばす陽向ちゃんに少しだけ気になったことを私は質問してみる。


「ねえ陽向ちゃん」

「ん?」

「幼馴染のカップルって何するものなのかな?」

「…それ、私に聞く?」

「…お願いします」


じと目で言われて私も一瞬聞く相手を間違えたかもと思ったが他の友達に相談すれば間違いなく茶化されて面倒ごとが付随してくる。


だから私はそういう茶化しをしない陽向ちゃんに改めて頭を下げる。


「まあそうだなぁ…私が読んだラブコメ作品だとデートした後にキスしてたかな」

「キス…かぁ…」


腕を組んで考え込みながら出してくれた陽向ちゃんの返答に私は勇人とキスをする情景を頭の中でシミュレーションしてみる。


……うん、無理だね。絶対に無理。抵抗しかない。好きじゃない人、増してや幼馴染とするキスってこんなにもきつくて抵抗があるものなのか。


シミュレーションだけでも吐きそうだったもん私。ごめんね勇人。


私の中の勇人は好きな人とは遼遠な存在だけど死ぬほど信頼している存在でもし仮にキスをしてしまったら、なんか色々と壊れてしまう気がする。


「まあ妄想が過ぎた作品だと性行為に至る作品もあったかな」

「それは流石に…」


もう無理とかの次元じゃない。やってはいけないこと。倫理的に。


私まだ至したことないよ?キスだってしたことないよ?立派に初めて守ってるよ?


そんな大事な初めて好きじゃない人に渡すなんて女としてダメでしょ!


「恥ずかしい?」

「うんまあ…そうかな」

「まあ子作りは結婚してからやればいいだけの話だしね。是非とも子を5人ぐらい生んで私ではどうにもできない少子化問題を解決してください」

「あっうん。気が向いたらね」


まあまず勇人と結婚すること自体絶対にないけどね。何故か真摯に頭を下げる

陽向ちゃんには言えないけど。…でもまあ勇人と結婚することは無くても先輩となら…もしかしたら…あるの…かな?なーんて思ってみたりして…


「買ってきた」

「ひゃい!」


突然ドアが開いて先輩の声が聞こえると私は驚き過ぎて変な声が出てしまう。

その声を聞いた先輩と陽向ちゃんも私ほどではないが驚きの声音を上げる。


「どうしたん長久手?そんな狼狽して」

「えっあっうん。平気平気」


訝しむ表情を浮かべている陽向ちゃんに私は自分でも分かるくらい顔が熱くなりながら手と首を横に何度も振った。


「本当か?」

「うん全然平気!さてと、私も絵の練習再開しなくちゃ!」


先輩にまで心配されてしまったが空気を変えたいと私は慌てて絵のほうに体を向きなおして筆を持つ。


「中村。何かあったのか?」

「さあ。さっきまでセックスの話してたから照れたんじゃないですか?乙女だから」

「セッ…って誤解が生まれるような表現止めて!というか陽向ちゃんも乙女でしょ!」

「…まあそういう会話はほどほどにしろよ」

「先輩!違いますから!」


表情をほとんど変えない朴念仁な先輩が珍しく少し顔を引きつっているので私は声高に否定する。


「今日も騒がしいな~長久手は」


ドアの前に立つ先輩の後ろから今にも寝そうなほど眠そうな顔をしながら萩野先生が

先輩が持っている四本のうちの一本の飲み物を取りながらいつも座るパイプ椅子に重く腰を預けた。


「遅いですよ先生。というか生徒の飲み物を何も言わずにとるのは教師としてどうかと思いますよ」


はあーっとため息をつきながら私は先生に社会的な注意をするという生徒が教師に社会を教える構図が出来上がってしまった。


「まあ落ち着け。少し前に堀越を絵の専門家か何かもとに連れて行った帰りに天国一品でラーメンとチャーハンと唐揚げ奢ったんだから、コーヒーの一本や二本たとえ生徒であっても奢ってくれてもいいじゃないか。なあ堀越」

「僕の記憶だと確か唐揚げ二つしか食べていなかったような気がしますけどそのコヒー、元々先生のために買ってきたやつなんで別にいいですよ」

「ほらな」

「いやほらなじゃないですよ。なにさらっと事実を捏造してるんですか」


謎にどや顔を見せる先生に私は呆れながらもツッコみを入れる。


そんな中、先輩は全く気にせずに私にミルクティー、陽向ちゃんにコーラを配って

自分の椅子に座り絵に体を向ける。


「にしても担任って結構大変なんだな。生徒の顔覚えるのだけで一年終わりそう」

「あれ?先生って確か長久手のクラスの担任でしたよね」

「そう。でもまさか豊川君?まで一緒になるなんてね~」

「そうですね。ほんとリア充はしっ…羨ましいですね」

「まあ腐れ縁が引き寄せた偶然ですよ」


陽向ちゃんが何か言いかけたような気がするけど、やはり先生も私と勇人の今の関係はある程度把握しているみたいだった。


「でもそのせいでうちのクラスは死ぬほど騒がしいんだよな。何かと豊川君と長久手をくっつけさせたがるからどうまとめていいか分からん」

「気持ちは分からなくもないですけどね」

「私からしたら結構迷惑だから止めてほしいんですけど」

「気が向いたらね」

「教師なんだから気が向いても向かなくても止めてください」

「…大変なんだな、色々」


私がため息をつきながら少し疲れた表情と声音を見せていると珍しく先輩自ら

私達の雑談に介入してきたの少しだけ動揺する。


「えっまあそうですね。昔から似たような事は受けていたので慣れてはいますけどね」

「そうか。まあ頑張れよ」

「えっ?」

「応援、してる」

「あっはい。ありがとうございます」


決してこっちを向くことは無かったけれど、絵に向けているときの視線と同じ位真摯で真面目なそのエールに私の心が様々な色で塗られていくのが分かった。


恐らくいろんな意味を含んだそのエールは一見、私を鼓舞してくれる嬉しい言葉の様で私が付き合ったことに対して何も感じていない様な寂しい言葉でもあった。


そしてその言葉を吐いているときの先輩の目線はやはり私ではなく、絵のほうを向いていた。

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