絶望のパスタは元気の味

 僕の眼は、この国の正統な王族の血統のそれと著しく違う色を持つ。

 君主となり実権を握る長兄がまだまだ先も長く、ましてや自分は四番目。そんな王弟殿下——つまり本来の父上のお手付きとなった皇国出身の美しい踊り子の子供、それが僕だ。


 最古の記憶にあるのは父でもなく、母でもなく。王族の末端として恥ずかしくない素養を身につけなさいと言う家庭教師のお小言だ。

 皆とは明らかに異質な見目は、隠すように隠すようにと言われていた。国の方針なんて知らない僕は、お母様が好きだったというリンゴ飴や野菜料理を好んで食べていた。父上は僕に会いにきてくれる事もなく、遠巻きに眺めているだけの従兄弟や異母兄弟達にも次第に距離を取られ、合わなくなってしまっていた。

 僕は——それでも父上に会ってみたかった。成績が良いとおべっかを言う使用人達ではなく、血の繋がった家族と会話をしてみたかった。


 母の血筋の呪いか。

 それともなんらかの心的要因なのか。

 僕はマナーとされるパスタもプレッツェルも食べる事ができなかった。

 口に運んでも戻してしまう。息苦しくなって倒れてしまう事もしばしばだった。

 それを言うのだ。王族の彼らは「血が悪い」と。「好き嫌いを態度に出す子供は末端にも置けぬ」と。


 違うんだ。好き嫌いじゃないのに。食べられないのに。

 どうして僕の事をわがままだなんて言うんだろう。


 皇国との関係があからさまに悪くなった頃、僕はハインケルの家に養子として出された。曰く、軍の上層部とも強固な繋がりを持つ資産家貴族の家。

 暮らしは悪くなかったと思う。けれど僕はお飾りで、ハインケルの家にとっては「王族の血統の面汚しを受け入れた」の一点が非常に大切なのだろうと早々に理解した。


『オブザーバブルの眼』という、量子レベルで能力値を可視化し計測する能力に気がついたのはこの頃だ。

 物質に何%の元素や物量が含まれているか、に留まらず人物の持つ魔力値と特性を瞬時に視る事ができた。それは皆が当たり前に視えている世界だと思っていたのに。

 そこからは勉学にのめり込んだ。頭がショートしそうなほどに計算し創造し、人が耐えられる限界値ギリギリの装置を作ることに夢中になった。

 現在軍で使用している魔力値の細部測定器を作ったのも実は僕。なので、軍部に王族が退けられた際も、僕だけはハインケルの名を持つ貴族として中央に残る事となった。絶対王政復古を目論む一派としては、あまりに彼らと暮らした期間も繋がりも少なすぎたから。そして、王族の血が混じった者を軍に置く事で、一応は体面的な配慮もしているらしかった。


 もう誰も僕の見た目には言及しない。目の色が違っても、目の能力だけをみてくれる。

 ああ、この虚しさはなんだろう。

 寂しい、寂しい。けれど寂しいのはきっと勉強が足りないせいだ。

 もっと、もっと、もっと。その探究の向こうにきっと僕の欲しいものがある気がする。

 僕はもう食事に頓着が無くなっていた。ガリガリ、バリバリと音を立てて噛み砕けるチップスやチョコバーの方が、僕の心を満たしてくれた。






「起きましたかハインケル技師」


 ああ嫌だ。寝起きに人が側にいるなんて、僕の最も忌むべき事なのに。


「ロンメルの出す数値が異常過ぎて、どんどん性能を上げていらっしゃるようですが少し休まれては? あと食事もとった方がいい」


 目の前には灰色狼のような目をしたフォーゲル軍曹がいる。

 亜空間に干渉できる異能を持つというのに、そこから召喚できる物質がまるで軍事に役立たないとされた異質の小隊長。


「僕は……」

「貧血を起こして倒れたんですよ。今回は私は指一本触れておりません」


 私のせいじゃないですからね、というむくれた表情をした赤毛の軍人。『キツネ』の異名を持つ異民族の特徴を持ちながら、遊撃隊で決して小さくはない戦果を出し続けるエース。

 だけどこの「なんでそいつに構うんですか」が滲み出ているところが、戦果と不釣り合いな程に年相応に表に出ていて、僕は少しだけ笑ってしまう。


「あー、ロンメルくんの能力に僕の体力が負けちゃったかぁ。こりゃぁいけないいっけない」


 身体を起こしたけど少しだけふらふらする。確かにロンメル氏の能力は異質中の異質で、潜在能力も凄まじい。故に——彼の心の支えともいえるフォーゲル軍曹から離すのは、今はただの愚策に過ぎない。出自故に国に反旗を翻された際の打撃があまりにも大きいからだ。

 考え過ぎてて、お菓子を摘むのも忘れていたらしい。


「食事は取れますか? 固形物がダメそうならと、作ってみたので召し上がってください」


 フォーゲル軍曹がそう言って何やら緑の液体が入った皿を寄越してくる。


「えっ、やだ。何この色」

「この……、フォーゲルが技師の事を考えて作ったものを」

「ロンメル」


 ロンメル氏を即座に黙らせた、フォーゲル軍曹のこの目が嫌いだ。

 ハズレと言われてなお諦めない心、背もそんなに高くないのに圧倒的な「強さ」を孕んでいる存在感。「大丈夫だ」と言われているような、何もかもを受け入れる心の広さが——悔しいけどこいつには多分ある。


「手が震えて食べられない」

「……では、口元まで運びますよ、失礼します」


 どうして放っておいてくれないの?

 僕は、僕は。皆に遠巻きにされている狂った研究者なのに。

 観念して、口元まできたスプーンを口に含む。ロンメル氏が「食わなければ殺す」みたいな殺気を出していて、それに少々気圧されたのもあるけど。


「……おいしい」

「でしょう。ほうれん草やそら豆などのポタージュです。素材を丸ごと使っていますので栄養もありますよ。ご気分は?」


 悔しい。思わず口に出てしまった。ほんの少しだけ、身体が温まった気がする。

 気がつけば身体が欲していたのか、スープを全て飲んでしまっていた。


「あと、ハインケル技師。精がつくようにとこれも作ってみたのですが、一口でいいので食べてみてください」


 ガーリックとオリーブオイルの香ばしい香りが漂ってきた。

 仕方ねえなという表情で、皿を覆っていた銀のクローシュをロンメル氏が持ち上げている。彼、すっごく二面性があるから見ているだけで面白いんだけど。


「えっ、何これ。こんなもの食べさせようっていうの?」


 そこに乗っている料理を見て、僕は怒りと恐怖が同時に湧き上がるのを感じた。


「一見すれば質素な『絶望のパスタ』ですが……きっとハインケル技師のお気に召すかと。私は貴方を傷つける意思はこれっぽっちもありませんよ」


 どこまで僕を絶望させようというのか。

 まるで死刑宣告のようだった。あの苦しみがまたやってくるのが嫌で、僕は差し出された皿を跳ね飛ばす。


「おっと、さすがフォーゲル。私が持っていて正解だったようですね」


 瞬間転移して難なく皿ごと料理をキャッチしたロンメルくんが憎い……。

 訓練で虐めすぎたか。とうとう、憎まれっ子の僕にも毒殺っていう末路がやってきたのかな。それでも食欲は湧きそうな匂いに、観念して僕はこの世の最後の食事だとそのパスタを口に入れた。


「あ、あれっ?」


 口の痺れもない。息が苦しくなる事もない。

 恐る恐るもう一口、パスタを口に入れてみる。


「やはり。ハインケル技師。ここ数日貴方の様子を伺い、お話も聞きましたが……小麦粉のアレルギーですね。先日もタルトを作っていた時、非常に苦しそうにされていましたし」

「……ちなみにあのタルトは絶品でしたよ。隊員達の間でラスト1ピースを巡った模擬戦が繰り広げられました」

「元気すぎるだろお前ら……」

「アレルギー?」

「そうです。そのパスタはグルテンフリー、つまりアレルゲンとなる小麦粉由来の成分を一切排除した大豆由来のものです。少々茹で上がりの匂いが気になるのでアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、つまり絶望パスタとしてみましたが……お口にあいますでしょうか?」

「うん……えっ、なにアレルギーって。概念的な、我儘じゃないの」


 何を言うか、とフォーゲル軍曹は眉を顰めた。


「アレルギーが我儘で片付けられるなぞ、勘違いと強欲もいいところだ。それは身体の免疫反応であって無理して苦しんで強要されながら克服するものじゃない。むしろ個々に寄り添うべき事案です」

「すごい……これが一般に流用されるようになれば、僕のように家庭や国家から弾かれる人間も減るってこと?」


 言って——しまったと思った。こんな事を言うつもりじゃなかったのに。

 けれど彼は平然として「寧ろ食えない物がある事を蔑む現状が、私にとっては非常に遺憾でありますが」と答えてきた。


 ニヤニヤしているロンメルくんの表情に、なんだか非常にムカつきながらも。

 僕は十何年ぶりだろうか、心の底から美味しいと思える食事を食べたのだった。

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