傷薬は甘い蜜の味

「止血の前に傷口を洗うぞ、あいつの靴底で破傷風にでもなられちゃかなわん」


 ぐいと高い位置にあるロンメルの肩を掴んでそう言うと、ところどころに赤紫色に変色した迷惑そうな顔が振り返る。


「そんなことはわかっている」

「そっか、なら来い。どうせこんな扱いだ。衛生兵も救護班も私たちには回ってこんのだろう、出血しているし傷は早めに洗った方がいい」


 なんだか不服そうな表情だが完全無視を決め込む。

 消毒薬でも欲しいところだが、生憎と私の能力ではそちらは専門外だ。ここで突然だが、訓練中に色々試してみてわかった私の能力をおさらいしておこう。


①前世で実際に・・・見たことのある食材、食器、鍋やフライパンなどの調理道具が召喚可能。ただし自分の身体の半分以上のサイズのもの(両手で運べないもの)は喚び出せない。


②食材は生きた状態では召喚できない。完成したものも対象外。(よってツナマヨおにぎりは召喚できなかったガッデム)


③食品保存容器やキッチン用品は対象外


④クーベルチュールチョコレートは召喚可能、ミルクチョコレートは不可。同じくココアパウダーは可、ミルクココアは不可。

(つまりは材料として使用されるものが対象となるという事だろう)


 絶妙に軍務にとっては不便かもしれないこの能力。キッチンにアルコール消毒あるだろ普通……ん、待てよ。

 救護室でガーゼとテープを貰ってから戻ると、ちょうど水道の水で傷口を洗おうと屈んだロンメルがそのままザブザブと頭ごと突っ込んで洗い流し始めたところだった。「ちげーよ」と私は彼の頭を少し横に向け、傷口に流水を上からかけながら土や小石が入ってないかごしごしと擦る。


「いたっ」

「黙ってろ、鼻から水入るぞ」

「……この野郎」

「屈辱的なポーズかもしれんが他意はない。お前もその綺麗な顔に傷がつくのは嫌だろう」

「馬鹿にしてるのか?」

「違う違う、顔に傷がついてないという事は、ボクサ……前線の兵からしたら誉れだ。敵の攻撃を貰わずして勝っているという事だからな。何より後遺症は一つでもない方がいい」


 手を振り払ってこちらを睨みつけるロンメルは、側から見れば水も滴るいい男であろう。うん、でもそんな事はどうでもいい、風邪ひくから頭は拭けよ。

 そのままタオルでロンメルの頭を拭こうとすれば、「それくらい自分でできる!」と乱暴にタオルを奪われた。


「じゃあそこに座れ、消毒するぞ」

「は? 消毒液なんて高価な物、俺たちになんて……」

「ああ、多分ない。だが忘れたか、私の笑えるような能力を」


 安心しろロンメル、私は前世で専攻がスポーツ医学トレーナー科だったんだ、これくらいの切創擦過傷の類いの手当てはお手のものだ。

 言いながら私はあるものを頭の中でイメージし、手元に二つの大振りなビンを召喚する。


「お前……一体何を」

「ロンメル二等兵、貴様歳はいくつだ?」

「ロンメルでいい。歳ならもうすぐ十八だが」

「ならば安心だな。万が一口に入っても飲みきれ」

「は!? おま、何をっ」

「目に入ったら沁みるどころじゃないからな、絶対に動くなよ……!!」


 動くなよ、はフリではないのでがっちりとロンメルの肩を掴んで固定した。引き寄せた顔の側面、傷口にパシャパシャと一つ目の瓶から液体をかけていく。そう、アルコール度数80%超えのウォッカだ。


「うぐっ」


 予想外に沁みたらしい。そりゃそうだ、通常の酒よりもだいぶアルコールに寄ってる成分だからな。焼酎や料理酒じゃ消毒にならんのでこちらを使わせてもらう。


「……まだ何かあるのか」

「今は消毒しかしてないからな。次は傷に軟膏代わりにこれを塗っておく、額やこめかみは傷に対して出血が多くなって邪魔だから、傷薬と血止めの役割をしてくれるものを塗っておいた方がいい」

「いや、でもそれって」


 躊躇うようなロンメルの肩を引いてぐいと水分を拭き取る。問答無用で今度はもう一つの瓶の蓋を開け、中に入っていた琥珀色のものをペタペタと傷口に塗っていく。


「非常に変な気分だ……」

「傷に効くようにアカシア蜂蜜にしておいたぞ、抗菌作用と傷が塞がる作用が一番高いのがアカシアだ。流れてきて我慢できなかったら舐めてもいい」

「誰が舐めるか!」

「アミノ酸やビタミン、カリウムも含まれているぞ、ほらせっかくだから」

「っ、おい!」


 ガーゼで傷口を覆い、テープで固定。念のために止血帯をぐるりと額に回るようにつけて固定する。

 そのまま私は流れるようにスプーンを召喚し、一掬いの蜂蜜を問答無用でその口に捩じ込んだ。顔を顰めたロンメルは口の中を切っていたか、それとも糖度の高い蜂蜜に条件反射で頬が痛くなったのだろう。


「無駄に面倒見がいいな、妙な手当ての知識といいお前……」


 ふっとその目元が緩んだような気がする。しかしそれも束の間のこと、次の瞬間には我に帰ったのか、その薄いグリーンの瞳がこちらを睨みつけるようにして見つめ返してきた。


「はっ。さすが、同じ孤児でも……孤児院出の坊主には知識を習う余裕や場所が与えられてたということか」

「は? なんの」

「お前がどうやって少佐に気に入られて入隊したかは知らない。でも俺はお前みたいな恵まれた甘ちゃんとは違う。生き抜くってことは、こんな訓練より相当過酷だ」


 あ、うん、知ってる。そうは思ったが口には出さなかった。

 きっと彼は悔しいのかもしれない。手当てをされたという事実よりも、悔しさや驚きが勝っているのかもしれない。

 劣等感から生まれるそういう気持ちや言葉を、普段殴られても言い返すことすら抑えているこいつが、良い意味で表に出せている瞬間なのかもしれない。

 そう思って腕を組んだまま黙って聞いていたが、その態度がまた生意気と捉えられたのかもしれない。派手な舌打ちの音に、私は少々目を丸くして立ち上がったロンメルを見上げる。

 そうか、こいつは私より背も高いし歳上だった。こんなガキに色々やられたのがプライドに障ったのかもな。


これ・・については礼を言う。だが俺はお前と馴れ合う気はない」

「ああ……」


 額に巻かれた止血帯のあたりを指して、そう一気に捲し立てるとロンメルはさっさと訓練場へと背を向けて歩き出してしまった。

 まあ別に。友達欲しいわけでもないし、あんな敵意剥き出しでも「礼を言う」って言われただけで儲けもんだろう。


 訓練継続のスタミナにはアミノ酸と糖分は必須だな。

 私は気を取り直し、自身も蜂蜜をひと掬い口に入れると、訓練場へと戻るために立ち上がった。

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