脂と糖の木曜日

 食物を善しだとか悪しだとか、そんな風に区別するのは馬鹿げているとは思わないかね? 魅力があるか、旨いか、さもなければ退屈か……ざっくり云えばそのいずれかなのだと私は思うのだが。

 どんなに高級な料理で良いワインを開けていても、窮屈な思いで上司と摂る食事は味がしない事この上ない。一杯何百円で食えるラーメンの方が、この世の中で最も旨いと思えるほどの幸福感をもたらしてくれる。

 善し悪しではない、どう食べるかなのだ。量も質も然り。そこの所をちょっと皆考え直してほしい。


 何故——糖質を目の敵にするのだと問えば、「そう教わってきたからだ」と答える者が皇国兵は殆どである。

 故に——これから始めるのは粛清、ではなく祝祭だ。


「脂の木曜日」をご存知かね? 恐ろしい灰の水曜日の前に、腹一杯にポンチキだったりボンボローニ(どちらもクリーム入りのドーナツの事)を食べる日だ。君たちには捕虜として我が部隊に追従していただく。何、拘束はするが収容所等に送りはしない。私が個人的にそういった類いの物が好かんのでな。


 ——というわけで尋問という名のドーナツ食べ放題である。


 これまで炭水化物を控えまくってきた皇国の兵にとっては地獄のような光景であろう。だが安心しろ、一度染まれば天国に変わるぞ。砂糖中毒にならんよう、一応全てきび砂糖や蜂蜜で味付けは施してある。

 山盛りのドーナツをこさえるのはテンションが上がった、さぁ皆で脂の木曜日を全力で遂行しようではないか。


「小麦アレルギーの者は先に申告しろ、ウチの技師と同様米粉と豆腐のドーナツを用意してある」

「僕これ大好き〜! キミたちも意地張らずに食べちゃった方がいいよぉ」


 皇国人の特徴がある男が嬉しそうにドーナツをパクついてたら、流石にビビったのだろう。しかもハインケルは良く言えばモデル体型、悪く言えば痩せすぎだ。皇国からすれば理想体型なのかもしれん。食えない物が多かった分仕方ないが、私から言わせて貰えばもう少し健康的に太った方がいい。でなけりゃ戦場でバテる。

 そう。それも今回の勝利の一因であったように思う。皇国は意識は高いが栄養情報が偏っており、恐らく前線に配置されているような下層の国民はただ糖質をカットしただけの生活をしている。頭は回るがスタミナがない。大火力&インターバルなしの延長戦に持ち込めば、我が隊の人員の方がよっぽど動ける肉体を持ち得ているのだ。


「一口でもこれを口にするまで、休眠をとらせないと思っておきたまえ」

「このっ……悪魔め」

「鬼か、貴様は」

「おやおや、誰ですか? 天使のようなフォーゲルに罵り言葉を向けたのは。その口に今から無理やりこのドーナツを」

「……ロンメル」


 静かにロンメルを制し、その手からドーナツをそっと奪う。言っておくが、皆の食べる姿を見て食べたかったからではなく、若干の挑発行為だからな。ち、違うんだからな。それにまぁせっかく作ったのだ、怒りで握り潰されたら少し悲しい。

 んー美味い。ダークチェリーソースとカスタードの組み合わせも悪くないな。

 仕方なくでもいい、食べてやるかでもいい、取り敢えず彼ら自身から食べるという選択をさせる事が重要だ。歩み寄りには強制でなく対話が必要である。

 それに無理やり口に突っ込んでも絶対美味しくない。美味しいものは美味しく食べたい。

 あと私は間違っても天使じゃない、大丈夫かロンメル。ほら、皇国の兵がすっごいドン引きした表情をしているじゃないか。上層部の視察の際に、真面目で穏やかそうに見えるから……と戦闘以外では眼鏡を掛けさせていたが、本気で眼科の受診をさせた方がいいのかもしれない。


「フォーゲル……口の端にクリームがついてますよ」

「おっと、すまんな。ちょっとでかく作りすぎたかもしれん」


 口元を拭うナプキンと温かいコーヒーが出てくるあたり、流石凄くできる男だロンメル。用意するだけ用意してパクついてる私とは違うな、軍人にしておくには勿体ない気がするぞ。


「鉄の意志、それも悪くないだろう。だが我々は敵を知る事も善しとする部隊だ、野菜も肉も魚類もバランスよく食す事を心情としているはみだし部隊でね」


 本日のメニューの中から、シンプルなオールドファッションタイプのドーナツをひと掴みしながら私はそう問いかける。


「諸君らはこのドーナツを見て何を思うかね?」


 ドーナツです! と後ろから軽口の体で隊員達が返してきた。まあ正解でしかないのだが、逆に安心したぞ。


「そう、ドーナツだ。ここに一つのドーナツがある。一説によれば楽観主義者はドーナツを見るという、悲観主義者はドーナツの中に空虚を見出すという。しかし我々前線の兵に、美しいドーナツをで善し悪しを吟味する……そんな暇があると思うか?」


 温度を均一にするために最初から真ん中を開けて輪っか状にしたとか、真ん中を矢が貫通したからだとか……ドーナツには諸説ある。だが——。


「この輪の中から向こうを見ても、そこにあるのはただただ現実なのだ」


 それはただの捉え方。唯そこに存在する事を喜びとしてもいいし、空虚を感じ悲観するのも結構だ。

 だが我々は前進する、故に目の前にドーナツがあるのなら先ずは食す事を選択する。何故ならドーナツは食べ物だからだ。


「ひとつ……聞きたい」皇国の兵が心底疑問だという表情でそう問いかけてくる。


「お前らの部隊は、帝国特有の肥満体が一人もいないが。それでも糖質至上主義を貫いているというのか」

「なんだそんな事か」


 傾注!! と叫べば一斉に軍用ブーツの踵が揃う音がする。


「我が祖国は」「「我が糖質!」」

「我ら働き蟻アーマイト」「「働き蟻アーマイトの矜持を持て」」

「ならば問う! 我らの真の勝利とは!」

「「一切合切の健康障害を起こさず、暴飲暴食の限りを尽くす事と知れ!!」」


「これが我が隊だ」そう振り返れば、皇国の兵達は呆気に取られていた。


「暴飲暴食は至上の喜びである。然し享楽に浸りすぎていては重大な精神健康被害を齎す事は重々にして承知だ。であれば我らは——糖質を制限なく食す為にそれなりの枷を己に課している。その成果は貴様らがその身を以て体感したはずだが」


 悪いものではないぞ? 貴様らの罪を赦そう、我が国家では御褒美だ。

 そう差し出す劇物ドーナツを、ひとり……またひとりと手にしてゆく。ふふふ、局所的だが世界平和も近いかもしれない。ドーナツのように和となり、それはいずれ大きな輪となってくれれば幸いである。

 ……ちなみに、個人的には中にクリームが入ったタイプの「そもそも穴なし」が好みだったりするが、この際それは良いとする。


「脂の木曜日」にドーナツを食べなければ、むしろ不幸になるとさえ言われている。まあこの世界に四旬節は無いのだがね。

 腹いっぱい食って寝て、幸せを願いつつ。また明日からは頑張らねばならんと気を引き締めるのみ。



 さて。捕らえた皇国の兵に嗤いながら山盛りのドーナツを喰わせたとして、「アドルフ・カノン・フォーゲルという小隊長は、まるで鬼のような人物である」という定説がじわじわとこの皇国戦線に拡がっていったというのを、ケラケラと笑いながら握り飯に山盛りのマヨをかけるハインケルから後日私は聞く事になる。

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